ご承知の如く大本には宇宙紋と称する図の如き紋章が出来たのでありますが、その由来を申し上げておきます。
[#図 宇宙紋章]
この紋章は大正十年二月十二日、陰暦正月五日、聖師様が京都未決監にお出でになった日に天示されたのでありまして、この朝聖師様は日と上弦の月と並び、また月に近接せる太白星、しかもこの月と星が夜と同様の光輝を放ちつつある奇現象を認められたのであります。大阪及び各地信者諸氏の中にもこれを見た方があったのであります。(大正十三年二月十二日にも白昼に同様の現象あり、この前後二回の奇観については王仁蒙古入記出征の辞に詳記)大正八年旧六月三日の御神諭(索引参照)に
「……この世の裁判をいたすまでに、早く改心致して身魂を水晶に研いておらぬと、いつ始まるやら、人民には判らんぞよ。神は日々に天からも地からも、言霊で知らしておれども、今の人民さっぱり悪魔の器になりきりて、言霊の耳がないから、脚下に火が燃えて来ているのに、気が付かぬから、また神は、日月なり星にまで、変わりた事をして見せて気をつけているが、それでも未だ判らぬとは、よくも悪神に、身魂を曇らされたものじゃぞよ。天の大神様が、経綸の蓋をお開け遊ばす時節が来たから、もう改信の間がないから、この世において欲しくば一日も片時も迅く日本魂に立帰りて、神の分霊と申すだけの行いを致して、天地の大神様へお詫びを致すが、何より結構であるぞよ」
と警告されてあります。
この紋章を発表使用されたのは、大正十二年十二月であります。これを宇宙的に観れば日月地星の四魂完備の表徴であり、地球的に云えば日本が世界を道義的に統一したる象であります。即ち外輪は日にちなめる日本であり、月輪は印度支那即ち亜細亜でありその内部の円は欧洲であり、星は亜米利加であります。
大正十三年は甲子の歳でありますが、暦学上よりしても三千六百年目に来る意義深き甲子でありまして、神様の方より云えば十二万年目の甲子であって、その当時初めて神様により天地運行の律即ち暦に対して、十干十二支の言霊を付与せられたのでありまして、これに動物を配したのは後のことであります。支那道院の侯延爽氏も、艮坤両方位が最も正しき位置に復帰する歳であると談しておられました。聖師様はこの因縁深き甲子に因みて更始会を創立されたのであります。この会はミロクの御神業に奉仕する精神的の会であって、この会の徽章にこの紋章が用いられているのであります。
この宇宙紋章が出来ることは、明治三十二年十曜の神紋が出来た当時、開祖様より大本役員に向かって、つとに予告せられていたのでありまして「大本には後来、さらに新たな紋が出来る。その紋はミロク神政成就のしるしであるから、この時を境として大本は云うに言われぬ結構なことに代わってくる」とお告げになったのであります。当時直接これを承り、爾来心待ちに待っていた四方平蔵翁は、今度聖師様よりのお話を聞いて、今さらの如く歓喜と追懐の感に打たれたのを見受けました。
またこの紋は濫用せぬよう、更始会員として徽章を頂いている方々でも、神界の許可を得なければ衣服の紋様にも用いることは出来ないとのことであります。