霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一章 高春山(たかはるやま)〔六七五〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第21巻 如意宝珠 申の巻 篇:第1篇 千辛万苦 よみ(新仮名遣い):せんしんばんく
章:第1章 高春山 よみ(新仮名遣い):たかはるやま 通し章番号:675
口述日:1922(大正11)年05月16日(旧04月20日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1923(大正12)年4月5日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
蜈蚣姫の手下・鷹依姫は、南に瀬戸の海、東南に浪速の里を見下ろす高山・高春山の頂上に岩屋を造り、バラモン教の一派・アルプス教を立てて自転倒島を八岐大蛇の勢力化に置こうと画策していた。
山麓の津田の湖には多数の大蛇が潜伏して、日夜邪気を吐き出していた。高姫と黒姫は、三五教に改心した証として、鷹依姫を言向け和そうと、高春山に飛行船にてやってきた。
高春山の五合目辺りに天の森という巨岩が立ち並ぶ、うっそうたる森がある。森には竜神の祠があり、雨風を自由にするといって鷹依姫が崇拝していた。アルプス教のテーリスタンとカーリンスが、この祠の警護にあたっていた。
そこへ高姫と黒姫が登って来た。二人は、噂に聞く竜神の祠の扉を開けた。高姫は、すぐにでも、鷹依姫が拠り所としているこの竜神を言向け和して手柄を現そうとする。
黒姫は、焦らずにじっくり探りを入れてからとりかかろうと諌めると、高姫は黒姫の過去をあげつらって非難を始めた。
売り言葉に買い言葉で、高姫が師弟の縁を切ると言い出し、黒姫も三五教に来てから粗略に扱われた不満を表して、高姫に暇を告げる。
テーリスタンとカーリンスは、竜神の聖地を汚したと言って現れ、二人を引っ立てようとする。黒姫は、竜神が自分を呼んだのだ、と言い、逆に二人に取り入ってアルプス教に寝返ってしまう。
テーリスタンは、黒姫を鷹依姫に面会させるために、手を引いて頂上の岩屋へと連れて行った。
後に残された高姫は、カーリンスを言向け和そうと説教にかかるが、カーリンスは鷹依姫から、三五教の高姫はアルプス教には間に合わない、と聞かされていた。高姫はカーリンスによって捕縛されてしまう。
鷹依姫は、聖地に密偵を入り込ませていたので、高姫と黒姫が山を登ってやってくることを知っていた。テーリスタンが黒姫を連れて来ると、丁重に出迎えた。そうして、部屋に案内する振りをして、岩屋に閉じ込めてしまう。
鷹依姫は、黒姫を仲間にしようと黒姫の腹の底を油断なく伺っている。また、高姫は如意宝珠を飲み込んでいるので、腹を割いて玉を奪おうと考えていた。
カーリンスが高姫を捕縛してくると、鷹依姫は庭先に下させて、黒姫を呼びにやらせた。黒姫は岩屋の中に座って、自らの心の内を宣伝歌に託して、小声で歌っていた。
黒姫が高姫と喧嘩をして縁を切ったのは、本心ではなく、アルプス教を油断させようと心にもなく高姫を罵ったのであった。
黒姫は鷹依姫の前に呼び出されると、鷹依姫に忠誠を近い、倒れている高姫を拳で打ちすえてみせたそれを見た鷹依姫は、高姫の如意宝珠の玉取りを、黒姫に任せ、秘密の部屋に高姫を運ばせた。
やがて高姫は気がついた。黒姫はここは高春山の岩窟であることを告げ、何事かを高姫にささやく。高姫は、秘密の部屋に紫色の玉があることに気がついた。
黒姫は、これがアルプス教の性念玉であることを告げると、高姫は紫色の玉を餅のように伸ばして飲んでしまった。
秘密室の外には、慌しい足音が駆け出すのが聞こえた。これはテーリスタンとカーリンスであった。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2021-05-02 19:11:05 文字数:10700 OBC :rm2101
愛善世界社版:9頁 八幡書店版:第4輯 267頁 修補版: 校定版:9頁 普及版:3頁 初版: ページ備考:
001雲(くも)を圧(あつ)して聳(そそ)り立(た)つ
002高春山(たかはるやま)の山頂(さんちやう)に
003バラモン教(けう)を開(ひら)きたる
004大国別(おほくにわけ)に憑依(ひようい)せる
005八岐(やまた)大蛇(をろち)の分霊(わけみたま)
006醜(しこ)の曲霊(まがひ)が割拠(かつきよ)して
007山野(さんや)河海(かかい)を睥睨(へいげい)し
008大江(おほえ)の山(やま)と三国岳(みくにだけ)
009六甲山(ろくかふざん)と相俟(あいま)つて
010冷(つめ)たき魔風(まかぜ)を吹(ふ)き送(おく)り
