霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(十九)

インフォメーション
題名:(十九) 著者:浅野和三郎
ページ:80
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142500c21
 源次郎の死の前後から、村長(むらをさ)身体(からだ)に異状を呈して来た。最初は何処(どこ)が悪いといふ事もない、フラフラ(やまひ)であつたが、それが漸々(だんだん)高じて来て、衰弱の度が加はり、(とこ)(したし)むやうになつた。村の医者にはその病名が判らないので、はるばる東京へ出て、治療に手を尽したが、その甲斐なく、たうとう東京で客死(かくし)して了つた。(つま)り四十年後の大正五年に(おい)て、その孫がやつたと全然同様の事を明治の初年に於てやつたのであつた。
 村長(むらをさ)は後に一人の女児を残した。それが即ち現在の奥山表松(へうまつ)氏夫人であるのだ。父の歿後(ぼつご)何事もなく生長し、妙齢に達した時に表松(へうまつ)氏を婿養子として迎へ、(ここ)に円満な家庭を築いた。父の時に(ほとん)ど絶えなんとした奥山家は、一粒の娘の種子(たね)から(にぎや)かな家庭の芽が生えた。このままで行けば何等(なんら)の話もなく、従つて大本との交渉も(おこ)らずに済んだであらうが、それが()つて湧いたる如き昨年来の子供の病気となつた。
 死霊(しりやう)怨霊(をんりやう)生霊(いきりやう)などといふと、物質化した現代人士は、何等の根柢(こんてい)なき迷信として、一笑に付するを常とする。自分も数年(ぜん)まではその部類の一人であつた。所が大本の修行に()り、鎮魂帰神の神法を以て、其憑依物を発動せしめて見ると驚くべし、古来本邦で唱へられて居た所は、大部分事実であることを発見した。旧説だからとて真理は矢張り真理、新説だからとて虚偽は矢張り虚偽である。時代送れの(かび)の生えた迷信などと(ののし)る人の方が、仔細に(しら)べて見ると(かへつ)て時代遅れであり、(かび)の生えて居る場合が(すくな)くない。
 烱眼(けいがん)の読者の(うち)には、以上書いた所丈けで、既に奥山一家にかかる、魔の(のろひ)の何であるかを、大概察知し得たことと信ずる。先代の奥山の主人に憑依して名の知れぬ病気を(おこ)さしめ、東京で客死(かくし)せしめたのは、言ふ迄もなく源次郎の怨霊であつた。
 この怨霊が引続(ひきつづ)いて、その一粒の女児を殺すのは、(あめ)をねぶるよりも容易であつたに相違ない。しかし彼は故意(わざ)と其()の手を控へて時節を待つた。一人しかない女児を殺して了へば、(それ)で奥山家は全滅である。それでは怨みを()らすには余りに呆気(あつけ)なさ過ぎる。彼は隠忍して女児の生長を待ち、結婚を待ち、家族の繁殖を待つた。待ちに待つこと四十年、奥山家は衆人(しうじん)羨望(せんばう)の円満幸福なる家族となつた。
『いよいよ時節到来だ。そろそろ仕事を始めよう』
 これが源次郎の亡霊の計画であつた。そして大正五年の春からいよいよ仕事に着手した。第三子が先づ其犠牲となり、それが済むと今度は第二子に(かか)つた。其目的の(まさ)に成らんとして居る間際に源次郎から言へば、生憎な事には、皇道大本に()つかつた。医者や坊主には看破し得ぬが、鎮魂帰神の照魔鏡(せうまきやう)にかけられては、いかかる天魔もその正体をくらますによしなく、奥山家の永久の(のろひ)の種は、(もろ)くも自分の為めに看破され、たうとう包みきれず一切を自白して了つた。
 このままにして置けば、源次郎は次第々々にその魔の手を延ばして、家族の他の者に及び、百年二百年の(のち)までも、その怨みの解ける迄、奥山一家の上に呪咀(じゆそ)を続けたであらう。この呪咀を解くの唯一の(みち)は、神の御加護によりて、源次郎の悪霊を処置するより(ほか)にない。詳しく言へば、息子の肉体から其悪霊を切り離して、封じ(こめ)ることである。
 困つたことには、悪霊は(すで)に深く息子の肉体に()()つて居た。無理に之を引離(ひきはな)すのは何でもないが、同時に肉体も保たない。現在息子の肉体は(ほとん)ど悪霊の力で生きて居たやうなもので、切つても切れぬ腐れ縁をなして居る。例へば植物の根が、地面(ぢべた)に食ひ入つて居るやうな塩梅である。無理に引抜けば、根も(いた)み、土も崩れる。
 (いづ)れにしても、息子の肉体は既に弱り過ぎ、到底いかなる力でも之を回復させる望みは絶無であつた。什麼(どう)しても息子の死は(まぬが)れない。問題は源次郎の悪霊と奥山一家との悪因縁を切り離して、今後の災厄を防止するにあつた。自分はその機会を待つて居たが、やがて一月(ひとつき)ならずしてそれが来た。息子の生命(いのち)はモウ旦夕(たんせき)に迫り、()の医師も皆(さじ)を投げた。
 ある()祖霊社の役員が来て奥山家の霊魂祭(みたままつり)()つた。そして之と同時に、此四十年(らい)一家に(たた)つた。源次郎の悪霊を封じ籠めて了つた。其時を境界として、息子は再び(もと)の温良なる、可愛らしい息子となつた。父母に対する言語動作は勿論のこと、その容貌まで一変して了つた。しかしながら、悪霊で生きて居た肉体は、それと離るるに(およん)で一層衰弱の度を加へ、数日の(のち)、たうとう幽界の人となつて了つた。
 死には死んだが、其臨終はいかにも平静な、眠るが如き臨終であつた。死には死んだが、この一事(いちじ)を以て一家の災厄は絶滅して、悲しい事は悲しい出来事であつたと同時に、未来永劫の一家の平安を思へば、衷心(ちうしん)から御神恩の洪大無辺なるを感謝すべき出来事であつた。
 去年(きよねん)親子四人づれで来た奥山夫妻は、今年は二人になつて八丈島へ帰つて行つた。風のたよりにきけば、その()は又(もと)(おだや)かなる、島の生活を続けて居るさうだ。
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