大正八年七月二十六日
幹部の役員の行動について、種々の悪言を吐く会員が、地方には少しばかりあるそうであるが、今後はいざ知らず、今日までの我々の見るところでは、少しも非難すべき点を認めませぬ。勿論意見の相違した点は間々ありましょうが、各自の器相応にしか、神界の事柄はわからぬものであるから、教理について多少解釈の相違する点はあっても、これは各自、時の力でなければ一致することは出来ませんが、大局にあきらかにさえあれば、末梢部のこと位は次に廻して置いても、自然に判る時が来るものです。
中には幹部の役員に対し我の意見が容れられないのを憤慨して、故意に中傷したり、或いは道聴塗説を妄信して、幹部攻撃をやる人もありますから、大本の会員諸氏は各自に注意して貰わぬと、ウカツに誤聞を信じてはなりません。安心して幹部の役員を信任されんことを望みます。
人は各自に我身の上のことは気のつかぬものである。これに反して、他人のことは塵のような小さいことでも、その失が見えるものである。鎮魂帰神の修業が少し進んだかと思うと、すぐに野天狗になってしまい、会長の説がどうの、会監の話がどうのと、わかりもせぬくせに判ったつもりで、自由行動や反対行動を取って、ついには大本へも寄りつかぬ人が出来て来る。大本の役員さんが不行届なのか、その人が慢神して居るのか、とも角も傍から見て居てもめんどいことである。神様は結構だが教主は信じない、教主は信ずるが、ウソだとか、誤解だとか、種々の批評が出るそうであるが、今日天下の形勢に注目したら、ソンナ気楽なくだらぬことをいうて居る場合ではあるまい。さ細な小言は中止して、国家のために一大団結力を養わねばなるまいと思う。