五月十四日 於栲機(たくはた)支部（棚野支部改称）

　阿波第一の清流と聞えたる勝浦(かつら)川を遡(さかのぼ)り、横瀬［※勝浦郡棚野村が大正15年2月に横瀬町と改称。昭和30年に隣村と合併して勝浦町となる。］の支部に出張すべく吾一行五名の外(ほか)に徳島分所長、沖の洲(す)支部長、外三支部長と共に自動車三台を馳す。何分四国の地は弘法大師の遺蹟も多く所々に霊山霊場あり。巡礼者の数も中々多く春秋の参拝者合計二十有五万人と称せらる。鶴林寺、星の岩窟、灌頂(くわんちやう)山等沿道の左右にありて、法灯連綿として末法の世を照らせり。勝浦川の堤(つつみ)を行けば、赤黄色の月見草の花、吾行く左右の草の中に咲き充ち川水に影を落して風情(ふぜい)言はん方なし。小津森(こづのもり)の蛇の枕、鳴瀧なぞの奇勝に心胆を洗ひ乍(なが)ら、犬帰り猿帰りの絶壁の眺め面白し。昭和の御代は斯(かか)る岩壁にも自動車の来往自由にして生稲(いくいな)の田園は古来良米の産地として其の名高く、山林ますます青く繁く、渓流ますます清く美(うる)はしく、六里の行程も何の退屈も覚えず、地方の信者に迎へられ、横瀬の支部に安く来りぬ。空は曇りたれども何となく風清く心地よき霊地なりけり。坂本川の瀬々良木(せせらぎ)の音一入(ひとしほ)興趣(きようしゆ)を添ゆ。栲機(たくはた)支部は支部長美馬(みま)邦次(くにじ)氏の邸宅を宛てられ、風光極めて佳き山間の霊地なり。表門を潜(くぐ)りて直ちに離れ座敷に招かれ、此処(ここ)に休憩する事とはなりぬ。苔(こけ)生(む)す岩以て築きたる泉水の周りには五葉松(ごえふまつ)の老樹立ち栄え、太き長き大島にも琉球にも曽(かつ)て見し事なき蘇鉄(そてつ)の株庭園の要(かなめ)と立ち、珍らしき楓樹(ふうじゆ)の露の滴(しづく)たる新芽池の面を覆ひ、躑躅(つつじ)南天木犀(もくせい)柑橘樹等庭の面を塞(ふさ)ぎ、潺々(せんせん)たる遣(や)り水の音清く響きて、仙境を偲(しの)ばしむ。里の童(わらべ)は所狭(せ)きまで集まり来たりて、吾面を一目見んものとひしめき合ひ、閑静の庭の面もいと賑(にぎ)はし。

　鳴戸蜜柑(みかん)や甘夏橙(だいだい)や夏蜜柑(みかん)は黄金色に実りて梢(こずゑ)も折れん斗(ばか)りぶら下り、其美味捨がたし。又普通の蜜柑の花の盛りにて、芳香四辺に薫(くん)じ更生の気を吾身辺に貢(みつ)ぎす。山腹には木苺(きいちご)の枝も撓(たわ)はに実るあり。採りて口にすれば味はひ殊(こと)に美(うる)はしく妙(たへ)なり。

　坂本青年団の製作せる阿波第一の煙火(はなび)を吾為(ため)に見せやらんものと、準備おさおさ怠(おこた)りなき折から、一天俄(にはか)に黒雲蔽(おほ)ひ、大粒の雨バラバラと降りそそぐ。役員信徒(まめひと)は云ふも更なり、青年団員の失望落胆思ひやられて気の毒なりき。山本宣伝使吾前に来り、仕掛煙火(はなび)に雨は大禁物なり、何卒(なにとぞ)今宵の雨を晴らさせ青年団及び有志者の好意を受けられたしとの申し入れ、実(げ)に最もの事なりとて、産土(うぶすな)の神並(ならび)に天(あめ)の水分神(みくまりのかみ)に対して左の言霊(ことたま)を宣(の)れば、雨は忽(たちま)ち晴れ渡りけり。

　鹿背山(しかのせやま)［※稼勢山とも］の麓(ふもと)坂本川の岸辺には坂本青年団右往左往、花火打ち揚げの準備忙がしげなり。支部の斎庭(ゆには)に観覧台を造り、塀越に見るべき仕掛なり。河鹿の声彼方此方の渓流を圧して清く聞え、煙火の打ち揚げを促(うなが)すものの如し。庭の面に茂れる橘の花の香は夕べの風に芳香を吐き送り、吾人の精霊に更生の霊気を貢(みつ)ぐに似たり。拍子木(ひようしぎ)の音闇を破るや、青年団の製作になる打揚げ煙火(はなび)は四辺(あたり)の山にこだまして、暗の天空に時ならぬ花を咲かせり。先(ま)づ煙火の種類は第一に打揚玉(うちあげだま)は大和響(やまとひびき)、引咲(ひきさき)之(の)二化(にくわ)、引火咲(ひきびざき)の小花、雷鳴外(ほか)十八発にして壮観なり。又仕掛煙火としては夜桜の満開、百万燭光、華厳之瀧(たき)、乱星、元火(げんくわ)、白糸之瀧等最も雄大にして巧妙なる出来栄えなりき。

　続いて佐賀定太郎氏製作の煙火(はなび)となる。先づ打揚玉としては登り電光、祝砲曲導付菊咲二化、紅牡丹(あかぼたん)、咲桔梗(さきききやう)、水星残月、登り龍火菊咲三化、上り分火(わけび)引咲(ひきざき)三化、登り電光付変星(かはりぼし)、上り分花(わけばな)小花、錦(にしき)牡丹咲二化等にして仕掛煙火の方は、銀華の瀑布、吉野山桜花満開、菖蒲(あやめ)の満開等にして、其の美観と荘厳さは、天国紫微宮(しびきゆう)に於(お)ける祭典の美(うる)はしさに似たりと云ふべし。

　嗚呼(ああ)　惟神(かむながら)霊(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)。

　数十発の大煙火は群集が拍手喝采の間に無事終了したれば、岩田、栗原両弁士、群集の散らぬ内にと、支部の広間に立ちて交(か)はる交(が)はる天国の福音をいと雄弁に宣べ伝ふ。集まる村人、老いも若きも、男子も女子も拍手して迎ふ。煙火終ると共に地上は雨の国とはなりたれど、熱心なる村人等は雨を物ともせず、軒に立ちて聞き入るもありき。