宗教家の宗教家らしく、政治家の政治家らしく、教育家の教育家らしく済まし込んで居るのは、真の宗教・政治・教育を解したもので無いのは、恰も味噌の味噌臭いのに上等味噌の無いのと同じ事である。王仁は教法家・済世家として茲に二十年、斯道の為に一身を国家に捧げて居るのであるが、綾部の大本の役員の中には、王仁をして教法家らしく、済世家らしく成らしめんとして、種々心配をして来たものだ。
曰く「大本の先生が何処、彼処なしに布教伝導に出歩いて貰つては、大本の威厳に関するから、我々が代わつて布教伝導の任に当たる」とか、「先生は先生らしく、大本の奥深く神理を極めて我等に伝えよ、我等は東奔西走、斯道の発展に竭さん」とか、「先生は先生らしく何時も羽織袴着用、近侍を坐側に置いて一切の用事を弁ぜしめ、俗事に関与せず、一意に開祖の神諭を研究し、以て大本の教主の品位を保て」とか、「先生は俗人で無い、真の神人であるから、俗事なぞは耳に入れないが可い」とか、「先生が信者に直接に面会さるるのは、神様の御威勢が落ちる」とか、「先生が鍬を手にしたり、鎌を手にしたりするのは不似合いだ。労働服を着けて土仕事をするよりも、一枚なりと神諭を研究して貰いたい」とか、「他出の時は往復共に多数の送迎者が送迎せねば、先生は兎に角として、神界へ対して我々役員の職掌が勤まらない」とか、何から何まで要らざらん心配斗りに、可惜時間を空費して居る。
隅から隅まで能く行き届いた如で結構であるが、夫れが悉皆神界の神慮に正反対だから困って了う。
艮の金神国常立尊の神諭を研究すればする程、王仁の行る事、思って居る事が、御神慮に叶って居るように思われる。「取次は青畳の上に据つて神の真似を致して、エラソウに申して居るが、真の艮の金神は未だ床下に働いて居るぞよ。変性女子は斯世一切の事を為て見せて、人民を改心させる役じや」
と神諭に現われて居るので在るから、王仁は他の宗教の貫主の如に殿様然として、斯の暗黒世界を坐視する事は何うしても良心が許さない。今日斯の大本が稍世間の人に解り出して来たのも、王仁が終始一貫、前陳の精神を実地に用いたからである。今迄の役員に一人として人を斯道に導き得た者が少ないのを見ても、証明ができるのである。
釈迦は道を求むるが為に王家を捨て、妻子を捨て、世間を捨て山に入ったが、併し道を伝うる為に又世間に帰った。釈迦の出山は即ち釈迦の還俗である。還俗の必用が無ければ山から出て来るに及ばぬ。
釈迦が還俗せずに山に何時までも居ったならば、今日の仏教も、八万四千の法門も、世に伝わらんのだ。王仁も金竜殿裏深く潜んで神理斗り研究して居ても、実際の天下修斎の大業は出来るものでない。
古諺に曰う、「頭が廻わらねば尾が廻らぬ」と。王仁は艮の金神様に神習い、多数者の誤れる意見に捉えられず、益々所信を断行する決心である。未だ先生然として構え込み、垂簾的の政を為す時機では無い。否、何程発展しても、生涯断じて殿様然と済まし込む事は生まれ付きから大の嫌いである。
今後の世界の混乱は、現今の欧州戦乱の比では無い。幾千倍の大混乱で、皇祖の御遺訓、天之岩戸隠れの惨状が出現せずには居らぬ。日本も西欧の戦乱を対岸の火災視して居る時でない。国民一致、腹帯を確り〆て居らねば成らぬ。日本国は世界を統一し、世界万民を安心せしむ可き天職を具有して居るのだ。それに今日の様な不心得な近眼的な人間斗りでは、到底日本国民の天職を遂行して、皇祖皇宗の御遺訓に奉答する事は不可能である。宇宙の修斎・幽界一般の大革正に、現界の統一・修斎等の天職を自覚して、着々其の準備行動に出でたる国民は、今何処に潜在して居るで在ろう乎。国民は今さえ好けら後は野と成れ山と成れと云う様な捨て鉢根性で、人を倒しても自分の用意斗り為て居て善いもので在ろう乎。日本は向後この儘に戦争も無く、永遠に平和の夢を貪る事が出来るで在ろう乎。一つ考えて貰わねば成らぬ。例之欧州戦乱が平和に治まるとした所で、我が東洋は安全で在ろう乎。必ず或時機に於て某々大国は、海に陸に我が神州に襲来する事は、火を睹るよりも明らかな事実が判って居るで在ろう乎。思えば思う程我が国上下の人心の暗黒なる、実に心細き次第で在る。
此の古今未曾有の世界の大難を眼前に扣えて居て、然も天下修斎の大任を神界より命じられて居ながら、安閑として、徳川時代の大名然と済まし込んで居られようか。国家の前途を思う時は、一時もぐずぐずしては居れぬ気に成り、王仁は何と云われても、大本内外の人々の進言・忠告に従う事は出来ぬ。
王仁に従いて来る誠の人が無ければ無いで、只一人でも好い。どしどしと所信を断行して、天下同憂の士を自ら探して、君国の為に尽くすの考えである。御神諭が当たるか当たらぬか、信か疑かと二の足踏んで、我が身本位の日和見を行って居る人も沢山あるが、そんな誠意の無い人物は、到底今度の二度目の天之岩戸開きの御用は出来ぬ人であるから、王仁は只管神様斗りを頼みに、猛進を続けて来たが、今後も飽く迄其の方針を替えない覚悟である。
(「神霊界」大正六年十二月号)