昭和三年四月二十六日
筆先に就きましても、なかなか本当に解釈は出来ないが、これは永遠の謎だと思います。我々が口で説くことは出来ませんが、この筆先は一生懸命に念じて研究されたならば、ただの一頁でも、一行でも解って来るのであります。未だみな誰もこれがなかなか解って居りませぬ。これも充分注意してよく考えて貰わねばならぬ。今の人は文字に拘泥したり、非常に言葉に拘泥して仕方がないが、実際お筆先のすべての言葉の中には密意が含まれて居るのであります。現代の人にこの神様のことを充分解るようにしようと思えば、太平洋、大西洋、南極洋、北極洋、印度洋、世界中の水をすっかりインキにして皆空になるところ迄書いたところが未だ書けぬ位のものであります。天国の天人ならば僅か二口か三口でわかることが、現界の人はそれ位、智慧証覚が衰え、霊魂が曇って居るのであります。そんなことをしなくてもわかる唯一の方法はただ信仰であります。信仰の念を起して筆先をそういう考えをもって、書外の書、言外の言をよく考えることと、そうして世界中のことと筆先とを考えて見たならば大ていの見当がつくのであります。九分九厘まで見当がつけば、一厘のところはつかなくてもそれは神様にまかして置けばよいのであります。