011蜈蚣(むかで)の姫(ひめ)の手下(てした)なる
012鷹依姫(たかよりひめ)が朝夕(あさゆふ)に
013心(こころ)を砕(くだ)く鳩胸(はとむね)や
014仕組(しぐみ)の奥(おく)は割(わ)れ岩(いは)の
015胆(きも)を煎(い)るこそ恐(おそ)ろしき。
016 南(みなみ)に瀬戸(せと)の海(うみ)を控(ひか)へ、017東南(たつみ)に浪速(なには)の里(さと)を見下(みお)ろし、018西北東(せいほくとう)に重畳(ちようでふ)たる連山(れんざん)を瞰下(かんか)する高春山(たかはるやま)の絶頂(ぜつちやう)に岩窟(いはや)を作(つく)り、019バラモン教(けう)の一派(いつぱ)を建(た)て、020アルプス教(けう)と称(しよう)し、021自転倒(おのころ)島(じま)を飽(あ)く迄(まで)も、022八岐(やまた)大蛇(をろち)の勢力圏(せいりよくけん)内(ない)に握(にぎ)らむと、023昼夜(ちうや)心(こころ)を悩(なや)まして居(ゐ)た。024山麓(さんろく)には細長(ほそなが)き津田(つだ)の湖(うみ)が横(よこ)たはつてゐる。025此(この)湖水(こすゐ)には大蛇(をろち)の分身(ぶんしん)たる数多(あまた)の蛇神(じやしん)潜伏(せんぷく)して、026日夜(にちや)邪気(じやき)を吐(は)き出(だ)し、027地上(ちじやう)の空気(くうき)を腐爛(ふらん)せしめつつあつた。028高姫(たかひめ)、029黒姫(くろひめ)は波斯(フサ)の国(くに)北山村(きたやまむら)の本山(ほんざん)を捨(す)て蠑螈別(いもりわけ)、030魔我彦(まがひこ)をして後(あと)を守(まも)らしめおき、031三五教(あななひけう)に帰順(きじゆん)したる改心(かいしん)の証拠(しようこ)として、032アルプス教(けう)の鷹依姫(たかよりひめ)を言向(ことむ)け和(やは)さむと、033波斯(フサ)の国(くに)より乗(の)り来(きた)れる飛行船(ひかうせん)に乗(じやう)じ、034高春山(たかはるやま)の山麓(さんろく)に着(つ)いた。035これより二人(ふたり)は巡礼姿(じゆんれいすがた)に身(み)を変(へん)じ、036高春山(たかはるやま)の鷹依姫(たかよりひめ)が岩窟(がんくつ)に進(すす)まむと、037壁(かべ)を立(た)てたる如(ごと)き高山(かうざん)を登(のぼ)り行(ゆ)く。
038 高春山(たかはるやま)の五合目(ごがふめ)許(ばか)りの処(ところ)に、039天(あめ)の森(もり)と云(い)ふ巨岩(きよがん)が立並(たちなら)び、040中央(ちうあう)の樹木(じゆもく)鬱蒼(うつさう)たる間(あひだ)に、041小(ちひ)さき祠(ほこら)がある。042之(これ)を竜神(りうじん)の宮(みや)と云(い)ふ。043此(この)竜神(りうじん)は雨風(あめかぜ)を自由(じいう)になす神(かみ)と称(とな)へられ、044鷹依姫(たかよりひめ)が唯一(ゆいつ)の守護神(しゆごじん)として尊敬(そんけい)して居(ゐ)た。045それが為(ため)に何人(なにびと)も、046此(この)境域(きやうゐき)に近(ちか)づく事(こと)を厳禁(げんきん)して居(ゐ)た。047テーリスタン、048カーリンスと云(い)ふ二人(ふたり)の荒男(あらをとこ)は、049此(この)竜神(りうじん)の宮(みや)を固(かた)く警護(けいご)して居(ゐ)た。050二人(ふたり)は巌(いは)の上(うへ)に高鼾(たかいびき)をかいて寝(やす)んで居(ゐ)る。051高姫(たかひめ)、052黒姫(くろひめ)は漸(やうや)く此処(ここ)に登(のぼ)り来(きた)り、
053高姫(たかひめ)『なんと立派(りつぱ)な岩(いは)が並(なら)んで居(ゐ)るぢやありませぬか。054一(ひと)つ此(この)景色(けしき)の佳(よ)い所(ところ)で休息(きうそく)して行(ゆ)きませう。055まだ頂上(ちやうじやう)までは余程(よほど)道程(みちのり)がありますから……』
056黒姫(くろひめ)『宜(よろ)しう御座(ござ)いませう』
057と碁盤形(ごばんなり)の門(もん)の戸(と)を押(お)し開(あ)け奥(おく)に進(すす)み入(い)る。
058高姫『アヽ此処(ここ)には妙(めう)な祠(ほこら)がある。059是(こ)れが噂(うはさ)に名高(なだか)い鷹依姫(たかよりひめ)の、060雨(あめ)を降(ふ)らせ風(かぜ)を起(おこ)す唯一(ゆいつ)の武器(ぶき)でせう。061一(ひと)つ改心(かいしん)さしてやりませうか。062将(しやう)を射(い)むとする者(もの)は先(ま)づ其(その)馬(うま)を射(い)よと云(い)ふ事(こと)だから、063此(この)雨風(あめかぜ)を起(おこ)す悪神(あくがみ)の眷属(けんぞく)を改心(かいしん)させる方(はう)が、064近路(ちかみち)かも知(し)れませぬなア』
