奥山親子が引越してから、二月ばかりの日子は瞬く隙に経過した。寒い盛りの丹波の気候は、衰へ果てた病態に什麼かと心配されたが、それ程の事もなく兎も角も無事に経過した。さりとて捗々しく快方に向ふ模様も見えず、一日として寝床の中を離れることはなかつた。ある日自分は受持の四方さんに其容態を尋ねた。
『いかがですか、些しは善い方に向ひましたか』
『さア』
と四方さんは、聊か常惑の色を浮べて、
『却々思はしく厶いません。何分にも悪霊の邪魔が激しいので……』
『当人なり、又両親なりの信仰は什麼模様です』
『倡仰の心さへ出来て居れば、神さまの御守護が違ひますが、ドウもそれが些と六ケ敷いので…』
自分も気にかかるので段々査べて見ると、余り面白からぬ箇所を発見した。当人の息子は、最初は至極穏かな少年であつたが、近頃は、その人格が一変して来て、非常に我儘を言ひ、絶えず癇癪を起して、看護の両親に向つて口汚く罵ることさへあつた。両親は不相変立派な人達であつたが、只什麼しても神様の事はさツぱり判らなかつた。頭脳の中は子供の病気に対する心配と懸念とで一パイになつて居て、その事のみに夢中になつて居た。兎も角子供の病気を癒して欲しい、病気が癒つたら、その上で信仰しようといふ態度を什麼しても脱却する事が出来なかつた。自分は困つたものだと思つた。大本の信仰の困難は実に此点に存在する。在来の信仰ならば、大体この筆法でよかつた。神は常に人間の奴隷の位置に蹴落され、常に人間から交換修件を付せられて甘んじて居た。国祖の教へは絶対に之を許さない。一切を神に任せ、無条件で信仰に入る。さうすれば神は初めて御守護を与へ給ふ。神が主にして人は従。この点に於て寸毫の仮借もない。
自分は奥山さんを自宅に呼んで、呉々もこの事に就きて注意を与へ、其態度を一変さすべく努力して見たが、什麼しても思ふやうに行かなかつた。二た言目には病気の話が出て、深い溜息が漏らされ、その他の事は頭脳に浸みなかつた。気の毒でもあつたが、しかし同時に歯庠くもあつた。子供の病気も成程大事には相違ないが、国家の浮沈、人類の存亡は更に大事だ。些つとは雄々しく、大和魂を発揮し、一身一家の利害得失の上に、超然たる神心になつて呉れても、よかりさうなものと思つても、却々誂へ向きには行かなかつた。
さうする中に自宅のすぐ隣の家が空いたので、奥山さんの一家はそれに引越して自分がその面倒を見てやり、又鎮魂もしてやる破目になつた。隣からは始終自分を呼びに来る。
『ドウも伜の衰弱が激しいやうです。一度鎮魂をお願ひします』
とか、
『今日は朝から癇癪を起し、難題を言つて困ります。一度鎮魂を願はれますまいか』
とか、一にも鎮魂、二にも鎮魂、まるきり鎮魂を以て、注射か何ぞの代用と考へて居るらしいのには、少々呆れざるを得なかつたが、併し一方には、その様子が余りにいぢらしく気の毒にもあり、又他方には、病気の真因の那辺に在るかを、突きとめて見たいとの研究心も手伝ひ、自分は都合つく限り訪問してやつた。
幾何もなくして、自分は病人の憑霊が、奥山一家を呪ふ所の、余程の悪霊であることに気がついて来た。密かに様子を覗つて居ると、伜は決して本来の伜ではなくして、如何に苦しめ得るかと、単にその事ばかりを工夫して居る「或物」の容器に過ぎなかつた。物凄い、怨みの眼光を輝かし乍ら、極めて慳貪な声で、蒲団の中で呶鳴り立てる。
『寒いぞ、早く行火を持つて来い!』
母親はおどおどしながら、急いで行火を入れてやる。すると五分と経たぬ中に、再び慳貪な声で呶鳴る。
『熱い熱い! 斯んな行火なぞ除つて了へ!』
今度は父親が慌てふためきつつ行火を床の中から出す。出しては入れ、入れては出し。五度でも十度でも際限なく繰返す。
それは単に行火ばかりに限らない。食物に対しても同様、熱いと言つては呶鳴り、冷たいと言つては呶鳴り、固いと言つては呶鳴り、柔かいと言つては又呶鳴る。これで満足とか結構とか言つたことは、ただの一つもなく、その度毎に必ず呶鳴り立てる。殊にそれが母親に対して露骨であつた。母親が涙ぐんで、途方に暮て、室の中をウロウロするのを見ると、冷やかなる満足の笑を湛へて居るらしかつた。
『成程これでは奥山さん夫婦が神様の道を辿り、正しい信仰に入る心の余裕がない筈だ。矢張りこの伜に憑いて居る悪霊が、信仰の邪魔をして居るのだナ』
と自分は心の中に頷いて、其悪霊の正体を看破すべく全力を挙げた。
五遍十遍と鎮魂を重ねて居る中に、憑霊の発動は益々露骨となり、驚くべく事実が次第々々にその口から漏れ出でた。同時に奥山氏の細君の乳母であつたといふ老婦人から、四十余年前の報告の手紙が届いて、前後の因縁が益々明瞭になつた。
伜に憑いて居るのは、源次郎といふものの亡霊で、これが奥山一家に対して、深い深い怨恨を懐いて居るのであつた。