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一〇、獣医学の研究
一一、父の死
一二、青年時代の煩悶
一三、高熊山出修の動機
一四、高熊山の修行
一五、使命の自覚
一六、幽斎の修業
一七、開祖との会見
一八、聖師の大本入り
一九、聖師と筆先
二〇、聖師の苦闘
二一、神苑の拡張と造営
二二、神島開き
二三、大本の発展
二四、第一次大本事件
二五、霊界物語の口述
二六、エスペラントとローマ字の採用
二七、世界紅卍字会との提携
二八、蒙古入り
二九、世界宗教連盟と人類愛善会
三〇、大正より昭和へ
三一、明光社の設立
三二、急激な発展
三三、第二次大本事件
三四、愛善苑の新発足
三五、晩年の聖師
三六、御昇天
三七、御昇天後の大本
【附録】出口聖師年譜
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二八、蒙古入り
インフォメーション
題名:
28 蒙古入り
著者:
大本教学院・編
ページ:
概要:
備考:
タグ:
データ凡例:
データ最終更新日:
OBC :
B100800c28
001
聖師は大正十年の大本事件によって、
002
世間から一時全く誤解されてしまいました。
003
しかし聖師の如き
神人
(
しんじん
)
の光が、
004
いつまでも雲におおわれているはずはありません。
005
聖師が、
006
真に世界の平和と幸福のために活動している人であるということが、
007
心ある人々によってやや明かに知られるようになったのは、
008
聖師があの満蒙の天地に、
009
大活躍を試みられた時からのことであります。
010
聖師はかねてより同志とともにひそかに
入蒙
(
にゅうもう
)
の計画を立て、
011
あらかじめ
奉天
(
ほうてん
)
の
張
(
ちょう
)
作霖
(
さくりん
)
の了解を得、
012
大正十三年二月十三日の夜明け方、
013
随員数名をひきいて入蒙の
雄図
(
ゆうと
)
につかれました。
014
当時聖師はまだ責付中の身でありましたから、
015
大本の幹部たちにさえ、
016
一さい秘密にして綾部を出発されました。
017
聖師は奉天に行って張作霖の部下の一人なる蒙古の英雄・
盧
(
ろ
)
占魁
(
せんかい
)
とはじめて遭って話ができ、
018
肝胆
(
かんたん
)
相
(
あい
)
照らして、
019
ともに手をたずさえて遠征の途に上られることになりました。
020
聖師は遠征の途に上るに際して、
021
綾部に集まった信者に対し次のように述べておられますが、
022
そこには聖師入蒙の目的抱負が明かにうかがわれます。
023
「神縁によって私がここに神の経綸の一端に奉仕し、
024
今晩を期していよいよ渡支渡蒙を決行せんとするに当り、
025
招かずしてお集まりになった諸氏は、
026
かならずや神界の深き
経綸
(
しぐみ
)
の糸に引かれて、
027
お出になった方々と固く信じます。
028
わが大本は既成宗教の如く、
029
現界を
厭離
(
えんり
)
穢土
(
えど
)
となし、
030
未来の天国や極楽浄土を希求するのみの宗教ではありませぬ。
031
国祖の神の仁慈無限なる神勅により、
032
日本の民と生まれたるわれわれは、
033
この尊き大神様の御神示を拝し、
034
わが同胞の平和と幸福のためのみならず、
035
東亜諸国ならびに世界の平和と幸福を来たすべき神業に奉仕せなくてはならない責任を持っているのであります。
036
御神示にある通り『大正十年の節分がすみたら、
037
変性女子の身魂を神が人の行かない処に連れゆくぞよ』とお示しになっていることは、
038
皆さま御承知のことと思います。
039
その神示は毫末の間違いもなく、
040
二月十二日、
041
私は御承知の京都監獄に投ぜられたのでありました。
042
そしてまた本回も節分祭のすんだ十二日に、
043
人のよう行かない所へ行かねばならぬ、
044
神の使命が下って来たように考えられてなりませぬ。
045
私は
肇国
(
ちょうこく
)
の大精神を天下にあきらかにし、
046
かつ日本の肇国の精神は征伐にあらず、
047
侵略にあらず
善言
(
ぜんげん
