源次郎の死の前後から、村長の身体に異状を呈して来た。最初は何処が悪いといふ事もない、フラフラ病であつたが、それが漸々高じて来て、衰弱の度が加はり、床に親むやうになつた。村の医者にはその病名が判らないので、はるばる東京へ出て、治療に手を尽したが、その甲斐なく、たうとう東京で客死して了つた。詰り四十年後の大正五年に於て、その孫がやつたと全然同様の事を明治の初年に於てやつたのであつた。
村長は後に一人の女児を残した。それが即ち現在の奥山表松氏夫人であるのだ。父の歿後何事もなく生長し、妙齢に達した時に表松氏を婿養子として迎へ、爰に円満な家庭を築いた。父の時に殆ど絶えなんとした奥山家は、一粒の娘の種子から賑かな家庭の芽が生えた。このままで行けば何等の話もなく、従つて大本との交渉も起らずに済んだであらうが、それが降つて湧いたる如き昨年来の子供の病気となつた。
死霊、怨霊、生霊などといふと、物質化した現代人士は、何等の根柢なき迷信として、一笑に付するを常とする。自分も数年前まではその部類の一人であつた。所が大本の修行に入り、鎮魂帰神の神法を以て、其憑依物を発動せしめて見ると驚くべし、古来本邦で唱へられて居た所は、大部分事実であることを発見した。旧説だからとて真理は矢張り真理、新説だからとて虚偽は矢張り虚偽である。時代送れの黴の生えた迷信などと罵る人の方が、仔細に査べて見ると却て時代遅れであり、徽の生えて居る場合が少くない。
烱眼の読者の中には、以上書いた所丈けで、既に奥山一家にかかる、魔の呪の何であるかを、大概察知し得たことと信ずる。先代の奥山の主人に憑依して名の知れぬ病気を起さしめ、東京で客死せしめたのは、言ふ迄もなく源次郎の怨霊であつた。
この怨霊が引続いて、その一粒の女児を殺すのは、飴をねぶるよりも容易であつたに相違ない。しかし彼は故意と其魔の手を控へて時節を待つた。一人しかない女児を殺して了へば、夫で奥山家は全滅である。それでは怨みを漏らすには余りに呆気なさ過ぎる。彼は隠忍して女児の生長を待ち、結婚を待ち、家族の繁殖を待つた。待ちに待つこと四十年、奥山家は衆人羨望の円満幸福なる家族となつた。
『いよいよ時節到来だ。そろそろ仕事を始めよう』
これが源次郎の亡霊の計画であつた。そして大正五年の春からいよいよ仕事に着手した。第三子が先づ其犠牲となり、それが済むと今度は第二子に憑つた。其目的の将に成らんとして居る間際に源次郎から言へば、生憎な事には、皇道大本に打つかつた。医者や坊主には看破し得ぬが、鎮魂帰神の照魔鏡にかけられては、いかかる天魔もその正体をくらますによしなく、奥山家の永久の呪の種は、脆くも自分の為めに看破され、たうとう包みきれず一切を自白して了つた。
このままにして置けば、源次郎は次第々々にその魔の手を延ばして、家族の他の者に及び、百年二百年の後までも、その怨みの解ける迄、奥山一家の上に呪咀を続けたであらう。この呪咀を解くの唯一の途は、神の御加護によりて、源次郎の悪霊を処置するより外にない。詳しく言へば、息子の肉体から其悪霊を切り離して、封じ籠ることである。
困つたことには、悪霊は已に深く息子の肉体に食ひ入つて居た。無理に之を引離すのは何でもないが、同時に肉体も保たない。現在息子の肉体は殆ど悪霊の力で生きて居たやうなもので、切つても切れぬ腐れ縁をなして居る。例へば植物の根が、地面に食ひ入つて居るやうな塩梅である。無理に引抜けば、根も傷み、土も崩れる。
何れにしても、息子の肉体は既に弱り過ぎ、到底いかなる力でも之を回復させる望みは絶無であつた。什麼しても息子の死は免れない。問題は源次郎の悪霊と奥山一家との悪因縁を切り離して、今後の災厄を防止するにあつた。自分はその機会を待つて居たが、やがて一月ならずしてそれが来た。息子の生命はモウ旦夕に迫り、何の医師も皆匙を投げた。
ある夜祖霊社の役員が来て奥山家の霊魂祭を行つた。そして之と同時に、此四十年来一家に祟つた。源次郎の悪霊を封じ籠めて了つた。其時を境界として、息子は再び旧の温良なる、可愛らしい息子となつた。父母に対する言語動作は勿論のこと、その容貌まで一変して了つた。しかしながら、悪霊で生きて居た肉体は、それと離るるに及で一層衰弱の度を加へ、数日の後、たうとう幽界の人となつて了つた。
死には死んだが、其臨終はいかにも平静な、眠るが如き臨終であつた。死には死んだが、この一事を以て一家の災厄は絶滅して、悲しい事は悲しい出来事であつたと同時に、未来永劫の一家の平安を思へば、衷心から御神恩の洪大無辺なるを感謝すべき出来事であつた。
去年親子四人づれで来た奥山夫妻は、今年は二人になつて八丈島へ帰つて行つた。風のたよりにきけば、その後は又元の穏かなる、島の生活を続けて居るさうだ。