神と宇宙
簡単に述べると、天之御中主神は、無限絶対、無始無終に宇宙万有を創造する全一大祖神、宇宙の大元霊であるが、是れ丈書いたのでは、一の定義たり符牒たるに止まり、其神徳、神性に就きての明白な観念がとても読者の脳裡に浮ぶ訳に行かぬ。是非とも、詳しく説明せねばならぬ。
自分は今、此神を説くに、「宇宙の大元霊」なる文句を使用したが、此神と宇宙とを引離して、まるで別個の無関係のものの如く考えられては困る。此神は、決して宇宙の外に在るのではない。宇宙の外に何者かが存在するという事は、吾人の意識し得る限りでない。さりとて、神は亦宇宙の宇宙の内に在るのでもない。宇宙の内に在る以上は、少くとも、宇宙と相対的となり絶対という事は出来ない。宇宙の外にも在らず、又宇宙の内にも在らずというのでは、何うしても此の神は宇宙と合一状態にあらねばならぬ。換言すれば、天之御中主神は宇宙の本体それ自身であらねばならぬ。
ただ此宇宙という言葉は、いかにも純理的、形式的な、学術的臭味のある語で其中に生命が無い。いかにも冷かな感を与える。天之御中主神の形骸を髣髴せしむる事は出来ても、渾然として大成せる一個の霊活妙体を髣髴せしむる温味が乏しい。例えば、霊魂が脱出して了った殻の肉体の様な感を起させるのが、宇宙という文字の欠点である。自分が此語を使用するのは、説明の必要上、万止むことを得ざるが為めである。読者は飽く迄、活機凛々たる神霊原子が充実し切り、磅礴し切った至大天球、無始無終、永劫不滅に活動して至仁、至愛、至正、至大、稜威を以て天地、日月、星辰、神人、其他万有一切を創造せらるる全一大祖神という観念を失わぬ様に希望する。斯く考えると、他の文字を以って言い表すよりも、矢張り天之御中主神と申上げることが穏当であると感ずる。又『大本神諭』の如く、ずっと平らく、親み敬って、「天之御先祖様」と申上ぐるも、至極結構であると思う。何うしても人間の感情は、其所まで向上し醇化せねば駄目だ。