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(三)顕斎と幽斎について

インフォメーション
題名:(三)顕斎と幽斎について 著者:井上留五郎
ページ:18 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B116500c013
 王仁文庫第六篇六十四項の御神諭に
「神を斎き祀らんとする者は、顕斎と幽斎との区別を(わきま)ふべし。顕斎は神を祀るものなれば、宮殿(みや)あり、祝詞あり、供へ物あり、奠幣(みてくら)ありて、神の恩徳を感謝する道なり。また幽斎は己れの霊を以て、まことの神の霊に対して祈るものなれば、社も宮もなく、また奠幣も供へ物もなし。顕斎のみに偏るも、幽斎のみに偏るも、共に全き道にはあらざるなり」
と説示してあります。(その他これに関する重要教示は索引について参照のこと)
 我々は顕斎にも幽斎にも、常に顕幽一致の誠を以て奉仕せねばなりませぬが、近来顕斎の不必要を説く一種の引掛け戻しがあるため、前項目とこの項目とを付け加えられたのであります。
 すべて祭祀は誠心誠意を以て奉仕する時は、感応来格ましまして、正しきことなれば何事でも聴許し給うことは無論でありますが、御神体、殊にお互いが奉斎している御神体は、神定(かむさだ)められた御方によりて御神名を謹書されたものであるから、現実に神様の御分霊が御こもりになっているのであります。今心を清め、身を浄め、献饌以て奉仕の誠を捧ぐる時は、その都度、天地に()す御本霊と相感応し来格し給うのであるから、かくの如き家には常に神光赫々(かくかく)たるものがあるのであります。(いにしえ)から、神を祭るに神(いま)す如くせよとか、神様は敬えば敬うほど御神力が盛んになるとか言われておりますが、それに間違いは無いのであります。御神諭に
「……人民からは神を敬へば神力が強う成るから、人民を神が守護致すなり、持ちつ持たれて、神の心に映りて行けば、それが神世と申すのであるから、さうなりたら、人民も今の世ほどあせらいでも、穏和(おだやか)に行ける世になるのぢやぞよ」(索引参照)
 御神歌に
   神殿に神は(まさ)ねど人々の
(いつ)かむ(たび)天降(あも)りますかも
 また熱誠を籠めて書いた書画に霊的現象のあった伝説が、古今東西にかなり多いのであるが、一概に否定すべきものではありませぬ。巻頭に掲げました写真の一つ、これは大正八年聖師様が出雲大社参拝の途次、某信者のために揮毫されたる衝立(ついたて)であって、翌年その家人がこれを背景として撮影したものであります。御覧の如く衝立の書画より霊光を発し、エッキス光線エックス光線以上の作用をなして、その一人を射照らし、ために全身透明となり、背後にかくれたる画も落款も印も明瞭に見ゆる面白い写真であります。そして対座せる今一人には何ら変わるところなく対照的に出来ているのも、興味ある現象であります。その他開祖様、聖師、二代様、三代様の肉筆について、種々霊的現象のあった沢山の実例は周知のところであります。これによっても、大本より頂いた御神体や御肌守りに神霊の御こもりになっていることは、明らかな事実であると同時に、顕斎の必要を痛切に感ずる次第であります。かの偶像崇拝は愚かだとか、石ころが祭ってあったとか、中には社殿は飾りに過ぎぬなど、妄評する人々の如きは、実に気の毒な霊的盲者聾者であります。(霊界物語、第三巻霊主体従寅の巻、国の広宮参照)
 写真のついでに今一つ左のことを付け加えておきます。普通真っ先に祭事の必要を感得するのは、祖霊祭についてであります。祖霊は最も密接の親しみがある関係からでありましょうが、祭事が決して形式的のもので無いことを体験した実例はかなり多いのであります。昨十四年二月、天王平で某信者が、余儀なき事情に迫られ霊魂の実在を示して頂くべく、神様に御願いして、言わば試験的に自分の墓地を撮影したのでありますが、輪郭だけではあるが、明瞭(はっきり)と帰幽せる家人の姿が写ったのであります。珍しくもありませんが、参考のために宣伝部に保存してあります。(巻頭の写真がそれであります)
