霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一章 武志(たけし)の宮(みや)〔六六三〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第20巻 如意宝珠 未の巻 篇:第1篇 宇都山郷 よみ(新仮名遣い):うづやまごう
章:第1章 武志の宮 よみ(新仮名遣い):たけしのみや 通し章番号:663
口述日:1922(大正11)年05月12日(旧04月16日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1923(大正12)年3月15日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
言依別命は、神素盞嗚大神の命を奉じて、照山と桶伏山の間に貴の御舎を仕え祀って国治立大神、豊国姫大神の霊を鎮祭した。
これを錦の宮という。玉照彦、玉照姫は幼時より神人に秀で、神格勝れ、救世主として尊敬を集めた。
言依別命は錦の宮を根拠として自転倒島の総統権を握った。コーカス山、斎苑の館と相俟って、天下修斎の神業を世界に拡げることになった。
高姫、黒姫、松姫も身命を三五教に奉じて、世界を渡り歩き、神徳を拡充することになった。
元照彦の御魂の再来である天の真浦は、錦の宮のことを聞くと、きこりをやめて聖地に訪ねて来て、言依別命より宣伝使に任命された。
真浦は神徳宣布の旅に出て、人の尾峠の西麓に着いた。真浦は雪に悩まされながら、熊のつけた獣道をたどっていくと、道の傍らに一軒のあばら家に灯りがともっているのが見えた。
真浦が外で屋内の様子をうらやんでいると、あばら家から真浦を中に招き入れる声がする。厚意に甘えて中に入ると、あばら家に居た二人は、真浦の身ぐるみを剥ごうとしていた。二人はバラモン教徒だと名乗った。
しかし真浦は、二人が三五教の駒彦、秋彦に似ていることに気付く。二人はバラモン教徒の振りをして、真浦を試したのだということがわかった。
真浦は駒彦、秋彦とともに武志の宮を祀っている浮木の里に着いた。三人は社務所で休んでいると、この宮に仕える松鷹彦と出合った。三人は、バラモン教を言向け和すために、バラモン教の司・友彦の館に案内するように松鷹彦に頼み込んだ。
道中、駒彦と秋彦は、突然真浦を抱えると崖の下に投げ落とした。松鷹彦は驚くが、駒彦と秋彦はこれも宣伝使の試練だと言う。松鷹彦は驚いて逃げてしまった。
駒彦と秋彦は、真浦が平気な様子でいるのを確認すると、試験に合格したと祝福して、またどこかへ行ってしまった。
真浦は一人雪を踏みしめて河原の茅屋にたどり着いた。そこは松鷹彦の家であった。松鷹彦は真浦の身を心配するが、真浦は逆に、駒彦、秋彦のお陰で腹に宝をいただいた、と述べた。
松鷹彦は翻然として悟り笑うと、三五教に興味を抱いた。真浦と松鷹彦は信仰についての問答で互いに親交を深めた。真浦は四五日逗留して、法話を聞かせた。
ある日、松鷹彦は漁をして真浦に魚を捕ろうと川(宇都山川)に入った。しかし松鷹彦は川に落ちてしまった。真浦は婆に諭されて不言実行の教えに思い出し、松鷹彦を助け出した。
松鷹彦夫婦は、実地をもって不言実行の教えを真浦に教え、真浦は自ら裏の川で禊をなすと、松鷹彦の足の痛みを祈願によって治した。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2021-04-18 03:27:47 文字数:11298 OBC :rm2001
愛善世界社版:7頁 八幡書店版:第4輯 151頁 修補版: 校定版:7頁 普及版:2頁 初版: ページ備考:
001常世(とこよ)の暗(やみ)を晴(は)らさむと
002神(かみ)の御稜威(みいづ)も高熊(たかくま)の
003静(しづ)の岩窟(いはや)の奥深(おくふか)き
004恵(めぐみ)の露(つゆ)の雨(あめ)となり
005雪(ゆき)ともなりて空蝉(うつせみ)の
006醜世(しこよ)を洗(あら)ひ照(てら)さむと
007空(そら)に輝(かがや)く旭子(あさひこ)の
008光(ひかり)も強(つよ)き玉照彦(たまてるひこ)の
009伊豆(いづ)の命(みこと)を奉按(ほうあん)し
010言照姫(ことてるひめ)の神霊(しんれい)や
011数多(あまた)の神(かみ)に送(おく)られて
012五六七(みろく)の神代(みよ)を松姫(まつひめ)が
013心(こころ)イソイソ山坂(やまさか)を
014渉(わた)りて来(きた)る玉鉾(たまぼこ)の
015道(みち)も広(ひろ)らに世継王(よつわう)山(ざん)
016東表面(ひがしおもて)の峰(みね)続(つづ)き
017紅葉(もみぢ)の色(いろ)も照山(てらやま)の
018麓(ふもと)に立(た)てる仮(かり)の殿(との)
019神(かみ)の御言(みこと)を畏(かしこ)みて
020悦子(よしこ)の姫(ひめ)が守(まも)りたる
021珍(うづ)の宮居(みやゐ)に木(こ)の花(はな)の
022姫(ひめ)の命(みこと)の御水火(みいき)より
023出(い)でし玉照彦(たまてるひこ)の神(かみ)
024勇(いさ)み進(すす)んで送(おく)り来(く)る
025天(てん)火(くわ)水(すゐ)地(ち)と結(むす)びたる
026紫姫(むらさきひめ)や若彦(わかひこ)は
027喜(よろこ)び勇(いさ)み彦神(ひこがみ)を
028迎(むか)へ奉(まつ)りて玉照(たまてる)の
029姫(ひめ)の命(みこと)の夫神(つまがみ)と
030称(たた)へまつらむ真心(まごころ)の
031限(かぎ)りを尽(つく)し仕(つか)へ居(を)る
032神(かむ)素盞嗚(すさのを)の大神(おほかみ)は
033英子(ひでこ)の姫(ひめ)を遣(つか)はして
034五六七(みろく)の神代(みよ)の礎(いしずゑ)の
035百(もも)の仕組(しぐみ)に仕(つか)へしめ
036国治立(くにはるたち)の大神(おほかみ)が
037国武彦(くにたけひこ)と現(あら)はれて
038曇(くも)り果(は)てたる末(すゑ)の世(よ)を
039照(てら)し清(きよ)むる先駆(さきがけ)と
040姿(すがた)隠(かく)して桶伏山(をけふせやま)
041黄金(こがね)の玉(たま)と諸共(もろとも)に
042御稜威(みいづ)は四方(よも)に輝(かがや)きぬ
043言依別(ことよりわけ)の宣伝使(せんでんし)
044斎苑(いそ)の館(やかた)を立出(たちい)でて
045雲路(くもぢ)押分(おしわ)け遥々(はるばる)と
046綾(あや)の聖地(せいち)に着(つ)き玉(たま)ひ
047心(こころ)の空(そら)に玉照彦(たまてるひこ)の
048神(かみ)の命(みこと)や姫(ひめ)命(みこと)
049経(たて)と緯(よこ)との皇神(すめかみ)の
050分(わけ)の御霊(みたま)と嬉(うれ)しみて
051三五教(あななひけう)を弥(いや)固(かた)に
052いや遠永(とほなが)に宣(の)り伝(つた)ふ。
053 言依別(ことよりわけの)命(みこと)は、054神(かむ)素盞嗚(すさのをの)大神(おほかみ)の命(めい)を奉(ほう)じ、055照山(てらやま)と桶伏山(をけふせやま)の山間(やまあひ)に、056国治立(くにはるたち)の大神(おほかみ)、057豊国姫(とよくにひめ)の大神(おほかみ)の、058貴(うづ)の御舎(みあらか)を仕(つか)へまつりて、059其(その)威霊(ゐれい)を鎮祭(ちんさい)し、060玉照彦(たまてるひこ)、061玉照姫(たまてるひめ)をして宮仕(みやづか)へとなし、062世界(せかい)経綸(けいりん)の神業(しんげふ)の基礎(きそ)を樹立(じゆりつ)せむとしたまひ、063遠近(をちこち)の山野(さんや)の木(き)を伐(き)り、064瑞(みづ)の御舎(みあらか)を仕(つか)へまつつた。065神人(しんじん)等(ら)の道(みち)を思(おも)ひ、066世(よ)を思(おも)ふ真心(まごころ)凝結(ぎようけつ)して、067荘厳(さうごん)無比(むひ)の瑞(みづ)の御舎(みあらか)は瞬(またた)く中(うち)に建造(けんざう)された。068称(しよう)して錦(にしき)の宮(みや)と云(い)ふ。069玉照彦(たまてるひこ)、070玉照姫(たまてるひめ)は幼時(えうじ)より数多(あまた)の神人(しんじん)に秀(ひい)で、071神徳(しんとく)高(たか)く、072神格(しんかく)勝(すぐ)れ、073神代(かみよ)に於(お)ける救世主(きうせいしゆ)として、074天下(てんか)万民(ばんみん)の尊敬(そんけい)を集(あつ)めたまふに到(いた)りけり。
