霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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五月三十日 於郡中支部

インフォメーション
題名:5月30日 於郡中支部 著者:月の家(出口王仁三郎)
ページ:270
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2018-08-19 19:59:30 OBC :B117500c26
朝空に雲無く庭に風もなく
陽はうららかな二名(ふたな)の今日かな。
朝日照る大野ケ原の空高く
声せはしげに揚雲雀(あげひばり)空高く舞い上がるヒバリのこと鳴く。
今日も(また)洋服の人玄関に
出張りて吾等を守り玉へり。
法難史(たた)りを為して阿波路(あはぢ)より
洋服和服()(まと)ふなり。
庭の面に躑躅(つつじ)の花の紅々(あかあか)
笑ひて旅情(なぐさ)むるかな。
麦畠(むぎばたけ)桑園(さうえん)広く連なりて
国の()高き二名島かな。
小米花(こごめばな)近より見れば白蝶の
三つ四つヒラヒラ飛び出だしけり。
(くれない)(かへで)の若葉庭の()
そよ風あびて陽にはゆる見る。
八衢(やちまた)を通りて(もも)の動物に
(そで)をひかれて苦しみにけり。
夢ならず(うつつ)にあらず吾(たま)
救ひ求めし数万の動物。
蛇に牛鶏に(いぬ)次々に
吾にすがりし時の苦しさ。
○道歌
苦き辛き味を()めたる人の世に
立たずば葦原(あしはら)国は栄えじ。
万難を排し万苦を忍びたる
人の世に立つ秋ぞ待たるる。
顕幽(けんいう)に生死往来したるひと
出でずば誠の道は開けず。
一切の学に超越したるひと
土の中より現れ出でにけり。
学ばずに天地の真理極めたる
人は神代の柱なりけり。
朝夕に国を思ひて(なげ)きたる
ひとの世に立つ秋は近めり。
信仰に生きたるひとの(こと)の葉は
闇世を照らす光なりけり。
国民のなやみ(しの)びて一身を
捧げたるひと(まれ)なる御代かな。
人類愛善に燃えたるひと無くば
現世の闇は何時(いつ)か晴れなむ。
五十鈴(いすず)川流れに魂を洗ひたる
ひとこそ人の鏡なりけり。
千重八百重曇り果てはる人の世の
汚れを流す五十鈴川かな。
天地(あめつち)の神の御教を開きたる
人万代の宝なりけり。
 午前十一時郡中支部より宣伝使三人自動車を持ちて迎への為来たる。一行合計十人二名洲(ふたなず)支部を立ち衛門(ゑもん)三郎の札所や(ふだしよ)八塚(やつづか)等の名所旧蹟を左手(ゆんで)底本では「右手」に「ゆんで」とルビが振られているが、初出の『真如の光』昭和3年6月15日号p29には「左手」に「ゆんで」とルビが振られている。に眺め、荏原(えばら)村恵原の町中を疾駆(しつく)し、左手に折れて進めば田圃路の右側に清水を(たた)へし溜池あり。水面に日光照り映えて小波(さざなみ)銀鱗(ぎんりん)ひらめく。柑橘樹を植込みたる小丘や麦畑を左右に眺めて、原町村の鈍田(どんだ)を過ぎ、森松街道に出づれば、田の中に急造(にはかづくり)芝居(しばゐ)小屋あり。更に左に廻りて郡中街道に進み、初夏の凉風を心ゆくまで浴び(なが)砥部(どべ)橋を渡れば、遠くかすめる伊予小富士松山市の興居島(ごごしま)にある小高い山の山姿正しく海岸に立ち、左手には麻生山の琴平(ことひら)神社及び三島神社ありて風致絶妙なり。銃を肩にせる兵士二十余名、右手の畔路(あぜみち)を静かに行く見ゆ。八倉(やぐら)村の矢取(やどり)橋を進めば梅の名所なり。
弓なりの道路進めば矢取橋
水なき川に(かか)(つる)かな。
 八倉(やぐら)村の広田神社を車上より礼拝し(なが)ら、馬車数多(あまた)行き交ふ町中を、右や左に(くぐ)りぬけ梨果(なし)の名産地なる南伊予(いよ)現・伊予市の東端に入る。溜池の堤の上に肥満せる耕牛二頭静かに草を()める様物床し。松前(まさき)の義農作兵衛の墓は遥か北方の村中に在りと云ふ。牛小ケ原の並木の松原、左手(ゆんで)の原野に横たはるを見つつ車は早くも三里の路を突破して郡中町(ぐんちうちやう)伊予郡郡中町、現・伊予市の中心街に入りぬ。此間(わづか)に三十分なりき。