065黒姫『マア一寸(ちよつと)お待(ま)ちなさいませ。066拙劣(へた)に間誤(まご)付(つ)くと、067大風(おほかぜ)大雨(おほあめ)で攻(せ)められては困(こま)りますから、068充分(じうぶん)に様子(やうす)を探(さぐ)つた上(うへ)、069ゆつくりとやらうぢやありませぬか』
070高姫『そりや黒姫(くろひめ)さま、071何(なに)を仰有(おつしや)る。072冠島(かむりじま)の金剛(こんがう)不壊(ふえ)の玉(たま)を腹(はら)に呑(の)み込(こ)んだ此(この)高姫(たかひめ)、073言(い)はば妾(わたし)の体(からだ)は如意(によい)宝珠(ほつしゆ)も同然(どうぜん)、074多寡(たくわ)の知(し)れた雨(あめ)や風(かぜ)を起(おこ)す竜神(りうじん)位(くらゐ)に、075何(なに)躊躇(ちうちよ)する事(こと)がありますかい。076お前(まへ)さまは三五教(あななひけう)に帰順(きじゆん)してから、077チツと変(へん)になつたぢやありませぬか……イヤ三五教(あななひけう)に帰順(きじゆん)する以前(いぜん)から高山彦(たかやまひこ)さまに対(たい)し、078余程(よほど)御(ご)親切(しんせつ)が過(す)ぎたやうですよ。079神(かみ)第一(だいいち)主義(しゆぎ)をどつかへ遺失(ゐしつ)し、080高山(たかやま)第一(だいいち)、081神(かみ)第二(だいに)と云(い)ふ様(やう)なあなたの態度(たいど)だから、082そんな弱音(よわね)を吐(は)く様(やう)になるのだ。083モウ此処(ここ)へ来(き)たら生命(いのち)を的(まと)に、084悪神(あくがみ)を改心(かいしん)させて大神(おほかみ)様(さま)にお目(め)にかけ、085我々(われわれ)の今迄(いままで)の御(ご)無礼(ぶれい)、086お気障(きざは)りの謝罪(おわび)をせなくてはならぬ。087謂(い)はば千騎(せんき)一騎(いつき)の性念場(しやうねんば)だ。088チツとしつかりしなさらぬかい』
089黒姫『ハイハイ、090そんな事(こと)に呆(はう)けて居(を)る様(やう)な黒姫(くろひめ)と見(み)えますかな。091チト残酷(ざんこく)ぢやありませぬか。092それ程(ほど)妾(わたし)に信用(しんよう)がないのなれば、093却(かへつ)て貴女(あなた)の御(お)邪魔(じやま)になつては可(い)けませぬから、094あなたユツクリ如意(によい)宝珠(ほつしゆ)の力(ちから)を発揮(はつき)して手柄(てがら)をなさいませ。095妾(わたし)は飛行船(ひかうせん)を借用(しやくよう)して、096自分(じぶん)の性(しやう)の合(あ)うた所(とこ)へ活動(くわつどう)に参(まゐ)ります』
097高姫『益々(ますます)変(へん)な事(こと)を仰有(おつしや)るぢやないか。098すべて戦(たたか)ひは結束(けつそく)を固(かた)くせねば勝利(しようり)は得(え)らるるものでない。099味方(みかた)の方(はう)から裏切(うらぎ)りをする様(やう)な弱音(よわね)を吹(ふ)いて何(ど)うなりますか。100飛行船(ひかうせん)は既(すで)に既(すで)に鷹依姫(たかよりひめ)の部下(ぶか)が占領(せんりやう)して了(しま)つて居(ゐ)ますよ。101飛行船(ひかうせん)なんかモウ必要(ひつえう)はない。102是(こ)れから頂上(ちやうじやう)の割(わ)れ岩(いは)の醜(しこ)の岩窟(いはや)を言向(ことむ)け和(やは)し、103進(すす)んで六甲山(ろくかふざん)へ行(ゆ)かねばならぬ。104チト確(しつか)りしなさい。105あまり高山(たかやま)さまに精神(せいしん)を取(と)られて居(を)れるものだから、106曲津(まがつ)が憑依(ひようい)したのだらう。107サア妾(わたし)が鎮魂(ちんこん)をして審(しら)べてあげよう。108婆(ばば)アの癖(くせ)に髪(かみ)を染(そ)めたり、109薄化粧(うすげしやう)をしたり、110まるで化物(ばけもの)見(み)たやうなそんな柔弱(にうじやく)な事(こと)でどうして神界(しんかい)の御用(ごよう)が出来(でき)ますか。111お前(まへ)さまは二(ふた)つ目(め)に、112言依別(ことよりわけの)命(みこと)様(さま)を柔弱(にうじやく)だとか、113ハイカラだとか非難(ひなん)をしなさるが、114それはお前(まへ)さまの心(こころ)が映(うつ)つて見(み)えるのだよ』
115黒姫『何(なん)と仰有(おつしや)つても、116鎮魂(ちんこん)は御(ご)無用(むよう)です。117さうしてお暇(ひま)を頂(いただ)きませう』
118高姫『御(ご)勝手(かつて)になさいませ。119モウ今日(けふ)限(かぎ)り師弟(してい)の縁(えん)を絶(き)りますから』
