大正十五年六月十五日
古えは地方によって、その家の主婦でなければ食物を授受するの権利を有しなかった。それゆえ御飯の時の碗に盛る飯なども、必ずその家の主婦がこれを盛るという風習になって居たものである。古えの民謡にも
添うて八年子のある仲だ 嫁に杓子を渡さんせ
年がよりても耄碌しても 嫁に杓子は渡されぬ
などとあるのを見ても、一家経済上の権利授受の代表たるべきものは、杓子であったことが分明である。右の二首の民謡の一は、嫁と姑との中に這入った婿の歎息で、一はあくまでも主婦の権利を持続しようとする姑の主張を謡ったものである。しかし嫁を貰うとすぐに杓子の権利を嫁に譲る姑も少くはなかったのである。
この権利を嫁に譲ること、すなわち姑が嫁に世帯をまかせるを杓子を渡すと云い、それから以後は、飯を嫁に盛らせるのである。右のごとく昔は杓子は生命の源泉たる食物を盛るため、一種の主婦権として貴重視されて居たのである。
大本において大正十二年以来、御手代として杓子を信仰堅実なる信者に渡すことに神定されたのも未申の金神瑞の大神が、恰度姑が嫁に権利を譲渡すると同様に、治病一切の神権を譲って下さるという御経綸であって、杓子の拝戴者は実に神の殊恩に浴したる人というべきものである。御手代の神力無限なる理由は、実にこの意義から特別の御神護あるものと察することが出来るのである。
また盃や茶碗、拇印なども御手代の一つであって、杓子と同様の御神護あるべきものである。このことは大本信徒はすでにすでに実験されて居るはずである。