 伝へ()ふ、古昔(こせき)衛門(ゑもん)三郎となん云へる地方切つての長者ありしが、性質強欲深く、善根(ぜんごん)(つちか)ふ事を知らず、巨万の資産を(よう)し (なほ)も蓄財に余念なかりしが或日(あるひ)夕暮空海上人来たり門に立ちて托鉢(たくはつ)()ふ。衛門三郎空海の姿を見るや(こぶし)を固めて空海が手に持てる鉄鉢(てつぱつ)を叩き落したるに、鉄鉢はもろくも八つに()けたり。空海はそのまま何地(いづち)へ行きしか姿見えず。三郎怪しみて家内(やぬち)に入れば八人の愛児は(すで)悶死(もんし)してありければ、流石(さすが)の三郎も悔悟(くわいご)し、()づ八人の児の塚を造りて埋め置き、空海上人に謝罪して、未来の冥罰(めうばつ)(まぬか)れんと四国地を数十回巡礼し、(つひ)に空海に(えつ)して()の罪を謝し、(これ)より札所(ふだしよ)を造営して仏事に一生を終りたり。(ゆゑ)に国人今に至るまで(これ)を伝え信仰の(かがみ)となせりと云ふ。(いづ)れにしても珍らしき伝説と云ふ可し。
正午前郡中支部の橋本氏
やかたに一同安く着きたり。
橋本氏好意の川芎(せんきゆう)薬湯(やくたう)
ひたりて心身爽快となりぬ。
正午過ぎ栗原総務求道者に
二席重ねて法談を()す。
信徒(まめひと)(わか)たむ為と絵短冊(たんざく)
約九十枚筆染めにけり。
鳴球氏宇知麿役塲(やくば)楼上(ろうじやう)
講演の為夕刻立ち行く。
霊界の消息大本教旨(けうし)なぞ
()懇切(こんせつ)に聴衆に説く。
盛会裡講演終り両弁士
勇み帰りぬ()の刻過ぎて。
今日こそは吾生れたる()き日なり
十二夜の月清くかがやく。
月高く星又高く空青く
そよ風も無き今宵(こよひ)珍らし。
白嶺氏は講演の(さま)見んものと
一人夜の町辿(たど)りてぞ行く。
窓開けて月を眺むる折もあれ
郭公(ほととぎす) かすかに聞え来。
信徒(まめひと)は講演会に皆行きて
今宵の宿の静なるかな。
○道歌
天津神国津御神の命以て
道開きたる人ぞ雄々しき。
国直日主の命のいさをしは
弥勒(みろく)を待ちて現はれにけり。
大教祖天王平の奥津城に
国の(いすづゑ)固め(たま)へり。
龍子姫輪能姫を使ひとし
教祖は道を守りますらむ。
奥津城の小松の林茂る(ごと)
日々栄え行く大本の御子。
静なる夜なれば町に程遠き
田の面の蛙鳴く声聞ゆる。
○道歌
天津神地上の為に降したる
ひとの子独り世を(しの)び泣く。
五十鈴(いすず)川澄み渡りたるひと筋の
清き流れぞ世を洗ふなり。
産土(うぶすな)の神の姿に生れたる
ひとは暗夜の光なりけり。
(えら)まれて教の柱と生れたる
ひとの言霊(ことたま)世を(いか)すなり。
大方の世人の眠りさましたる
人は現世の木鐸(ぼくたく)なりけり。
神言(かみごと)を正しく説きたるひとつ火の
光は闇世の灯台なりけり。
君の為御国の為に(つく)したる
人をなやむる暗世忌々(ゆゆ)しき。
奇魂会富戸の神と生れたる
人は現世の導師なりけり。
蹴落(けおと)され踏みにじられて世の為に
つくしたるひと真の神なる。
斯の道の蘊奥(うんあう)を深く究めたる
人の開きし三五(あななひ)の教。
(さか)しまの世に悩みたる人草を
救はんために天降(あも)りし神の子。
敷島の道開きたるひとの声
天地四方に鳴り渡るなり。
皇国の為に誠を(つく)したる
人の子攻むる世こそ嘆てき。
背に腹を替へて()の世に降りたる
人の(こと)の葉仇花(あだばな)ぞ無き。
(そむ)きたる人も我子の如くして
恵みに活かす神ぞ(かし)こき。
高天原紫微(しび)の宮より降りたる
ひとつの魂ぞ世の光なる。
千早振(ちはやふる)神の任さしに天降(あも)りたる
人の霊魂は顕幽(けんいう)に照る。
月の宮造り上げたる人の子は
常世(とこよ)の暗の光なりけり。
手と背に(うづ)聖痕(せいこん)しるしたる
人の言霊天地動かす。
年若き時より神と呼ばれたる
人の世に立つ五六七(みろく)の神代かな。
何もかも知りつくしたる人の子の
出づる五六七の御代ぞ恋しき。
和妙の綾の聖地に召されたる
人は伊都能売(いづのめ)みたまなりけり。
奴婆玉(ぬばたま)の闇に御魂(みたま)を汚したる
ひと清めんと伊都能売の神。
根底(ねそこ)までおちたるひとを救はんと
みかへるとなり現れし伊都能売。
軒ゆがみ壁の落ちたる人の家に
産声あげし(みづ)御魂かも。
腹借りて賤ヶ伏家に産声を
あげたるひとの神の子珍らし。
久方の天津空より降りたる
ひとつの御魂は神の(たて)なる。
不思議なる赤縄の糸のからみたる
人の子(つひ)に世に勝てるなり。
隔たりし天と地との結びより
生まれ出でたる人の子神の子。
細々と煙立てたる人の家に
獅子吼(ししく)の初声あげし神の子。
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