【時】 昭和7年8月6日
【所】 天恩郷 高天閣
【出席者】
小竹玖仁彦、加藤明子、神本泰昭、芦田満、比村中、田盛義光、速志英春
速記者…伊藤栄蔵
速志 『本夕は神霊問題について御質問願って大いに益したいと存じましたので御苦労願いました。生活の基点は霊界でありますので、人生を本当につかみたいと存じますから──。
聖師様どうぞよろしく御願い致します。では田盛さん、君から』
田盛 『霊夢の判断の方法とか態度についてお伺い致しとうございますが』
出口氏 『レイムって何じゃい、夢か?』
田盛 『たとえば夢で聖師様がある家に来られて天津祝詞を挙げられた時の聖師様の着物とかお姿がハッキリわかるとかした場合は、どういう御心がお働きになっているのか判断に苦しむことがありますが』
出口氏 『その夢の事か、じゃ、夢の種類から云わねばならぬが、神夢、霊夢、実夢、虚夢、雑夢、悪夢というのがある。
神夢というのは、神が姿を現して、或いは白衣の老人が現れたとか、或いはワシの姿が現れたとかして、そこで色々の事を教える、というようなのが神夢じゃ。
霊夢というのはもう少しぼんやりしておって、或いは太陽が出たとか、富士山に登ったとか、或いは鷹が来たとか、そういうような瑞祥の夢を見る時や。それを秩序整然と初めから終いまで憶えているのが霊夢や。しかし霊夢には良いのも悪いのもある。この前にこういう霊夢を見た者があった。葬礼の夢というのは納まると言うて非常に良い夢やというのや。
古から鷹の夢というのは、一富士、二鷹で良い夢ということになっている。それから黍の夢、黍の夢とか粟の夢は実が多いから良い夢やとある。が四方春三が上谷に居った時、葬礼の夢と、鷹が三匹来た夢を見た。それからズル黍と言うて一穂に一万粒も実のなる黍の夢を見た。良い夢を三つ一緒に見たのだ。それをワシが判断してやって「ソレ見タカヨイキビ」と言うた。二鷹なら良いのや、しかし一富士、二鷹、三茄子の夢は良いけれども、これは本当は夢の事でなくて、徳川家康の心得としていた事なのだ。家康は黄金を沢山もっておった。軍用金を沢山もっておったから天下をとることが出来たのだが、その黄金を貯えるのに、たとえば奢りをしたいとか、娯しみをしたいと思った時に、富士を見たのだ。今の人なら花見だとか芸者買いに行くとかするのだが、そんな時に富士の風景を見て、それを第一の娯しみにしておったのじゃ。二つ目の楽しみは鷹を飼うこと。他人に御馳走をする時でも、自分は金を出さずに鷹に鳥を捕らして、それで料理して御馳走した。それから茄子を作って浅漬けを非常に楽しみにしておったのじゃ。そのくらいの心得で金をためて、それで天下を取った。家康は実際はそのような心得のあった人だった。それで一富士、二鷹、三茄子の夢を見たら、その心得になっておれば教訓になるから良いというのじゃ。しかしその心得にならなんだら何にもならない。
悪夢は妙なものにおそわれたりするやつ。
雑夢は木に竹を接いだようなことで、今亀岡に居るかと思うと東京に居たり、また綾部に居ってみたり、梅の木じゃと思っておったら、牡丹の花が咲いて、下に筍が生えたり、木に竹を接いだようなのを雑夢というのじゃ。
それから人の心気が霊に感じて、気分の良い時には霊夢を見る。雑念のある時には雑夢を見る。良い夢を見るのは総じて右の肩を下にして、平仮名の「さ」の字になって寝た時には愉快な夢を、左を下にした時には悪夢、仰向けになった時にも胃腸の弱い時などには悪夢を見る。
またこういう夢もある。河内と言うてワシの親爺の生まれ故郷じゃ。そこに宗三右ヱ門という長者があったが、若い時は貧乏で、上下といって京都行きの荷物をしておった。ある日、京都からの帰りに鳥羽村の川縁で連れの男と二人で一服しておった。そうすると宗三右ヱ門は起きておったが、連れの男は眠ってしまった。見ていると、その寝てる者の鼻の穴へ蜂が入って出て、また別の穴から出て行く。起こしてやろうかと思ったが、放っとくとまた蜂が入って行って、またこっちの穴から出る。出ると近所の荊棘の中へ入って行った。終いに起こしてやると「小判がドシンと落としてあったので拾おうと思ったのに、起こしたもんだから…」という。「そんなら、その夢を買おうか」というと、「買う買わんて、どっちにしても夢の事じゃないか」「そんなら今日、儲けたのをみなやろう」「それなら…」というのでその夢を買うてしまった。