120黒姫『其(その)お言葉(ことば)を待(ま)つて居(ゐ)ました。121サアサアどうぞ絶(き)つて貰(もら)ひませう』
122高姫『アヽ絶(き)つてあげよう。123黒姫(くろひめ)の肉体(にくたい)を此処(ここ)に置(お)いて、124サツサと帰(かへ)りなさい。125黒姫(くろひめ)はソンナ馬鹿(ばか)な事(こと)を云(い)ふ身霊(みたま)ぢやなからう』
126黒姫『決(けつ)して決(けつ)して守護神(しゆごじん)(精霊(せいれい))が言(い)ふのぢやありませぬよ。127黒姫(くろひめ)の本人(ほんにん)が申(まを)すのです。128何程(なんぼ)神直日(かむなほひ)大直日(おほなほひ)に見直(みなほ)し聞直(ききなほ)して、129妾(わたし)の肉体(にくたい)に瑕瑾(きず)をつけぬ様(やう)に宣(の)り直(なほ)して下(くだ)さつても、130それは気休(きやす)めです。131どうしてもお暇(ひま)を頂戴(ちやうだい)致(いた)します。132本当(ほんたう)に好(す)かんたらしい、133驕慢(けうまん)な高姫(たかひめ)さま。134どうぞ此(こ)れ限(き)り、135何(なん)と云(い)つても御(お)暇(ひま)を頂(いただ)き、136醜(しこ)の岩窟(いはや)の鷹依姫(たかよりひめ)様(さま)の御(ご)家来(けらい)となつて活動(くわつどう)致(いた)します。137ウラナイ教(けう)の時(とき)には大変(たいへん)に重(おも)く用(もち)ひて下(くだ)さつたが、138三五教(あななひけう)になつてからは、139あなたを始(はじ)め、140誰(たれ)も彼(かれ)も妾(わたし)を馬鹿(ばか)にして……態(ざま)ア見(み)たか、141偉相(えらさう)に威張(ゐば)つて居(を)つたが、142今(いま)の態(ざま)は何(なん)ぢや。143白米(しらが)に籾(もみ)が混(まじ)つた様(やう)な顔(かほ)して、144隈(すま)くたに小(ちひ)さくなつて居(を)らねばならぬぞよ……と神(かみ)様(さま)が仰有(おつしや)つたぢやないか、145その実地(じつち)が来(き)たのだ……なんて言依別(ことよりわけの)命(みこと)の左右(さいう)に侍(はべ)る幹部(かんぶ)連(れん)が、146妙(めう)な顔(かほ)をして妾(わたし)を冷笑(れいせう)して居(を)る。147それが第一(だいいち)気(き)に喰(く)はないのだ。148モウ妾(わたし)は三五教(あななひけう)は駄目(だめ)だと思(おも)ふ。149しかし神(かみ)様(さま)は結構(けつこう)だ。150取次(とりつぎ)が間違(まちが)つて居(を)るのだから、151三五教(あななひけう)に離(はな)れても、152あなたに暇(ひま)を貰(もら)つても、153一寸(ちよつと)も痛痒(つうよう)は感(かん)じない。154神(かみ)様(さま)だけは妾(わたし)の真心(まごころ)を知(し)つて居(ゐ)て下(くだ)さる。155お前(まへ)さまも将来(さき)になつたら……ア黒姫(くろひめ)はそんな心(こころ)であつたか、156流石(さすが)玄人(くろうと)だけあつて偉(えら)い者(もん)だつたと、157アフンとしなさる事(こと)が出来(でき)て来(き)ませうぞい』
158高姫『随分(ずゐぶん)猛烈(まうれつ)な気焔(きえん)ですなア。159どうなつと勝手(かつて)になされ。160人(ひと)を杖(つゑ)に突(つ)くなと云(い)ふ事(こと)がある。161妾(わたし)もこれから独舞台(ひとりぶたい)で活動(くわつどう)するのだ』
162黒姫『師匠(ししやう)を依頼(たより)にするなと神(かみ)様(さま)が仰有(おつしや)つた。163こんな猫(ねこ)の目(め)の様(やう)に心(こころ)のクレクレ変(かは)る高姫(たかひめ)のお師匠(ししやう)さまは、164真平(まつぴら)御免(ごめん)だ。165好(よ)い腐(くさ)れ縁(えん)の絶(き)り時(どき)だ。166お前(まへ)さまは今日(こんにち)限(かぎ)り妾(わたし)の宗旨敵(しうしがたき)だからさう思(おも)ひなさい。167天晴(あつぱれ)戦場(せんぢやう)で、168堂々(だうだう)とお目(め)にかかりませうかい』
169 岩(いは)の上(うへ)に寝(ね)て居(を)つた、170最前(さいぜん)の二人(ふたり)の男(をとこ)、171ムツクリ立(た)ちあがり、
172男(テーリスタン)『コリヤ女(をんな)、173此処(ここ)を何(なん)と心得(こころえ)て居(を)る、174天(あめ)の森(もり)の竜神(りうじん)様(さま)の御(ご)守護(しゆご)遊(あそ)ばす聖地(せいち)だ。175汚(けが)らはしい女(をんな)の分際(ぶんざい)として、176断(ことわ)りもなく、177此(この)聖地(せいち)を蹂躙(じうりん)しやがつた。178サアもう量見(りやうけん)がならぬ。179当山(たうざん)の規則(きそく)に照(て)らして制敗(せいばい)してやらう。180……オイ、181カーリンス、182綱(つな)を持(も)つて来(こ)い。183フン縛(じば)つて鷹依姫(たかよりひめ)様(さま)の御前(ごぜん)に引(ひき)ずり据(す)ゑてやるのだから……』