075 言依別(ことよりわけの)命(みこと)は、076素盞嗚(すさのをの)大神(おほかみ)の命(めい)を奉(ほう)じ、077錦(にしき)の宮(みや)を背景(はいけい)として、078自転倒(おのころ)島(じま)に於(お)ける三五教(あななひけう)の総統権(そうとうけん)を握(にぎ)り、079コーカス山(ざん)、080斎苑(いそ)の館(やかた)と相俟(あひま)つて、081天下(てんか)修斎(しうさい)の神業(しんげふ)を宇内(うだい)に拡張(くわくちやう)し給(たま)ふ事(こと)となつた。082三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)は云(い)ふも更(さら)なり、083ウラナイ教(けう)を樹(た)て、084瑞(みづ)之(の)御霊(みたま)に極力(きよくりよく)反抗(はんかう)したる高姫(たかひめ)、085黒姫(くろひめ)、086松姫(まつひめ)は、087夢(ゆめ)の覚(さ)めたる如(ごと)く心(こころ)を翻(ひるがへ)し、088身命(しんめい)を三五教(あななひけう)に奉(ほう)じ、089自転倒(おのころ)島(じま)を始(はじ)め、090海外(かいぐわい)諸国(しよこく)を跋渉(ばつせう)して、091神徳(しんとく)を拡充(くわくじゆう)することとなつた。092茲(ここ)に元照彦(もとてるひこ)の御霊(みたま)の再来(さいらい)、093天(あめ)の真浦(まうら)は、094大台(おほだい)ケ原(はら)の山麓(さんろく)に生(うま)れ、095木樵(きこり)を業(わざ)となし其(その)日(ひ)を送(おく)り居(ゐ)たるが、096綾(あや)の高天(たかま)に錦(にしき)の宮(みや)の建造(けんざう)され、097神徳(しんとく)四方(よも)に光(ひか)り輝(かがや)くと聞(き)きて、098樵夫(きこり)の業(わざ)を廃(はい)し、099遥々(はるばる)聖地(ここ)に訪(たづ)ね来(きた)り、100言依別(ことよりわけの)命(みこと)に謁(えつ)し、101新(あらた)に宣伝使(せんでんし)となることを得(え)た。102天(あめ)の真浦(まうら)は大(おほい)に喜(よろこ)び、103昼夜(ちうや)の区引(くべつ)なく宣伝歌(せんでんか)を謡(うた)ひ乍(なが)ら、104先(ま)づ自転倒(おのころ)島(じま)に向(むか)つて、105神徳(しんとく)宣布(せんぷ)の神業(しんげふ)を試(こころ)みむとし、106聖地(せいち)を後(あと)に唯(ただ)一人(ひとり)、107霧(きり)の海原(うなばら)押分(おしわ)けて風(かぜ)のまにまに、108人(ひと)の尾(を)峠(たうげ)の西麓(せいろく)に着(つ)いた。109道(みち)行(ゆ)く人(ひと)も見(み)えぬ許(ばか)りの粉雪(こなゆき)、110滝(たき)の如(ごと)くに降(ふ)り来(きた)り、111見(み)る見(み)る一(いつ)尺(しやく)許(ばか)りも地上(ちじやう)に積(つ)もり、112日(ひ)は黄昏(たそが)れて、113道(みち)いよいよ遠(とほ)く、114真浦(まうら)は行手(ゆくて)に迷(まよ)ひ、115進(すす)みもならず、116退(しりぞ)きもならず、117蓑笠(みのかさ)を着(つ)けたる儘(まま)、118路上(ろじやう)に佇立(ちよりつ)して、119声低(こゑびく)に天津(あまつ)祝詞(のりと)を幾度(いくど)となく繰返(くりかへ)しつつあつた。120怪(あや)しき獣(けだもの)の影(かげ)幾十(いくじふ)となく隊(たい)をなして、121山上(さんじやう)より降(くだ)り来(く)る。122されど真浦(まうら)は滝(たき)と降(ふ)り来(く)る雪(ゆき)に眼(め)を遮(さへぎ)られ、123足許(あしもと)に進(すす)み来(く)るまで知(し)らざりき。124唯(ただ)何(なん)となく雪(ゆき)踏(ふ)み砕(くだ)く何者(なにもの)かの足音(あしおと)、125追々(おひおひ)近(ちか)づく声(こゑ)のみ耳(みみ)に入(い)る。126真浦(まうら)は独言(ひとりごと)、
127真浦『今迄(いままで)暖(あたた)かい国(くに)に育(そだ)ち、128此(この)様(やう)な深雪(ふかゆき)は見(み)た事(こと)がなかつた。129始(はじ)めて神(かみ)様(さま)のお道(みち)に入(い)り、130百(ひやく)日(にち)百夜(ひやくや)の修行(しうぎやう)を積(つ)み、131漸(やうや)く許(ゆる)されて今(いま)茲(ここ)に宣伝使(せんでんし)補(ほ)となり、132足(あし)に任(まか)せて進(すす)みて来(き)たが……アヽゆき詰(つま)つたものだ。133言依別(ことよりわけの)命(みこと)様(さま)より「汝(なんぢ)は是(こ)れより人(ひと)の尾(を)峠(たうげ)を越(こ)え、134河水(かはみづ)清(きよ)き宇都(うづ)の郷(さと)に初宣伝(はつせんでん)を試(こころ)みよ」と仰(あふ)せられた。135併(しか)し乍(なが)ら、136斯(か)う降(ふ)り積(つも)る大雪(おほゆき)、137況(ま)して樹木(じゆもく)茂(しげ)れる此(この)谷間(たにあひ)、138日(ひ)は暮(くれ)かかる……アーア宣伝使(せんでんし)も辛(つら)いものだ。139追々(おひおひ)積(つも)る雪(ゆき)の量(かさ)、140罷(まか)り違(ちが)へば我(わが)身(み)は雪(ゆき)に埋(うづ)まつて、141冷(つめ)たくなつて了(しま)うであらう。142進退(しんたい)惟谷(これきは)まるとは此(この)事(こと)だなア』
143と心細(こころぼそ)げに呟(つぶや)く折(をり)しも、144最前(さいぜん)の足音(あしおと)追々(おひおひ)近(ちか)づき来(きた)る。145見(み)れば数十頭(すうじつとう)の熊(くま)の群(むれ)、146真浦(まうら)が足許(あしもと)を勢込(いきほひこ)んで走(はし)り行(ゆ)く。147真浦(まうら)は驚(おどろ)いて雪(ゆき)の中(なか)に路(みち)を避(さ)けた。148熊(くま)の群(むれ)は何(なん)の遠慮(ゑんりよ)もなくスタスタと列(れつ)を組(く)んで、149西方(せいはう)さして走(はし)り行(ゆ)く。
150 真浦(まうら)はホツと息(いき)をつき、
151真浦『アヽ、152有難(ありがた)い、153沢山(たくさん)の熊(くま)が現(あら)はれて雪路(ゆきみち)を踏(ふ)み分(わ)けて、154立派(りつぱ)な通路(つうろ)を開(ひら)いて呉(く)れた。155是(こ)れも全(まつた)く神(かみ)様(さま)の御(ご)神徳(しんとく)であらう…………有難(ありがた)し有難(ありがた)し』
156と感謝(かんしや)しながら、157熊(くま)の足跡(あしあと)を踏(ふ)み分(わ)け上(のぼ)り行(ゆ)く。158道(みち)の傍(かたはら)に一軒(いつけん)の茅屋(あばらや)が有(あ)ることが目(め)に付(つ)いた。159屋内(をくない)には幽(かす)かな火影(ほかげ)が瞬(またた)いて居(ゐ)る。160風(かぜ)が持(も)て来(く)る雪(ゆき)しばき益々(ますます)烈(はげ)しく、161熊(くま)の折角(せつかく)開(ひら)いて呉(く)れた雪(ゆき)の新道(しんだう)も、162瞬(またた)く間(うち)に閉塞(へいそく)して了(しま)つた。163屋内(をくない)には気楽(きらく)さうに笑(わら)ひさざめく声(こゑ)。164真浦(まうら)は此(この)愉快気(ゆくわいげ)に笑(わら)ふ声(こゑ)を聞(き)き、
165真浦『ホンに羨(うらや)ましい事(こと)だなア。166我(わ)れは神命(しんめい)とは言(い)ひ乍(なが)ら、167此(この)雪路(ゆきみち)に悩(なや)み、168玉(たま)の緒(を)さへも切(き)れなむとする極寒(ごくかん)の苦(くる)しみ、169血管(けつくわん)を流(なが)るる血潮(ちしほ)も凝結(ぎようけつ)せむとする辛(つら)さに引替(ひきか)へ、170此(この)家(や)の内(うち)の面白(おもしろ)さうな笑(わら)ひ声(ごゑ)、171…………実(じつ)に人(ひと)の境遇(きやうぐう)位(くらゐ)運否(うんぷ)のあるものはない。172併(しか)し乍(なが)ら我(わ)れも神(かみ)の道(みち)を伝(つた)ふる宣伝使(せんでんし)の初陣(うひぢん)、173斯(かく)の如(ごと)き雪(ゆき)に恐(おそ)れ、174人(ひと)の家(いへ)に這入(はい)つて、175一夜(いちや)の宿(やど)を請(こ)はんとするも、176何(なん)となくウラ恥(はづ)かしい、177アヽ如何(いか)にせむか』
178と躊躇(ためら)ふ折(をり)しも、179屋内(をくない)より男(をとこ)の声(こゑ)、
180男(をとこ)『オイ、181どこの乞食(こじき)だか知(し)らぬが、182此(この)雪(ゆき)の降(ふ)るのに、183何(なに)を愚図(ぐづ)々々(ぐづ)して居(を)るのだ。184チツと俺(おれ)の宅(うち)へでも這入(はい)つて休(やす)んだらどうだ。185あつたかい湯(ゆ)も沸(わ)いてある。186沢山(たくさん)な火(ひ)も焚(た)いてあるぞ』