「お前の夢を買うたんやさかいに、実行しても俺の物やぞ」と言っておいて、翌日その蜂の入った所に行ってみると、ザクザクというほど小判の入ってある財布が隠してあった。泥棒か何かが隠しておいたものだろう。そうして長者になった。
それからこれはワシの実見した夢だが、これも鳥羽で、家の親爺と二人で──ワシは十二、三だったが──河内へ鮎を獲りに行った。ちょうどこの頃の気候で、雨が降ると鮎を獲りに行くのだ。鮎を獲って鳥羽まで帰って来ると、ちょうど十二時頃。そうすると火の玉がころげている。こわくてしょうがない。それから家の親爺が癇テキ者だから杖で火の玉をドツキに行った。そうしたらシュッと逃げて三軒ほど先の家の中へ入ってしまった。で、その家を「もしもし」と叩き起こして、「変な物が入ったが、何ぞ居りゃしませんか」というと、こっちの方で「ああ、こわいこわい」と言うて「大きな男が子供連れて出て来てドツキに来たからびっくりして逃げたら夢やった」と言うている。ワシはそれを聞いて寒気がした。こういう風に向こうが夢を見ていたのじゃ。それは人玉が飛び出していたのじゃ』
速志 『そういう時には精霊が飛び出ているのですか』
出口氏 『そうだ。これらは実夢で、最前言ったのも実夢だ。ワシはそんな火の玉を何遍も見たが……。子が生まれる時と、その子が死ぬ時と二度見たがね』
速志 『今度の神の国に、生まれる時に人玉が入るというのは……』
出口氏 『実際ワシは見たが、入るのと子が生まれるのと一緒だ。そしてそれが出たと思うと死んでしまった。それからこれは綾部の話だが、鹿造の親が死んだ時に鹿造が長火鉢に丹前姿で威張っている。するとそこにウイロ饅頭みたいな物が火鉢のそばにある。何じゃおかしいなアと思って見ると、ウイロでもないし、妙な物があると思って取ろうとしたら、母親の口の中へポッと入ってしまったのじゃ。おかしいなアと思っていると、またコロコロと出て来て火鉢の上に乗った。今度こそとパッと掴んだと思ったら、婆さんが「キャッー」と言った。それで死んでしまった。病気で寝とったのではあるが……』
速志 『それを夜見ると光るのだろうね』
出口氏 『フーム。穴太の金剛寺の隣座敷に風呂岩と文助勝という二軒の家があって、その庭から見るとそこの井戸のそばに火の玉が出ると言って、村の者がみな見に行った。ブーッと上がると後が褌を引きずったように見える。そいつがバシャッと家の椋の木へ突き当たった。ガバッと落ちてグシャグシャと光っているのじゃ。翌日見たら雪隠虫のようなものに、ちょっとばかり毛の生えたものが、毛どうし絡み合うて円くなっておった。いまだに何か分からん。毛ばかりで雪隠虫のような物が二百くらいおっただろう。いまだにワシはその椋の木の下へ行くと思い出す。溝があって、西側に椋の木がある、今は大きくなっているが、その時はそんなに大きくなかった。
それから夢というものは、たとえば君がこっちに「彼女」があって恋慕しているとする。何とかして一つ口説いてやろうと思っているが、また一方で振られたら恥ずかしいからいうまい、という反省力がある。ところが寝てしまうと、他の思想がみな寝てしまって、何とかして言うてやろう、やろうという心だけが独り起きとる。それで夢の中で「あなたを好いとった」とか何とかいうと、また向こうもまた、うまいことをいう。そうするとそれが夢やハハヽヽヽ……金が欲しい欲しいと思っているけれども、起きていると金が滅多に落ちておりそうな事はないという反省力があるが、寝てしまうと金が欲しい欲しいという精神ばかりが起きている。それで金を拾いかけたりする夢を見る。神から知らすというのはあるけれども、神夢を見るというのは余程、魂が清浄でなけねばならん。