184黒姫『モシモシお二人(ふたり)のお方(かた)、185此処(ここ)へ参(まゐ)りましたのは、186決(けつ)して蹂躙(じうりん)したのではありませぬ、187竜宮(りうぐう)の乙姫(おとひめ)様(さま)の肉(にく)の宮(みや)、188黒姫(くろひめ)に用(よう)があるから、189一寸(ちよつと)来(き)て呉(く)れいと、190天(あめ)の森(もり)の竜神(りうじん)様(さま)が仰有(おつしや)つたので、191飛行船(ひかうせん)に乗(の)つて遥々(はるばる)参(まゐ)つたのですよ』
192男(テーリスタン)『ナニ、193お前(まへ)さんが、194竜宮(りうぐう)の乙姫(おとひめ)さまの御(ご)命令(めいれい)で来(き)たと云(い)ふのか』
195黒姫『ハイハイ、196妾(わたし)は乙姫(おとひめ)様(さま)の肉(にく)の宮(みや)ですもの』
197男(テーリスタン)『妙(めう)な事(こと)を言(い)ひますな。198我々(われわれ)の御(おん)大将(たいしやう)鷹依姫(たかよりひめ)さまも、199此(この)頃(ごろ)は大変(たいへん)に、200竜宮(りうぐう)の乙姫(おとひめ)さまがお出(い)でになると云(い)つて、201一生(いつしやう)懸命(けんめい)祈念(きねん)を凝(こ)らして居(を)られますよ』
202黒姫『それ見(み)なさい、203高姫(たかひめ)さま』
204高姫『竜宮(りうぐう)の乙姫(おとひめ)さまは、205遠(とほ)の昔(むかし)にお前(まへ)さまの肉体(にくたい)を出(で)て、206後(あと)には曲津(まがつ)神(かみ)が巣(す)を組(く)んで居(ゐ)るのですよ』
207男(テーリスタン)『最前(さいぜん)から我々(われわれ)が寝真似(ねまね)をして、208二人(ふたり)の話(はなし)を聞(き)いて居(を)れば、209三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)と見(み)えるが、210なんだか愚図(ぐづ)々々(ぐづ)と喧嘩(けんくわ)をしてゐたぢやないか』
211黒姫『没分暁漢(わからずや)の高姫(たかひめ)が、212如意(によい)宝珠(ほつしゆ)の玉(たま)を腹(はら)に呑(の)み込(こ)んで居(ゐ)ると言(い)つて、213あんまり威張(ゐば)るものですから、214今(いま)妾(わたし)の方(はう)から絶縁(ぜつえん)を申込(まをしこ)んだ所(ところ)です』
215男(テーリスタン)『そりや結構(けつこう)だ。216お前(まへ)さまは全(まつた)く我々(われわれ)の同志(どうし)だ。217よしよし鷹依姫(たかよりひめ)様(さま)に申上(まをしあ)げて、218都合(つがふ)好(よ)くとりなしを致(いた)しませう』
219黒姫『どうぞ宜(よろ)しうお頼(たの)み申(まを)します。220………コラ高姫(たかひめ)、221態(ざま)を見(み)い、222何程(なにほど)如意(によい)宝珠(ほつしゆ)でも、223大勢(おほぜい)と一人(ひとり)では叶(かな)ふまいぞや』
224と捨台詞(すてぜりふ)を残(のこ)し、225テーリスタンと云(い)ふ大(だい)の男(をとこ)に手(て)を曳(ひ)かれ乍(なが)ら急坂(きふはん)を登(のぼ)り行(ゆ)く。
226高姫『アヽ仕方(しかた)がない。227到頭(たうとう)悪魔(あくま)の容器(いれもの)になつて了(しま)つた。228黒姫(くろひめ)も今迄(いままで)長(なが)らくの苦労(くらう)を、229一朝(いつてう)にして水(みづ)の泡(あわ)にして了(しま)つたか。230アヽ可哀相(かはいさう)なものだなア。231コレコレそこのカーリンスと云(い)ふお方(かた)、232お前(まへ)さまは何処(どこ)から来(き)たのだ、233生(うま)れは何処(どこ)だえ』
234カーリンス『自分(じぶん)の国(くに)や生(うま)れが分(わか)る様(やう)な者(もの)が、235斯(こ)んな所(ところ)へ来(き)て、236宮番(みやばん)をするものかい。237馬鹿(ばか)な事(こと)を言(い)ふない』
238高姫『お前(まへ)さまは如意(によい)宝珠(ほつしゆ)の玉(たま)の肉体(にくたい)を知(し)つて居(を)るか。239日(ひ)の出神(でのかみ)の生宮(いきみや)は誰(たれ)だと云(い)ふ事(こと)が分(わか)つて居(ゐ)るかい』