187真浦(まうら)『ハイ有難(ありがた)う御座(ござ)います。188併(しか)し乍(なが)ら私(わたくし)はどうしても此(この)峠(たうげ)を越(こ)さねばなりませぬ。189御(お)志(こころざし)は有難(ありがた)う御座(ござ)いますが……』
190男(をとこ)『ナニ、191俺(おれ)の宅(うち)で休(やす)むのは厭(いや)だと云(い)ふのか、192馬鹿(ばか)な奴(やつ)だなア。193俺(おれ)は此(この)辺(へん)の杣人(そまびと)だ。194少(すこ)しの雪(ゆき)はチツとも苦(く)にならない男(をとこ)だが、195流石(さすが)山猿(やまざる)の俺(おれ)でさへも、196一歩(いつぽ)も今日(けふ)の雪(ゆき)には歩(あゆ)む事(こと)は出来(でき)ない。197どうして此(この)坂(さか)が登(のぼ)れると思(おも)ふのか。198マアそんな馬鹿(ばか)な事(こと)を言(い)はずに旅(たび)は道連(みちづ)れ世(よ)は情(なさけ)だ。199一樹(いちじゆ)の蔭(かげ)の雨宿(あまやど)り、200一河(いちが)の流(なが)れを汲(く)む人(ひと)も、201深(ふか)い縁(えにし)の有(あ)るものだ。202サア遠慮(ゑんりよ)は要(い)らぬ、203這入(はい)つて休息(きうそく)したがいい』
204 真浦(まうら)は其(その)言葉(ことば)に稍(やや)心(こころ)動(うご)き、
205真浦『どなたか知(し)りませぬが、206御(ご)親切(しんせつ)に有難(ありがた)う御座(ござ)います。207左様(さやう)ならば暫(しばら)く休息(きうそく)をさせて頂(いただ)きませう』
208男(をとこ)『アヽそれが良(よ)い。209サアサアお這入(はい)りなさい』
210と真浦(まうら)の手(て)を取(と)り引(ひ)き入(い)れ、211斜(はすかひ)に歪(ゆが)んだ雨戸(あまど)をピシヤツと閉(し)めた。
212男(をとこ)『大変(たいへん)な大雪(おほゆき)で、213倒(こ)けかかつた家(いへ)が益々(ますます)怪(あや)しくなつて来(き)た。214愚図(ぐづ)々々(ぐづ)して居(を)ると雪(ゆき)の重(おも)みで、215此(この)家(いへ)も平太(へた)つて了(しま)ふかも知(し)れないぞ。216………オイ駒公(こまこう)、217お客(きやく)さまだ。218どつさりと薪木(たきぎ)を燻(く)べて御(ご)馳走(ちそう)するのだぞ。219寒(さむ)い時(とき)には火(ひ)が一番(いちばん)御(ご)馳走(ちそう)だ』
220駒公(こまこう)『馬鹿(ばか)言(い)ふな。221どこの馬(うま)の骨(ほね)か、222鹿(しか)の骨(ほね)か分(わか)りもせぬ代物(しろもの)を、223物好(ものず)きにも駒(こま)さんの承諾(しようだく)も得(え)ず、224引(ひ)き摺(ず)り込(こ)みやがつて、225火(ひ)を焚(た)けも有(あ)つたものかい。226貴様(きさま)は何(なん)でも取込(とりこ)む事(こと)ばつかり考(かんが)へて居(ゐ)やがる。227チツと執着心(しふちやくしん)を脱却(だつきやく)せぬかい。228取(と)り込(こ)むことなら犬(いぬ)の葬式(さうしき)でも喜(よろこ)んで引張(ひつぱ)り込(こ)むと云(い)ふ代物(しろもの)だから困(こま)つて了(しま)ふ。229そんな事(こと)で此(こ)の立派(りつぱ)な家(いへ)が、230どうして立(た)つて行(ゆ)くと思(おも)ふのか、231秋公(あきこう)の不経済(ふけいざい)家(か)には俺(おれ)も本当(ほんたう)にアキが来(き)た。232寒(さむ)い時(とき)に俄(にはか)に体(からだ)を火(ひ)に近(ちか)づけると、233却(かへつ)て凍傷(とうしやう)を起(おこ)すものだ。234どこの奴(やつ)か知(し)らぬが、235赤裸(まつぱだか)にして頭(あたま)から冷水(れいすゐ)でも、236ドツサリ御(ご)馳走(ちそう)してやるのだなア。237貴様(きさま)と二人(ふたり)斯(か)うして雪(ゆき)に閉(とざ)されて居(を)つても、238チツとも面白味(おもしろみ)がない。239此奴(こいつ)の衣服(いふく)万端(ばんたん)を奪(うば)ひ取(と)り、240其(その)上(うへ)赤裸(まつぱだか)にして水(みづ)をかけ、241それを肴(さかな)に一杯(いつぱい)やつたら面白(おもしろ)からう』
242真浦(まうら)『なんだ、243其(その)方(はう)らは甘言(かんげん)を以(もつ)て此(この)方(はう)をひつぱり込(こ)み、244泥棒(どろばう)を致(いた)すのか』
245秋彦(あきひこ)『アハヽヽヽ、246好(い)い頓馬(とんま)だなア。247そんな事(こと)を尋(たづ)ねるのが馬鹿(ばか)だ。248俺(おれ)も今日(けふ)が泥棒(どろばう)の初陣(うひぢん)だ。249此(この)家(いへ)は実(じつ)は吾々(われわれ)の物(もの)ではない。250老爺(ぢい)と婆(ばば)アとが居(を)つたのだが、251凄(すご)い文句(もんく)を並(なら)べてやつた所(ところ)、252昨日(きのふ)の日(ひ)の暮(くれ)頃(ごろ)、253どつかへ逃(に)げて行(ゆ)きよつた。254彼奴(あいつ)は雪爺(ゆきぢい)に雪婆(ゆきばば)だつたと見(み)えて俄(にはか)にこんな大雪(おほゆき)が降(ふ)つて来(き)た。255サア皮(かは)を剥(む)いてやらう』
256と真浦(まうら)の身(み)に着(つ)けたる衣服(いふく)を剥奪(はくだつ)せむとする。
257真浦(まうら)『それは、258あまりぢや。259一寸(ちよつと)待(ま)つて呉(く)れ』
260秋彦(あきひこ)『松(まつ)も檜(ひのき)も有(あ)つたものか。261袋(ふくろ)の鼠(ねずみ)、262どうしたつて剥(む)かねば置(お)かぬ』
263真浦(まうら)『此(この)家(や)を立去(たちさ)る時(とき)に脱(ぬ)ぎませう。264それまで此(この)衣服(いふく)を私(わたくし)に貸(か)して下(くだ)さいませぬか』
265駒彦(こまひこ)『オイ秋公(あきこう)、266仕方(しかた)がない、267貸(か)してやれ。268……オイ何程(なんぼ)借賃(かりちん)を出(だ)す? それから約束(やくそく)して置(お)かねば喰逃(くひに)げされては、269泥棒(どろばう)商売(しやうばい)も棒(ぼう)が折(を)れるからなア。270ワハヽヽヽ』
271真浦(まうら)『自分(じぶん)の着物(きもの)に利息(りそく)をつけて貸(か)して貰(もら)ふとは、272又(また)妙(めう)な規則(きそく)の出来(でき)たものですなア』
273駒彦(こまひこ)『愚図(ぐづ)々々(ぐづ)言(い)ふない。274郷(がう)に入(い)つては郷(がう)に従(したが)へだ。275是(こ)れが泥棒(どろばう)社会(しやくわい)の規則(きそく)だ』
276真浦(まうら)『貴様(きさま)達(たち)は丸(まる)でバラモン教(けう)みたやうな奴(やつ)だなア』
277駒彦(こまひこ)『きまつた事(こと)だ。278鬼雲彦(おにくもひこ)様(さま)の乾児(こぶん)だよ。279秋(あき)、280駒(こま)と云(い)つたら、281それは本当(ほんたう)に翔(た)つ鳥(とり)も落(おと)すやうなバラモン教(けう)の有名(いうめい)な宣伝使(せんでんし)だぞ。282貴様(きさま)は三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)、283無抵抗(むていかう)主義(しゆぎ)を標榜(へうぼう)して居(ゐ)る腰抜教(こしぬけけう)の奴(やつ)だから、284指一本(ゆびいつぽん)俺(おれ)に触(さ)へても、285抗言(くちごたへ)一(ひと)つ致(いた)しても、286抵抗(ていかう)した事(こと)になる。287頭(あたま)をカチ割(わ)られようが、288黙(だま)つて辛抱(しんばう)するのだぞ』
289真浦(まうら)『アーア困(こま)つた事(こと)になつたもんだワイ。290三五教(あななひけう)には噂(うはさ)に聞(き)けば、291もとは馬(うま)、292鹿(しか)と云(い)ふ紫姫(むらさきひめ)様(さま)の家来(けらい)があつて、293それが高城山(たかしろやま)の松姫(まつひめ)さまを帰順(きじゆん)させ、294駒彦(こまひこ)、295秋彦(あきひこ)と云(い)ふ名(な)を貰(もら)つたさうだが、296お前(まへ)の名(な)は秋(あき)と云(い)ひ、297駒(こま)と云(い)ひ、298能(よ)く似(に)て居(ゐ)る。299何(なに)か因縁(いんねん)の糸(いと)が結(むす)ばれて居(を)る様(やう)だ。300もしや三五教(あななひけう)の駒彦(こまひこ)、301秋彦(あきひこ)ではなからうかなア』
302秋彦(あきひこ)『そんな腰抜(こしぬけ)の秋彦(あきひこ)や、303駒彦(こまひこ)とはチト相場(さうば)が違(ちが)ふのだぞ。304俺(おれ)は三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)真浦(まうら)と云(い)ふ新米者(しんまいもの)が宇都山(うづやま)の郷(さと)へ初陣(うひぢん)に往(い)くので、305言依別(ことよりわけ)の神(かみ)様(さま)から……』
