昭和五年四月四日
宣伝使の一言一行は燎原の火の如きものである。一本のマッチをもって千里の原野を焼く如くに、宣伝使一人が言葉をあやまったならば、どれだけ悪い影響を及ぼすかわからぬ。又宣伝使の言葉が良かったならば、その言葉によってどれほどよい効果をもたらすかわからないのであります。その通り、言葉のみならず、行いも同じ事であります。
あの回教の教祖マホメットがメッカ市で四十になる迄駱駝を曳いて、今で言えば馬方のようなことをやって居た。それがメッカ市に於て始終基督の話を聞いて居ったが、霊感をうけて自分は救世主であるという事を知り、すぐに郷里へ帰って駱駝売りをやめてしまって、自分は本当に救世主であるということを名乗った時に、その村中の人は或は親族、知己、朋友までが馬鹿にして、誰も相手にならぬ。マホメットは気違いになったと云って非常に攻撃をしたのであります。その時第一マホメットの困ったのは自分の妻であります。妻君がどうしてもこうしても、信じない。一番に夫の美点を知っているのも妻君であり、弱点を知っているのも妻君であります。それでこの妻君が、こんな人になに神様が憑るものかといって非常に攻撃した。その時にマホメットは、これは肝腎の家内が自分を神様の如く手を合す様にならなければ、天下に主張しても駄目だと思った。それでマホメットは、妻君の前に行く時にはまるで帝王の前に行く様に、或は本当の生きた神様に仕える如くに仕えてみよう、そうすれば浄玻璃の鏡の如く自分の言心行はこの家内にもうつり、家内にうつる如く天下にうつるに違いないから、どうしても家内が自分を本当の神様だというところまで気ばらねばならぬと悟った。ところがいよいよ十年目に妻君が、自分の主人は本当に神様じゃ神様じゃ、と言ってふれて歩くようになった。それからマホメットが今日の大宗教を開いたということであります。
それで女の宣伝使は夫が感心するように、男の宣伝使はその妻君が感心するように、神様のように思うところまで言行心一致の行動をとらねば、いつまでかかっても、本当の道は、開けないと思います。