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第一章

インフォメーション
題名:第1章 著者:
ページ:1
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2018-11-05 02:05:54 OBC :B115009c04
一、この道は現世(このよ)幽界(あのよ)との救助船(たすけぶね)、心を任せ身を任せよ。覆へる案じも要らぬ磐楠(いはくす)神船(みふね)
二、(ほか)(をしへ)木仏(きぶつ)金仏(かなぶつ)表面(うはべ)を飾り人の眼を眩ます。これが狸の土船(つちぶね)ぞ。気の付いたものは、一日も速く乗換へて、(ふか)の餌食にならぬやうにせよ。
三、枉津神(まがつかみ)悪魔も、(まこと)の神の尊き、有難き、畏るべき事を知れり。尊き事、畏るべきを知るのみが、信心といふべからず。
四、畏れ慎しみ神に親しみ、神を愛し心を(つく)し、力を竭して神の為に働く、これ真誠(まこと)の信仰にして、神の御心(みこころ)に、かなふものなり。
五、神の教は結構ぢやが、なかなか神の教は実行不能(でけぬ)と、(ぢやう)(おろ)すものは、神のめぐみに離るるものなり。神の教の模倣(かたち)なりとなして、(せう)なる神になり、又ならんことを祈りて心を竭せよ。
六、神の教は結構ぢや、有難い、一寸(ちよつと)も抜け目がないなどとほめるばかりで、その教えによりて、我が身の行状(おこなひ)を省み、改めんとするものの無きは可嘆(うたてき)事なり。
七、神の教のいと尊き事を知りながら、その身に行ふ事あたはざる人は、その心にすめる鬼、枉津神(まがつかみ)共に妨げらるるが故なり。
八、口先ばかり神をほめ称へ、心の内にて神の御旨(みむね)背反(そむ)くものは、(にせ)信者にて、神の御心を軽んずるものなり。神を軽んずる、これを慢神(まんしん)と云ふ。慢神は天下の大罪なり。
九、信心してから、かへつて家の都合が悪くなつたなどと悔むものは、神の国の罪科(とが)(にん)なり。
一〇、()だ未だ大きな禍殃(わざはひ)や、災難(なやみ)の出て来るところを、大難を小難に真釣(まつ)りかへられ、助けられ居ることも知らずに、神の前に不足いふのみか、(ほか)の者にまで言ひ触らし、吾が身の恥とも知らずして、(つひ)には神の悪口(わるくち)。皆欲信心(よくしんじん)ゆえ、近欲(ちかよく)ゆえ、そんな分らぬ事を言ふものぞ。神の目から見ればよい罰当り。
一一、家に災禍(わざはひ)来る時、その身の罪あるを忘れて、直ちに神に不足を申す、自業自得と知らずして。
一二、信心して居る家に病みわずらひ、死人やその日の業務(なりはひ)に就て、損失起ることあらば、よくわが心と行状とを省るべし。
一三、災禍に遇はば益々心を清め腹を据ゑて、神に任せ奉れ。
一四、神は世界の民草(たみくさ)みな吾が子なれば、神は助けたいは胸一杯にましませど、(さだ)まる罪業(つみ)詮方(せんかた)なしと、(なげ)かせたまふぞ有難し。
一五、()けてから信心しても後の祭り、倒けぬ先の杖が肝心ぞ。
一六、今の世の中の人々は、欲に(まなこ)眩み、(まこと)の神の教は腹にをさまらぬゆえ、孫の代まで続いた長者無し。
一七、明日をも知れぬ身でありながら、力とすべき神を力にせずして、欲ばかりに呆けて居るもの、現世(このよ)から(はや)地獄の旅立。地獄の旅立するものを憐みて、(みづ)(みたま)ここにあらはれ、筆を限りに、声を限りに呼べど叫べど、真の神の御声(みこゑ)は、耳に入らずして、悪魔の声を辿り辿りて進み行くこそ憐れなり。
一八、神の教の船に乗るべし。人々の欲より出でし口車に乗り、神に背反(そむ)いて罪を重ねな。
一九、雷のはげしき時、地震の()る時に、神を(たの)まぬものは無し。その時の心を常に持ちて信心をせよ。常の信仰(つも)り積りて、正可(まさか)の時の救助(たすけ)船となる。何時も変らぬ、常磐(ときは)の松の心をもつて信心をせよ。
二〇、八十の手習ひ、何時になりても神の道は限り無し。一足(ひとあし)なりと早く歩みて神の御国に近寄るべし。
二一、神の御前に一旦誓ひたる事は、是非に行ふべし。神はもの言ひ賜はぬものと思ひて、舌を二つに使ふ事なかれ。
二二、神の為に尽したることは、必ず人々に分らぬやうと祈るべし。人の為に尽したる事も必ず人に分らぬやうと祈るべし。
二三、難儀な者を助けたりとて鼻にかけ、また人の前に法螺(ほら)貝を吹くなかれ。その心は卑しき心にして、神の(にく)ませたまふ行為(おこなひ)なればなり。人を救うた(むくい)は神よりこれを万倍にして報いたまふべし。
二四、信心して人から(わら)はれ、社会より除外(はね)られ、一家親類などより叱言(こごと)をむけらるるは、神の深き試みに会へることと思ひて、(たゆ)むことなく、恐るる事なかれ。世の中の言葉に従ひなば、神に背反(そむ)くものとなるべし。神の厳しき試みに会ひて、打勝つものは神の救ひを(こうむ)る初めなり。
二五、神は人を試みたまふに、いろいろのてだてをもつてせらる。くるしみを与へ、災禍(わざはひ)を下して、人々の身魂(みたま)を練り鍛へたまふ事あり。喜びを与へ、富を与へて試みたまふことあり。大方の人達はこの試みに会ひて、腰を抜かし、根の国に至るもの多し。
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