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晩年の日記(抄)

インフォメーション
題名:晩年の日記(抄) 著者:出口王仁三郎
ページ:337 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2018-06-02 06:33:42 OBC :B195305c305
晩年の日記(抄)

昭和二十一年三月 十五日
わが居間に茶をたてをれば高々と庭木もみゆく風の音なり(亀岡にて)
紀の国のみかんもらひしタぐれの障子にさゆるあかき日のかげ
そのすぢにとりこわたれし法城もしらず顔なる松の伸びかな

十六日
北のまど開きて見れば愛宕山おぼろにかすみて風のつめたき
ねはんすぎしこの春庭に雪ありて小鳥の声のさびしかりけり
あづさゆみ春とはいへど庭の面に吹雪する夜のしづ心なき

十七日
両手なき妻吉けふはたづねきて口にて歌と画かきてかへりぬ
春さめは近づきにけん三毛猫はしきりに顔をあらひをるなり

十八日
天恩郷春雨そぼつすが庭に石つき祭りおこなひそめぬ
鶴山の丘に富士ケ根つくらんとおちこちの有志おとなひ来る
小いわしの値十ぴき二十円食慾餓鬼の末となりけり
不景気はいつ直るかと問ふ人にわれ艮の春とこたへし
たたかひの空気天地にみちぬれば平和の風はいまだ吹かなく
餓病戦風水火等の大災をしのがせたまへ天地の神

二十一日
久々に更生車はせて天恩郷地つきのもやう見んと出でゆく
月宮殿いづこなりしと思ふまで取りあらされし変りやうかな

二十二日
新円になりたる今日の神苑の不景気風も深遠なるかな
日にまして麦生の畑青々ともえ出でにけり中矢田農園
一本の電燈柱八百円と見あぐる高さに金の低さよ

二十三日
庭の面のあちらこちらに若桜の花白々と咲きそめにけり
上下にかはる時世はめぐりきて浮く魂もあり沈む魂あり
山上に光りし人はふもとべにふもとの人は山頂に照る
白昼の泥棒横行耳にして思ふは時世の変りなりけり

二十五日
今日こそは初めて春の心地すれ風きよらけく梅は笑ひて
築山の苔は青みてやうやくに庭のおもては春めき立てり

二十六日
十余年さびしかりける神苑に上棟式を行ふ今日かな
荒されし瑞祥閣の跡に立ち天日浴びて設計をなす

二十八日
まめひとが麦生の畑におり立ちて草むしりをり風のはる日を

二十九日
あるじなき天恩郷のあちこちに今を盛りと桜は咲くなり

三十日
本宮山に富士の築造見んものと更生車はせて彰徳殿に入る(綾部にて)
坂道にあへぎあへぎて山上に登ればまめひと石運びをり
山上に老いも若きも幼な子も築山工事にいそしみてをり

四月 一日
昨日今日庭園工事のかひありて明くなりけり家の中まで

五日
停車場を汽笛の声に送られて梅ざこを経て綾部に着きけり

六日
三日目に丹後の旅ゆ帰り見ればあたり見まがう桜さきをり

八日
更生車リヤカー並べて夫婦づれ上谷神社に詣で行きたり
印象ふかき四方春三方に入り昔話に時をうつせり
隣りなる四方熊蔵方に入り主人の好意の饗応に逢ふ

九日
遠国のまめひと来り富士をきづくパラス石山に運びゐたりし
海外ゆ帰り来たりしまめひとと本宮山に語らひにけり

十日
久々に竹田に行くと更生車午後一時より走らせにけり(但馬竹田にて)

十一日
幾度も湯にひたりつつ旅のうさ洗ひ流してこころさやけし
あづさゆみ春の景色をそへんとて子供役者が踊り舞うなり

十三日
リヤカーに運ばれ加都の農園に到りてつくづく耕地を眺むる
(「愛善苑」昭和二十一年7月第3号)