)
美詞
(
びし
)
の
言霊
(
ことたま
)
をもって、
048
万国の民を神の大道に
言向
(
ことむけ
)
和
(
やわ
)
するにあることを固く信じます。
049
すべて世界の人民を治むるは武力や智力ではとうていダメです。
050
結局は精神的結合の要素たる、
051
すべての旧慣に囚われざる新宗教の力によるより外はないと信じます。
052
つらつら現今のわが国情を考えてみまするに、
053
わが国の人口は、
054
年々七十万づつの増加をもって進みつつあると統計学者は言っております。
055
この割合で進んで行けば、
056
大正三十一年には七千七百万の同胞となり、
057
同じく五十一年には一億余万人に達するという計算になります。
058
とにかく、
059
わが国人口の増加は年々の事実の証明するところであって、
060
これに要する食糧品たる
米麦
(
べいばく
)
が、
061
現に年々七八十万石の不足を告げつつあることもまた事実である以上、
062
この人口と食糧との不均衡は、
063
わが国存立の上において一問題たらねばなりませぬ。
064
国内現在の未懇地を開拓し、
065
耕地の整理を徹底的に断行すれば、
066
約二百万町歩の水田火田が得られ、
067
二千万石の米麦の増収が出来るとの説もありますが、
068
しかしながらこの開墾や整理は、
069
いつになったら完成されるでしょうか。
070
たとえわが官民が熱誠努力の結果、
071
幾十年かの後にそれが完成されるものとしても、
072
その時には人口はすでに一億以上になっている筈であります。
073
この人口と食糧との均衡が依然として保たれるでしょうか。
074
国家の前途を案ずれば、
075
百千年の長計を目途とせねばならぬ。
076
一時の糊塗策は、
077
決して国家永遠の存立を保証することは出来得ないでしょう。
078
しかしながら、
079
わが国の植民政策は、
080
かかる基調から発足しているようであります。
081
殊にわが国家将来の存立および発展については、
082
単に米麦が満足に得らるるのみではすまされませぬ。
083
日進月歩の世界の前途には、
084
銅鉄や綿類や毛布皮革等を主として幾多の物資が無限に需要さるることは、
085
今日においても明かなる題目であるのに、
086
わが国においては、
087
これを将来に充実せしむべき安全なる政策が立っておりますか、
088
実に思うてみれば心細い次第であります。
089
一朝有事のときに海外からその供給を断たれたならば、
090
わが国は如何なる方法をもって、
091
その需要を充たすことが出来ようか、
092
思うてここに至れば実に慄然たらざるを得ないのであります。
093
わが国為政の局にあたる人々は、
094
国家の前途を焦慮した結果、
095
植民政策なるものを立て、
096
過剰の人口を他に移して、
097
その移住者の生活の安定を得せしめんとしております。
098
まず第一に合衆国のほか、
099
メキシコや、
100
南米や、
101
南洋諸島を目的としているようですが、
102
国家万年の長計からすれば、
103
これらの遠隔の諸地方へ農耕移民を送った計りでは済みますまい。
104
わが接境の比隣には国家としての中国やロシアがあり、
105
相互の関係は善にもあれ、
106
悪にもあれ到底はなるべからざるものがあるのであります。
107
また、
108
その将来についてはいわゆる識者といわるる人々が不断に頭をなやましているようです。
109
わが国がその永遠存立を安全ならしめ、
110
関係諸国とともに共存共栄の福利を楽しまんとすれば、
111
ぜひともこれに添うべき一大国策を樹立せなくてはなりませぬ。
112
わが国の満蒙政策はすなわちこの目的精神から立てられたものであります。
113
蓋し満蒙の地はその位置が中国本部と露領シベリアとの中間にはさまり、
114
朝鮮とは
鴨緑
(
あいなれ
)
の水を隔てて相連っているのみならず、
115
あらゆる産業の資源備わらざるなく、
116
開発の前途は実に春風洋々の感があり、
117
しかも近世の歴史的関係は必然的にわが国がその開発任務を負わねばならぬようになったのであります。
118