306駒彦(こまひこ)『オイ秋公(あきこう)、307何(なに)を言(い)ふのだ。308ウツカリした事(こと)を言(い)ふものでないぞ』
309真浦(まうら)『アハヽヽヽ、310大方(おほかた)そんな事(こと)だと思(おも)つた。311言依別(ことよりわけ)の神(かみ)様(さま)が俺(おれ)の信仰力(しんかうりよく)を試(ため)す為(ため)に、312貴様(きさま)を此処(ここ)へ廻(まは)しおき、313そうして此(この)道(みち)を通(とほ)れと仰有(おつしや)つたのだなア……オイ秋彦(あきひこ)、314駒彦(こまひこ)、315モウ駄目(だめ)だぞ。316泥棒(どろばう)でも、317バラモンでも、318ベラボウでもない、319貴様(きさま)の襟(えり)の印(しるし)は何(なん)だ』
320駒(こま)、321秋(あき)『アハヽヽヽ、322到頭(たうとう)陰謀(いんぼう)発覚(はつかく)したか。323エヽ仕方(しかた)がない。324そんなら事実(じじつ)をスツカリ白状(はくじやう)致(いた)して遣(つか)はす』
325真浦(まうら)『イヤもう沢山(たくさん)だ。326何(なに)も承(うけたま)はる必要(ひつえう)は有(あ)りませぬワイ』
327駒公(こまこう)『先(ま)づ宣伝使(せんでんし)の点数(てんすう)六十五(ろくじふご)点(てん)だ。328速(すみやか)に言依別(ことよりわけ)の神(かみ)様(さま)に成績表(せいせきへう)を書留(かきとめ)郵便(ゆうびん)で送(おく)つて置(お)かう。329夜(よ)が明(あ)ける迄(まで)三(さん)人(にん)鼎坐(ていざ)してお神酒(みき)を戴(いただ)いて御(お)日待(ひまち)をしようではないか』
330真浦(まうら)『またそんな事(こと)言(い)つて、331点数(てんすう)を減(へ)らすのではないか』
332秋彦(あきひこ)『心配(しんぱい)するな。333一旦(いつたん)認(みと)めた以上(いじやう)は減点(げんてん)は決(けつ)してしない。334其(その)代(かは)り俺(おれ)の事(こと)もよく報告(はうこく)するのだぞ』
335真浦(まうら)『能(よ)く報告(はうこく)してやらう。336コンミツシヨンとしてモウ四十五(しじふご)点(てん)あげて呉(く)れ』
337秋彦(あきひこ)『六十五(ろくじふご)点(てん)に四十五(しじふご)点(てん)を加(くは)へると満点(まんてん)以上(いじやう)になつて了(しま)ふ。338それでは試験官(しけんくわん)として報告(はうこく)の仕方(しかた)がないワ』
339真浦(まうら)『俺(おれ)の改心(かいしん)は百点(ひやくてん)以上(いじやう)だ。340其(その)代(かは)り貴様(きさま)は百八十(ひやくはちじつ)点(てん)に俺(おれ)から報告(はうこく)してやらう。341併(しか)し二人(ふたり)合計(がふけい)してだから……』
342と他愛(たあい)なき雑談(ざつだん)に一夜(いちや)を明(あ)かしたりける。
343天(あめ)の真浦(まうら)の宣伝使(せんでんし)
344秋彦(あきひこ)駒彦(こまひこ)諸共(もろとも)に
345神(かみ)の教(をしへ)を伝(つた)へむと
346人(ひと)の尾(を)峠(たうげ)の急坂(きふはん)を
347雪(ゆき)かき分(わ)けて登(のぼ)り行(ゆ)く
348地(ち)は一面(いちめん)の銀世界(ぎんせかい)
349金烏(きんう)の光(ひか)りキラキラと
350またたき初(そ)めて大空(おほぞら)は
351拭(ぬぐ)ふが如(ごと)く晴(は)れ渡(わた)り
352茲(ここ)に三人(みたり)は勇(いさ)ましく
353谷(たに)の流(なが)れに沿(そ)ひ乍(なが)ら
354足(あし)踏(ふ)みなづみ進(すす)み行(ゆ)く
355旭(あさひ)輝(かがや)く雪(ゆき)は照(て)る
356神(かみ)の恵(めぐみ)も白妙(しらたへ)の
357雪(ゆき)に包(つつ)まる宇都(うづ)の郷(さと)
358武志(たけし)の宮(みや)を祀(まつ)りたる
359浮木(うきき)の里(さと)に辿(たど)り着(つ)く
360又(また)もや降(ふ)り来(く)る雪(ゆき)しばき
361茲(ここ)に三人(みたり)は大宮(おほみや)の
362脇(わき)に建(た)ちたる社務所(ながとこ)に
363雪(ゆき)を凌(しの)いで車座(くるまざ)に
364なつて暖(だん)をば採(と)り乍(なが)ら
365携(たづさ)へ持(も)てる握(にぎ)り飯(めし)
366ムシヤリムシヤリと平(たひら)げて
367四方(よも)の話(はなし)に耽(ふけ)る折(をり)
368雪(ゆき)かき分(わ)けて登(のぼ)り来(く)る
369怪(あや)しの翁(おきな)唯(ただ)一人(ひとり)
370覚束(おぼつか)無(な)げに杖(つゑ)を突(つ)き
371宮(みや)の階段(かいだん)登(のぼ)り来(く)る
372真浦(まうら)秋彦(あきひこ)駒彦(こまひこ)は
373眼(まなこ)を据(す)ゑて眺(なが)むれば
374怪(あや)しの翁(おきな)は神前(しんぜん)に
375やうやう近(ちか)づき拍手(かしはで)の
376音(おと)も涼(すず)しく太祝詞(ふとのりと)
377称(とな)ふる声(こゑ)の麗(うるは)しく
378三人(みたり)の耳(みみ)に透(す)きとほる
379神(かみ)の使(つかひ)か真人(しんじん)か
380但(ただし)は悪魔(あくま)の化身(けしん)かと
381怪(あや)しみ乍(なが)ら秋彦(あきひこ)は
382此(この)場(ば)を立(た)ちてザクザクと
383雪(ゆき)踏(ふ)み鳴(な)らし神前(しんぜん)に
384額(ぬか)づく翁(おきな)に打向(うちむか)ひ
385汝(なれ)は何処(いづく)の何人(なにびと)ぞ
386人里(ひとざと)離(はな)れし此(この)森(もり)に
387雪(ゆき)を冒(をか)して参来(まゐき)たり
388祈願(ねぎごと)するは何故(なにゆゑ)ぞ
389聞(き)かまほしやと尋(たづ)ぬれば
390翁(おきな)は漸(やうや)く顔(かほ)を上(あ)げ
391胸(むね)に垂(た)れたる白鬚(しらひげ)を
392二(ふた)つの手(て)にて撫(な)で乍(なが)ら
393四辺(あたり)キヨロキヨロ見廻(みまは)して
394武志(たけし)の宮(みや)の神司(かんづかさ)
395朝(あさ)な夕(ゆふ)なに真心(まごころ)を
396尽(つく)して仕(つか)へ奉(たてまつ)る
397吾(わ)れは松鷹彦(まつたかひこ)の司(かみ)
398汝(いまし)は何処(いづく)の何人(なにびと)ぞ
399訝(いぶ)かしさよと問(と)ひ返(かへ)す
400其(その)容貌(ようばう)のどことなく
401得(え)も言(い)はれざる気高(けだか)さに
402秋彦(あきひこ)思(おも)はず手(て)を突(つ)いて
403三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)
404心(こころ)の色(いろ)も紅葉(もみぢば)の
405錦(にしき)の宮(みや)に仕(つか)へたる
406秋彦(あきひこ)駒彦(こまひこ)二人(ふたり)連(づ)れ
407天(あめ)の真浦(まうら)も諸共(もろとも)に
408宇都山(うづやま)郷(がう)に現(あら)はれし
409バラモン教(けう)の曲神(まがかみ)を
410言向(ことむ)け和(やは)す鹿島立(かしまだ)ち
411雪(ゆき)を冒(をか)してやうやうに
412此処(ここ)まで進(すす)み来(きた)りしぞ
413雪(ゆき)に埋(うづ)まる山里(やまざと)の
414家並(やなみ)も見(み)えぬ淋(さび)しさに
415武志(たけし)の宮(みや)の社務所(ながとこ)を
416借(か)りて休(やす)らひ居(ゐ)たりけり
417綾(あや)の高天(たかま)に現(あら)はれし
418玉照彦(たまてるひこ)や玉照姫(たまてるひめ)の
419宇豆(うづ)の命(みこと)の仕(つか)へます
420三五教(あななひけう)の司神(つかさがみ)
421言依別(ことよりわけ)の御言(みこと)もて
422あもり来(きた)りし三人(みたり)連(づ)れ
423汝(なんぢ)松鷹彦(まつたかひこ)の司(かみ)
424吾(われ)等(ら)三人(みたり)を宇都山(うづやま)の
425バラモン館(やかた)に伴(とも)なひて
426太(ふと)しき功績(いさを)を建(た)てませよ
427応答(いらへ)如何(いかん)と詰(つ)め寄(よ)れば
428松鷹彦(まつたかひこ)は畏(かしこ)みて
429老(おい)の歩(あゆ)みもトボトボと
430雪(ゆき)の階段(かいだん)降(くだ)りつつ
431天(あめ)の真浦(まうら)や駒彦(こまひこ)が
432前(まへ)に現(あら)はれ会釈(ゑしやく)なし
