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五月十七日 於高松市嶋中家

インフォメーション
題名:5月17日 於高松市嶋中家 著者:月の家(出口王仁三郎)
ページ:136
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2018-08-19 19:27:04 OBC :B117500c13
 新湊町海岸通り現・高松市玉藻町なる島中分所長宅に昨夜一行五人落着きしまま宿泊し、暖かき天国の夢を見つつ、(みなと)に通ふ船の汽笛に眼を(さま)せば、わが()ねし二階の障子(しやうじ)は太陽の光さして明るし。
笛の音にまなこ(さま)せば太陽は
寝屋(ねや)の窓さして明るし。
まめ人に(わか)たんとして絵短冊(たんざく)
百数十枚を染めにけるかな。
自動車を走らせ分所の広前に
詣でて一同太祝詞()る。
亀山の支部に至りて神前に
祝詞(のりと)まをせば心すがしき。
憧憬(あこがれ)栗林(りつりん)公園逍遥(せうえう)
初夏の景色に楽しさつきず。
公園の中島に立ち一同と
記念の小照撮らせけるかな。
人の行く足音聞きて池の鯉
群がり来り(ゑさ)を求むる。
東海道五十三次移したる
此の公園ぞ天下の勝なる。
 ○たはむれに()める恋歌
四国路に渡りて吹かるる初夏の風は
眼元(すず)しき君のこころか。
梅桜花は散れどもものを言ふ
花と旅する身こそ楽しき。
(うる)はしきこの公園の風光を
君とし見れば楽しかるらむ。
五剣山屋嶋の眺め公園の
景色見せたし君の御眼に。
公園の池には恋の餌をあさる
人の身なれば恋も深けれ。
天声社送り来りし和歌詠草
旅の空にて(えら)むぞ苦しき。
半時の休養さへも出来がたき
せはしき吾ぞ因果ものなる。
天恩郷立出で十二の日数をば
重ねて高松訪づれけるかな。
牛窪氏中野夫人は何故か
この地にありてたづね来まさず。
五年前吾見し栗林公園の
眺めはいたく変りてありけり。
波の音風のそよぎも無き(ゆふ)
独り筆持つ吾ぞ寂しき。
播磨灘(はりまなだ)遠くかすみて島影も
見えつかくれつ静けき(ゆふ)かな。
公会堂公演のため両総務
黄昏(たそがれ)の空立ち出でて行く。
夕食のうまさに余り喰ひすぎて
筆持つさへも物憂(ものう)かりけり。
帆柱は林の如く立ち並ぶ
港の夕べ静かなるかな。
栲機(たくはた)の支部長御機嫌奉伺すと
遥々(はるばる)電報送り来れり。
新居浜(にゐはま)の信者遥々訪ひきたり
二時間にして帰途につきたり。
午前七時海風強く吹き起り
浪音(なみおと)高く鳴り響きけり。
(なみ)の音益々(ますます)高く風強く
吾窓打ちて肌冷えに渡る。
讃岐会館講演すみて両弁士
かちどき挙げて帰り来にけり。
来まさぬと記せし中野祝子(ときこ)氏は
風吹く夕べ顔を見せけり。
 回顧(くわいこ)すれば大正十三年の一月、吾初めて二名(ふたな)の島に渡り牛窪家に(しやう)ぜられ、其(みぎり)日本一の公園と聞えた栗林公園に半日の清遊を試みし折、いと珍らしく眺めたる数万羽の池の面に浮遊せる鴨の群を見て興に入りしが、時季の(しか)らしむる為か、今日は一羽の鴨の影さへも見ぬぞ淋しき心地しぬ。
 東海道五十三次を移写(いしや)して造りしと伝ふ栗林公園の風光は、宛然(さながら)天国の神苑(しんゑん)にも似て(うる)はしくまた清々(すがすが)し。池中の恋は緋白黒色々の鮮鱗(せんりん)を水面にひるがへして、溌溂(はつらつ)として初夏の天を仰ぎ見るものの如し。池辺の菖蒲(あやめ)は紫に白に咲きそろひて深く花容を地底に落し、奇石怪岩碁布(きふ)する間に永久の匂ひを放つ常磐の老松は、初夏の凉風に(こずゑ)を鳴らし、青き芝生には名も知らぬ小草の花を咲きて遊覧者を待つものの如く、新緑の萌ゆる姿は池水に映じて其の風致たとふるに物なし。東洋の前途を憂ひ、心ひそかに大蒙古に出修し、皇国の為に身命を捧げんと内心深く定めつつ、日本を去らんとする名残の一ともなして見し栗林公園の(さま)は、今日見る吾眼に比して大なる径庭(けいてい)ありしなり。嗚呼(ああ)光陰矢の如く去りて早くも五年(いつとせ)星霜(せいさう)(けみ)し、再び高松の勝地を訪ひし吾、万感交々胸中に徂徠(そらい)して夢の如し。
五年(いつとせ)の昔相見し公園の
風光胸に蘇生(よみがへ)りけり。
冬の日に見し公園の淋しさに
比べて今日の(うる)はしき初夏。
紫雲山背景とせる公園の
風光(こと)に美はしき初夏。
常磐木(ときはぎ)の千代万世に茂りたる
亀命(きめい)山姿(さんし)見るも目出度(めでた)し。
亀岡の里高松市亀岡町の清けき牛窪氏
館に宿る瑞月一行。
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