今年は日の出の夢を見たとか、富士の山を見たとかいうのは霊夢じゃ。
実夢は、どこそこに何が落ちとったというような夢を見て、翌日行ってみると実際にそれがある。蜂が鼻の中に入ったのなんかは実夢だ。自分は蜂でないにきまっている、夢で見たのだからな。悪夢はおそわれるやつだ』
速志 『こわいものにおそわれるのは矢張り霊でしょうか』
出口氏 『そうだ。そこら中、霊ばかりだから。霊が充満しているのだから』
加藤 『今修業に来ている人で、お伺いしてくれと言われているのですが、近江の長浜の人で建築の技師でございます。今まではお大師さんを大変信仰しておりまして、去年の十二月から大分長い間、夫婦でお四国詣りをしとった人です。服部という長浜の支部長さんと神様のお話で喧嘩するような議論をしたのです。別れてから、あんまり言い過ぎたからお詫びをせなならんと思って寝たんです。そうすると夢に、伊吹山の直ぐ上のところに星が三つ現れて、二つはとても光るのです。ダイヤモンドのように大きく光るのです。その二つの下の所にはちょっと暗いのがあるのです。不思議だと思って醒めたのです。それでお詫びに行こう行こうと思って行かないでいると、また夢を見たのです。六畳の間で寝ておりましたところが、大きな蛇体が欄間を巻いたのです。色は金色に光って、それがザラザラと動き出したのです。汗みどろになって醒めました。で、いよいよ服部さんにお詫びに行こうと思っていると、服部さんが来てくれました。「実はこんな夢を見たのですが」というと「あなたは半ヶ年のうちにきっと亀岡に修業に行きます」と言ったのです。
それから話が接ぎ接ぎになりますが──水口に広瀬という信者さんがあるのです。同じ職業なものですから、そしてその方の口を探しておられたものですから、そこへ行らっしゃい、というので、広瀬さんのところへ行くというと、「早く修業に行きなさい。私が旅費なんか立て替えますから行らっしゃい」というので、飛んで来たそうですが、今日で四日ばかり泊まっておられます。そうした所が、夢で聖師様が現れて「よう来た、お前に何か書いてやる」とおっしゃられて、書いて下されるというところで眼が醒めたそうです』
出口氏 『その夢がどうや。何も別に判断するような夢じゃないじゃないか』
加藤 『私はこんな判断をしたのです。伊吹山に現れた明るい星というのは厳霊様と瑞霊様じゃろう。暗い星はお大師さんで、お大師さんは仏、仏の世は済んで、厳霊様と瑞霊様の所へ来い、という意味だろうと、こんなに申しましたが……』
出口氏 『それはそうに決まっている』
加藤 『それから大蛇というのは督促係じゃないかと思いますが……
川田さんという尾道の信者さんが良く言われますが、神様の事を反対していると、そこへ大蛇が出て取り巻いたので閉口して飛んで来てお参りした。その時は恐ろしくて、と言われますので』
出口氏 『それは金竜海の金竜だ。修業して金竜海へ参れということだ。ここ(亀岡)で修業したら金竜海へ行くだろう。金竜海には──金竜と銀竜があそこへ納まることになっているという歌があるだろう──。四ツ王山に居った金竜で、それが大八洲へ行くのだ』
速志 『現在お鎮まりになっておらないのですか』
出口氏 『なっているとも、大蛇で、天保銭ほどの鱗をワシはもっているよ。黄金閣かどこかへ置いてある。天保銭よりちょっと大きいぜ。証拠を見せてくれというと鱗を二枚落として行った。血がついている生々のやつを残して行った』
加藤 『大正八年頃、拝見しました。薄桃色のでございますね』
出口氏 『それが大阪の松島へ出て来て落としたのだ。谷前の所へ来て、神島を祭ってくれというので、何ぞ証拠を見せてくれ、というと、この鱗を見てくれたら大抵大きさがわかる、というので落として行った』
