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明治期年表

インフォメーション
題名:明治期年表 著者:
ページ: 目次メモ:
概要: 備考:うろー狭依彦氏作成 タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :Z9023
明治期年表
1871年 明治4年 1歳 8月27日 京都府亀岡市曽我部町穴太に上田吉松・上田世祢の長男として出生。本名上田喜三郎
1871年 明治4年 1歳 12月 祖父上田吉松帰幽
1872年 明治5年 2歳
1873年 明治6年 3歳
1874年 明治7年 4歳 1月 弟上田由松出生
1874年 明治7年 4歳  脾肝の病気にかかる
1875年 明治8年 5歳 1月 いろりに落ち、祖父の霊に救われる
1876年 明治9年 6歳
1877年 明治10年 7歳  秋、漆にかぶれ寝込む
1877年 明治10年 7歳  (西南戦争)
1878年 明治11年 8歳  漆かぶれのため、小学校入学を見送る
1878年 明治11年 8歳  祖母より言霊学を学ぶ
1879年 明治12年 9歳  漆かぶれのため小学校へ入学できず
1879年 明治12年 9歳 3月 弟上田幸吉出生
1880年 明治13年 10歳  偕行小学校入学
1880年 明治13年 10歳  半年休学し金剛寺の夜学に通う
1881年 明治14年 11歳
1882年 明治15年 12歳 3月 妹上田雪出生
1883年 明治16年 13歳  タダアイ事件で小学校を中退 *{タダアイ事件}
1883年 明治16年 13歳  偕行小学校の代用教員となる *{代用教員時代}
1883年 明治16年 13歳 2月3日 出口澄出生
1884年 明治17年 14歳  代用教員をやめ、農事手伝い、醤油売り
1884年 明治17年 14歳 11月 弟上田正一出生
1884年 明治17年 14歳  (農民の階層分化、秩父事件、加波山事件)
1885年 明治18年 15歳  斉藤源治家に奉公
1886年 明治19年 16歳 春 久兵衛池事件 *{久兵衛池事件}
1886年 明治19年 16歳 春 斉藤家の奉公を辞め、隣の小島家に奉公
1886年 明治19年 16歳 秋 相撲をとって腰を痛め、奉公先を追い出される
1886年 明治19年 16歳  (内閣制度発足)
1887年 明治20年 17歳  京都方面へ荷物運搬の車引きをする
1888年 明治21年 18歳
1889年 明治22年 19歳  (大日本帝国憲法発布)
1890年 明治23年 20歳  (第一回衆議院総選挙、教育勅語発布、第一回帝国議会)
1891年 明治24年 21歳 春 徴兵検査を受ける、乙種
1891年 明治24年 21歳 秋 冠句サークル偕行社結成
1891年 明治24年 21歳 秋 初恋の斉藤蘭が結婚、失恋に悩む
1892年 明治25年 22歳  恋愛(性)におぼれ、ドンファン的行動 *{赤毛布}
1892年 明治25年 22歳 2月 出口直綾部で帰神
1892年 明治25年 22歳 9月 妹出口君出生
1893年 明治26年 23歳  八木弁との恋愛
1893年 明治26年 23歳 夏 園部に行き、牧場で働きつつ獣医学の研究
1893年 明治26年 23歳 夏 南陽寺で岡田惟平に国学を学ぶ
1893年 明治26年 23歳 8月 八木弁との恋愛頓挫する
1894年 明治27年 24歳 夏 一時穴太に帰る
1894年 明治27年 24歳  岡田惟平、園部を去る
1894年 明治27年 24歳 7月 (日清戦争開始、対外強硬論)
1895年 明治28年 25歳 1月 有栖川宮熾仁親王帰幽
1895年 明治28年 25歳 4月 獣医学試験(筆記合格、実技不可)
1895年 明治28年 25歳 4月 巡査試験、監獄看守試験に合格
1895年 明治28年 25歳 6月 園部でラムネ製造販売会社設立
1895年 明治28年 25歳 秋 安達志津江との恋愛
