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御神業と御奉仕

インフォメーション
題名:08 御神業と御奉仕 著者:出口王仁三郎
ページ:
概要: 備考: タグ: データ凡例:『神の国』昭和10年(1935年)9月号 データ最終更新日: OBC :B182000c08
 御神業(ごしんげふ)とは筆先の三千世界を立替(たてかへ)立直(たてなほ)して、弥勒の世即ち地上に天国を建設し、皇祖皇宗(くわうそう)の御遺訓に奉答し(たてまつ)(いひ)である。御奉仕とは地上天国建設の御経綸に(つい)て、無条件に()の御用を勤めさして頂く事であるから、私心私欲を去つて神の御為(おんた)君国(くんこく)の御為めに奉仕させて頂かねばならぬ。奉仕の原則としては、奉仕さして頂くのであつて()てあげるのでは無い、御用してあげるにあらずして御用さして頂くのである。奉仕には必ず感謝の念を以て(あた)らねばならぬ。又御用さして頂くことを無上の光栄と思惟(しゐ)せねばならぬ、仮にも報酬を望むが如き心、神に恩を売るが如き心が寸毫(すんがう)あつてはならぬ、全身全霊を御神業の為めに捧げ誠を(つく)す事である。にも(かかは)らず神の目から()れば、皆が御神業ぢや御奉仕ぢやというて一生懸命やつて()れては()るやうでも、それが御神業の御邪魔になつたり、御経綸を妨げたりして()るのが多いので実は難有(ありがた)迷惑である。それ()裏面(りめん)には必ず一種の野心を包蔵して()るか、慢心して()るか、功名心に駆られて()るか、我欲(がよく)があるか、執着があるか、不平があるか、(いづ)れにしても決して(じゆん)で無いものが働いて()る結果である。感謝と報恩の念を以て不惜身命(ふしやくしんみやう)的神第一信仰第一主義に誠でした仕事なれば必ず(その)結果は良いものである。
 今の世の中の一般的制度の多くは官庁又は会社(とう)の役員の如き大抵朝八時から夕の四時迄事務を執れば一日の勤務を終へた事になる、一般筋肉労働者は一日の労働時間を八時間にせよとて八ケ間敷(やかまし)く資本家側に要求して()るとか聞いて()る、又総ての仕事は分業的とでも云ふものか各々(おのおの)(その)係を定めて置いて分類的に処理して行く事になつて()るが()めに甲の係が非常に多忙を極め煙草一服する間も無く一生懸命やつて()つても、隣席を占めて()る乙の係は(わが)不関(くわんせず)(えん)で少しも手伝ふともせず傍観して()るといふ有様(ありさま)で人物経済の上から()ても又百般の事務に通暁(つうげう)するといふ点からでも不利益だと思ふ。これが外国の()(かた)人業(じんげふ)といふものだ。日本の行り方は時間によつて仕事をするのでは無い、朝日の出から夕日の入りまで労働するのだ、別に(さだ)まつた休日とては無い、外部の仕事は雨降りの日が休みだ、係とか役とかいふものは別に定めては無いけれど惟神(かむながら)に皆が信仰による誠でもつて御用に(いそ)しむのであるから如何(どん)な仕事でも(みな)御神業であつて高卑(かうひ)の別は無い、だから(たがひ)に助け合つて全力を注いですれば楽に出来る筈だ、そして(その)日の仕事は夜になつても(その)日に結末をつけて(しま)ふのだ、明日に(もち)越すといふ事をせぬのが原則だ。
 大本の神業というものは決して大本自体の為にするのでなくして天下国家の為にして()るのだから(その)理由を()く理解して、御神業に(つく)す事は(いづ)れも(みな)世界の為に(つく)して()ると云ふ事になるのであつて、これ(ほど)神聖な事は他の(いづ)れに求めて無いのだから人間心(にんげんごころ)を捨てて(しま)うて総てを神に任して貰ひたい。経綸(けいりん)(つい)ては人間の常識で考へて成功と思ふものも神の方では不成功の事もあり不成功と思ふ事も大成功の場合もある、何としても天地に対する大経綸であるから皮相(ひさう)だけの観察では容易に判るべきものでは無いから、細工は流々(りうりう)仕上げを見て(もら)ひたい、後で判る仕組であるから。要は神を信ずると共に私を信じて、人の口車(くちぐるま)などに乗らず終始一貫して(もら)ひたい、それが一番神へ忠実である。
 又奉仕には精神的と、物質的と、労務的といろいろあるけれど(その)心持(こころもち)は皆一様(いちやう)でなければならぬ。今度は苦労艱難(かんなん)誠の花の咲く世が来たのであるから眼前(がんぜん)小利(せうり)小欲(せうよく)(とら)はれずに大きな心になつてやつて(もら)ひたい、如何(いか)なる苦しい事も又如何(いか)(いや)しい事でも御神業に奉仕さして頂いて()ると思へば感謝こそすれ不足などの心があらう道理は無い(はず)だ。不平の心が起きたり、仕事の高卑(かうひ)を気にしたりする(うち)()だ御神業といふ事も、御奉仕といふ意義も判つて()らぬというてもよいと思ふ。──(森良仁)
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