二十一日
農園に帰りて見れば庭の面に木々は若芽をふきてゐたりき(亀岡にて)
中矢田に帰れば愛善苑雑誌まめひとあつまり製本してをり

二十二日
遠近のまめ人あまたおしよせてやすらう間もなき吾なりにけり

二十三日
朝まけて小雨降りしき四方の山白雲つつみてうすら寒けき

二十四日
天恩郷おた福桜見んとして神苑内に車走らす
苑内をめぐりて見ればあちこちにまだ石垣の残れるうれしさ
夜に入りて雷鳴はげしく轟きてわが近郷に落ちしやうなり

二十五日
朝ぼらけ四方の山並ながむれば春の気ただよひ鳥の音勇まし
みちまるの家の落成式をかね謡曲の会に行きて楽しむ

二十六日
神苑の桜は雨にたたかれて色あせてをり今日の春日に
神苑に出雲のまめ人二十人来りて石を運びゐたりき

二十七日
更生車にゆられ曙だきながら天恩郷に工事を指揮せり
ウヰンチを巻きつつ働くまめ人のいそしき姿見つつ帰りぬ

二十八日
朝早くまめひとあまたたづね来て筆にひまなき今日の半日

二十九日大空に雲きれもなく晴れわたり今日の春日のめづらしきかな

三十日
心地よき春日和なり窓あけて麦生の畑を眺むるたのしさ

五月 一日
すきま見て色紙に不二の百景を書き記したりたそがるるまで
今日も亦電気治療をうけながら腰は痛かり臀はあつかり

二日
よべの雨はげしかりけむ背戸川の細き流れも音高みつつ

三日
大空に曇りあれどもやうやくに雨晴れたれば神苑に出て行く
松榎やうやく植えかへ終りつつ開山の整理にいそしむまめひと

四日
初夏ながらまだ春残る心地して肌うす寒く雨そぼつなり

五日
春立ちて夏来むかへど風寒み四方の山々雨煙るなり

六日
初夏の空はれわたり風清く庭のつつじは白赤匂へり
藤棚は紫に咲きまた白にほほゑみにつつみ空晴れたり

七日
出雲路の旅に立たんと午前十時トラック馳せて駅に向へり(綾部にて)
本宮山築山工事はかどりて見まがふばかりになりてゐたりき

八日
空晴れし午前七時を過ぐる頃一行八人出雲路に向ふ(松江にて)
汽車の行く左右の山々緑して風光清しき旅なりにけり
午後の四時出雲松江に着車して自動車つらね赤山に向ふ
七人の新聞記者は訪ね来ていろいろ語り夕べを帰れり
プンプンと樹の香のかほる赤山の新築館に入りてやすらふ

九日
別院は見るかげもなく壊たれて後に残るは諸木のみなる
対岳亭とりのぞかれしその後に記念とすべき松は生えをり
三本の歌碑は残らず砕かれて神苑内に横たはりをり

十日
十年の昔しのびてまめひとが今日数百人集り来れり
短冊や色紙に親しみそのひまに面会なして忙しき今日なり

十一日
庭の面の白き牡丹は吹く風にゆられて惜しくもばらばら散りをり

十二日
みろく亭跡に実生の松生ひて今神木となりにけるかな
雨風のはげしき日なり祭典も松静館において行ふ

十三日
上段の十二本松伸び立ちて十年昔をしのばれにけり

十四日
神苑に籠にかつがれ登りけり出雲国形ながめんとして
みはるかすみ空の奥に大山は見えつかくれつ雲間に立てる

十五日
午後八時まめひとの籠にかつがれて赤山の上に月見しにけり

十六日
正午すぎて地恩の郷に到らむと迎への人と停車場へ行く(地恩郷にて)
電鉄に身をばたくしつ宍道湖の珍の景色を見つつ馳せ行く
湖辺なる停留五ケ所にまめひとはうごなはりつつわれを見送る
小境に下車間もなくに山かごにゆられて地恩の郷に出て行く

十七日
弥仙山小雲川原の風光を絵絹二枚に書き記したり
衝立や額ぶち五枚に山水画絵具をときて塗りつぶしたり

十八日
地恩郷ゆ籠にかつがれ園駅に電車を待ちて大社に向ふ(松江にて)
わが行けば所々の駅頭にまめひと車を見送りてをり
大社駅に下車し人力車をつらね杵築の宮にはや着きにけり
出雲大社社務所にしばし休息し修祓うけて本社に向ふ
道場に上りて祝詞を奏上し階段下りて門外に出づ
門外ゆ十二の人力車をつらね竹の屋旅館に入りてやすらふ
午後の二時竹の屋旅館を後にして貸切電車の客となりけり
三時過松江停留場に安着し自動車つらねて赤山に帰る