1895年 明治28年 25歳 冬 マンガン鉱探しに熱中するが失敗
1895年 明治28年 25歳 4月 (日清戦争終結、三国干渉)
1896年 明治29年 26歳 1月 穴太で精乳館を開業
1896年 明治29年 26歳   斉藤いのとの恋愛。いのは大阪へ。
1897年 明治30年 27歳 春 斉藤しげのと結婚。斉藤家の養子となるが、百日で離婚 *{百日離婚}
1897年 明治30年 27歳  多田琴と内縁関係となる
1897年 明治30年 27歳 7月 父、上田吉松帰幽
1897年 明治30年 27歳  侠客修行をはじめる *{侠客修行}
1897年 明治30年 27歳  大本三大学則の啓示を受ける
1897年 明治30年 27歳 10月 夜道で河内屋勘吉に襲われる
1897年 明治30年 27歳  (足尾鉱山鉱毒事件)
1898年 明治31年 28歳 1月 家督を相続し、上田家の戸主となる
1898年 明治31年 28歳 2月 浄瑠璃会で暴漢に襲われる
1898年 明治31年 28歳 3月1日 (旧2月9日)神霊に導かれて高熊山に登り、1週間の修行をする *{高熊山修行}
1898年 明治31年 28歳 3月15日 一週間の床縛りの行 *{床縛り}
1898年 明治31年 28歳 4月 斉藤家の離れを借り、幽斎修行を始める
1898年 明治31年 28歳 4月 稲荷講社から三矢喜右衛門が来る
1898年 明治31年 28歳 4月 駿河の稲荷講社本部に長沢雄楯を訪問
1898年 明治31年 28歳 4月 この頃、大阪へ初宣教をはかるが失敗
1898年 明治31年 28歳 5月 稲荷講社に長沢雄楯を再訪、霊学会設置認可を得る
1898年 明治31年 28歳 6月 (旧五月)第二回高熊山修行
1898年 明治31年 28歳 8月 穴太を出奔
1898年 明治31年 28歳 10月 出口直を訪問するが不調に終わる
1898年 明治31年 28歳 10月 園部に会合所を数ヶ所開設
1899年 明治32年 29歳 1月 静岡に長沢雄楯を訪問
1899年 明治32年 29歳 2月 (旧1月1日)出口直に信書を送る
1899年 明治32年 29歳 7月 出口直の命を受け、四方平蔵が喜三郎を迎えにくる
1899年 明治32年 29歳 7月3日 喜三郎綾部入り。ただちに金明会を結成
1899年 明治32年 29歳 7月 幽斎修行場を裏町の伊助の倉から中村竹造宅へ移す
1899年 明治32年 29歳 7月 神紋を十曜と定める
1899年 明治32年 29歳 7月 筆先に二代の世継は出口澄と出る
1899年 明治32年 29歳 7月 筆先に喜三郎を世継とすると出る
1899年 明治32年 29歳 8月 霊学会を組織する
1899年 明治32年 29歳 8月 修行場を上谷の四方菊兵衛門宅に移し、本格的に霊学研究を始める
1899年 明治32年 29歳 11月 大島景僕(元屋敷)の屋敷を購入
1900年 明治33年 30歳 1月31日 (旧1月1日)出口澄と結婚
1900年 明治33年 30歳 7月 冠島開き
1900年 明治33年 30歳 8月 神界で「出口おに三郎」と定まる
1900年 明治33年 30歳 8月 沓島開き。二度目の沓島開きで激浪にあい、引き返す
1900年 明治33年 30歳 8月 穴太の義弟西田元教の奇病を治す
1900年 明治33年 30歳 10月 鞍馬山出修
1900年 明治33年 30歳 秋 『玉の礎』の執筆を始める
1900年 明治33年 30歳 旧9月 静岡の長沢雄楯を訪問
1900年 明治33年 30歳 11月 広前に初めて神代造りの新宮をつくる
1901年 明治34年 31歳 4月 元伊勢、水の御用
1901年 明治34年 31歳 4月 穴太の上田家全焼、家族が綾部に来る
1901年 明治34年 31歳 7月 出雲、火の御用
1901年 明治34年 31歳 10月 大本を法人化するために奔走
1901年 明治34年 31歳 10月 静岡の長沢雄楯訪問からの帰途、伏見で危難に会う
