日本新八景の第一位と選定された絶景土佐室戸岬を遊覧せんと、高知分所や赤岡支部、香長支部の役員信者に導かれ、午前六時過ぎ眠た眼を擦り乍ら、四台の自動車に分乗して、約三十里の海岸線を疾駆する事となつた。夜来の雨は快く晴れ渡りたれども、天の一方には鱗雲彷徨し遊覧には恰好の天気なり。
朝六時唐人町ゆ城見町
下知につきて吹く風冷たし。
鏡川葛島橋に来て見れば
空に五色の雲の漂ふ。
美しき菖蒲の花は田の畔に
所狭きまで咲き並びけり。
馳せ行けば右手の原野の森中に
鹿児神社のおごそかに建てり。
その昔紀貫之の舟止めて
順風待ちし大津過ぎ行く。
貫之の城趾は左手の岡の上に
樹立も茂く立ちて床しき。
土佐路にて東部第一の大川と
唱ふる物部大川渡る。
四方の山紫雲たなびき朝明の
空すみ渡る土佐の国原。
野市町かかれば太陽東天に
暉き初めて吹く風凉し。
貫之の歌にたたへし名勝地
宇田の松原遠眼にかすめり。
赤岡の町を過ぐれば土佐の海
始めて吾眼にかがやきにけり。
貫之の昔を偲ぶ宇田松原
老樹に葛の捲ける床しさ。
土御門天皇様の御遺跡
夜須町通れば感慨の湧く。
右手の方手祝遊覧地海水浴
名所はあれど浪の音のみ。
夏されば海水浴場賑はむ
春の此の頃肌寒きのみ。
自動車は峠にかかりて海洋の
風光清く吾眼に躍る。
常磐木の木陰に躑躅爛漫と
咲きて土佐野の初夏を彩る。
海も空もけじめさへ無く煙る中に
ほのかに見ゆる真帆片帆舟。
前高の和喰の松原馳せ行けば
墓石の数多木蔭に並べり。
四台目の自動車遅れ三台目
宣伝ビラを撒布して行く。
長曽我部安芸国虎を亡ぼせし
八流山の古戦場行く。
松林透かして海の面見れば
白浪高く風光妙なり。
大山のあたりに蓮華の雲立ちて
海の景色の一入さえたり。
安芸の町着きしは七時三十分
朝日の光清くかがやく。
伊尾木橋渡れば伊尾木の田舎町
家屋低ふして最とも淋しき。
道の辺の小高き岡の木の茂み
縫ひつつ細く落つる糸瀧。
野中なる阿房堀の辺浪荒く
巨石怪岩あたりに立てり。
初夏の土佐早くも畑に南京の
瓜の花黄にをちこちに咲く。
雲の峰神社は左手の丘の上に
樹立も繁く立つぞ尊とき。
唐の浜あたりは所々に橙の
ぶらぶら生れる状の美はし。
連日の疲労に眠気甚だしく、数年憧憬の土佐路の海辺の風光も半醒半睡状態にて通過せしこそ最とも惜けれ。光の家吟月が丸い眼を見張りて手帖に通路の大略的情景を誌しおきたる断片的記事を辿りて、高知より室戸までの状を覚束なき三十一文字に綴りたるまでなれば、夢の歌日記にて誤れる点多かるべし。読む人幸に咎め玉ふことなかれ。あなかしこ、あなあほらしき。
安田町来れば戸々の軒近く
墓の並べる状ぞ忌はし。
安田町鮎の産地と聞くからに
来らむ盛夏の魚漁偲ばゆ。
奈半利村加領郷なる海岸に
打つ浪の秀の壮観なるかな。
羽根橋を渡れば古馬車走せ来り
吾自動車と危く行き交ふ。
右左眼の行く限り枇杷の木の
黄金色に実る豊かさ。
吉良川橋渡れば行当の浜の村
岸打つ浪のあでやかなるかな。
室戸岬眼近くなりて海の面に
漁船ちらちら浮く様床し。
室戸町安着すれば午前九時
十分御空いよいよ澄みたり。
堀港見れば無数の漁り舟
臚並べて浮ける床しさ。
貫之の室戸に舟を止めしてふ
津呂の港に舟充ちて浮く。
憧憬の日本八景の随一の
今の室戸の岬につきけり。
その昔西寺の僧侶修行せし
波切不動の景色美はし。
行当岬峰の尾の上に空海の
開きし金剛頂寺景佳し。
土佐日記鳴津の浦と記したる
硯ケ浦は一里の海浜
其昔奈良志津の浦と云ひしも鳴津浜も
硯ケ浦の古称なりけり。
鰹節珊瑚を以て聞えたる
室戸の町は家の秀高し。
津呂港室戸港を開きたる
美人を祀る一木の社あり。
梧桐林せりわりの水高巌
何れも劣らぬ風景なりけり。
空海の加持に用ひし目洗ひの
池は今にも清水漂ふ。
海神を巌の上に祀りたる
龍宮岩は岬頭の壮観。
榕樹林水掛地蔵御蔵洞
鉦石岩屋名所つらなる。
亀の池行水の池毘沙姑巌
明星院や大師堂佳し。
室戸岬二万燭光灯台は
三十浬を照らすとぞ聞く。
灌頂の浜にテントを張り廻し
風光賞でて小宴を開く。
行水池ほとりに立ちて一行と
記念の小照撮りにけるかな。
午後一時自動車四台相つらね
赤岡さして帰路につきたり。
赤岡の支部に車を止めおきて
大広前に太祝詞宣る。
赤岡の支部あとにして近侍等と
香長の支部を指して馳せ行く。
行り水の清き小溝に溌溂と
緋鯉の遊ぶ庭園床しき。
信徒の夜々の拝礼済ませつつ
月光賞でて臥床に入りけり。