昭和七年十一月二日
昭和坤生と云う意味は、艮の金神の手足となって働く団体であるということをよく考えて貰わねばなりません。
既成宗教の信者になると、その管長はじめ本山が居眠って居りますから、信者も楽なものであります。なかには「自分は何教、何宗だったかいなア」というような、爺さん婆さんだけは知って居っても、息子は知らずにいる位の程度のものがありますが、大本は生きた神様が直接に世界を立替え立直しをなさるのであって、神様は寸暇もないほどお忙しい、またそれにつれて大本信者も忙しいのであります。それから金もなかなか沢山にいる。「神の国」も読まねばならん、「人類愛善新聞」の拡張にも行かねばならん、「真如の光」も読まねばならん、また年に四回の大祭があって遠い所からでもはるばるやって来ねばならん、時間と費用とを使って参拝する。──けれどもそれだけ忙しいのは、大本信者は神業にたずさわって居るからであって、神様はまだそれ以上にお忙しいのであります。そして外の宗教の信者が十年も二十年もかかって尽すだけのことを、一カ年たらずにやって居るのであるから、なみ大抵ではないということは、私はよく知って居るのであります。これは口では云わんけれども非常に感謝して居ります。