433先頭(せんとう)に立(た)たむと誘(いざな)へば
434三人(みたり)は勇(いさ)み喜(よろこ)びつ
435翁(おきな)の後(あと)に従(したが)ひて
436武志(たけし)の宮(みや)に一礼(いちれい)し
437東(ひがし)を指(さ)して進(すす)み行(ゆ)く。
438 松鷹彦(まつたかひこ)は雪路(ゆきみち)を杖(つゑ)を突(つ)き乍(なが)ら先頭(せんとう)に立(た)ちて、439バラモン教(けう)の宣伝使(せんでんし)と聞(きこ)えたる友彦館(ともひこやかた)に案内(あんない)すべく進(すす)み行(ゆ)く。440真浦(まうら)は翁(おきな)の後(あと)に七八(しちはつ)尺(しやく)遅(おく)れて、441一歩(ひとあし)々々(ひとあし)深雪(ふかゆき)の中(なか)の足跡(あしがた)を目標(めあて)に進(すす)む折(をり)しも、442秋彦(あきひこ)、443駒彦(こまひこ)は物(もの)をも云(い)はず、444真浦(まうら)を引抱(ひつかか)へ、445数丈(すうぢやう)の崖下(がけした)に突落(つきおと)した。446突落(つきおと)された真浦(まうら)は何(なん)の負傷(ふしやう)もせず、447高(たか)く積(つ)もれる雪(ゆき)の上(うへ)にニコニコと安坐(あんざ)して三(さん)人(にん)の姿(すがた)を仰(あふ)ぎ見(み)て居(ゐ)る。
448秋彦(あきひこ)『モシ真浦(まうら)さま、449どうだ、450御(ご)気分(きぶん)は宜(よろ)しいかな。451どこもお怪我(けが)は御座(ござ)いませぬか』
452真浦(まうら)『ハイ有難(ありがた)う、453無事(ぶじ)着陸(ちやくりく)致(いた)しました』
454駒彦(こまひこ)『サア六十五(ろくじふご)点(てん)に三十五(さんじふご)点(てん)を加(くは)へて百点(ひやくてん)だ。455肉体(にくたい)は高所(かうしよ)から落第(らくだい)したが、456御霊(みたま)はいよいよ立派(りつぱ)な宣伝使(せんでんし)に及第(きふだい)したのだから喜(よろこ)び給(たま)へ』
457 松鷹彦(まつたかひこ)、458目(め)を円(まる)くし、
459松鷹彦(まつたかひこ)『コレコレお前(まへ)達(たち)は何(なん)と云(い)ふ乱暴(らんばう)な事(こと)をするのだい。460世界(せかい)の人民(じんみん)を助(たす)けて天国(てんごく)へ救(すく)ふ役(やく)であり乍(なが)ら、461地獄(ぢごく)のやうな断崖(だんがい)から突落(つきおと)すと云(い)ふ事(こと)が有(あ)るものか、462グヅグヅして居(を)ると此(この)老人(としより)まで、463どんな事(こと)をするか分(わか)つたものぢやない』
464秋彦(あきひこ)『お爺(ぢい)さま御(ご)心配(しんぱい)下(くだ)さいますな。465身魂(みたま)調(しら)べの為(ため)に、466吾々(われわれ)両人(りやうにん)は言依別(ことよりわけ)様(さま)の御(ご)命令(めいれい)に依(よ)りて、467あの男(をとこ)の修業(しうげふ)をさせに来(き)たのです。468ここで腹(はら)を立(た)てる様(やう)な事(こと)では、469宣伝使(せんでんし)の資格(しかく)がないのだから、470謂(い)はば我々(われわれ)は宣伝使(せんでんし)の試験(しけん)委員(ゐゐん)だ。471是(こ)れであの男(をとこ)も立派(りつぱ)な宣伝使(せんでんし)になりました』
472松鷹彦(まつたかひこ)『こんな絶壁(ぜつぺき)から落(おと)されては、473どうする事(こと)も出来(でき)ない。474何(なん)とか工夫(くふう)をして此処(ここ)まで救(すく)ひ上(あ)げて来(き)なさらねばなりますまい』
475秋彦(あきひこ)『何(なに)も御(ご)心配(しんぱい)は要(い)りませぬよ。476獅子(しし)は児(こ)を産(う)んで三日目(みつかめ)に谷底(たにそこ)へ棄(す)て、477上(あが)つて来(き)た奴(やつ)を又(また)突落(つきおと)し、478三遍目(さんべんめ)に上(あ)がつた奴(やつ)を、479始(はじ)めて自分(じぶん)の子(こ)にすると云(い)ふ事(こと)だ。480こんな所(とこ)から一遍(いつぺん)や二遍(にへん)突落(つきおと)されて屁古垂(へこた)れる様(やう)な者(もの)なら、481到底(たうてい)駄目(だめ)だ。482悪魔(あくま)の栄(さか)ゆる世(よ)の中(なか)の宣伝使(せんでんし)にはなれませぬ。483上(あが)つて来(き)よつたら、484又(また)突(つ)き落(おと)す積(つも)りです』
485松鷹彦(まつたかひこ)『それだと言(い)つて、486それはあまり残酷(ざんこく)ぢやないか。487早(はや)く助(たす)けてお上(あ)げなさい』
488秋彦(あきひこ)『そんな宋襄(そうじやう)の仁(じん)は却(かへ)つてあの男(をとこ)を憎(にく)む様(やう)なものだ。489可愛(かはい)いから此(この)断崕(だんがい)から突(つ)き落(おと)してやつたのです』
490松鷹彦(まつたかひこ)『なんと妙(めう)な可愛(かはい)がり様(やう)も有(あ)つたものだなア。491私(わし)も此(この)年(とし)をして居(を)るが、492そんな愛(あい)は聞(き)いた事(こと)が無(な)い』
493と不思議(ふしぎ)さうに覗(のぞ)き込(こ)んで居(ゐ)る。
494駒彦(こまひこ)『お爺(ぢい)さま、495お前(まへ)も一(ひと)つ可愛(かはい)がつてあげようか』
496松鷹彦(まつたかひこ)『イヤもう結構(けつこう)々々(けつこう)、497お前(まへ)等(ら)に可愛(かはい)がられようものなら、498生命(いのち)も何(なに)も無(な)くなつて了(しま)ふ。499若(わか)い者(もの)は兎(と)も角(かく)も、500此(この)老人(としより)がどうなるものか。501恐(おそ)ろしい人(ひと)達(たち)だなア』
502と蒼惶(さうくわう)として走(はし)り去(さ)る。
503駒彦(こまひこ)『アハヽヽヽ、504到頭(たうとう)老爺(ぢい)さま肝(きも)を潰(つぶ)して逃(に)げて了(しま)ひよつた。505サア秋彦(あきひこ)、506モウ用(よう)が済(す)んだ。507是(こ)れから各自(めいめい)手分(てわ)けをして、508命(めい)ぜられた方面(はうめん)へ行(ゆ)く事(こと)にしよう。509…コレコレ真浦(まうら)さま、510マアゆつくりと雪(ゆき)の上(うへ)でお鎮魂(ちんこん)でもなさいませ。511これでお暇(いとま)致(いた)します。512其(その)代(かは)りに百点(ひやくてん)だよ』
513と両手(りやうて)を拡(ひろ)げて見(み)せ、514雪路(ゆきみち)を一生(いつしやう)懸命(けんめい)に何処(いづく)ともなく左右(さいう)に別(わか)れて走(はし)り行(ゆ)く。515真浦(まうら)は苦心(くしん)惨憺(さんたん)の結果(けつくわ)、516漸(やうや)く廻(まは)り路(みち)を見出(みいだ)して、517元(もと)の所(ところ)に駆上(かけあが)り、518四辺(あたり)をキヨロキヨロ見廻(みまは)し乍(なが)ら、
519真浦(まうら)『アヽ誰(たれ)も彼(かれ)も皆(みな)どつかへ埋没(まいぼつ)して了(しま)つた。520エヽ仕方(しかた)がない、521足型(あしがた)を便(たよ)りに後(あと)追(お)つかけよう』
522と独語(どくご)しつつ雪(ゆき)に印(いん)した草鞋(わらぢ)の跡(あと)を、523犬(いぬ)が鋭利(えいり)な嗅覚(きゆうかく)で猪(しし)の後(あと)を逐(お)ふ様(やう)な調子(てうし)で進(すす)んで行(ゆ)く。524雪(ゆき)は鵞毛(がまう)と降(ふ)り頻(しき)り、525足跡(あしあと)の窪(くぼ)みは殆(ほとん)ど埋没(まいぼつ)して了(しま)つた。526見渡(みわた)す限(かぎ)りの白雪(しらゆき)の野(の)を、527一歩(ひとあし)々々(ひとあし)探(さぐ)る様(やう)にして、528遂(つひ)には大川(おほかは)の畔(ほとり)に辿(たど)り着(つ)いた。529河(かは)の堤(つつみ)に細(ほそ)い烟(けぶり)の破風口(はふぐち)より立昇(たちのぼ)る小(ちひ)さき茅屋(ばうをく)が淋(さび)しげに立(た)つて居(ゐ)る。530真浦(まうら)は『御免(ごめん)』と押戸(おしど)を開(あ)けて入(い)り見(み)れば以前(いぜん)の老爺(ぢい)が、531婆(ばば)アと二人(ふたり)茶(ちや)を啜(すす)つて居(ゐ)る。
532松鷹彦(まつたかひこ)『ヤアお前(まへ)は最前(さいぜん)の宣伝使(せんでんし)だつたなア。533能(よ)う来(き)て下(くだ)さつた。534随分(ずゐぶん)乱暴(らんばう)な男(をとこ)も有(あ)つたものだ。535あれは大方(おほかた)バラモンの残党(ざんたう)であらう。536お前(まへ)気(き)を付(つ)けないと、537どんな目(め)に遭(あ)はされるか知(し)れませぬぞや』