240カーリンス『知(し)つて居(を)らいでか。241お前(まへ)の事(こと)ぢやないか。242真偽(しんぎ)の程(ほど)は確(たしか)でないが、243最前(さいぜん)から二人(ふたり)の話(はなし)を聞(き)いて居(ゐ)た。244お前(まへ)が所謂(いはゆる)日(ひ)の出神(でのかみ)の生宮(いきみや)だらう』
245高姫『敵(てき)の中(なか)にも味方(みかた)あり、246味方(みかた)の中(なか)にも敵(てき)があるとは、247よう言(い)つたものだ。248お前(まへ)は妾(わし)の知己(ちき)だ。249中々(なかなか)身魂(みたま)がよく磨(みが)けて居(ゐ)る。250三五教(あななひけう)へでも入信(はい)つたら、251こんな小(ち)つぽけな宮番(みやばん)をせなくとも、252立派(りつぱ)な宣伝使(せんでんし)になれるがなア』
253カーリンス『私(わし)は宣伝使(せんでんし)は嫌(きら)ひだ。254朝(あさ)から晩(ばん)まで酒(さけ)を飲(の)んでグウグウと寝(ね)るのが好(すき)だ。255彼方(あちら)や此方(こちら)へ乞食(こじき)の様(やう)な真似(まね)をして、256戸別(こべつ)訪問(はうもん)をして、257犬(いぬ)の様(やう)に杓(しやく)で水(みづ)をかけられたり、258箒(はうき)で掃出(はきだ)されたり、259引合(ひきあ)はぬからなア。260爺(おやぢ)の痰(たん)を飲(の)まされ、261薯汁(とろろ)と痰(たん)の混汁(こんじふ)に辷(すべ)り転(こ)けて、262揚句(あげく)の果(は)てには真裸(まつぱだか)で茨(いばら)の池(いけ)に落(お)ち込(こ)み、263着物(きもの)を敵(てき)から貰(もら)ふ様(やう)な事(こと)[※第15巻第9章「薯蕷汁」のエピソード。]が出来(しゆつたい)するから止(や)めとかうかい』
264高姫『お前(まへ)は妙(めう)なことを言(い)ふ。265薯汁(とろろ)や痰(たん)に辷(すべ)り転(こ)けたのは何時(いつ)の事(こと)だ。266そして又(また)誰(たれ)の事(こと)だいなア』
267カーリンス『そりやあお前(まへ)さまよく御存(ごぞん)じの筈(はず)だ』
268高姫『ハテなア。269海洋(かいやう)万里(ばんり)の波斯(フサ)の国(くに)の出来事(できごと)の譏(そし)り走(ばし)りを聞(き)いて居(を)るとは、270世間(せけん)は広(ひろ)いやうなものの狭(せま)いものだ。271これだから人間(にんげん)は慎(つつし)まねばならぬ。272悪事(あくじ)千(せん)里(り)と云(い)つて何処迄(どこまで)もよく行(ゆ)きわたるものだなア』
273カーリンス『お前(まへ)さまビツクリしただらう』
274高姫『そりやまた、275誰(たれ)に聞(き)いたのだい』
276カーリンス『今頃(いまごろ)そんな事(こと)を知(し)らぬ者(もの)が一人(ひとり)でもあるものか。277随分(ずゐぶん)名高(なだか)い話(はなし)だぜ。278鷹依姫(たかよりひめ)さまは……おつつけ、279心(こころ)の明(あ)き盲(めくら)、280高姫(たかひめ)と云(い)ふ者(もの)が此(この)山(やま)に出(で)て来(く)るから、281一(ひと)つ泡(あわ)を吹(ふ)かして改心(かいしん)させてやらねばならぬ。282彼奴(あいつ)を改心(かいしん)させたならば、283アルプス教(けう)の為(ため)には大変(たいへん)に間(ま)に合(あ)ふ……と云(い)つて居(を)られました。284お前(まへ)は高姫(たかひめ)さまだらうがな』
285高姫『ヘン、286見違(みちが)ひをして下(くだ)さるな。287黒姫(くろひめ)の様(やう)な猫(ねこ)の目(め)とは、288チツと違(ちが)ひますよ。289サアこれから高姫(たかひめ)が獅子(しし)奮迅(ふんじん)の勢(いきほひ)を以(もつ)て、290鷹依姫(たかよりひめ)其(その)他(た)の部下(ぶか)を悉(ことごと)く言向(ことむ)け和(やは)すのだ。291万々一(まんまんいち)、292高姫(たかひめ)の失敗(しつぱい)になる様(やう)な事(こと)であれば、293再(ふたた)び三五教(あななひけう)へは帰(かへ)らぬ積(つも)りだ。294喉(のど)でも突(つ)いて死(し)んで了(しま)うのだから、295何(なん)と云(い)つても、296バラモン教(けう)の焼直(やきなほ)しのアルプス教(けう)に対(たい)し、297徹頭(てつとう)徹尾(てつび)、298頭(あたま)を下(さ)げぬから、299其(その)積(つも)りで居(ゐ)なさい』
300カーリンス『大変(たいへん)な固(かた)い決心(けつしん)だなア』
301高姫『定(きま)つた事(こと)だよ』
302 高姫(たかひめ)は谷間(たにま)から滲(にじ)み出(で)る清水(しみづ)を手(て)に掬(むす)んで、303渇(かわ)いた喉(のど)を潤(うるほ)して居(を)る。304其(その)隙(すき)を窺(うかが)ひ、305カーリンスは高姫(たかひめ)の首(くび)に細紐(ほそひも)を手早(てばや)くひつ掛(か)け、306グツと首(くび)を締(し)め、