十九日
数百のまめひとたちに見送られ松楽苑を立ち出でにけり(米子にて)
大小の自動車四台に分乗し十一時半米子に着きたり
米子支部藤田氏方の会場にやすらひ色紙短冊を書く
新聞記者七人われを訪ひ来り出口伊佐男と会談をなす

二十日
山籠にかつがれて城山頂上に登りて四方の風景を見る
数百のまめひと城山の頂に立ちて迎へり午後一時頃
米子町公会堂にバス馳せて餅をくばりぬまめひとたちに
午後の四時藤田氏邸に立ちかへり居間の襖に山水画を書く

二十一日
午前九時バスに送られ米子駅に着きて東上の汽車にのりこむ(城崎にて)
城崎の橋本旅館に午後一時安着のうへ家族湯に入る
由良町の遠藤かたに立ちよりしすみ子はおくれて四時に来れり

二十二日
城崎の安田旅館を立ち出でて八鹿の駅に十時に着きたり(大笹にて)
福岡ゆ車を降りて山かごにかつがれ大笹の西谷家に入る
霊石の上に建ちたる竜神の宮に一行詣で行きたり

二十三日
数十人のまめひと後に随ひて鉢伏山の頂上にのぼる(鉢伏山)
鉢伏のまはりに奇巌怪石のいろいろ形をなして並べる
午後三時下山を終へて西谷のやかたに入りて絵筆を動かす

二十四日
三台のかごにかつがれ福岡に着きて迎ヘの自動車を待つ(竹田着)
駅前の旅館に入りて中食を終り車中の人となりけり
和田山の駅に待ちたる自動車に送られ竹田の宅に入りたり
(「愛善苑」昭和二十一年八月第四号)

二十五日
山陰の旅をおほかた終へにつ丶雨の一日を竹田にやすらふ(但馬竹田にて)

二十六日
わが一行六人ハイヤに送られて和田山駅に立ちむかひたり(竹田より綾部へ)
綾部よりすみ子直日は亀岡へわれは下車して植松に向ふ
築造の富士の神山五分あまり竣工してをり信者の誠に

二十八日
朝つ陽のかげおぼろにて何鹿のよもの山々雲につ丶まる(綾部より亀岡へ)
午後の四時亀岡駅を下車なして二十二日め農園にかへる

二十九日
なが旅ゆかへりて見れば庭の面のコスモスの苗のびたちてをり(亀岡にて)

三十日
舟岡山そのいただきにテント張りて作業のやうす見つつ楽しむ
荒されし跡のみそのにときわ木の松青々と茂りあひたり

六月 一日
吹く風もいとさわやかに空すみて心もちよき朝なりにけり

二日
愛善苑瑞祥館を建築の石つき工事行ひにけり

三日
文部省事務官来たりて愛善の道明らめて午後かへりけり
数十人石つき工事につどひあひ声をそろヘて作業してをり
午後八時亀岡駅を立ち出で丶一行七人綾部に出で行く

四日
今日はしも陰暦五月の五日なり富士の神霊月山にまつる(綾部にて)
鉢伏の山の神霊もろともに月山富士にまつりたりけり
参拝者数百人の鶴山の神苑はとみに賑はひにけり
東よりあまつかなぎの座ぶとんをつくりきたれど返しやりたり
神界のしぐみのわからぬ人たちがものしりかほにくるひ廻れる

