霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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五月廿八日 於二名洲支部

インフォメーション
題名:5月28日 於二名洲支部 著者:月の家(出口王仁三郎)
ページ:241
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2018-08-19 20:00:42 OBC :B117500c24
一片の雲かげもなく澄み切りし
空の緑の(うる)はしきかな。
吾立たむ今日の御空を天地(あめつち)
神の守りて晴れ渡るらむ。
朝晴れの空に信徒(まめひと)(とも)なひて
(たま)温泉(いでゆ)にひたりけるかな。
湯の町を通れば町人怪しげに
眼を見はりつつ吾を(のぞ)きぬ。
今日も(また)とある小店に立ちよりて
反物(たんもの)少し講めけるかな。
せせらぎの音に和しつつ庭樹吹く
風の()高き宿の今日かな。
夏木立(なつこだち)若葉に光る初夏の風
渡る林の(うる)はしきかな。
新緑のもゆる林に風立ちて
日光(ひかげ)まばゆき道後の湯の宿。
三日間宿屋住居(すまゐ)を打切りて
今日ぞ二名(ふたな)の支部に向はむ。
五年(いつとせ)の昔植ゑたる二名支部の
松は茂りて吾を待つらむ。
温泉の効験(しるし)如何(いかん)は知らねども
湯に入り見れば心地よきかな。
岩崎氏夫人を始め女流宣伝使
吾出立を見送りにけり。
湯の宿の庭に一同並列し
記念の小照撮りし今日かな。
昨夕べ県属某氏訪づれて
大本談を聴きて去りけり。
道後の湯あとに別れて荏原(えばら)愛媛県温泉郡荏原村(現・松山市の南部)
其他の支部へ急ぎてぞ行く。
我恋ふる君に増す花ありと聞き
泣いて眠れぬ夜半(よは)ぞ苦しき。
神にある人をおもひて及ばざる
吾恋やみに息づく夜半かな。
君を恋ふ吾罪ならば天地(あめつち)
()びて悲しく独り死なまし。
逢はざりし昔は心安かりき
君にまみえて涙覚えし。
乙女子の玉の肌を君の為
捧げんとする恋ぞなやまし。
人恋ふる道を覚えて女てふ
ものに生れし吾身(うら)みぬ。
君故に十年の恋を(ちり)(ごと)
捨てし吾身を(あは)れませ君。
恋知らぬ乙女と生れ来しならば
今日の悩みのあらざらましを。
道にある君をし恋ひて朝夕に
神の御前に魂はおののく。
恋ひしたふ君と語らふ夕暮も
心の奥を明かしかねつつ。
村肝(むらきも)の心に生ふる思ひ草
君に捧げむ(すべ)なき吾かな。
徒然(つれづれ)に今日も恋うた十一首
面白(おもしろ)半分作り見しかな。
三台の自動車(つら)ね午後の二時
(ふな)屋立ち出で出口に向ふ。
松山市横断しつつ石手(いしで)
公園(くぐ)れば立花の町。
 満三日間道後温泉の清遊も無事に(あひ)終り、今日は弥々(いよいよ)荏原(えばら)(さと)なる恵原の二名(ふたな)支部に向ふ事となり、吾行七人の(ほか)、各支部分所の宣伝使と共に、六人乗の自動車三台連ねて、午後の二時といふに鮒屋の表門を出づ。宿の主人以下一同立ち出でて見送る。天気(こと)(ほか)晴朗にして若葉の風清く面を吹き爽快極まりなし。
 松山氏の城山右手(めて)に眺めて市中を横断し、石手川公園の勝景を(くぐ)り、水の()れたる石手川の橋を渡れば、市の門口なる立花町なり。停車場その他の建物並びて()とも(にぎ)はし。軌道を南に越ゆれば原野の中央に小高き風致佳き丘あり。天山(てんざん)と称す、大和三山の一なる(あま)香具山(かぐやま)にその山容似たるを(もつ)て此の名ありゆ言ふ。金輪奈落の地底より湧出せる霊山なりとぞ聞く。
 (そもそも)此の天山は南北朝時代の古戦場にて、土居、得能氏が北軍と戦ひし古蹟とぞ聞くも床し。又土居氏の墓は天山の東南方なる森の中にありとの事なり。
