秋山さんは年末に一度来たきり、容易に其姿を見せなかつたが、しかし其鋭い眼に一度見当をつけた以上、そのまま安閑として済まして居るやうな人ではなかつた。大本が果して立派なものなら、その立派な所を活用しよう。若しゴマカシものなら、其ゴマカシを摘発して呉れようとの量見らしかつた。ゾロゾロ部下の海軍将校を綾部に送り込んだのも、たしかに将校斥候を放つて、実状の威力偵察を行はうとする機略縦横の用兵家の巧智も、底の方に幾分働いて居たと思ふ。更に二月に入りて、秋山さんは一人の密偵を大本に送り込んで、内状の秘密調査と来た。これが若し頭脳と頭脳との戦ひなら、大本の人間はとても秋山さんの脚下にも及ばないのだが、ただ有難いことには、大本は人間智慧では行動を取らない。全然自己を空しうして、神に一任して構へなしの構へで行く。すると、人間の工夫や智慧は、結局自縄自縛に終る位のものである。
秋山さんの派遣したのは、一部の社会にはその人ありと知られたる谷本狂介君であつた。統務閣で初対面の挨拶をしたが、至極愛嬌のある、如才ない人柄で、年齢は四十五六でもあらう。頭髪には余程白髪が混つて居た。ただ驚いたのは、いかにも谷本さんの身体が、小柄に出来上つて居ることであつた。身の丈たつた四尺七寸五分しかない。それがズングリと横に広いのではなく、すべての道具が其身の丈に相応して、適宜に配置されて居るのだから、可愛らしいこと夥しい。
『秋山さんから此方の事を伺つて修行にまゐりました。何分にも宜しくお願ひします』
『何日間位御滞在の御予定ですか』
『私のは何日と決めてありません、お道のことの判るまで、此方に御厄介になります』
『御職業は』
『売薬業をやつて居ましたが、ナニ近頃はすつかり放つてあります』
斯んな問答が先づ自分等の間に交換された。兎も角も大本の内部に起臥する事になり、例の「新建」がこの人に当がはれた。
数日間滞在する中に、次第々々に、谷本さんの前身なり、又参綾目的なりが判明して来た。売薬業をやつたといふのは余程以前の事で、例の「一、二」式行商の元祖であつたさうな。この数年来池袋の天然社に入り、その辣腕を以て、一人で切つてまはして居た毫の者であつたが、天然社が最近に潰れると同時に、閑散の身の上となつた。秋山さんとは、その天然社時代から関係が出来たので、さてこそ、先日秋山さんが綾部から戻ると、先づこの人を選定して、大本の研究調査を託したのであつた。
谷本さんは大正五年の秋から、耳と眼と鼻と三箇所の病気に罹り、これも天然社組なる岸博士の病院で治療して居たが、秋山さんからこの重任を依嘱されては、黙つて見て居れる性分ではなかつた。病気はまだ全治といふ程でもなかつたが、そのまま病院を飛び出して綾部へやつて来てしまつたのである。
『神様に病気平癒の御祈願をして戴きます。私のは性質の悪い中耳炎で、この病気は医者ではとても根本的に癒りはしません。どうしても神様にお縋りするより外に致方が厶いません』
谷本さんは口にはただ病気の事しか言はなかつた。無論病気も嘘ではない。全く医者だけでは、とても癒し切れぬ性質の中耳炎であり、同時に鼻も眼も相富に悪かつた。しかし谷本さんは、自分の病気位を気にしてゐるやうな人ではなかつた。身の丈こそたツた四尺七寸五分が、鬱勃たる覇気は其小躯の内に燃えて居た。
『この病気が癒るなら癒るでよし、兎に角これを種に、大本の霊術の試験をしてやらう』
といふのが、その主要の目的であつたらしかつた。戦略戦術の大家たる秋山将軍が、自分の名代として派遣した人物だけあつて、中々油断のならぬ一種の曲者であつた。
兎も角も自分が引受けて鎮魂をしてやることになつた。無論自分には、医術の心得などのあらう筈はない。いかに頭をひねつて考へて見たところが、谷本さんの中耳炎が何日間で癒るか、判りはせぬ。致し方がないから、御神前に出でて神様に向つて見た。自分は其様な時に最も弱る。自分の身体は専ら常識的に出来て居て、神示に対しては極端に鈍覚である。で、大概の事は常識的判断で一歩々々に解決して行き、万止むを得ざる場合に限つて、極めて稀に神示を仰ぐが、畏らく神懸りの術にかけては、自分のやうな下拙なものはあるまいと思ふ位、そのかはり滅多にやらないから、失敗も尠いのは儲けものかも知れない。
御神前で、自分はものの十分間も、鎮魂の姿勢で伺つた所が、漸く谷本さんの中耳炎が二十八日間で全治するとの神示に接することが出来た。散々神さんに念を押て見たが間違ひはないらしい。思ひ切つて谷本さんに其旨を明言した。
『二十八日かかるさうです。恐らく、耳と同時に鼻も眼も癒して戴けるだらうと思ひます。鎮魂は十一二回やらなければなりますまい』