538真浦(まうら)『ハイ有難(ありがた)う御座(ござ)います。539実(じつ)は人(ひと)の尾(を)峠(たうげ)の西麓(せいろく)に於(おい)て、540盗賊(たうぞく)に出会(であ)ひました。541それから其(その)盗賊(たうぞく)さまに武志(たけし)の宮(みや)まで送(おく)つて頂(いただ)いたのです』
542松鷹彦(まつたかひこ)『何(なに)か盗(と)られましたかなア』
543真浦(まうら)『イエ別(べつ)に……盗(と)られる処(どころ)か結構(けつこう)な物(もの)を沢山(たくさん)頂戴(ちやうだい)致(いた)しました。544盗難品(たうなんひん)は唯(ただ)の一点(いつてん)も無(な)く、545貰(もら)つたものは前後(ぜんご)二回(にくわい)で百点(ひやくてん)ばかりです。546実(じつ)に結構(けつこう)な御(お)神徳(かげ)を頂(いただ)きました。547最前(さいぜん)もアノ絶壁(ぜつぺき)から突(つ)き落(おと)され、548其(その)時(とき)にも三十五(さんじふご)点(てん)呉(く)れましたよ』
549松鷹彦(まつたかひこ)『ハテ合点(がてん)のゆかぬ事(こと)を仰有(おつしや)る。550その代物(しろもの)はどこに御(ご)所持(しよぢ)なさるかなア』
551真浦(まうら)『ハイ残(のこ)らず私(わたし)の腹(はら)の中(なか)にしまつてあります。552要(えう)するに無形(むけい)の宝(たから)ですよ』
553 松鷹彦(まつたかひこ)、554両手(りやうて)を拍(う)ち、555打諾(うちうな)づき乍(なが)ら、
556松鷹彦(まつたかひこ)『ハヽヽヽ、557年(とし)を老(と)つて、558わしも余程(よほど)耄碌(まうろく)したと見(み)えるワイ、559ホンにそうだ。560わしもお前(まへ)さまから宝(たから)を四五十(しごじつ)点(てん)頂戴(ちやうだい)した。561実(じつ)に忍耐(にんたい)と云(い)ふ宝(たから)は結構(けつこう)なものだ。562さうでなくては誠(まこと)の道(みち)は拡(ひろ)まりますまい。563バラモン教(けう)は随分(ずゐぶん)荒行(あらぎやう)を致(いた)しますが……私(わし)も元(もと)は三五教(あななひけう)を奉(ほう)じて居(を)りました。564それから三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)の行方(やりかた)があまり脱線(だつせん)だらけで、565愛想(あいさう)が尽(つ)き、566同(おな)じ事(こと)なら大勢(おほぜい)の者(もの)の信(しん)ずるバラモン教(けう)の方(はう)が処世(しよせい)上(じやう)の便利(べんり)だと思(おも)ひ、567一旦(いつたん)は入信(にふしん)しましたが、568これ亦(また)どうしても私(わし)の腑(ふ)に落(お)ちない点(てん)が沢山(たくさん)ある。569そうかうして居(を)る間(うち)にバラモン教(けう)の一部(いちぶ)を採(と)り、570ウラル教(けう)の或(ある)点(てん)を加味(かみ)し、571三五教(あななひけう)を加(くは)へて、572新(あらた)に起(おこ)つたウラナイ教(けう)と云(い)ふ新(あたら)しき教(をしへ)が出(で)て来(き)たので、573又(また)もやウラナイ教(けう)に間男(まをとこ)をしました。574そうして神(かみ)様(さま)を武志(たけし)の宮(みや)にお祀(まつ)りした処(ところ)が、575その夕(ゆふべ)から夫婦(ふうふ)の者(もの)が俄(にはか)に病気(びやうき)付(づ)き大変(たいへん)な発熱(はつねつ)で、576幾度(いくたび)も死(し)ぬ様(やう)な目(め)に遭(あ)ひ……コリヤやつぱり元(もと)の神(かみ)様(さま)にすがらねばなるまい……と夫婦(ふうふ)の者(もの)が三五教(あななひけう)の大神(おほかみ)に謝罪(おわび)をした処(ところ)、577不思議(ふしぎ)にも其(その)時(とき)より熱(ねつ)が段々(だんだん)に降(さが)り、578婆(ばば)アは二三(にさん)日(にち)の後(のち)ケロリと嘘(うそ)を吐(つ)いた様(やう)に全快(ぜんくわい)して了(しま)つた。579私(わし)は此(こ)れから一(いち)里(り)許(ばか)りある下(した)の村(むら)の者(もの)から選(えら)まれて、580武志(たけし)の宮(みや)の神主(かんぬし)をして居(を)る者(もの)だが、581村人(むらびと)にさう幾度(いくど)も幾度(いくど)も神(かみ)様(さま)を出(だ)したり入(い)れたりすると思(おも)はれては、582信用(しんよう)がないから、583ソツとウラナイ教(けう)の高姫(たかひめ)さまが祀(まつ)つて呉(く)れた御(ご)神号(しんがう)を河(かは)に流(なが)し、584今(いま)では三五教(あななひけう)の神(かみ)様(さま)をお祀(まつ)りしたいのだが、585一旦(いつたん)御(ご)神号(しんがう)を流(なが)して了(しま)つたので、586戴(いただ)く訳(わけ)にもゆかず、587空(から)の宮(みや)を……今日(けふ)も今日(けふ)とて謝罪(おわび)旁(かたがた)拝(をが)みに行(ゆ)きました。588今日(けふ)で此(この)雪路(ゆきみち)を三七(さんしち)廿一(にじふいち)日(にち)、589毎日(まいにち)通(かよ)ひましたが、590不思議(ふしぎ)な事(こと)には、591あなた方(がた)に宮様(みやさま)の前(まへ)でお目(め)にかかつたのは、592全(まつた)く神(かみ)様(さま)の御(お)引(ひ)き合(あは)せで御座(ござ)いませう。593併(しか)し詳(くは)しい教理(けうり)は存(ぞん)じませぬが、594三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)はみな貴方(あなた)の様(やう)に忍耐(にんたい)が強(つよ)い方(かた)ばかりですか』
595真浦(まうら)『昔(むかし)の三五教(あななひけう)は随分(ずゐぶん)乱暴(らんばう)な宣伝使(せんでんし)もあり脱線者(だつせんしや)も沢山(たくさん)出(で)たさうです。596併(しか)し此(この)頃(ごろ)は玉照彦(たまてるひこ)、597玉照姫(たまてるひめ)と云(い)ふ立派(りつぱ)な神(かみ)様(さま)の生(うま)れ替(が)はりが、598聖地(せいち)に現(あら)はれ玉(たま)うてより、599誰(たれ)も彼(かれ)も、600緊張(きんちやう)気分(きぶん)になり、601忍耐(にんたい)を第一(だいいち)として天下(てんか)に宣伝(せんでん)を始(はじ)めて居(を)ります。602恥(はづ)かし乍(なが)ら私(わたし)は大台(おほだい)ケ原(はら)山麓(さんろく)の暖(あたた)かい所(ところ)に生(うま)れ、603楽(らく)に育(そだ)つて来(き)た報(むく)いで、604此(この)雪国(ゆきぐに)へ始(はじ)めて宣伝(せんでん)に参(まゐ)り、605余程(よほど)苦(くるし)みました。606さうして今日(けふ)が宣伝(せんでん)の初陣(うひぢん)です。607僅(わづ)かの時日(じじつ)、608神(かみ)様(さま)の教(をしへ)を聞(き)かして頂(いただ)き、609言依別(ことよりわけ)の教主(けうしゆ)様(さま)から許(ゆる)されて、610宣伝(せんでん)に参(まゐ)つた者(もの)ですから、611詳細(くは)しい事(こと)はまだ存(ぞん)じませぬ』
612松鷹彦(まつたかひこ)『さうすると、613あなたは今日(けふ)が始(はじ)めてですか。614それはそれは本当(ほんたう)に結構(けつこう)です。615宣伝使(せんでんし)は分(わか)らぬ間(うち)こそ却(かへつ)て神徳(しんとく)もあり、616人徳(じんとく)も備(そな)はるものだ。617少(すこ)し物(もの)が分(わか)ると知(し)らず識(し)らずに慢心(まんしん)が出(で)て、618終(つひ)には信仰(しんかう)に苔(こけ)が生(は)え、619又(また)元(もと)の邪道(じやだう)に逆転(ぎやくてん)するものだ。620私(わし)もさう云(い)ふ初心(うぶ)な宣伝使(せんでんし)に一度(いちど)会(あ)ひたいと思(おも)うて居(を)つた。621どうぞ貴方(あなた)はこれから私(わし)の茅屋(あばらや)に逗留(とうりう)し、622武志(たけし)の宮(みや)の御(ご)神体(しんたい)を斎(まつ)つて下(くだ)さい。623さうして村(むら)の者(もの)にも教(をしへ)を伝(つた)へ、624バラモン教(けう)を改(あらた)めさせたいものです』