 右手(めて)(そび)ゆる麻生(あさふ)山は余りにも高からず、山の七八合目あたり(まで)は柑橘(ばたけ)開かれ、その山姿(あたか)甲冑(かつちう)(よろ)ひたる如く、天山の古戦場と相並びて物床し。森松と云へる所より道を左に折れて一直線に浮穴(うけな)村に進む。高井の神社田圃(たんぼ)の中に数株の枝振り面白き老松に囲まれて静かに立ち、三方青山に包まれ、その風光又捨てがたし。(ここ)に自動車を止どめて、諏訪(すは)の湖水の移写なる高井の(じやう)(ふち)に杖を()く。地底より至る所に清水滾々(こんこん)として湧出し、地底の細砂を水面に向つて空地もなく吹き上ぐる(さま)珍らし。池中の小島には古き弁天の(ほこら)ありて賽者(さいしや)も相当にありと聞く。伝え()ふ、空海上人は杖を衝き立てし穴より始めて湧き出でしものにして、上人が灌頂(くわんちやう)に用ひし霊水なりと。何は()もあれ伝説は伝説としても不思議なる霊泉なり。小魚(さな)の数多浮(ゆふ)せる(さま)は旅情を(いや)して余りある奇観なり。()づ祠前に一行と共に神言(かみごと)の奏上を終り、帰途吾持てる台湾産の万両の杖にて池底を探りたる上、杖の先を洗滌(せんでき)しぬ。千古の神秘を蔵する所謂(いはゆる)杖の淵は、(これ)より杖洗ひの池と名付くることとは為しぬ。西北の空遠く見渡せば伊予不二(ふじ)の雄姿雲を(かぶ)りて立ち、障子山大友山は西南に高く(そび)えて長閑(のどか)なり。重信(しげのぶ)川の長橋を渡り、川を(さかのぼ)りて風吹く野路を坂本村温泉郡坂本村、現・松山市の最南部の出口に進む。村の入口には石もて架けられたる出口橋と云へるあり。此の橋渡れば直ちに出口支部にして岡田重稲(しげとし)氏の居宅なり。岡田氏は村医にして名望家なりと言ふ。一同例の如く神前に神言(かみごと)を奏上し、一時間の後再び自動車を(つら)ねて恵原の二名洲(ふたなす)支部長山口恒彦(つねひこ)氏邸に入る。宣使信徒(まめひと)に迎へられ門を(くぐ)れば、吾去る年の冬植ゑおきし登龍の松は見違ふ(ばか)りに茂り栄え無言の歓迎を為すに似たり。
立花町線路越ゆれば左手(ゆんで)の野
天山低く長く(ひろ)がる。
金輪際(こんりんざい)地軸を抜け出し天山の
安全地帯は岩根なりけり。
南北朝戦ひありし天山の
古蹟し見れば涙こぼるる。
石槌山東の空に(そび)えつつ
伊予の山海瞰下(かんか)するかも。
浮穴(うけな)村高井に名高き杖の淵
信徒(まめひと)(とも)なひ杖を()き行く。
珍らしき池の底より湧く清水
一目見るさへ心(すが)しき。
空海の杖の先より湧きしとふ
杖の淵底砂けぶり立つ。
万両の杖を洗ひて今日よりは
杖洗ひ池と名付けけるかな。
伊予の不二(ふじ)大友山や障子山
左右に立ちて平原清けし。
重信川長き鉄橋打ち渡り
坂本出口に車()せ行く。
出口橋渡りて()ぐに出口支部
岡田氏方に立ち入りにけり。
大神の御前に一同鰭伏(ひれふ)して
清々(すがすが)しくも神言(かみごと)()る。
大友山ふもとの里の恵原支部
さして自動車三台()せ行く。
恵原支部門に進めば五年前
吾植ゑ置きし若松伸びあり。
山口氏館に入れば真如光
早くも一部届きてありけり。
風呂に入り夕飯すみて宇知麿に
真如(しんによ)()(ひかり)真如能光(しんにょのひかり)は大本の機関誌名読ませて聴きたり。
神前に一同(そろ)ひて神言(かみごと)
声も清しく奏上せしかな。
村人の詠歌の名人()ぎよせて
浮陀洛(ふだらく)節を唄はせ見しかな。
声調に悲哀を帯びし詠歌とて
早々断り帰しけるかな。
静かなる恵原の夕べ風もなく
十日の月は空にかがやく。
十日月見んとて庭に降り立てば
森の茂みに郭公(ほととぎす)()く。
清高の御子は二名(ふたな)の旅の留守
吾に先だち天にのぼれり。
将来に望み属せし研三は
永き眠りに就きし(をし)さよ。
天国に生きて働らくとは云へど
惜まれにけり青春の御子。
祖父祖母の後を追ひつつ天国に
上りし神子の幸を祈らむ。
不老不死天津御国に上らして
御祖(みおや)の神に親しく仕へよ。
大本に朝な夕なに(つく)したる
汝は御国に永久(とは)に栄えむ。
山も野も緑の衣着かざりて
汝を御国に送りけるかな。
限りある現世の宿立ち出でて
永久の住家へ君は移りぬ。
常春(とこはる)の国に汝が魂復活し
神の大道に仕へますかも。
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