朝の空は曇りたれども、夜来の雨は降り止みて庭の面に風凉しく、橘の花の香清く心胆を洗ふ。暁告ぐる鵲の声、家雞の叫び、雨を帯びし梟の濁りて重き声、嫩葉を含みし郭公老鶯の囀り、行々子や、村雀の声楽を一斉に揃へて、朝寝坊の閑楽を揺り起さんと総攻撃を開始せるものの如し。起きて庭園に出づれば花橘の袖に匂ひて、忽ち眼をさまし心を慰む。嗚呼この仙境も半日の後には立ち去るべき運命にある吾、惜みても猶余りありけり。
百鳥の声に眼さめて起き上り
心ゆくまで花の香に酔ふ。
湯を上り側ら見れば木苺の
黄金色に実りて吾待つ。
産土の神の社に宣伝使
吾代参と詣でてぞ行く。
○明光社第二十三回冠句
浮かれだし 薬缶がステテコ踊つてる
仝 木の芽三寸後家の尻
仝 夢中暗雲で踊つてる
仝 思はず脱線する茶瓶
仝 息子に意見されてゐる
しんしんの 志士があつまる三五教
仝 教理を開く三五教
仝 強い家には闇が無い
仝 功徳に由つて家は無事
しんしんの 光に充つる月の国
仝 光を放つ月の神
仝 石で固めた月宮台
仝 光は月の御精霊
仝 身魂あつめた大本教
仝 力は石より猶堅い
仝 花咲き匂ふ月の法城
そのあした餓鬼の顔見り 笑ひ顔
病める身も神を思いて 笑ひ顔
パスしたと思つた刹那の 仝
細目して一寸うつむき 仝
一寸見て意味深長な 仝
午後零時三十分三台の自動車にて横瀬栲機支部長に案内され景勝の地を去る事とはなりぬ。吾一行を送らんと打ち上ぐる煙火は天に響きて自ら壮快の気分ただよふ。勝浦川の清流に沿ひ初夏の凉風に面を吹かせつつ小津森の淵蛇の枕の勝地にかかる。後列の自動車影見えぬまま下車して淵辺に降り碧潭を探る蛇の枕は砂利の枕となりて深淵の中に横たはり、伝説の主人公然と千古の謎を語り続けてゐる。伝え言ふ対岸の村長所用ありて他行より帰る時、大雨の為に河水氾濫し、激流怒濤渦巻きて家に帰らん術無く路傍に彷徨ひ居たるに、其家の下婢突然何処よりとも無く現はれ来りて云ふやう、斯る大水に河を渡らんこと甚だ危険なり。婢幸ひに幼時より水練の妙を得たれば、主人を彼岸に渡し申さん願はくば瞑目して我背に寄らせ玉へといふ。主人は打喜び、何気なく下婢の背に負はれ七分斗りも河水を渡りし時、余りの不思議さに、約に背きて眼を開きたるに、巨大なる大蛇なりければ、大に驚きたれども終に其儘対岸に無事渡り終へたり。その時下婢は涙を流して曰ふ。大恩ある主人なれども、醜き吾姿を看破されたる上は、一日も主家に現在のまま仕へまつる事叶はず。故に妾は木津森の淵にながく潜みて主家を守るべし。妾の霊生きて現世にある間は、深淵の砂島は如何なる大水にも失せざるべしと遺言し、其まま下婢は水泡となつて消え失せたるが、今に其砂島、所謂蛇の枕は依然として深淵の中に現存せりとて、里人は是を永久の謎として伝へ居れりと云ふ。
吾も今回態々車を降りてその蛇の枕を実地に視察し、称不思議の感に打たれたり。帰途阿波の三山の称ある日の峰、中津峰、津峰を遥見せしに余り高からぬ丘陵なれども、何となく床しさの湧く山にぞある。生稲村字沼江と多家良村の字長桎の中間渓川の絶壁は昔より犬帰り、猿帰りと云へる危険の通路なりしを今は開拓され、自動車、馬車の容易に通ひ得る事となれり。一行は漸く午後二時徳島市の公園、猪津山の麓なる公会堂滴翠閣に安着し、少憩の後一同記念の小照を撮り、直ちに中央支部長の案内にて出来島本町の支部に入り休憩す。栗原白嶺、岩田鳴球両宣伝使は三時より会堂に聴衆を集めて、斯道の為大獅子吼する事となりぬ。阿波各地の支部長も加はりて斡旋の労を取らる。市中の老若男女たち王仁来会と聞きて次々に集まり来たり、不審の眼を開きて凝視するさま、何と無く物愧かしき心地こそすれ。
