零時三十分船窓より海面を見渡せば、月光を浴びて小さき島影の浮べるあり何といふ名の島なるか知らず。
何島か知らねど月照る海原に
浮べるさまのいとも床しき。
珍らしき平和の海と船客の
囁き乍ら煙草吸ふあり。
朝の四時海原見れば室戸岬
灯台海を照らしかがやく。
二三隻右手の海面に漁りの
小舟うかびて風波凪ぎたり。
鳴球氏吾船室をおとづれて
室戸灯台見ゆと報らせり。
室戸岬を東に眺め太平洋を航する時、後の島山の頂上より、五月七日の太陽は太洋の浪を照らして静に昇り玉ふ。
室戸岬後にながむる折もあれ
朝日東の山の上覗けり。
真帆片帆掲げて波に漂へる
漁船の三つ四つ蝶の如見ゆ。
朝六時浦戸丸は静に浦戸湾に入る。波平かにして風なく、左右の岸には樹木繁茂して、風光絶佳なり。南国の気分漂ふ鏡川の清流を呑んで、永遠の神秘を語る土佐の海いよいよ夏の心地ぞするなり。
数多の宣伝使まめ人等、大本旗を桟橋の上に立ちてひるがへし、宣伝歌を高唱して吾一行を迎ふ。
浦戸湾高知の港に船着けば
宣使まめ人神旗ふり出迎ふ。
先導は松山分所長案内にて
材木町の支部に入りけり。
本州にては漸く籾種を苗代に蒔きて僅かに数日を経たるのみなるに、土佐に来て見れば、既に已に稲田は植付け済みて数日を経しと云ふ。実に恵まれたる国と云ふべし。
猶珍らしきは梅の実の青々としたるもの、桃の実の熟したるもの、小梅の赤く熟したるなぞ、とても本州にては見られざる所なり。
支部の宣使まめ人等に送られ自動車にて足立邸に入る。鏡川軒に清く東に流れ、空気清鮮にして旅心地よし。主人の勧むるに任せ湯殿に入りて心身の垢を洗ふ。
宣使まめ人続々として足立邸に追ひ来たる。各自に画短冊かきて一枚宛を分与す。
高知新聞の記者来訪、吾小照を撮りて帰り行く。去る年の冬、琉球大島諸島を巡遊して夜叉者斗り眼に入りし吾には土佐の奇麗者婦人の多きに驚きたり。
高知支部神前拝礼相すみて
直ちに足立氏邸に立ち行く。
鏡川岸に建てたる足立家の
風光実にも天国に似たり。
画短冊数十枚に筆染めて
まめ人等に配りけるかな。
観音や達磨の半切画像をば
支部長次長に贈りけるかな。
鷲尾山雨にけぶりて鏡川
干しほ時とあせにけるかな。
塀ごしに鏡を覗く老松の
枝おもしろく栄えて樹てり。
鏡川軒を流るる宇津やかた
大王松の水かがみ見つ。
風光のわけて妙なる川ぎしに
漆器の看板あるぞ忌はし。
古の牛追橋も星うつり
今は電車の通ひ路となる。
筆山や鏡の川を見ながらに
ままならぬかな筆の運びも。
筆山のながめもあかぬ風光は
歌におよばず画にさへ描けず。
砂利あさる舟もいつきて鏡川
里の童の小魚とり遊べる。
五台山うつしと伝ふ竹林寺
かがみの川に影を落しつ。
その昔紀貫之の治めたる
土佐路に入りて歌をよむかな。
土佐日記書きしるさんと筆持てば
紀貫之の偲ばるるかな。
里人がたななし小舟に棹さして
かがみの川の浅瀬をのぼる。
見えねども小雨降るらむ川づつみ
から傘さして行く人のあり。
孕山いつも覗くやかがみ川。
小山をば率ゐて立てり孕山。
烏帽子山ふもとの小山覆ひけり。
筆山を水に描くや鏡川。
筆山をうつして清し鏡川。
鷲尾山大空高く煙りけり。
日の本の大道を開く真人かな。
家の秀も見えて大王松茂り。
干潮や鏡川原に砂利の船。
土堤を行く美人をうつす鏡川。
筆山を墨画にかけば硯かな。
命毛の筆にも似たり川辺山。
昭和の代牛追橋を電車行き。
一株の躑躅に庭の風情かな。
古びたる灯籠に家の秀見えにけり。
幼児を背に負ひつつ里の女が
土堤行く姿の詩的なるかな。
次々に新聞社員たづね来て
尊きタイムぬすみてぞ行く。
庭の面に生ふる蘇鉄の株を見て
琉球大島しのばるるかな。
自転車に乗りて土堤行く人見れば
さながら傴僂の走るやうなり。
岸の辺のすべての物を水底に
うつして清きかがみ川かな。
画短冊数百枚に筆染めて
一々信者に与へけるかな。
高知支部講演会に鳴球氏
午後六時過ぎ立ち出でて行く。
愛善会潮江の支部に講演会
出席のため白嶺氏行く。
神習教日の本教会岩本氏
足立氏邸に吾を訪ひけり。
黄昏れて白洋新聞山崎氏
半切もらひ立ち帰り行く。
どの山も立木豊けき土佐の国
神の恵みの深きをぞ知る。
鏡川水のおもてに白々と
家鴨の浮きて遊ぶ凉しさ。
どんよりと空は曇りて風も無く
心おもたき今日の夕暮。
一輪の葵の花の紅々と
庭の面占て咲きほこりつつ。
「土佐は好いとこ南を受けて、薩摩嵐をそよそよと」と云ふ俗謡を予てより聞き覚え心に常に描き居たりし憧憬の土佐へ、今日漸くに安着しぬ。陽気も本州に比べて甚だ敷く暖かく、見るもの一として新ならざるは無し。鏡川の沿岸、風光殊に妙なる足立卓子氏館に一日の疲れを休めんと南向きの座敷に陣取り筆山、鷲尾山、孕山、五台山等眼前に横たはる勝土に歌句をものして、遠く思ひを紀貫之の昔に馳せ、文机によれば鏡の川の面忽ち潮高まりて船人の勇む声耳をつんざく。牛追橋を自動車、電車、荷車の行き交ふ音も殺風景なれど、一つは旅の慰めともなりぬべし。陽西山に落つる頃此町の実業家たりし深瀬真澄と云へる人足立氏宅に吾を訪ひければ、左の和歌一首を詠みて与へける。
そこ深き川瀬の水は真澄にて
大船小船静に浮くなり。
帝国議会も無事閉会を告げ、田中首相一安心せりと聞きて、
日比谷原蛙の鳴く音静まりて
おもて凉しき初夏の風吹く。
民政党矢叫びの声鯨波の声
沖のカモメと成りにけるかな。
高知紙の社員夕暮訪づれて
幽界談を聞きて帰りぬ。
幾筋の火龍の天に登る如
灯影の揺るる鏡川かな。
筋揉みの仏教信者 夜来り
宗義語れと強談して行く。
道知らぬ邪人来り筋違ひ
質問なして這々迯げ行く。
祖師なれば他教の宗祖と同様に
法談なせと怒鳴りて帰れり。
法談をしよとせまいと吾輩の
自由と云へば眼を釣りて行く。
余りにも無礼な奴と思ふまま
謝絶をすれば怒り出したり。
愛善の道は知らぬにあらねども
獣の身魂は救ふ術なし。
礼節を知らぬ獣の質問に
返答せぬのは当り前田よ。
無言にて会はして呉れと云つたのに
ものを言つたとほざくけだもの。
無言でと云つた獣が言葉尻
握んで物言ひ附けんとぞする。
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