307カーリンス『サアもう大丈夫(だいぢやうぶ)だ。308これで一(ひと)つ、309私(わし)の出世(しゆつせ)が出来(でき)る』
310と高姫(たかひめ)を背(せな)に負(お)ひ乍(なが)ら、311急坂(きふはん)をエチエチ登(のぼ)つて行(ゆ)く。
312 岩窟(いはや)の中(なか)には、313アルプス教(けう)の開山(かいざん)鷹依姫(たかよりひめ)と云(い)ふ中婆(ちうばば)ア、314木(き)の株(かぶ)で作(つく)つた天然(てんねん)の火鉢(ひばち)を前(まへ)に、315長煙管(ながぎせる)を喞(くは)へ、316二三(にさん)の部下(ぶか)を前(まへ)に据(す)ゑて、
317鷹依姫『今日(けふ)は高姫(たかひめ)、318黒姫(くろひめ)と云(い)ふ二人(ふたり)の婆(ばば)アが、319此処(ここ)へ出(で)て来(く)る筈(はず)だ。320キツと神(かみ)の魔力(まりよく)に依(よ)りて、321天(あめ)の森(もり)の竜神(りうじん)の宮(みや)に立(た)ち寄(よ)る筈(はず)だから、322テーリスタン、323カーリンスの二人(ふたり)に、324待伏(まちぶ)せをさせて置(お)いたのだが、325やがてやつて来(く)る時刻(じこく)だらう』
326甲(かふ)『そんな事(こと)は、327どうして分(わか)るのですか』
328鷹依姫『そんな事(こと)に抜目(ぬけめ)のある妾(わし)かいな。329チヤンと三五教(あななひけう)の聖地(せいち)へ指(さ)して密偵(みつてい)が這入(はい)り込(こ)ましてあるから、330それが知(し)らして来(き)たのだよ。331モウつい二人(ふたり)共(とも)、332此処(ここ)へやつて来(く)る筈(はず)だから、333お前(まへ)達(たち)も充分(じうぶん)に気(き)を付(つ)けて、334妾(わし)が此(この)煙管(きせる)で「クワン」と此(この)磬盤(けいばん)を叩(たた)いたが最後(さいご)飛(と)んで出(で)るのだ。335それまでは次(つぎ)の間(ま)で、336横(よこ)になり考(かんが)へて居(を)るのだよ。337併(しか)し寝(ね)て了(しま)つては可(い)かぬから、338目(め)を開(あ)けて居(を)るのだぜ』
339 三(さん)人(にん)は『ハイ』と答(こた)へて、340次(つぎ)の間(ま)に身(み)を隠(かく)した。341そこへテーリスタンに伴(とも)なはれて黒姫(くろひめ)が這入(はい)つて来(き)た。
342テーリスタン『只今(ただいま)帰(かへ)りました。343あなたの眼識(がんしき)には、344実(じつ)に敬服(けいふく)致(いた)しました。345此(この)通(とほ)り黒姫(くろひめ)を巧(うま)く引張(ひつぱ)り込(こ)みましたから、346御(ご)安心(あんしん)下(くだ)さいませ』
347鷹依姫(たかよりひめ)『これこれテーリスタン、348何(なん)と云(い)ふ失礼(しつれい)な事(こと)を言(い)ふのだい。349鬼(おに)の岩窟(いはや)か何(なん)ぞの様(やう)に、350引(ひ)つぱり込(こ)みましたなんて、351チツト言霊(ことたま)を慎(つつし)みなさい。352結構(けつこう)なお方(かた)を御(お)迎(むか)へして帰(かへ)りましたと、353何故(なぜ)言(い)はないのだい。354……これはこれは黒姫(くろひめ)様(さま)、355遥々(はるばる)とよう来(き)て下(くだ)さいました。356空中(くうちう)は余程(よほど)風(かぜ)が烈(はげ)しうてお困(こま)りでしたらう。357後(のち)程(ほど)ユルユルとお話(はなし)を承(うけたま)はりますから、358少時(しばらく)奥(おく)で御(ご)休息(きうそく)を願(ねが)ひます』
359黒姫『初(はじ)めてお目(め)にかかります。360御(ご)神徳(しんとく)の高(たか)い御(お)山(やま)と見(み)えまして、361雲(くも)までが皆(みな)謙遜(へりくだ)り、362谷底(たにそこ)へ遠慮(ゑんりよ)を致(いた)してゐますなア』
363鷹依姫『雲(くも)に突(つ)き出(で)た高春山(たかはるやま)、364誠(まこと)の御(ご)神徳(しんとく)は俗塵(ぞくぢん)を離(はな)れて中空(ちうくう)に聳(そび)えた聖地(せいち)でなければ本当(ほんたう)の神力(しんりき)は現(あら)はれませぬ。365炮烙(はうらく)を伏(ふ)せた様(やう)な低(ひく)い山(やま)を背景(バツク)にして神業(しんげふ)を開始(かいし)するなぞと、366てんで物(もの)に成(な)りませぬワ。367四尾山(よつをやま)と高春山(たかはるやま)とは気分(きぶん)が違(ちが)ひませうがなア』