五日
ゴロゴロと天にとどろく雷の音もはげしく降りいでにけり

六日
午後の四時中矢田農園に無事つきてやすらふ間もなく神苑に行く(亀岡にて)
わが行けば石つき工事おほかたに終れり信者百数十人にて

七日
天恩郷高台の上にわれ立ちて思ふは時のうつろひなりけり

八日
伯耆より石工来たりて神苑の石つみ工事はじまりにけり

九日
午後よりは田植始まり縄はりて今年の苗をさしそめにけり

十日
よもやまは雲につ丶まれ風あらく雨しとくと降り出でにけり

十二日
八木町の福島宅に一泊しすみ子は午前にかへり来れり

十三日
まめひとのつどひ来りて麦こなし夕暮る丶までとりか丶りをり

十四日
朝まけて雲きれもなく照りわたり風も吹かなくむしあつき今日
学校の教師連中三十余講演聴くべく農園に来たる

十五日
神苑にいたりて見ればうれ麦をまめひと来りて刈りとりて居り

十七日
瑞祥館の立柱式に参列し大玉串をたてまつりけり

十九日
更生車はせて神苑に出でて行く天恩郷はつち音たかし

二十日
上棟式無事に終りて人々に神供の餅を一々わかてり
農園にやうやく帰り朝日社のカメラに入りてたそがれ画をかく

二十一日
九時半に亀岡駅を発車して旧知訪はんと園部に出でゆく(園部にて)
自動車をはせて上町奥村家へ着きて昼飯ふるまはれけり
自動車に運ばれ園部南陽寺に旧友岡田を訪ひて休らふ
夕まけて藤坂家を訪ひ半切に山水画をかき天矢家に入る

二十二日
天矢家のやどり静かに起き出でて枕屏風に筆をそめたり(園部より綾部へ)
午後の二時園部の駅に安着し車中五人に送られ帰りぬ

二十三日
午前九時ゆ宮沢湯浅林家へ旧知の霊をとむらひにけり(綾部にて)

二十四日
庭の面の山百合の花咲きてをりガラス障子をへだて丶匂ふ(亀岡にて)

二十五日
朝まけて風冷えわたり時々に氷雨ふりつ丶肌の寒かり

二十六日
肌さむき風ふく野路を車はせて愛善苑にいたり休らふ
東坂石もてふさぎあだし人の立ち入らぬまでと丶のひにけり

二十七日
世にたかく名のきこえたる人々のたづね来りて快談をなす
新聞の記者客人ともろともに天恩郷の荒れ跡を見る
客人は汽車やダツトサンにて立ちかへり吾トラツクにて農園にかへる
愛善紙第三号の折りた丶みまめひと来りていそしみにけり

二十八日
午前十時阿知和氏来り現代の世の変遷につきて語れり
タまけて蛙のなく音かしましく植田の中ゆひびきくるなり

二十九日
雨がへる梢になきてタ空は星かげさへも見えずくもりつ

三十日
農園の田植もやうやくはかどりてただ三四枚のこすのみなる
旅行中カメラに入りしわが影を現像をはりて光平もち来ぬ

七月 一日
心地よくはれわたりたる空のもとにさなぶり祭ををはりけるかな
うちまるは大国ともなひ九州へ澄子綾部へ立ち出でて行く

二日
チエンブロック使ひて巨石を運搬し庭内各所にすゑつけて見し

三日
天恩郷建設工事に仕へむと遠き国よりまめひと集る

四日
神苑の建築工事もはかどりて壁つけるまでになりてゐたりき

五日
手伝ひの人多くして大石を運び石垣つくりそめたり
神苑に生ひしげりたる雑草をぬきとりてをり数多のまめひと

六日
意外にも訪問客の多くしてやすらふ間さへなきぞくるしき
瑞祥館内部の工事はかどりて各室ごとに壁下地すむ

七日
午後の四時二代綾部ゆかへり来て天恩郷の作業見てゆく
(「愛善苑」昭和二十一年九月第圧号)

八日
昨夜よりふり初めたる雨やまずあしたの庭に雨音しげし(亀岡にて)
各地より訪問客の多くして今日も画筆をはたらかせたり

九日
風とほりよき神苑にいこひつつ巨石運搬工事を見るかな
午後三時大空くもり夕立の雨いかづちとともにふり来も

十日
苑内の赤土をねりて瑞祥館のかべに漸くぬりはじめたり

十一日
今日もまた奉仕の信者数十人草ひきモッコかつぎにいそしむ

十二日
神苑に入りてあちこちその昔ありし巨石をさがし求めし
大石をはこびて入口石垣をつみかさねつつ汗にひたりつ

十三日
あちこちの人たづね来て舟岡山のテントは終日にぎはひにけり

十四日
神苑の庭つくらんと荒れし跡に立ちて国玉石を探しつ
竹田町愛善苑の結成式に出張したるうちまる帰来す

十五日
なんとなくわが身苦しきそのままに他出を止めて終日休らふ
歌人の中河幹子氏京阪なる弟子ともなひて訪ね来ませり
紀州より吉田若野氏両人はわれ迎ふべく来亀なしたり

