一、神は霊であり、幽体であり、隠身であるから、人の眼には隠れて、をがみまつることは出来ぬのである。
二、霊なる真の神に対する時は、己もまたその霊魂を洗ひ清めて、正しき霊をもつて対し奉らねばならぬのである。
三、教の子よ、力めて道を守り、心を清め、神に親しみ、もつて真の神の太き御恵みを享けよ。
四、神の力と恩恵、汝等が心に下るにおいては、現世にも、幽界にも、露恐るべきものは無し。
五、神の御恵みを享けしものは、苦しみをも苦しみとせず、災禍をも災禍とせざるに至るべし。
六、神は人々を幸ならしめんとし、救ひ玉はんとして、夜も昼も別ち無く、御心を砕き給ひつつあることを忘るるなかれ。
七、神は汝ら教子、または世の中のあらゆる人々を、苦しめんとは夢にも思ひ玉はず。汝等の苦しむは、神の御業にあらず、汝等の心の中に棲める鬼のなせるわざなりと知るべし。慈愛深き神はそれを眺めて、痛く歎かせ玉ひつつあることを思へ。
八、雲の上なる大宮人より、下国民に至るまで、憂きと、悩みと、苦しみとに漏れし人は無い。
九、現世はかくの如く果敢なき、亡ぶべき国なれど、常永に栄えて亡びざる国は、霊魂の故郷なり。
一〇、天津御空も、天が下にも、神の恵みは普く充ち足ひつつあり。然るに、神の恩恵の中に育ちながら、口惜んで暮し、煩ひ暮すは、皆心の罪の仕業なり。
一一、罪を悔い、過ちを改めて、四魂を洗ひ清めよ。
一二、信仰の力は、涙の雨を晴らすところの科津彦なり。栄えの門を開くところの鍵なり。
一三、歓喜の太陽は、信仰の天に輝き、穏やかの風は、誠の家に吹く。