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第二章

インフォメーション
題名:第二章 著者:出口王仁三郎
ページ:65 目次メモ:
概要:
  • 27歳 弟との不和。父親の死。艮の木を切った祟り。
  • 教会を訪ねる。夜の12時から午前3時まで小幡神社で神教を乞う。
備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B195301c08
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]写本(成瀬勝勇筆、大正14年12月、大本本部所蔵)
 (しげ)(かい)王仁三郎のこと。は牧畜にのみ従事して居て、父母なり弟なりが農事に就いて居たのでありたが、弟の(よし)(まつ)と云うのが、にわかに家出をしてしまうたので、(まき)一荷苅りに行くものがなくなって来た。
 そこで父が余に向かって云わるるには、「弟は()の次第であるし、汝は牧場に忙しいから薪を、山に苅りに行く代わりに、屋敷の樹木を切りたおして薪にしたいと思うから、()(もん)に当たるけれども、まさか今の世に(たた)りなぞと云う様な事はあろうまいから、仕事のすきに切りてくれ」との命令であった。余も「左様ですとも、そんな馬鹿な事がありますか」とすぐに同意して、(なが)(ばしご)をカヤの大樹とムクの木とに掛けて、(のこぎり)(かま)を持って登り、カヤの木の枝からぼつぼつと切り払うた。
 ついにはムクの木の芯を切り離したが、その芯がその(かたわ)らにある柿の木と(かし)の木に支えられて中に止まって落ちて来ない。そこで(しげ)(かい)は、切り離した芯に飛びついて、身の重みで、大胆にも木の枝と共に落ちる仕掛けをしたが、都合よくざぁー、どざぁと大きい響きがして地上に落ちた。
 父は余が木の枝と共に落ちたのを見て、大怪我でもしたと思うてか、真青な顔して余が(かたわ)らに立ちよりて、「怪我はないか、しっかりせよ」と云われたが、私は「何の怪我も致しません」と云うたら、「そうか」と云うて息を継がれたが、父はその時すでに半病気であってブラブラして居られた所であったが、その後日々に病勢が重くなって、べったり床に就かれた。そこで余はとても全快は(おぼ)(つか)ないと知りたので、なるだけの看護をしたが医薬も何もその効なく、六か月のわずらいで、とうとう(くに)(かえ)してしまわれたが、その時の悲歎は今に忘れる事が出来ぬくらいであった。
 親族なり朋友が、口々に「汝は(うし)(とら)の隅で木を切りたから、鬼門の祟りであるから七人まで祟ると云う事であるから、早く神様へ参りて、伺うて貰うたがよかろう」というて聞かない。そこで余も「人の意見に従うもよかろう」と思うて、ある占者に占うてみると「丑寅の木を切りたのと、(ひつじ)(さる)の方にある池が祟りておるのである」とのことであったが、(しげ)(かい)は哲学思想があるので、その言を信ずる事をようせなんだのであった。
 それから、日々業務の(かん)()に神理を究めんと欲し、宮川の妙霊教会なり、亀岡の(ひも)(ろぎ)教会、(たい)(げん)教会等へ行き、種々質問してみても、何教の教えも完く不得要領に終わってしまった。
 それから余は、毎夜十二時から午前三時頃まで、氏神の拝殿まで行きて神教を乞い始めて、(うし)(とら)()(もん)の恐るべき事と、(ひつじ)(さる)(こん)(じん)の由来を聞く事を得たのであった。
 余の氏神は()(ばた)神社とて開化天皇の霊を奉祀してあるのである。
 話が後先になるけれども、余が父の死去せられたのは明治三十年の七月の二十一日であって、行年は五十四歳であった。余の二十七歳の時であったのである。
 また(むく)の木の(しん)(かや)の木が切り離れて、余と共に地上に落下する際、隣家なる小島長太郎氏の土蔵の瓦を二、三十枚、木の枝が当たってめくってしまうたので、早速新新しい瓦を買うて弁償する事としたのである。しかるに小島氏は意地の悪い人で、色々と苦情を吹き込んで大いに父を困らしめたので、それがために父の病気は一層重くなった。
 弟の由松が十日ほど経てまた帰って来て、(ろう)()花札のことに耽って止まらぬので、父と余と二人が百方説諭をしても馬耳東風である。そこで弟に(きび)しく意見をした所が、弟めが憤怒の余り(とう)(ぐわ)の刃の未だ新しきを以て余を追いまくって来るので、余も逃げるが双方の益と思うて庭の隅へ隠れると、弟は(たけ)り狂うて益々乱行を(ほしいまま)にするのである。余は三方は壁、一方は弟の鍬にて今や進退(きわ)まったが、幸い鍋の蓋を父が投げてくれたので、それを拾って辛くも危難を免れたが、由松が切り下す鍬の刃を鍋蓋で以て受け留めたので、鍬の刃先が蓋を貫徹して、二寸ばかり突き抜けたのである。その間に父は、弟の鍬をもぎ取ったので、また今度は三又鍬を頭上に振り上げながらまたまた余を追撃した。余も一身上の防禦のために山棒を携え、弟が打ち下ろす三つ又を支えて戦うて居る所へ、また父が出て来て夜具を以て両人の()(もの)を取って退()けられたので、弟はまたもや無手となって組み付いて来たのであるが、ついに父にねじ伏せられて、その場は(こと)(すみ)となったのである。弟の度々の凶行は、父の病をしてますます重からしめたのである。
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