話は四十余年の昔に遡る。
明治初年の八丈島は、尚ほ徳川時代の旧制を追ひ、流罪人の巣窟であつた。罪の重いものは、海岸の牢屋住居をして居るものもあつたが、多くは島でそれぞれの職務に従事しつつ、呑気な、しかし味気ない生活を送つて居た。
流罪人の中に源次郎といふものが居た。元は江戸の理髪業者であつたが、恋の怨みで人を殺し、一時伝馬町の牢屋へ繋がれ、それから八丈島へ流されて来た島では矢張り、腕に覚えの理髪の業を営んで居た。
源次郎は職人肌の面白い所のある人物であつたので、大変当時の村長の気に入つた。春の日のものうさ、冬の夜のつれづれ、村長はいつも源次郎を話相手に招き寄せ、その軽い口から、江戸の風評を聴くのを楽しみとして居た。源次郎は理髪職人としてよりも、寧ろ村長さんの腰巾着として人から認められ、村長の信用は年と共に加はり、後には多少の秘密をも、源次郎だけには漏らすやうになつた。
村長といふのは、外でもない。奥山家の先代、即ち現在の奥山夫人の実父で、当時はまだ二十三四の若い若い村長であつたさうだ。
この人は余程器用な質の人と見え、自分で一箇の錠前を工夫し、島の鍛冶職に命じて、特別に製作せしめた。いかなる種類の錠前であつたかは、四十年後の今日到底之を知るよしもないが、什麼しても、他人の手には開けられぬ仕掛に出来て居たさうだ。若い村長は大変この錠前が得意であつた。そしてそれを自分の土蔵に取り付け、開け方を何人にも極秘にして置いた。
『斯うして置きさへすれば安心なものだ。誰にも開けられはせん』
斯んな事を言つて、村人に誇つた。村人が眼を円くして、自分の智慧と器用とに驚嘆するのを見るのは、この若い村長に取つて千万金にもかへられぬ嬉しさだつた。
これほど大事にしてある錠前の秘密を内密に聴かせて貰つたものが、村中にたつた一人あつた。それが寵愛児の源次郎であつたのはいふまでもあるまい。源次郎も非常に之を光栄として、
『憚り乍ら、旦那から錠前の開け方を教はつたものは、俺一人だけだぜ』
などと人に向つて誇つた。この一場の些事の裡に、畏るべき魔の呪が潜んで居たとは、後に思ひ知れた。
ある夜、件の錠前が何者にか開けられ、土蔵の中の米俵が盗み出された。
盗賊の嫌疑は忽ちに源次郎にかけられた。いかに日頃愛されて居ても、根が殺人罪を犯した曲者である。殊に錠前の秘密を知つて居る者は源次郎の外にはない。必定盗人はこれだといふ事になり、島役人は忽ち源次郎を捕へて糾弾した。所が源次郎は什麼しても自分がその犯人であることを白状しない。
日頃大恩を受けて居る旦那のものを、何ぼ何んでも、私か盗るやうな事は致しません。泥棒は他にあります。他を捜していただきます。
此奴図太いといふので、乱暴な島役人は、直に海岸の仕置場へと源次郎を連れて行き、有らん限りの拷問にかけた。当時の拷問といふのは旧幕時代の遣方そツくり、乱暴と残酷とを極めたものであつた。成るべく角のある石を敷き並べて置いて、罪人を其上に坐らせ、膝の上にドシドシ重いものを積み重ねる。
『さア神妙に白状しろ!』
などと責め立てる。源次郎は先づ斯くして責められた。
見る見る源次郎の足は壊れて、血汐がドクドク流れるが、それでも、彼は盗つたとは決して白状しなかつた。
これでは手ぬるいといふので、今度は背部にまはした両手に、長い縄をかけて、木の枝に釣りあげた。苦しいので悲鳴はあげるが、それでも源次郎は罪に服しなかつた。
此残酷な拷問が、連日連夜、十幾日に亘つて続いた。源次郎は見る影もなく衰へ果て、血だらけになつてヒイヒイ言つて居たが、それでも眼ばかりは物凄く光りかがやき、怨みの形相すさまじくこの世ながらの鬼の姿になつた。
『ああ口惜しい!』
と拷問の合間合間に、彼は口の中で、断えずつぶやいてゐたさうだ。
『罪もない者をこの責苦に遭はせるとは余りだ。何と言はれても、盗らぬものは盗らない。怨めしいのは村長の旦那の量見だ。あれほど平生可愛がつて呉れながら、今更泥棒扱ひは何事だ。ああ情ない! 怨めしい! 縦令死んでもこの口惜しさは忘れるものか……』
打ち寄せる波の音にまじつて、絶え絶えきこゆる怨みの文句には、流石の島役人も戦慄したさうだ。
島役人の手には余るといふので、源次郎はやがて伝馬町の獄舎に送られたが、間もなく牢死を遂げたといふ事である。
これ丈の事は、奥山夫人の乳母からの手紙に、細々と書き記されてあつた。