故にいまわが国が上下一致努力して規定の開発策を徹底せしむるには、
119
わが対支政策全部の基調を満蒙におくことにより、
120
行き詰った日支関係の現状を相互的に善導し得るとともに、
121
将来永遠の円満策を樹立することが出来るでしょう。
122
またロシアとの交渉の中継点とすることが出来るでしょう。
123
鮮人多数に生活の安定を得せしめて、
124
有力なる補助とすることも出来るでしょう。
125
人口食糧調節の上にも実に偉大なる貢献をなし得らるるでしょう。
126
またわが重要物資の供給地たらしむることも出来るでしょう。
127
わが国国防の第一線要地たらしむることも出来るでしょう。
128
しかしながら満蒙の経営は議論と実地は大変に径庭がある。
129
如何なる有識者の徹底せる立策といえども、
130
肝腎要のその人を得ざれば到底完成するものではない。
131
渺々
(
びょうびょう
)
として天に連る満蒙の大砂漠、
132
ここには無限の富源が天地開闢の当初より委棄されてある。
133
この蒙古の大平原こそ天が与えたる唯一の
賜物
(
たまもの
)
でなければならぬ。
134
わが国の為政者が満蒙開発策として満鉄を敷設し、
135
鄭家屯
(
ていかとん
)
や、
136
洮南
(
とうなん
)
府や、
137
パインタラの東蒙古の一部に少しばかり手をつけているくらいでは、
138
到底この開発策はものにはならないであろう。
139
どうしてもわが国存立のため、
140
東亜安全のため、
141
世界平和のために、
142
わが国が率先して天与の大蒙古を開拓せなくてはならない位置にあることを私は固く信じます。
143
そしてその目的を達するには、
144
旧慣に囚われざる新宗教の宣伝をもって第一の手段方法と考えるのであります。
145
わが国における既成宗教の現状をみれば、
146
宗教の発展どころか、
147
現状維持に汲々たる有様ではありませぬか。
148
気息
奄々
(
えんえん
)
として瀕死の境にあるわが国の既成宗教が、
149
如何にしてこの大事業に着手するの余裕がありましょう。
150
また一人の英雄的宗教家の輩出せんとする気配もなき、
151
わが国の瀕死的宗教に頼るの愚なることは言をまたないでありましょう。
152
故に私は日本人口の増加にともない発生する生活の不安定を憂慮し、
153
朝鮮における同胞の安危を憂い、
154
ついで東亜の動乱の発生せんことを恐るるのあまり、
155
いよいよ神勅を奉じて徒手空拳二三の同志とともに長途の旅に上らんとするのであります。
156
私は御承知の通り支那語も蒙古語も皆目知りませぬ。
157
そうして蒙古はわが国の面積に比べてほとんど十六倍の面積があり、
158
その民は慓悍にして支那民衆の古来恐怖する獰猛の民である。
159
加うるに馬賊の横行はなはだしく、
160
旅人を掠め生命を奪い、
161
日支人の奥地に入るものは一人の生還者もないと伝えられている蒙古の地に、
162
大胆と云おうか、
163
無謀と云おうか、
164
ほとんど夢にひとしい経綸を胸に描いて出て行く私としては、
165
実に名状すべからざる感慨に打たれるのであります。
166
しかしながら私は天地創造の神を信じます。
167
天下万民のために十字架を負いあらゆる艱難を嘗め、
168
生死の境に出入することを寧ろ本懐とするものであります。
169
いまの時において満蒙開発の実行に着手せなくては、
170
わが国も前途はなはだ心細いことになるであろうと憂慮に堪えないのであります。
171
われわれは神の国に生まれ、
172
神の国の
粟
(
ぞく
)
を
喰
(
は
)
み、
173
神に選まれたる民として、
174
今日の世界の現状を坐視するにしのびないのであります。
175
どうか今この席にお集まりになった神縁ふかき諸氏は、
176
今回の私の遠征の首途に対し御了解あらんことを希望いたします。
177
云々」
178
聖師は西北自治軍を組織し、
179
盧
(
ろ
)
を総司令として護衛兼案内役にあたらしめ、
180
四方より集まった軍隊を十団に分け、
181
聖師以下日本人の一行は宗教家として一さい武器をおびず、
182
日
(
じつ
)
月
(
げつ
)
地
