一同は前後百余日を費やして立派な宮を建て上げた。節分の夜に遷宮式を行うことになった。四方八方から信者が集まり来たり、祠の森の広い谷も立錐の余地ないほどになった。
バラモン組も祭官の中に加わり、祭服をまとって神饌所で調理にかかっている。イクは無形の神に多くの神饌を備える意義に疑問を呈する。ヨルは心を尽くして献餞することで神様は霊をあがり、真心を受けるのだと説明した。
祓戸式、神饌伝供も済み、遷宮祝詞も終わった。それより餅まきの行事に移った。神饌長の純公をはじめ、イル、イク、サール、ヨル、テル、ハルたちは餅をまき、一場の争奪戦が繰り広げられた。終わって各信徒は立派に建て上がった新しい宮を伏し拝み、家路に帰って行った。後には宣伝使、祭典係と熱心な信者たち十数人が残っていた。
神殿は三社建てられ、中央には国治立尊、日の大神、月の大神が祀られ、左の脇には大自在天大国彦命と盤古大神塩長彦神、右側には山口の神をはじめ八百万の神々が鎮祭された。
この祭典が終わると、玉国別の眼は全快し、以前にましてますます円満の相となり、にわかに神格が備わってきたように思われた。
玉国別は残った者たちを社務所に集め、直会の宴を開くことになった。玉国別は鎮祭の無事終了を祝して、お神酒をいただきながら歌いだした。玉国別はこれまでの経緯を歌い、五十子姫と今子姫にイソ館に帰るように促した。
珍彦と静子には、ここに残って自分に代わって神殿に仕えるようにと命じた。そして自分は、弟子たちを引き連れて夜明けにハルナの都に向けて出発することを宣言した。
五十子姫と今子姫は、玉国別一行の旅の成功を祈る歌を歌った。道公は二人に感謝の返歌を歌った。たちまち五十子姫は神がかり状態となり、国照姫命の神勅が下った。
国照姫命は、玉国別の眼が怪我を負ったのも神の恵みであると託宣し、道公に道彦、伊太公に伊太彦、純公に真純彦、晴公に道晴別とそれぞれ名前を与えた。
一同は互いに感謝と出立・見送りの歌を詠み交わした。一同は前途の光明を祈りながら大神の前に拝礼した。
翌日玉国別は、珍彦、静子、楓、バラモン組の六人や熱心な信者たちに祠の森の神殿の後事を託し、道晴別、真純彦、伊太彦、道彦と共に宣伝歌を歌いながら、初春の日の光を浴びて河鹿峠を下って行った。