霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(六)

インフォメーション
題名:(六) 著者:浅野和三郎
ページ:25
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142500c08
 秋山さんがモ一つ()つて居られた霊的体験は、これよりも一層重要なもので、真の日本国民ならば、何人(なんびと)もすすんで聴かんと欲するところのものであつた。(ほか)でもない、それは例の日本海海戦当時の出来事であつた。
『皇国の興廃(この)一戦に在り』と東郷大将の戦報にもあつた通り、日露戦争中、何が大事件というても此一戦ほど大事(だいじ)なるものはなかつた。万々一日本艦隊が(やぶ)れたとすれば、それは日本の滅亡を意味する。(もし)も之を(いつ)して浦塩に入港せしめたとしても、日本の最大危機を意味する。よし相当の勝利を占めても、其の一部に浦塩まで逃げ込まれては、矢張り勝手が悪いこと(おびただ)しい。日本艦隊としは什麼(どう)しても之と遭遇し、そして之を撃滅せねばならぬ大任務を帯びて居た。
 されば日本艦隊の此時の用意と覚悟とは実に想像の(ほか)にあつた。根拠地を鎮海湾(ちんかいわん)に置いて敵の接近を今や遅しと待ち乍らも、さてその心痛苦慮! 敵は(はた)して対馬海峡にやつて来るだらうか。来て(くれ)れば有難いが、万々一太平洋を迂回し、津軽海峡か宗谷海峡を通過して、浦塩に(はひ)られては大変だ。いふまでもなく味方はあらゆる手段を(つく)して其情報を得るに努めては居るが、神ならぬ身には絶対の確報は得られない。前年の浦塩艦隊の場合と(おもむき)(あひ)類似して、()かも軽重の差は雲泥の相違があつた。五月も廿日を過ぎてからは心身の緊張が一層極点に達した。旗艦三笠(みかさ)には幾度(いくたび)か全艦の首脳部が集まりて密議が凝らされた。気の早いものは、(いかり)を揚げて鎮海を()で、浦塩の前面に待ち受けやうかとの意見を提出した者もあつたやうだ。
 この時の秋山参謀の責任は山よりも重かつた。官職こそ一中佐であれ、実は全聯合艦隊の首脳中の首脳、精髄であつた。幾日かに亘りて、着のみ着のままゴロ寝をする丈、(まこと)に寝食を忘れて懸命の画策考慮に(ふけ)つて居た。
『忘れもせぬ五月二十四日の夜中でした』
 と秋山さんは当時を追懐しつつ話をつづけた。
『余り(つか)れたものだから、私は士官室に行つて、安楽椅子に身体(からだ)を投げた。()の人は(みな)寝て了つて士官室は私一人だけでした。眼をつぶつて考へ込んで居る(うち)に、ツイうとうととしたかと思うた瞬間に、例の眼の中の色が(かは)つて来た。そして対馬海峡の全景が前面に展開して、バルチツク艦隊が二列を作り、ノコノコやつて来るのが分明に見えるのです。占めたと思ふと、はツと正気に返つて了つた。浦塩艦隊の時分の霊夢には多少魔誤(まご)つきましたが、今度は二度目ですから(ただち)に神の啓示だと感じました。モウこれで大丈夫だ、バルチツク艦隊は(たしか)に二列を作つて対馬水道にやつて来る。それに対抗する方策は第一には()う、第二には()あと、例の私の七段(そなへ)の計画が出来(あが)りました。それから二十七日迄、随分待ち(どほ)で耐らなかつたですが、肚の底に確信がついて居ましたから、割合に気が楽でした。いよいよ二十七日の夜明けとなつて、御承知の通り、信濃丸からの無線電信で敵艦の接近が(わか)り、たうとう会戦といふ段取になつたのですが、驚いた事には敵の艦形が三日前に夢で見せられたのと寸分の相違もありませんでした。一と目それと見た時には、私は嬉しいやら、不思議やら、有難いやら、実に何とも言へぬ気持でしたよ……』
 日本海海戦の檜舞台の花形役者から初めての打明け話を聴くのであるから、実に面白かつた。作らず、飾らず、勿体もつけず、海軍流の淡白な、洒落(しゃらく)なた態度口調で、物語つてくれるのが何よりうれしかつた。
 秋山さんはその時()んなことを言つて居た。
『兎に角私には日露戦役中に二同まで()んな事がありましたので、いざ戦報を書かうとして筆を執つた時には、自然と天祐と神助とによりてと、書き出さぬ訳に行かなかつたです。実際さう信じて居たので、決しておまけでも形容でもありません』
 ()ほ秋山さんは次のやうな事も言つた。
『ドウも東郷大将にも、(たしか)に一種の霊覚があつたと私は信じて居ます。寡黙なる方ですから、御自分ではあるとも無いとも()つしやられたことはなかつたですが、さう信ずべき理由があつたです。旅順を封鎖して居た時のことでしたよ。敵の艦隊が夜間こつそり、その錨地(べうち)を奥の方に移したことがありました。前日まで沖から見えて居たのに、何処にも敵の影らしいものが、突然なくなつたのですから驚きました。こりア封鎖を破つて脱出したのではあるまいかと。私なども大変慌てました所が東郷大将は、敵は内に居ると、ただ一言断言されたきり、平然として相手にされなかつた。段々探した結果、内港(ないかう)にすツ込んで居ることが突きとめられましたが、彼様(あん)な時の大将の超越した態度は、ただで出来るものではありません。確に霊覚か何かがあつたとしか思はれません』
 自分は多大の興味を以て秋山さんの話をきいた。
『矢張り日本は神国(しんこく)だ。豈夫(まさか)の時には必寸神様が蔭から御守護を与へてくださる。有難いものだ』
と、今更しみじみと(こころ)丈夫(ぢやうぶ)に感ぜぬ訳には行かなかつた。
 日本海海戦に於ける天祐神助の()は、大本信者には一層感興(かんきよう)が深い。何となれば大本教祖が沓島に出修して、十有余日の(あひだ)戦勝の祈願をこめられ、その結果元の活神(いきがみ)の御出動となられたことを知悉して居るからである。
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