速志 『夏樹が先日大病した時、初恵が蚊帳の外にいたので、パンヨが夏樹もいるからサアお入りと蚊帳を上げてやると中に入って、夏樹の側に寝たそうですが、その翌日からダンダンよくなったそうで、私が浦和からの手紙を見て霊前で夏樹を守ってやれと祈った時だったのですが、霊が行って看護したのでしょうか』
出口氏 『霊が来ているのや。執着が強いと五年も六年も付いている。ワシの祖父さんも五つか六つくらいまで付いておった。それから、弟の吉公が祖父さんと同じことだ。祖父さんは博奕ばかり打って死んだのだ。その祖父さんは畑の草を取る時にそこへ埋けといたら良いのにまた生えると言って、口にくわえて向こうの畔まで行って畔の外へ放る癖があった。吉公が四つの時に両親が畑へ草取りに連れて行くと、吉公がまた祖父さんと同じように取った草を口にくわえて向こうの畔まで行って畔の外へ放るのだ。また博奕打ちの祖父さんが生まれ変わって来た、と言うておったが、矢っ張り博奕ばかり打って、家から牛からワシの金時計から何もかも売ってしまった。博奕打ちの親分の河内家が引っ張りに来て来てしょうがない。ワシが鳶口で弟の首筋を引っ掛けて連れて帰った事があった。そういう風に同じ癖をやるものだね、生まれ変わりというやつは』
小竹 『病人が熱が高いのは邪神がやっているのですか』
出口氏 『邪神が憑って、悪霊におそわれて熱の高いのもあるし…。それから癒るのは九分まで信念が助けるのだから、たとえば柚の話をしたら口が酢うなるだろう。人の精神作用によって肉体も直ぐ変わる。嬉しい時には顔色が良くなり、失望すると青くなり飯も食えなくなる。それで熱も、この人が来たら救けてくれるという信念と、神様の神霊とで癒る。頑固な人は滅多に癒らない。そんな人が癒るのは神様のお力ばかりだ。信念のない人でも癒る事がある。そんな人はこの世にまだ用がある人なのだ』
速志 『癒ってから矢張り神様があるなというようなもんやろな』
出口氏 『そんなのは一遍は救けてくれるが、忘れると今度はいかん。肺結核でも四十以上になっている人は癒って長生きする。二十台の人は癒らない。これは情欲の発生する病気で、それをしたらきっと悪くなるのだから……』
小竹 『三十までの人で癒った人はありませんね』
出口氏 『癒るけれども、またあれをやるさかいに。年寄りは癒ると固まってしまうのだ。
それから猩紅熱や何かでも──西田元吉が猩紅熱になっておった。ワシが行くと、警官や医者や衛生係が居って入ることならぬという、フト考えると──西田は鍛冶屋をしておったが、その弟子が他の鍛冶屋から金を三円貰い、西田を呪い殺せという依頼を受けて産土さんの杉に釘を七本打ってあるという事がワシにわかった。西田は上手で安うするものだから、他の鍛冶屋が恨んだのだ。家の奴が釘を打つのがワシに見えたのだ。
それから衛生係や何か居って騒いでおったが、これは猩紅熱でも何でもない。産土さんの杉に釘が七本打ってあると言って、近所の人やその打った奴にも行かしたら、そいつはびっくりしてその晩に紀州へ去んでしまった。それから翌日、釘の穴に餅を買って詰めといてやった。釘を抜くと同時に、病人は四股を踏んで、「こんなもんや」と言うて達者になった。医者も帰ってしまった。
それから本当に癒るまで百日かかると言うておいたが、果たして毒が残って後がなやみ出し、体がはれて、こんな畳の敷居の高ささえも這うて越せんくらいになっておった。ところが百日目に臀部から破裂して、三升ほど泥水みたいな膿が出て、それで癒ってしまった。それまで西田という奴は神様に反対して困り者だった。
まだその杉の木はある』
芦田 『そんなに釘を打たれたりしても、こちらの霊魂が正しい信仰をしておったら、そんなにならないで済むものじゃないのですか』
出口氏 『しかし生木だからな。あいつを殺ったら「抜いてやるやる」と言って打つのだから、木にも魂があるから──木魂に響くというが天狗や何かは木魂で、魍魎はスダマだ』