やりきれぬ 昼夜不断のサデスムス
仝 貧乏世帯に餓鬼一打
仝 高いおのろけ聞かされて
仝 と言つて投げ出す卑怯者
仝 筈が無いのにやりきらぬ
仝 日に三回の貝料理
やりきれぬ いやな晩でも若燕
仝 日に三回の無心状
仝 操を人に貸す女房
仝 酒飲おやぢの博奕打ち
仝 蘇鉄地獄の離れ嶋
栲機の支部を昼すぎ立ち出でて
徳島さして急ぐ今日かな。
打上げの煙火に一行送られて
勝浦堤を馳せ行く凉しさ。
○明光社第二十三回冠短句
題 星都
星 腕利きの議長
仝 薬屋の親玉
都 地嶽の生き移し
仝 八衢もあり地獄もあり
仝 無角の鬼が住む
星 太白星が一等
仝 月神の守備兵
星 煙火の大部分
仝 の公会堂は銀河
仝 梅雨時の晴衣
仝 眼球を包む雲
仝 黒姫の定紋
仝 飴屋の商標
都 日本魂の墓穴
仝 憧憬の的
仝 人間を小さくし
都 煙と埃のグラウンド
仝 車の八衢
仝 火の車の造り主
仝 共産主義の養成所
仝 塵捨場
午後六時滴翠閣の講演を
終りて両氏支部に来れり。
聴衆は約五百人柔順に
講演ききしと信徒報じぬ。
今日小半日徳島市中央支部に休養し、徒然の余り又もや副守の作になる恋歌をたはむれに書き綴るになむ。あなあやしくあほらしく。
○たはむれに詠める
思はざる人に思ひを懸けられて
思ひ返さむ術なき旅かな。
愛らしきアア其の瞳その微笑
見る吾生命に伸縮のあり。
汝御手の触るる度毎心臓の
皷動の波の高まる苦しさ。
天地に只一人なる君の面に
迷ひぬるかな大丈夫の身も。
村肝の心は闇となりにけり
君が瞳にまなこ眩みて。
儘ならぬ浮世の状ぞ悲しけれ
恋人残して帰り行く吾。
親よりも子よりも増して恋しきは
我思ふ君の俤なりけり。
生命まで俱に死せんと誓ひたる
恋人今は人妻となる。
人生に恋てふ花の咲かざれば
人は残らず鬼畜とならむ。
生れし子の恋しき君に似通ふは
わがたましひの誇りなりけり。
なよ竹の優しき君の言の葉は
吾を射照らす光なりけり。
吾思ふ人に言葉をかけられて
今業平よと自惚て見し。
くろがねも熔けん斗りに胸の火の
燃えさかりけり君恋ふ吾は。
名人の画より抜け出し如くなる
君の姿に憧憬て泣く。
君恋ふる心あかして岩躑躅
から紅にもゆる思ひは。
もろこしの野に戦ひし身乍らも
恋には弱き吾にぞありける。
蒙古人数多引き連れ戦ひし
われにも恋の悩みありけり。
山や野に唄ふ小鳥も雌を恋ひ
声を競ひて泣く世なりけり。
其昔能はぬ恋とあきらめし
人に恋はるる身とぞなりけり。
花匂ひ月は澄めども思ふ人の
影見ぬ園は寂しきものかな。
珍らしき吉野の川の清き瀬を
妹に見せたく思ふ旅かな。
新緑のもえ立つ眉山の風光は
平和の女神の姿ぞと思ふ。
山河も一入清き阿波の国の
人の心の穏かなるかな。
眺むれば眼さむる眉山のあしたかな。
蜂須賀の城趾や万花の園となり。
新緑を戦がせて行くや初夏の風。
神前の夕べの拝礼相済みて
宣使まめ人宣伝歌宣る。
集まれる信徒たちに鳴球氏
吾歌日記読みて聴かせり。
和歌冠句合せて百首作りけり
今日一日の閑を塞ぎて。
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