十六日
午前四時二台の自動車に分乗し一行九人大阪に向へり(紀州へ)
捕鯨船大黒丸に乗りうつり見送人にわかれて船行く
外海に出でしころより波高くひだり右りに船おどるなり
日の御崎左手に見つつ波かしら白白立つを見つつたのしき
中の島温泉旅館に安着すまさしく午後の七時半なり

十七日
温泉旅館立ち出で舟で十分間勝浦の港に安着なしたり(新宮市快山峡にて)
海岸の松の林をぬひながら高のふもとに車おりたり
数十人若人たちにかつがれて快山峡の梅松館に入る

十八日
六人の新聞記者に会見し奥の一間に画筆はこびぬ

十九日
大観望丘の上に立ち紀州路のまめひとたちに面会をなす
見わたせば海の面にうかびたる青島の辺に白波立てり
さよふけて月の出見たり蚊張ごしにぬれたるごとき夏の夜の月

二十日
月かげは波をてらしてひろびろと海のひととこ輝きうかべり
立つ雲のはるか向ふにアメリカの大陸ありと空を仰ぎつ

二十一日
島ごとに松のみどりの色はえて吹く風すずし紀の国海原
快山峡庭に立ち出ではからずも十曜の神旗見るはなつかし

二十二日
静かなるこの庭の面にかしましき夏せみのこゑひねもすつづけり
海山を越えてはるばる紀の国の風致たへなるすがどに休らふ

二十三日
真夜中に庭に立ち出でひむがしのはてより昇る月を見たりき

二十四日
三輪崎や新宮勝浦の有志者が訪ね来りて愛善談聴く
岡、島田両氏をはじめそのほかの死者の霊をば慰めにけり

二十五日
こみあへる汽車室ながら窓あけてそともの景色ながむる楽しさ(紀北にて)
六時間車中の旅にありながらよもの景色に見とれゐたりき
海南の山本氏邸に安着し広き応接室に入りて休らふ

二十六日
七時半山本邸を立ち出でて一行八人和歌山に向ふ(亀圓にて)
和歌山の惨状見つつ乗りて行く電車の旅はさびしかりけり
十一時難波の駅に安着し自動車馳せて阿倍野にむかふ
送迎の人々あつまり重栖邸に発車の時刻を待ちつ語りつ
七時半中矢田農園に帰着してひたと感ずる旅のつかれを

二十七日
神苑に到りて見ればあちこちの工事はとみに捗りて居り
午後八時水無月祭りに詣でんと二代は綾部をさして帰れり

二十八日
紀の国の旅に疲れて今日ひと日天恩郷の工事さへ見ず
九州に颱風ありと聞きし今日稲田を吹ける風のはげしき

二十九日
二千貫ありてふ神苑の赤子岩門のかたへにおき据えにけり

三十日
朝まけて雨ふりしけば家に居て色紙に画をば画きて暮せり
まめひとがあまた集まり愛善誌折りたたみつつ午後に及ベり

三十一日
雨はれの今日の田の面は見のかぎり青々として風になびけり
神苑にいたりて見れば井戸掘りのまめひとあまたうごなはり居り

八月 一日
尾張より旧師の君の内儀来り昔がたりに日を暮しけり
せみのこゑあなたこなたゆひびき来て微風だになくむし暑きかな

二日
豊国の宮司吉田氏訪ひ来り愛善談なぞ語らひて帰れる

三日
拝礼のすがどの設備ととのひて数十人とともに迎神祭を仕ふ(綾部にて)

四日
紀の国の国玉石を苑内に運び入れたり湯浅氏一同

五日
国見山参拝せんと八十人二代にしたがひ丹後に出で行く
(「愛善苑」昭和二十一年十月第六号)

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