 また現界人の行動がいかに祖霊に関係を及ぼすか、他宗教信者が大本に入り改式復祭をした時の祖霊の状況、及び祭祀をなし献饌をすることがいかに必要なことであるかは、左の説示によって明瞭であります(霊界物語第五十八巻、真善美愛酉の巻祭礼の章)

三千彦『人間は現世を去つて霊界へ行つた時は、極善者の霊身は直ちに天国に上りて天人と相伍し、天国の生活を営み、現界との連絡が切れるとすれば、現界にある子孫は父祖の霊祭などをする必要は無いもののやうに思はれますが、それでも祖霊祭をしなくてはならないのでせうか。我々の考へでは真に無益な無意義なことのやうに感じられますがなア』
玉国別『何ほど天国へ往つて地上現人との連絡が断たれたと云つても、愛の善と信の真とは天地に貫通して少しも遅滞せないものである。子孫が孝のためにする愛善と信真の籠もつた正しき清き祭典が届かないと云ふ道理は決して無い。天国にあつても矢張り衣食住の必要がある。子孫の真心よりする供物や祭典は霊界にあるものをして歓喜せしめ、かつその子孫の幸福を守らしむるものである』
三千彦『中有界にある精霊は何ほど遅くても三十年以上居ないといふ御伝達を聞きましたが、その精霊が現世に再生して人間と生れた以上は、祖霊祭の必要は無いやうですが、かういふ場合でも矢張り祖霊祭の必要があるのですか』
玉国別『顕幽一致の神律に由つて、たとへその精霊が現界に再生して人間となり霊界に居らなくても、矢張り祭典は立派に執行するのが祖先に対する子孫の勤めである。祭祀を厚くされた人の(みたま)は霊界現界の区別なくその供物を歓喜して受けるものである。現世に生れて居ながら、なおかつ依然として霊祭を厳重に行ふて貰ふてゐる現人は、日々の生活上においても大変な幸福を味はふことになるのである。故に祖霊の祭祀は三十年どころか、相成るべくは千年も万年の祖霊も子孫たるものは厳粛に勤むべきものである。地獄に落ちた祖霊などは、子孫の祭祀の善徳に由つてたちまち中有界に昇り進んで天国に上ることを得るものである。また子孫が祭祀を厚くしてくれる天人は、天国においても極めて安逸な生涯を送り得られ、その天人が歓喜の余波は必ず子孫に自然に伝はり子孫の繁栄を守るものである。何となれば、愛の善と信の真は天人の神格と現人(子孫)の人格とに内流して何処までも断絶せないからである』
三千彦『ウラル教や波羅門教の儀式に由つて祖霊を祭つた者は、各自その所主の天国へ行つて居るでせう。それを三五教に改式した時はその祖霊はどうなるものでせうか』
玉国別『人の精霊やまたは天人なるものは、霊界に在つて絶えず智慧と証覚と善真を了得して向上せんことをのみ望んで居るものです。故に現界に在る子孫が最も善と真とに透徹した宗教を信じて、その教に準拠して祭祀を行つてくれることを非常に歓喜するものである。天人といへども、元は人間から向上したものだから、人間の祖先たる以上はたとへ天国に安住するとも、愛と真との情動は内流的に連絡してゐるものだから、子孫が証覚の最も優れた宗教に入り、その宗の儀式に由つて自分らを祭り慰めてくれることは、天人及び精霊、または地獄に落ちた霊身に取つても最善の救ひとなり歓喜となるものである。天国の天人にも善と真との向上を望んで居るのだから、現在地上人が最善と思惟する宗教を信じ、かつまた祖先の奉じてゐた宗教を止めて三五教に入信した所で、別に祖霊に対して迷惑をかけるものでない。また祖霊が光明に向つて進むのだから決して迷ふやうな事は無いのだ。否かへつて祖霊はこれを歓喜し、天国に在つてその地位を高め得るものである。故に吾々現身人は祖先に対して孝養のために最善と認めた宗教に信仰を進め、その教に由つて祖先の霊に満足を与へ、子孫たるの勤めを大切に遵守せなくてはならぬのである。アア惟神霊幸倍坐世』
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