霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(十)

インフォメーション
題名:(十) 著者:浅野和三郎
ページ:42
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2025-01-24 22:22:00 OBC :B142500c12
 入れかはり立ちかはり、綾部には、一日として新規な人の来訪なしに、(くる)ることがなかつたが、その応接係、説明役は自然の成行(なりゆ)きで、八九分通り自分が受持つことになつて了つた。鎮魂に至りては、全部自分が引受けた。少々()り過ぎるかと思はるる位やつたものだ。大本内部でも之については多少懸念する者がないではなかつた。
 自分とて別に鎮魂が道楽といふのではない。実をいふと自分もやり出す迄は億劫(おつくう)に感ずる。やらずに済むとなら無論()りはせぬ。何しろ憑依霊を発動せしめて、一騎打(いつきうち)の勝負を行ふのであるから、恁麼(こんな)気骨(きぼね)の折れる、真剣な仕事ツたらあわはせぬ。先方(むこふ)(さいはひ)に隠健な、道理の判つた守護神であつて呉れれば世話はない。が、中々(あつら)へ向きの守護神ばかりありはせぬ。甘言令色を以て審神者(さには)(たら)しにかかるのもあれば、勝手放題な誤託を並べて審神者(さには)を困らすのもある。又乱暴な奴になると()ちかかつて来たり、跳びついて来たり、少しでも油断があらうものなら、()ぐられる位ならまだ()い、ともすれば自分の肉体を占領されるといふ(おそれ)さへある。(ひと)を鎮魂する気分は、先づ白刃(はくじん)を以て渡り合ふのと少しも差別がない。()んな厄介な仕事を誰が好んでやるものがあるものでない。
 いかにせん、吾々現代人士は、この二千年来段々(だんだん)幽界と絶縁状態になり、(こと)に最近五十年間の物質感染は極端に達して居る。ツイこの数年来、欧米の学界では次第に霊界の存在に眼覚めかけて来たが、日本の学界では、之に関して()ほ研究の門戸を開かうとせす、個性を帯びたる霊魂の実在を説くものがあれば、頭から之を冷笑してかかる、所謂(いはゆる)知識階級がさうであるから、之に指導せらるる国民の態度は知るべきのみで、神諭を見せ、奇蹟を説いて聞かせた位で、(おとな)しく承認する身魂は千人に一人も(むつ)()い。(そこ)(ばん)()むを得ず鎮魂の実施となつた次第である。
 鎮魂の主要目的は、無論霊魂の存在を証明するなどといふ、安ツぽいもりではない。遊離(いうり)放散(はうさん)し易い霊魂を身体(しんたい)中府(ちうふ)に招集統一して、顕幽一如、神人合一の妙境に到達せしめ、宇宙の秘奥を探り、天道(てんだう)大道(だいだう)(あきら)かにするのにあるのだが、この修行の第一歩に於て、副産物的に霊魂の存在位は判つて了ふ。理窟で十年かかつても判らぬことが、僅々(きんきん)一日か二日の実験で体得せしめ得る。一時も早く判らせようといふ誠意が当方(こちら)にあれば、ツイ億劫(おつくう)でも鎮魂といふことになる。
 よくよく(はや)いのになると、一遍で憑依霊が発動する。当人の意識は全然明瞭で、全然覚醒状態に()る事だから文句はない。審神者の方で説明する迄もなく、(たちま)ちに守護神説を承認する。理性が発達し、学識があればある程、悟ることも(はや)い。什麼(どう)しても神霊問題の研究は其所(そこ)から出発せねばならぬ。通例その瞬間に、其人はガラリ態度が一変して、(うま)れかはつたやうになる。その真味(しんみ)に触れぬ人間の、貧弱な(せう)主観から出る小理窟ほど、莫迦げたものはない。
 何故(なにゆゑ)大本の鎮魂がそれ程辛烈(しんれつ)なる威力を発揮するか、といふ疑問が読者の胸に湧いて来るだらうと思ふ。古来坐禅でも、催眠術でも、その他の霊的修行でも、吹聴ほどに効果は挙がらない。殊に近来の所謂(いはゆる)霊的に至りては言語道断で、多くは高い伝授料を()きあげられるに過ぎない。其際(そのさい)(もん)に走つたもので、十人の(うち)九人までは失望する。ところが大本の鎮魂に至りては、やつたものが十人の(うち)九人までは満足する。最近五年間の(くわつ)事実が之を実証して居るのだから仕方がない。世界中何所(どこ)を捜したとて、神と共に住み、神の(めい)によりて動き、神の(ちから)(もた)れ、安身立命して、断々乎として、目の前に世の大立替の切迫せるを呼号し、事実の上に天下人心を動かして居る所はありはせぬ。風声(ふうせい)鶴唳(くわくれい)にも腰を抜かし、物価の騰落(とうらく)、感冒の襲来(ぐらゐ)で一喜一憂し、悲鳴を揚げつつある世の中に、(やせ)ても枯れても大本の信仰に入つた者()けは動かない。悪声(あくせい)漫罵(まんば)(うち)に、毅然として着々その仕事を押し進めつつある。(いやし)くも耳あるもの、眼あるものは、()つとは考へて見てもよかりさうなものだ。しかし大本の鎮魂の偉力は、単に人間の智能で考へるだけでは判らない。人智の産物ならば人智で測定もされやうが、こればかりはさうは行かぬ。不可抗の時節の到来と、偉大なる神力の加護──この二つが大本の鎮魂の不可思議を説明する。()には絶対に説明の方法がない。天運循環して神人合一、祭政一致の(しゆ)が到来したから、必要に応じて各自の守護神が表面的活動を(おこ)()ほ必要に応じては、天地の大神達をはじめ、八百万の天津神国津神の御援助があり出した。在来の世の中にない現象だから、信じられぬなどといふのは、時勢の変遷を察せざる迂愚者(うぐしゃ)(りう)囈語(たはごと)である。人間の歴史始まつて以来、類例なき大動乱の世界の現状が、之を説明して余りあるではないか。この破天荒の事実が破天荒の奇蹟なしに終結して(たま)るものでない。
 兎に角鎮魂やら、大本の説明やら、又雑誌の執筆編纂やらで、丹波の零下何度かの冬籠(ふゆごも)りも、引越し挙句の不便なる田舎生活も格別()にもならず、無我夢中で過ごし行つた。吾々のやうな凡人にはドウも忙しいのが一番(くすり)であるやうだ。忙しくさへあれば間違ひが余り(おこ)らずに済む。忙殺は(つま)り神様の恩寵だ。
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