1901年 明治34年 31歳 10月 出口直、弥仙山に岩戸ごもり
1902年 明治35年 32歳 3月 長女出口朝野(三大・出口直日)出生
1902年 明治35年 32歳 5月 弥仙山岩戸開き
1902年 明治35年 32歳 9月 この頃、京都で人造精乳会社を起す
1903年 明治36年 33歳 7月 『筆のしずく』執筆開始
1904年 明治37年 34歳 1月 『本教創世紀』執筆開始
1904年 明治37年 34歳 5月 二女出口梅野出生
1904年 明治37年 34歳 5月 『道の栞』執筆開始
1904年 明治37年 34歳 9月 上田王仁三郎と改名
1904年 明治37年 34歳 2月6日 (日露戦争勃発)
1905年 明治38年 35歳 1月 『道の大本』執筆開始
1905年 明治38年 35歳 3月 宇治、園部方面へ宣教に出る
1905年 明治38年 35歳 5月 出口直沓島こもり
1905年 明治38年 35歳 9月 宇治地方へ宣教
1905年 明治38年 35歳 9月5日 (日露講和条約、日露戦争終結)
1906年 明治39年 36歳 9月 京都の皇典講究所教育部本科二年に入学。
1906年 明治39年 36歳 11月 皇典講究所「秋津会」の幹事になり、月刊誌「このみち」の主筆となる
1907年 明治40年 37歳 3月 皇典講究所教育部卒業
1907年 明治40年 37歳 4月 京都府の神職尋常試験を受け合格
1907年 明治40年 37歳 5月 別格官幣大社建勲神社主典となる
1907年 明治40年 37歳 12月 建勲神社を辞し、伏見の御嶽教西部教庁の主事となる
1908年 明治41年 38歳 3月 伏見より大阪へ。御嶽教大阪大教会会長となる
1908年 明治41年 38歳 3月17日(旧2月15日) 高熊山修行完成の10年目、御嶽教を去り綾部へ帰るよう、神示を得る
1908年 明治41年 38歳 3月 湯浅斎次郎、王仁三郎を訪ねる
1908年 明治41年 38歳 3月 妹上田君、宇津の小西松元の息子小西増吉と結婚
1908年 明治41年 38歳 8月 金明霊学会を大日本修斎会と改称
1908年 明治41年 38歳 9月 最初の機関紙「本教講習」創刊。文書による布教活動開始
1908年 明治41年 38歳 9月 御嶽教大本庁理事ならびに教師検定委員、評議員、大阪府教区庁長となる
1908年 明治41年 38歳 12月 御嶽教を辞し綾部へ帰る
1908年 明治41年 38歳  (『アララギ』創刊)
1909年 明治42年 39歳 2月 大本の機関紙『直霊軍』発刊
1909年 明治42年 39歳 5月 三女出口八重野出生
1909年 明治42年 39歳 8月 神殿斧始祭
1909年 明治42年 39歳 11月 弥仙山より神霊を迎え、神殿竣成式および遷座式を行う
1909年 明治42年 39歳  (新聞紙法公布)
1910年 明治43年 40歳 7月 大日本修斎会役員選挙
1910年 明治43年 40歳 12月 出口家への養子手続きを終え、出口王仁三郎と改名
1910年 明治43年 40歳 8月 (日韓併合)
1910年 明治43年 40歳 11月 (大逆事件)
1911年 明治44年 41歳 1月 出口澄との婚姻届を提出
1911年 明治44年 41歳 8月 四女出口一二三出生
1911年 明治44年 41歳 11月 出口直隠居、王仁三郎が戸主となって出口家相続
1911年 明治44年 41歳 10月 (辛亥革命)
1912年 明治45年 42歳 4月 出口直らとともに、伊勢神宮(内宮、外宮)、御香良州神社参拝
1912年 明治45年 42歳 5月 修斎会員の修斎等級発表。当時の会員数、全国で約2万
1912年 明治45年 42歳 5月 祖霊社新築
1912年 明治45年 42歳 7月 本教研究の趣意、大本教学則、大本信条発表。梅田信之、教統となる

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