霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(十一)

インフォメーション
題名:(十一) 著者:浅野和三郎
ページ:46
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142500c13
 自分の綾部の感想は、ただ忙殺の一語に尽きて了つて居る。今日(こんにち)から当時を回想して見て、その(ほか)には別に何物も残つて居ない。道草を食ひ()いが、鞭で追ひ立てられるので、テクテク駆けり行く牛や馬の態度そのまま、自分は(あと)から(あと)から、矢継早(やつぎばや)に迫りくる仕事に追ひかけられて、何も彼も大概忘れて走つて行つたに過ぎぬ。
 が、忙殺は自分だけかといふに、決してさうではない。程度は違ひ(おもむき)は違ふが、大本の内部の人は、大抵(みな)神さんからこの手で使はれて居るのだ。何とはなしに気が()いてならぬ。ただぢつとはして居られないといふのが、(すべ)ての人の共通の気分であるやうだ。自分などは(わづ)かに数年来のことだが、十年も二十年も以前から(ここ)に居る人も、最初からさう感じて居たらしい。神さんの人間使用法も(また)(たく)みなりと()ふべしだ。
『時節がだんだん迫つて来ますでな』
 斯麼(こんな)事を言はれ乍ら、教祖さんは八十の老躯(らうく)(ひつさ)げられて、積雪三尺の丹波の冬を事ともせす、神命一下(いつか)すれば、例の御神前の小机に向つて、(しきり)に筆を運ばれた。自分も、ちよいちよいそのお(へや)出入(しゆつにふ)したが、何がさて寒気(かんき)には驚いた。さなきだに身体(からだ)の引締まるやうな神様の御前(ごぜん)である上に。座右(ざいう)には火の気一つだにない。ものの十分間も(すわ)つて居る(うち)には、総身底冷(そこび)えがして来る。(しか)るに教祖さんは、五時間も()ツ通しに仕事を続けられる。御神徳は容易に判らぬ自分達にも、この寒さだけはよく判つた。
『矢張り教祖さんには(かな)はない』
 と衷心(ちうしん)から(おそ)()らざるを得なかつた。
 出口先生は出口先生で、その神変不可思議、縦横無尽の活動をされて居た。熟睡されて居るのかと思ふと、何時(いつ)の間にやら神歌の百首(ぐらゐ)を、寝床の中で作られて居る。誰かをつかまへて、例の古事記の講釈などをされて居たかと思つて居ると、(とう)のむかしにお池へ行つて、少年隊の子供を相手に、キヤツキヤツ言つて、二三寸もある厚氷(あつごほり)鉄槌(てつつひ)で砕いて居られる。イヤ大正六年の二月頃のお池の厚氷(あつごほり)と言つたら前後に例が無かつた。ズンズン其上を塊いてもミシリともせぬ。今日(けふ)砕いて置いても、其翌朝は又張りつめて居る。二箇月に亘りて、船などは全然使用し得なかつた。
 その時分、冬になると大本の役員の数がずつと減るのを常とした。これは土工(どこう)も出来ず、また(はた)仕事も駄目といふ厳冬の季節を利用して、それぞれ布教に出懸けるからであつた。大正七年からは本部の修行者の数が激増し、これに準じて()の仕事も殖えたので、冬だからとて、役員が布教に出るといふことも出来ない事になつたが、大正六年までは、冬季布教は(ひとつ)の年中行事のやうなものであつた。無論当時の布教は、蓑笠(みのかさ)草鞋(わらじ)で一文無しで出懸(でか)けるのであるから、その区域は主に丹波、丹後、但馬等の近国(きんごく)に限られ、最近の布教宣伝のやうに、日本全土に(またが)るといふ訳には行かなかつたが、元のヂミな布教に、(かへ)つて一種いふべからざる妙味(めうみ)がめつた。出口先生でも、永い間その苦労を散々()められて来たので、自分などは(わづ)かに、前期と後期との境ひ目の実状を一瞥し得たに過ぎぬ。昔の役員は、徒歩で京都まで出掛けるといふ場合に、教祖さんから五銭の小遣(こづかひ)を戴いたものださうな。この一事(いちじ)で大概その頃の布教の苦労が察せられると思ふ。
 ()んな風で、大本の人は一人として忙殺されて居らぬはなかつたが、自分として特に心に銘記して居るのは、当時の印刷部の忙しさであつた。活字も不完全、機械も粗末、場所は薄暗い屋根裏の一室、そしてたツた三人ばかりの素人少年の手で、兎も角も、月刊雑誌を印刷しようといふのだから、其苦労は(はた)で見るのも涙の(たね)であつた。四方(しかた)平蔵(へいざう)さんの総領の熊さんが、その頃十七八で、工場長といふ格、(ほたる)のやうな炭火で手を温めながら、(ふる)毛布などを腰に巻きつけて、屢次(しばしば)夜半(よなか)まで夜業(やげふ)をつづける。之を助けるのが湯浅、秋岡両役員の子供さんで、共に十五六にしかなつて居ぬ。活字を拾ふ、組む、刷る、返す。それが済むと製本までもその手でやる。大正六年頃の「神霊界」は、実にかかる少年の献身的苦労で出来あがつたのだ。事情を知れば、印刷が(まづ)いの、体裁が()うのと言はれた義理ではない。実に骨を削り、血を()らしての尊い仕事であつたのだ。
『善の道の(ひら)けるのは苦労が永いぞよ』
と御神諭にお示しになつてあるが、大本神諭の天下に拡められた裏面には、()うした永い永い苦労が伴うて居るのだつた。
 現在大本の印刷部は、その頃に比ぶれば全然面目(めんもく)を一新するところまで進んだが、ただ残念な事には、印刷部の創立時代の模範少年たる熊さんは、今年の初夏に国替へして了つた。これにつき(まと)へる身魂の因縁があるらしいが、自分達にしても、熊さんを(わづら)はしたことが多い丈それ丈痛惜(つうせき)に堪へられない。何にしても、大本は苦労の(かたま)りで、(から)うじて吹き出る梅の花の仕組(しぐみ)であるらしい。八時間労働だの、賃金増額だの、怠業だの、罷業だのと騒いで居る現代に、全然その反対に出る大本の遣口(やりくち)に対しては、世間の人もそろそろ眼を(さま)してよかりさうだ。
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