625真浦(まうら)『神(かみ)様(さま)を祀(まつ)ると云(い)つても、626私(わたし)の様(やう)なものでは、627到底(たうてい)それだけの資格(しかく)が有(あ)りませぬ。628時(とき)を得(え)て聖地(せいち)にあなたも参拝(さんぱい)し、629言依別(ことよりわけの)命(みこと)様(さま)に面会(めんくわい)して、630御(ご)神体(しんたい)を奉迎(ほうげい)してお帰(かへ)りなさいませ。631それが何(なに)より結構(けつこう)でせう。632我々(われわれ)は宣伝(せんでん)をするばかりの役(やく)、633神(かみ)様(さま)の御(ご)神体(しんたい)を扱(あつか)ふ事(こと)は出来(でき)ませぬ』
634松鷹彦(まつたかひこ)『如何(いか)にも、635さう聞(き)けばさうです。636物品(ぶつぴん)か何(なに)かの様(やう)に軽々(かるがる)しう扱(あつか)ふ事(こと)は出来(でき)ますまい。637時機(じき)をみて御(お)願(ねが)ひする事(こと)に致(いた)しませう。638さうして三五教(あななひけう)の教(をしへ)の樹(た)て方(かた)は、639大体(だいたい)どう云(い)ふ事(こと)が眼目(がんもく)になつて居(を)りますか』
640真浦(まうら)『あなたは最前(さいぜん)も、641三五教(あななひけう)に入信(はいつ)て居(ゐ)たと仰有(おつしや)つた。642私(わたし)よりは、643謂(い)はば古参者(こさんしや)、644能(よ)くお分(わか)りでせう』
645松鷹彦(まつたかひこ)『唯々(ただただ)世界(せかい)統一(とういつ)の神(かみ)様(さま)だと信(しん)じ、646此(この)曇(くも)つた世(よ)の中(なか)を早(はや)う安楽(あんらく)な、647潔白(けつぱく)な世(よ)にしたい許(ばか)りに信仰(しんかう)を続(つづ)けて居(ゐ)たのみで、648言(い)はば徹底(てつてい)せない信仰(しんかう)で有(あ)りました。649それ故(ゆゑ)あちら此方(こちら)と迂路付(うろつ)いて見(み)たのだが、650どうしても三五教(あななひけう)が斎(まつ)る神(かみ)様(さま)に御(ご)神力(しんりき)がある様(やう)だ。651何(なん)とはなしに恋(こひ)しくなつて来(き)ました』
652真浦(まうら)『私(わたし)が知(し)つて居(ゐ)る事(こと)の大体(だいたい)だけを簡単(かんたん)に申(まを)しますれば、653……世界(せかい)を神(かみ)の慈愛(じあい)の教(をしへ)に依(よ)りて、654道義(だうぎ)的(てき)に統一(とういつ)し、655世(よ)の立替(たてかへ)立直(たてなほ)しを断行(だんかう)する事(こと)。656能(あた)ふ限(かぎ)り神(かみ)様(さま)の道(みち)を宣揚(せんやう)し、657体主(たいしゆ)霊従(れいじう)の物質(ぶつしつ)的(てき)教(をしへ)に心酔(しんすゐ)せざる様(やう)教(をし)ふる事(こと)。658如何(いか)なる事(こと)も神(かみ)様(さま)にお任(まか)せ申(まを)し、659自分(じぶん)の我(が)を出(だ)さずに能(あた)ふ限(かぎ)り道(みち)に依(よ)りて力(ちから)を尽(つく)す事(こと)。660天地(てんち)神明(しんめい)の鴻恩(こうおん)を悟(さと)り、661造次(ざうじ)にも顛沛(てんぱい)にも、662感謝(かんしや)祈願(きぐわん)の道(みち)を忘(わす)れざる事(こと)。663常(つね)に謙譲(けんじやう)の徳(とく)を養(やしな)ふ事(こと)。664如何(いか)なる難儀(なんぎ)に遇(あ)うとも、665誠(まこと)の道(みち)の為(ため)ならば少(すこ)しも恐(おそ)れず、666誠(まこと)を以(もつ)て切(き)り抜(ぬ)ける事(こと)。667社会(しやくわい)の為(ため)に全力(ぜんりよく)を尽(つく)し、668天下(てんか)救済(きうさい)の神業(しんげふ)に奉仕(ほうし)する事(こと)なぞを以(もつ)て、669吾々(われわれ)は宣伝使(せんでんし)の尽(つく)すべき職務(しよくむ)と確信(かくしん)して居(を)ります。670併(しか)し乍(なが)ら、671中々(なかなか)思(おも)つた様(やう)に行(おこな)ひが出来(でき)ないので、672神(かみ)様(さま)に対(たい)して何時(いつ)も恥入(はぢい)つて居(を)る次第(しだい)で御座(ござ)います』
673松鷹彦(まつたかひこ)『オウ、674それで大体(だいたい)の御(ご)主意(しゆい)が分(わか)りました。675今(いま)までの三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)は、676三五教(あななひけう)には退却(たいきやく)の二字(にじ)は無(な)いと云(い)つて、677随分(ずゐぶん)乱暴(らんばう)な喧嘩(けんくわ)もしたものです。678然(しか)るに今日(こんにち)あなたの御(お)説(せつ)の通(とほ)り、679三五教(あななひけう)自身(じしん)に立替(たてかへ)が出来(でき)た以上(いじやう)は、680最早(もはや)天下(てんか)何者(なにもの)をか恐(おそ)れむやである。681其(その)実行(じつかう)さへ出来(でき)れば、682此(この)宇都山(うづやま)の里人(さとびと)も残(のこ)らず帰順(きじゆん)するでせう。683どうぞ武志(たけし)の宮(みや)の社務所(ながとこ)にお止(とど)まり下(くだ)さつて、684不言(ふげん)実行(じつかう)の手本(てほん)を見(み)せて下(くだ)さい。685それが第一(だいいち)の宣伝(せんでん)です』
686真浦(まうら)『有難(ありがた)う御座(ござ)います。687何分(なにぶん)宜(よろ)しく御(お)願(ねが)ひ致(いた)します。688私(わたし)の初陣(うひぢん)として、689あなたの御(ご)病気(びやうき)の全快(ぜんくわい)を神(かみ)様(さま)に祈(いの)らして下(くだ)さいませぬか』
690松鷹彦(まつたかひこ)『それは是非(ぜひ)共(とも)頼(たの)まねばならぬ。691併(しか)し乍(なが)ら不言(ふげん)実行(じつかう)だ。692お前(まへ)さまが私(わし)の宅(うち)へ来(き)て間(ま)もなく、693私(わし)の病気(びやうき)が知(し)らぬ間(ま)に癒(なほ)る様(やう)になさらぬか。694願(ねが)はして呉(く)れ……なぞと仰有(おつしや)るのが間違(まちが)つて居(を)る。695まだお前(まへ)さまはチツと許(ばか)り名誉欲(めいよよく)の魔(ま)が憑(つ)いて居(ゐ)ますな』
696真浦(まうら)『ハイ恐(おそ)れ入(い)りました。697それならモウ決(けつ)して祈(いの)りませぬ。698あなたの病気(びやうき)には無関係(むくわんけい)ですから、699さう思(おも)つて下(くだ)さい』
700松鷹彦(まつたかひこ)『ハイハイ分(わか)つた分(わか)つた。701御(お)互(たがひ)に神(かみ)様(さま)の御子(みこ)ぢや。702右(みぎ)の手(て)より施(ほどこ)す物(もの)を左(ひだり)の手(て)が、703知(し)らぬ様(やう)にするのが、704誠(まこと)の不言(ふげん)実行(じつかう)、705三五(あななひ)の教(をしへ)だ』
706真浦(まうら)『あなたは何(なに)も彼(か)も能(よ)く知(し)つて居(ゐ)て、707私(わたし)を実地(じつち)教育(けういく)して下(くだ)さるのだなア。708有難(ありがた)う御座(ござ)います。709アヽ神(かみ)様(さま)は人(ひと)の口(くち)を藉(か)つて、710イロイロと修業(しうげふ)をさして下(くだ)さるか、711思(おも)へば思(おも)へば有難(ありがた)い、712勿体(もつたい)ない』
713と涙(なみだ)を袖(そで)に拭(ぬぐ)ふ。
714松鷹彦(まつたかひこ)『わしは何(なん)にも知(し)らない。715唯(ただ)お前(まへ)さまと話(はなし)をして居(ゐ)る際(さい)、716俄(にはか)に体(からだ)が変(へん)になつて、717あんな失礼(しつれい)な事(こと)を言(い)ひました。718どうぞ気(き)に止(と)めて下(くだ)さるな……アヽ有難(ありがた)い、719今迄(いままで)ヅキヅキとウヅいて居(を)つた私(わし)の足(あし)が、720何時(いつ)の間(ま)にかスツカリ癒(なほ)つて了(しま)つた』
721と拍手(はくしゆ)再拝(さいはい)、722真浦(まうら)を神(かみ)の如(ごと)くに手(て)を合(あは)して拝(をが)み立(た)てる。
723 雪(ゆき)に閉(とざ)され四五(しご)日(にち)真浦(まうら)は、724老夫婦(らうふうふ)の親切(しんせつ)にほだされて、725教話(けうわ)を説(と)き乍(なが)ら冬(ふゆ)の日(ひ)を消(け)した。
726松鷹彦(まつたかひこ)『此処(ここ)は御存(ごぞん)じの通(とほ)り、727山(やま)と山(やま)とに囲(かこ)まれて不便(ふべん)の土地(とち)、728御(ご)馳走(ちそう)も一度(いちど)上(あ)げたいと思(おも)へども、729斯(か)う雪(ゆき)に閉(とざ)されては、730どうする事(こと)も出来(でき)ぬ。731幸(さいは)ひ此(この)川(かは)の淵(ふち)には、732沢山(たくさん)な小魚(こざかな)が居(を)つて、733つい其処(そこ)の淵(ふち)には、734冬(ふゆ)の寒(さむ)さで一所(ひととこ)に籠(こも)つて居(を)る。735これを掬(すく)うて来(き)て、736お前(まへ)さまの御(ご)馳走(ちそう)にして上(あ)げませう』