(
ち
)
星
(
せい
)
の神旗をひるがえしつつ、
183
蒼茫として天につづく蒙古の大広野を進まれました。
184
聖師は道すがらかたく徴発掠奪をいましめ、
185
あるいは神の教を伝え、
186
あるいは病気をなおし、
187
貧窮者には
米塩
(
べいえん
)
を与えて、
188
進んで行かれましたので、
189
蒙古人から救世主の再来とあおがれました。
190
ところが張作霖はこれを嫉視し、
191
討伐軍をさしむけてきたので、
192
ついに六月二十一日パインタラにおいて捕えられました。
193
盧占魁以下の幕僚部下は、
194
ことごとく銃殺されてしまいました。
195
聖師の一行も二十一日の夜、
196
鴻賓
(
こうひん
)
旅館で寝込みをおそわれて、
197
まさに銃殺されようとしたのですが、
198
危機一髪、
199
死線をこえたのであります。
200
それは折よく旅館にとまっていた日本人某氏が、
201
翌朝庭に
杓子
(
しゃくし
)
が落ちているのを発見しました。
202
その杓子には
203
天地
(
あめつち
)
の
身魂
(
みたま
)
を救うこの杓子
204
心のままに
世人
(
よびと
)
すくわむ
205
とあり、
206
裏には
207
この杓子
我
(
わが
)
生まれたる十二夜の
208
月の姿にさも似たるかな 王仁
209
と記し、
210
拇印がおしてありました。
211
これは聖師の随行の一人が持っていた杓子(
御手代
(
みてしろ
)
という)で、
212
聖師がかつて九州の
杖立
(
つえたて
)
温泉に旅行の際、
213
その地の名産である竹の杓子に歌をしるし、
214
拇印をおして熱心な信者にわたし、
215
大本では病者の祈願治癒に用いられていたものであります。
216
某氏は聖師一行の遭難を知って驚き、
217
パインタラから一番汽車に乗って、
218
鄭家屯
(
ていかとん
)
の日本領事館に届け出ました。
219
領事館では土屋書記生を急行せしめることになり、
220
危く銃殺をまぬがれたのであります。
221
聖師はこのとき死を覚悟されて、
222
次のような辞世の歌を詠まれました。
223
よしや身は蒙古のあら野に朽つるとも
224
日本
(
やまと
)
男子
(
おのこ
)
の
品
(
しな
)
はおとさじ
225
いざさらば
天津
(
あまつ
)
御国
(
みくに
)
にかけ上り
226
日の本のみか世界守らむ
227
日本領事館から聖師一行の引き渡しを要求したが、
228
国際法によれば二十四時間以内に引き渡すべきであるのに、
229
二十一日の夜から三十日まで十日間パインタラにつないでおいたのは、
230
よほど交渉がむずかしかったためでありましょう。
231
七月五日の夕、
232
鄭家屯の日本領事館に引き渡され、
233
一応の取り調べをうけ官憲に護送されて七月二十五日内地に帰られました。
234
聖師一行の帰国の記事は新聞に大きく掲載されたので、
235
満州の駅々には多数の中国人が旗を立てて送迎し、
236
夜になってからは、
237
高張
(
たかはり
)
提灯
(
ちょうちん
)
や
手提
(
てさげ
)
行燈
(
あんどん
)
など無数に点じて人々は送迎していましたが、
238
当時飛ぶ鳥をおとす勢いのあった関東軍司令官の巡閲にもみられない盛大な送迎でありました。
239
内地においても駅々は黒山の人で、
240
あたかも、
241
凱旋
(
がいせん
)
将軍を迎えるような有様でありました。
242
途中大竹、
243
上郡
(
かみごおり
)
などの警察署に一泊して大阪に着かれましたが、
244
責付
(
せきふ
)
出獄は取り消しになって大阪若松支所に収容されました。
245
しかし、
246
十一月
朔日
(
ついたち
)
、
247
九十八日ぶりで保釈となり、
248
綾部に帰られました。
249
聖師の入蒙は当時の紛糾せる国際的基局の上に、
250
高所大所より下した妙手の一石であったことは、
251
その後、
252
昭和六年秋、
253
満州事変の勃発によって明かになったのであります。
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