霊界物語.ネット
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三二、急激な発展
インフォメーション
題名:
32 急激な発展
著者:
大本教学院・編
ページ:
概要:
備考:
タグ:
データ凡例:
データ最終更新日:
OBC :
B100800c32
001
かくして大本の教線はひろめられ、
002
昭和五年九月十八日、
003
人類愛善新聞本社は亀岡より東京に移り、
004
人類愛善会東洋本部はアジヤ本部と改称して東京に進出することになり、
005
人類愛善新聞紙の発行部数は数十万に達し、
006
ついに百万部を突破しました。
007
また一方で京都における宗教博覧会開催後は全国各地に聖師の作品展覧会が開催されました。
008
昭和六年五月二十七日、
009
出口
日出麿
(
ひでまる
)
氏は門司を出発して渡満し、
010
奉天を中心として南北各地に巡教されましたので、
011
満州における愛善運動は急に活気を呈して来ました。
012
昭和六年九月八日、
013
本宮山
(
ほんぐうやま
)
々上に
神声碑
(
しんせいひ
)
、
014
教碑
(
きょうひ
)
が建てられましたが、
015
十日後九月十八日にかの満州事変が勃発しました。
016
満州事変を契機として世界の情勢は急転したのであります。
017
満蒙問題は世界の注目の的となりました。
018
聖師の入蒙が如何に重大な意義をもっていたかは、
019
八年後になって明かとなったのであります。
020
人類愛善会は世界紅卍字会と提携して活動しましたが、
021
さらに「
存理会
(
ざいりかい
)
」と称する中国全土にわたって数百万の会員を有する宗教と提携しました。
022
両会の代表は数回会合を重ねて、
023
すでに精神的結合はできていたのでありますが、
024
昭和六年十二月十八日、
025
出口日出麿氏は在理会代表四十二名と奉天にて会見し、
026
ここに提携議定書をとりかわしました。
027
翌昭和七年六月十八日、
028
日出麿氏は奉天においてラマ教代表四十名と会見され、
029
提携趣意書をとりかわし、
030
短時日の間に、
031
日華親善の実は着々と挙げられていきました。
032
しかるに、
033
内外の情勢は
帰趨
(
きすう
)
真に憂うべく、
034
おそるべきものがあり、
035
海外の活動が思うようにできなくなったので、
036
聖師は主力を国家革新の方向に注がれました。
037
昭和青年会を結成されましたが、
038
昭和七年八月、
039
みずから総裁となって指揮され、
040
同年十一月には昭和
坤生
(
こんせい
)
会(婦人会)を結成し、
041
聖師は総裁に、
042
二代教主・澄子夫人は会長に就任されて、
043
全国的に活動が開始されることになりました。
044
なお昭和八年にはポナペ
[
※
現在はミクロネシア連邦の首都があるポンペイ島のこと
]
に愛善農園を開かれ、
045
また愛善陸稲を奨励して全国に普及され、
046
穴太
(
あなお
)
に瑞穂神霊を祀って米の三度作に成功されたことは特筆すべきことであります。
047
さらに昭和九年七月二十二日、
048
昭和神聖会の発会式が東京において挙行されました。
049
聖師は自ら各地の本部支部の発会式に臨席すること百カ所を越え、
050
北は北海道より南は台湾にいたるまで、
051
文字通りの東奔西走の活動でありました。
052
しかし、
053
聖師の真意がたやすく時代に理解され受けいれられる筈はなかったのであります。
054
この急激な国家革新の運動が、
055
やがて昭和十年の第二次大本弾圧事件を惹起する結果となったのであります。
056
聖師は迫害の来たるべきを覚悟されていたか、
057
当時「心境を語る」という一文においてこう述べておられます。
058
「宗教に迫害がなくなった時は、
059
既にその生命を失ったものであると知らねばならぬ。
060
過去の宗教史を振返って見よ。
061
圧迫を加えたパリサイの徒が正しかったか、
062
迫害を受けた耶蘇が悪かったか。
063
而して既成団体から排斥を受け圧迫を蒙らなかった宗祖が、
064
果して東西古今一人として存在したかを思え。
065
余は世間の誤解をおそれ、
066
世人の非難を案じて翼々たる生活を送るよりも、
067
たとえ余の言葉に全世界が立ち騒ぐとも、
068
それを言の葉の上に浮び漂う露と観じて、
069
考えたいことを考え、
070
言いたいことを言い得る本当の「人」たらんことを欲するものである」
071
昭和十年十月二十七日には、
072
綾部の鶴山
[
※
本宮山
]
々上に建てらるべき
長生殿
(
ちょうせいでん
)
の斧始式が挙行され、
073
大本の神業は旭日昇天の勢いをもって進展したのであります。
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