737真浦(まうら)『ア、738それは有難(ありがた)う』
739と言(い)ひつつ、740後(あと)は小声(こごゑ)で、
741真浦(まうら)『不言(ふげん)実行(じつかう)が肝腎(かんじん)だなかつたかなア』
742と幽(かす)かに呟(つぶや)いた。743老爺(ぢい)さまは玉網(たまあみ)を担(かた)げ、744雪(ゆき)掻(か)き分(わ)けて川縁(かはぶち)に行(い)つた。745そうして玉網(たまあみ)を淵(ふち)に突(つ)つ込(こ)み、746荐(しき)りに骨(ほね)を折(を)つて居(ゐ)る。747此(この)家(や)の座敷(ざしき)から能(よ)く見(み)える距離(きより)である。748婆(ば)アさまと真浦(まうら)は、749爺(ぢい)さんの川漁(かはれう)を面白(おもしろ)げに眺(なが)めて居(ゐ)た。750松鷹彦(まつたかひこ)はどうした動機(はずみ)か、751誤(あやま)つてドブンと川(かは)に落込(おちこ)み、752チツとも浮(う)いて来(こ)ない。753婆(ば)アさまは素知(そし)らぬ顔(かほ)して眺(なが)めて居(ゐ)る。754真浦(まうら)は驚(おどろ)いて、
755真浦(まうら)『ヤアお爺(ぢい)さまが川(かは)へ落(お)ち込(こ)んだ。756助(たす)けてあげねばなるまい』
757と立(た)ちあがる。758婆(ば)アさまは初(はじ)めて口(くち)を開(ひら)き、
759婆(ばば)(お竹)『不言(ふげん)実行(じつかう)だ』
760真浦(まうら)『恐(おそ)れ入(い)りました。761これから私(わたし)もお前(まへ)さまに代(かは)つてあの青淵(あをふち)目蒐(めが)けて、762バサンと飛(と)び込(こ)み、763ヂイさまを救(すく)はう』
764婆(ばば)(お竹)『お手並(てなみ)拝見(はいけん)の後(のち)御(お)礼(れい)を申(まを)しませう。765何(なに)は兎(と)も有(あ)れ不言(ふげん)実行(じつかう)ですからなあ』
766 真浦(まうら)は尻(しり)ひつからげ雪(ゆき)の中(なか)を倒(こ)けつ転(まろ)びつ飛(と)んで行(ゆ)く。767爺(ぢ)イは此(この)時(とき)柳(やなぎ)の木(き)に取(と)り付(つ)き、768ムクムクと上(あが)つて来(き)た。
769真浦(まうら)『お爺(ぢい)さま、770結構(けつこう)でした。771能(よ)う助(たす)かつて下(くだ)さつた。772実(じつ)は私(わたし)もビツクリして助(たす)けに来(き)たのだ』
773松鷹彦(まつたかひこ)『あなたは有言(いうげん)不実行(ふじつかう)だ、774アハヽヽヽ』
775 真浦(まうら)は黙(だま)つて老爺(ぢい)さまの着物(きもの)を搾(しぼ)りかけた。
776松鷹彦(まつたかひこ)『自分(じぶん)の着物(きもの)は自分(じぶん)が絞(しぼ)る。777モツと忘(わす)れたものがあるだらう』
778 真浦(まうら)は黙(だま)つて引返(ひきかへ)し、779矢庭(やには)に座敷(ざしき)の中(なか)をキヨロキヨロ見(み)乍(なが)ら、780おやぢさまの着替(きがへ)を見付(みつ)け、781小脇(こわき)に抱(かか)へて飛出(とびだ)した。782婆(ば)アは、
783婆(ばば)(お竹)『コレコレお前(まへ)さま、784それはおやぢの着物(きもの)だ。785老爺(おやじ)の陥(はま)つたのを幸(さいは)ひ、786大切(たいせつ)な着替(きがへ)を不言(ふげん)実行(じつかう)して、787どこへ浚(さら)へて行(い)くのだ。788……ホンにホンに油断(ゆだん)のならぬ人(ひと)だなア、789オホヽヽヽ』
790真浦(まうら)『エー夫(をつと)の危難(きなん)を前(まへ)に見(み)乍(なが)ら、791一言(ひとこと)も頼(たの)みもせず、792不言(ふげん)実行(じつかう)だなんテ、793謎(なぞ)をかけやがつて、794おまけに俺(おれ)を盗人(ぬすびと)扱(あつか)ひにして洒落(しやれ)て居(ゐ)やがる。795此奴(こいつ)ア普通(ひととほり)の狐(きつね)……オツトドツコイ女(をんな)ぢやあるまい。796……早(はや)く行(ゆ)かぬと、797爺(ぢい)が凍(い)てて了(しま)ふ』
798と裏口(うらぐち)を跨(また)げかける。799婆(ば)アは、
800婆(ばば)(お竹)『真浦(まうら)さま、801早(はや)く早(はや)く、802不言(ふげん)実行(じつかう)だ』
803 真浦(まうら)は物(もの)をも言(い)はず、804爺(ぢい)の所(ところ)に走(はし)り着(つ)いた。805老爺(ぢい)は赤裸(まつぱだか)となりて真浦(まうら)の持(も)つて来(き)た着物(きもの)を、806手早(てばや)く身(み)に着(つ)け『大(おほ)きに』とも、807『御(ご)苦労(くらう)』とも言(い)はず、808黙(だま)つてスゴスゴと吾(わが)家(や)に帰(かへ)る。809真浦(まうら)は濡(ぬ)れた着物(きもの)や網(あみ)を引抱(ひつかか)へ、
810真浦(まうら)『アヽ本当(ほんたう)に不言(ふげん)実行歩(じつかうほう)と出(で)よつたな。811油断(ゆだん)のならぬ化物爺(ばけものぢい)だ。812モウこれからは暫時(しばらく)唖(おし)の修業(しうげふ)だ』
813と独(ひとり)ごちつつ、814爺(ぢい)の家(いへ)に帰(かへ)つて来(き)た。
815婆(ばば)(お竹)『流石(さすが)三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)ぢや。816能(よ)う気(き)が付(つ)いた。817これでお前(まへ)も又(また)一点(いつてん)程(ほど)点数(てんすう)が増(ふ)えましたデ、818ホヽヽヽヽ』
819松鷹彦(まつたかひこ)『アイタヽヽ、820又(また)しても痛(いた)くなつた。821此奴(こいつ)ア病気(びやうき)が撥(は)ね返(かへ)るのではあるまいか。822非常(ひじやう)な激痛(げきつう)だ』
823と顔(かほ)を顰(しか)め、
824松鷹彦(まつたかひこ)『不言(ふげん)実行(じつかう)不言(ふげん)実行(じつかう)』
825と呶鳴(どな)つて居(を)る。826婆(ば)アは、
827婆(お竹)『折角(せつかく)御(ご)神徳(しんとく)を戴(いただ)き乍(なが)ら……爺(おやぢ)さま、828お前(まへ)は二口目(ふたくちめ)には不言(ふげん)実行(じつかう)と仰有(おつしや)るが、829取(と)らぬ狸(たぬき)の皮算用(かはざんよう)をする様(やう)に、830棚(たな)の牡丹餅(ぼたもち)をおろして喰(く)ふ様(やう)に、831慢心(まんしん)して、832真浦(まうら)さんに御(ご)馳走(ちそう)をしてあげようかなんテ、833仰有(おつしや)るものだから、834忽(たちま)ち神(かみ)様(さま)の御(お)戒(いまし)めを食(く)つて、835有言(いうげん)不実行(ふじつかう)になり、836そんな土産(みやげ)を頂戴(ちやうだい)して苦(くるし)むのだよ。837チツと神(かみ)様(さま)に謝罪(おわび)をなさらぬか』
838松鷹彦(まつたかひこ)『俺(おれ)は神(かみ)様(さま)に対(たい)して不言(ふげん)実行(じつかう)、839暗祈(あんき)黙祷(もくたう)を行(や)つて居(ゐ)るのだ。840どつか其辺(そこ)らに不言(ふげん)実行者(じつかうしや)が、841モウ出(で)さうなものだ。842アイタヽヽ』
843 真浦(まうら)は赤裸(まつぱだか)となり、844裏(うら)の川(かは)にザンブと飛(と)び込(こ)み、845御禊(みそぎ)をなし、846一生(いつしやう)懸命(けんめい)で何事(なにごと)か祈願(きぐわん)し始(はじ)めた。847爺(ぢ)イの足(あし)の痛(いた)みは不思議(ふしぎ)にもピタリと止(と)まつた。
848松鷹彦(まつたかひこ)『真浦(まうら)様(さま)、849有難(ありがた)う。850御(お)神徳(かげ)を頂(いただ)きました。851サアどうぞ此方(こちら)へ来(き)て下(くだ)さい。852火(ひ)を焚(た)いてあたらしてあげませう』
853 真浦(まうら)は川(かは)より這(は)ひ上(あが)り、854身体(からだ)の露(つゆ)を拭(ぬぐ)ひ乍(なが)ら、
855真浦(まうら)『お老爺(ぢい)さま、856火(ひ)を焚(た)くのもヤツパリ不言(ふげん)実行(じつかう)だ、857アハヽヽヽ』
858(大正一一・五・一二 旧四・一六 松村真澄録)
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