速志 『その釘を打った奴はどうなるのですか』
出口氏 『紀州へ行って病気になった。それから西田に「行ってやれ。そして恕してやるさかいにて言ってやれ」と言うたが、そういってやったら矢っ張り百日かかって癒った』
小竹 『人を化かすのは狐や狸の他にもあるのですか』
出口氏 『今はなかなか狐や狸のは直接は欺さない。ワシらは欺された。昔は嘘つくというような事はなかった。ワシらの若い時でも嘘ついたら交際しなかったものじゃ。今の狐や何かは人の身体の中に入ってサックにして使っている。人間も賢うなって飛行機に乗って空を走ったりするから、狐も人の体をサックに使うのだ。
それから亀岡の士族で川上さんという先生があった。犬飼の学校に居って、また佐伯の学校に転任になった。峠境にオモン狐という悪い狐があったが、ある日その川上という先生が峠をどんどん上ったり下ったりばかりしているのじゃ。フッと見ると天狗岩の所に狐がおって、ペッと尾をこちらへ振ると、どんどんどんどんとこっちへ下りるし、あっちへ振ると、またどんどんとあっちへ上ってゆく。とうとう死んでしまうたけれども……。今は狐に化かされたというのは聞かんね』
速志 『この頃は聞かんなア、本当に』
出口氏 『ちっと人智が進んでくると化かすことは出来ない。昔の人は狐が欺すもんじゃという事を、自分が思ってないでも、腹の中からそういう血を受けているから欺されたのだ。先祖代々血液の中に渡って来ているのだから。今はそんな馬鹿な事があるもんかい、と思っているから……』
速志 『河童が欺すと言いますが、河童とかいうものは本当にあるのでしょうか』
出口氏 『あるとも、家に河童があるぜ。小国の上野さんのところから持って来てくれたのだ。上野さんの先祖が川へ酒樽を洗いに行くと、酒の香を嗅いで河童が出て来て、向こうの方で踊っている。それで石を投げたらその川の中へ跳び込んでしまった。川は志賀瀬川という川だ。今度来たら切ってやろうと思って、片方の手で樽を洗っていると、樽に妙な手をかけたので差し添えを抜いてパッと切ると、その手を置いて逃げてしまった。それを大事にして残しておいたものだ。そういういわれを書いたものがある。
細い手で矢っ張り五本指がある。穹天閣の宝物の中に入っている。人の手とちっとも変わらぬ。三つくらいの赤ン坊の手くらいで、指が非常に長いし、爪も大変長い。乾物になっているのだから腕の骨もこの親指ほどしかないね』
小竹 『河童が血を吸うと言いますが、本当でしょうか』
出口氏 『河童というけれども、蝦蟇も河童の一なんだぜ。蝦蟇が鼬をこっちから狙うと、鼬がそこでどうしても動かれん。そして血を吸うのだ。蝦蟇と鼬の間に板をやると血が付くという。ワシは実験したことはないけれども。良いほど血を吸うて殺してしまうてから蝦蟇が草原の中へ持って行く。四、五日経つと腐ってしまう。蝿がたかって虫がわく。そうするとまた蝦蟇が這い上がって行って、その虫をみな食ってしまう。
も一つ不思議な事がある。家の祖母さんの話じゃが、家の庭の上に燕が巣を組んで子を産んでおった。すると蛇が梯子を上って燕の巣を狙うてると一尺ほど届かん。どないするかというと、半日ほど見ていると、蛇の中からまた蛇が出て食うてしもうたそうだ。性念魂が出て来たのだね。
それから金剛寺の屋根替えの時の事だが、屋根の高い所に雀が巣をしていた。そいつを蛇が這うて上がって雀の巣をとろうとして、誤って屋根から石庭へ落ちて頭を打って死んでしまった。それで寺内の藪の中へ蛇を放しに行った。三日ほどすると雀が巣の中で騒ぎ出した。見てみると赤蟻がずっと柱から続いて巣へ来ている。そうすると、ずーっと赤蟻の続いている終いは、その捨てた蛇の所で、蛇は骨だけになっておった。蛇から蟻が続いておった。三十間くらいはあるだろうね。それはその時分にみな見に行って、えらい事だった。霊というものは怖いものや』
(以下次号)