一、この道は現世と幽界との救助船、心を任せ身を任せよ。覆へる案じも要らぬ磐楠神船。
二、外の教は木仏や金仏、表面を飾り人の眼を眩ます。これが狸の土船ぞ。気の付いたものは、一日も速く乗換へて、鱶の餌食にならぬやうにせよ。
三、枉津神悪魔も、真の神の尊き、有難き、畏るべき事を知れり。尊き事、畏るべきを知るのみが、信心といふべからず。
四、畏れ慎しみ神に親しみ、神を愛し心を竭し、力を竭して神の為に働く、これ真誠の信仰にして、神の御心に、かなふものなり。
五、神の教は結構ぢやが、なかなか神の教は実行不能と、錠を下すものは、神のめぐみに離るるものなり。神の教の模倣なりとなして、小なる神になり、又ならんことを祈りて心を竭せよ。
六、神の教は結構ぢや、有難い、一寸も抜け目がないなどとほめるばかりで、その教えによりて、我が身の行状を省み、改めんとするものの無きは可嘆事なり。
七、神の教のいと尊き事を知りながら、その身に行ふ事あたはざる人は、その心にすめる鬼、枉津神共に妨げらるるが故なり。
八、口先ばかり神をほめ称へ、心の内にて神の御旨に背反くものは、偽信者にて、神の御心を軽んずるものなり。神を軽んずる、これを慢神と云ふ。慢神は天下の大罪なり。
九、信心してから、かへつて家の都合が悪くなつたなどと悔むものは、神の国の罪科人なり。
一〇、未だ未だ大きな禍殃や、災難の出て来るところを、大難を小難に真釣りかへられ、助けられ居ることも知らずに、神の前に不足いふのみか、他の者にまで言ひ触らし、吾が身の恥とも知らずして、終には神の悪口。皆欲信心ゆえ、近欲ゆえ、そんな分らぬ事を言ふものぞ。神の目から見ればよい罰当り。
一一、家に災禍来る時、その身の罪あるを忘れて、直ちに神に不足を申す、自業自得と知らずして。
一二、信心して居る家に病みわずらひ、死人やその日の業務に就て、損失起ることあらば、よくわが心と行状とを省るべし。
一三、災禍に遇はば益々心を清め腹を据ゑて、神に任せ奉れ。
一四、神は世界の民草みな吾が子なれば、神は助けたいは胸一杯にましませど、定まる罪業は詮方なしと、歎かせたまふぞ有難し。
一五、倒けてから信心しても後の祭り、倒けぬ先の杖が肝心ぞ。
一六、今の世の中の人々は、欲に眼眩み、真の神の教は腹にをさまらぬゆえ、孫の代まで続いた長者無し。
一七、明日をも知れぬ身でありながら、力とすべき神を力にせずして、欲ばかりに呆けて居るもの、現世から早地獄の旅立。地獄の旅立するものを憐みて、瑞の霊ここにあらはれ、筆を限りに、声を限りに呼べど叫べど、真の神の御声は、耳に入らずして、悪魔の声を辿り辿りて進み行くこそ憐れなり。
一八、神の教の船に乗るべし。人々の欲より出でし口車に乗り、神に背反いて罪を重ねな。
一九、雷のはげしき時、地震の揺る時に、神を恃まぬものは無し。その時の心を常に持ちて信心をせよ。常の信仰積り積りて、正可の時の救助船となる。何時も変らぬ、常磐の松の心をもつて信心をせよ。
二〇、八十の手習ひ、何時になりても神の道は限り無し。一足なりと早く歩みて神の御国に近寄るべし。
二一、神の御前に一旦誓ひたる事は、是非に行ふべし。神はもの言ひ賜はぬものと思ひて、舌を二つに使ふ事なかれ。
二二、神の為に尽したることは、必ず人々に分らぬやうと祈るべし。人の為に尽したる事も必ず人に分らぬやうと祈るべし。
二三、難儀な者を助けたりとて鼻にかけ、また人の前に法螺貝を吹くなかれ。その心は卑しき心にして、神の悪ませたまふ行為なればなり。人を救うた報は神よりこれを万倍にして報いたまふべし。
二四、信心して人から嗤はれ、社会より除外られ、一家親類などより叱言をむけらるるは、神の深き試みに会へることと思ひて、撓むことなく、恐るる事なかれ。世の中の言葉に従ひなば、神に背反くものとなるべし。神の厳しき試みに会ひて、打勝つものは神の救ひを蒙る初めなり。
二五、神は人を試みたまふに、いろいろのてだてをもつてせらる。くるしみを与へ、災禍を下して、人々の身魂を練り鍛へたまふ事あり。喜びを与へ、富を与へて試みたまふことあり。大方の人達はこの試みに会ひて、腰を抜かし、根の国に至るもの多し。