祠の森の神殿は、珍彦と静子の夫婦が神司となって奉仕していた。二日目の夜中ごろから娘の楓に神がかりが始まり、数多の信者は生き神が現れたと喜んで、神殿はにわかに神勅を乞う参拝者であふれかえった。
しかし楓の神がかりはあまり高等なものではなかった。バラモン教から改心したイル、イク、サール、ヨル、テル、ハルの六人は、楓の神がかりに盲従して神務に奉仕していた。そこへ、中婆の宣伝使が現れ、神徳が立っている神殿に伺いに来たと訪ねてきた。受付にいたヨルは、楓姫に日の出神様がかかって大変な神徳が立っていると答えた。
この婆は高姫であった。高姫は東助を慕って斎苑館にやってきたが叱り飛ばされ、なんとかして自分の腕前を見せて東助の気を引こうと、信仰がぐらつきだした。そして祠の森にあまり徳の高い信者が仕えて居ないことを知って、一旗揚げようとやってきた。
高姫は楓に憑いた神霊を怒鳴りたてて追い出してしまい、その弁舌で珍彦、静子らを掌中に丸め込んでしまった。そして朝から晩まで脱線だらけの神懸りをはじめ、ふたたび筆先を書き始めた。
そもそも、精霊と人間の談話は危険至極のため、神界ではこれを許し給わぬことになっている。人間は精霊の容れものであるが、精霊は人間の肉体の中に入っても、そのことを知ることはできないようになっている。しかし鋭敏な精霊は、肉体と自問自答することで、自分が人間の肉体の中にいることを悟ることができる。
精霊には正守護神と副守護神がある。副守護神は人間を憎悪する。ゆえに、もし副守護神が自分が人間の肉体の中に入っていることを知ると、その霊魂と肉体を亡ぼそうと企むのである。
高姫はこの副守護神に左右され、精霊を神徳無辺の日の出神と固く信じ、なすがままに使われてしまっていた。
副守護神は高姫の肉体をすぐに亡ぼさず、むしろこれを使って自らの思惑を遂行し、大神の神業を妨げ、地獄の団体をますます発達させようと願っている。精霊は、霊界のことは相応に見ることができるが、自然界のことを見ることができないから高姫の肉体を使うのである。
もし神が、人間と精霊が交信することを許してしまうと、精霊は人間の存在を知ってしまい実に危険である。人が深く宗教上のことを考え、もっぱらこれにのみ心を注いでしまうと、自分が思惟したことを現実的に見てしまう。このような人間は、精霊の話を聞きはじめてしまう。
すべて宗教上のことは、心の中で考えるとともに世間における諸々の事物の用によってこれを修正するべきなのである。もし修正できないときは、宗教上の事物がその人の内分に入り込む。そして精霊がそこに居を定め、霊魂をまったく占領してしまうのである。
空想に富み、熱情に盛んなる高姫は、いかなる精霊の声をも聖き霊なりと信じ、精霊の言うがままに盲従してでたらめを並べられ、宇宙唯一の尊い神を表したように得意満面になって礼拝し、これをあまねく世に伝えようとしている。
高姫もまた副守護神に幾度となく虚偽を教えられ嘘を書かされても、神が気を引いたとかご都合だとか自分の改心が足りないとか理屈をつけて少しも疑わず、ますます有難く信じ込む。悪霊に魅せられた人間はこんな具合になるものである。
この日の出神と自称している副守護神は、自分自身は八岐大蛇の悪霊であり、金毛九尾の悪孤であった。しかし他の精霊と変わっている点は、五六七の世が出てくることを知り、いつまでも悪を立て通すわけにはいかないことを知っていた。
そこで、心の底から改心し、昔から世を乱してきた自分の悪を悔い改めて誠の神の片腕となって働くのであると考えていた。そして、悪に強かったものはまた善にも強いはずだ、ゆえに自分の言うことは一切が霊的であり神的であり、かつ善の究極である、と信じているのである。
高姫はその精霊を、義理天上日の出神であり、悪神が改心して誠に立ち返った尊い神だと信じて崇拝し、いいように使われてしまっていた。
精霊は自分が人間の体に入っていることを感知していた。人間もまた精霊が体にいることを感知していながら、かえってこれを自分の便宜となし、愛するのである。精霊に迷わされる者は愚直な者か、貪欲な者か、精神に欠陥のある者であることを記憶しなければならない。
現今の大本にも、高姫類似のてん狂者や強欲人間が集まり随喜の涙をこぼし、地獄の門戸を開こうと努めている者があるのは、仁慈の神の目から見て忍び難いところである。しかし悪霊の肉体と霊魂を占有された者は、容易に神の聖言を受け入れることはできないものである。
神の道を信仰する者は、この消息を十分に理解して、邪神に欺かれないように注意することを望む次第である。悪の精霊は決して悪相をもって現れず、表面もっともらしい善を言い、集まってきた人間に対してあるいは脅し、あるいは賞揚し、霊の因縁とか先祖の因縁とか言ってごまかし、人を知らず知らずのうちに邪道に導こうとするものである。