368黒姫『大(おほ)きに違(ちが)ひます。369妾(わたし)も此処(ここ)へ登(のぼ)つてから何(なん)だか気分(きぶん)が面白(おもしろ)くなつて来(き)ました。370三五教(あななひけう)のアの字(じ)を聞(き)いても厭(いや)になりましたよ。371それに言依別(ことよりわけの)命(みこと)と云(い)ふハイカラな教主(けうしゆ)になつて居(を)るのだから、372内幕(うちまく)の腐爛(ふらん)状態(じやうたい)と云(い)つたら御(お)話(はなし)になりませぬ。373又(また)高姫(たかひめ)と云(い)ふ……もとは妾(わたし)のお師匠(ししやう)で御座(ござ)いますが、374カンカラカンのカン太郎(たらう)が、375頑固(ぐわんこ)一途(いちづ)を立(た)て通(とほ)すものですから、376妾(わたし)も此処(ここ)までやつて来(き)て、377天(あめ)の森(もり)の竜神(りうじん)さまの前(まへ)で、378暇(ひま)を呉(く)れてやりました』
379鷹依姫『それは何(なに)より結構(けつこう)です。380此(この)世(よ)でさへも切(き)り替(か)へがあるのだから、381良(い)い加減(かげん)に思(おも)ひ切(き)つて、382新(あたら)しい世界(せかい)へ出(で)た方(はう)が貴女(あなた)の身(み)の為(ため)ですよ』
383黒姫『ハイ有難(ありがた)う御座(ござ)います。384黒姫(くろひめ)の思(おも)うて居(を)ることをスツカリ仰有(おつしや)つて下(くだ)さいまして、385唯一(ゆいつ)の共鳴者(きようめいしや)を得(え)た様(やう)な心持(こころもち)が致(いた)します。386生(うま)れてからこれ位(くらゐ)愉快(ゆくわい)な事(こと)はありませぬワ』
387鷹依姫『サアどうぞ奥(おく)へ行(い)つて御(ご)休息(きうそく)下(くだ)さいませ』
388とテーリスタンに目配(めくば)せした。
389テーリスタン『サア黒姫(くろひめ)さま、390奥(おく)へ御(ご)案内(あんない)致(いた)しませう』
391と手(て)を取(と)つて岩室(いはむろ)の中(なか)に案内(あんない)した。392そして外(そと)よりガタリと蝦錠(えびぢやう)をおろし、
393テーリスタン『モウ斯(か)うなつては、394何程(なにほど)藻掻(もが)いても駄目(だめ)ですから、395充分(じうぶん)に御(お)考(かんが)へ置(お)きを願(ねが)ひます。396左様(さやう)ならば』
397と云(い)ひ捨(す)て、398鷹依姫(たかよりひめ)の側(そば)に立帰(たちかへ)り、
399テーリスタン『首尾(しゆび)よう岩室(いはむろ)の中(なか)に籠城(ろうじやう)を命(めい)じて置(お)きました。400併(しか)し乍(なが)ら、401あの黒姫(くろひめ)に限(かぎ)つて、402決(けつ)して御(ご)心配(しんぱい)は要(い)りませぬ。403平岩(ひらいは)の上(うへ)に於(おい)てスツカリ、404高姫(たかひめ)と黒姫(くろひめ)の心中(しんちう)を探(さぐ)りました。405モウ大丈夫(だいぢやうぶ)ですよ』
406鷹依姫『さう軽々(かるがる)しく楽観(らくくわん)は出来(でき)ない。407油断(ゆだん)は大敵(たいてき)だ。408罷(まか)り違(ちが)へば爆裂弾(ばくれつだん)を抱(だ)いて寝(ね)るやうなものだからなア』
409テーリスタン『竜神(りうじん)の祠(ほこら)の前(まへ)へ来(く)るまでは、410両人(りやうにん)はどうしても、411貴女(あなた)を三五教(あななひけう)へ帰順(きじゆん)させると云(い)ふ目算(もくさん)らしう御座(ござ)いましたが、412竜神(りうじん)の祠(ほこら)の中(なか)から神(かみ)様(さま)の御(ご)神霊(しんれい)が現(あら)はれ、413黒姫(くろひめ)にのり憑(うつ)られたと見(み)えて、414俄(にはか)に……妾(わし)は竜宮(りうぐう)の乙姫(おとひめ)の生宮(いきみや)だと威張(ゐば)り出(だ)し、415二人(ふたり)が喧嘩(けんくわ)をおつ始(ぱじ)め、416到頭(たうとう)黒姫(くろひめ)は貴女(あなた)の部下(ぶか)になると云(い)つて、417ここを目蒐(めが)けて走(はし)り出(だ)しました。418それで私(わたくし)もコレコソ渡(わた)りに船(ふね)だと心(こころ)勇(いさ)み、419手(て)を曳(ひ)いて此処(ここ)まで連(つ)れて帰(かへ)つたのです。420モウ大丈夫(だいぢやうぶ)ですから御(ご)安心(あんしん)下(くだ)さいませ』
421鷹依姫『それは結構(けつこう)だが、422モウ一人(ひとり)の高姫(たかひめ)はどうなつたのだえ』
423テーリスタン『高姫(たかひめ)ですか。424あれは何事(なにごと)にも抜目(ぬけめ)のないカーリンスに一任(いちにん)して来(き)ました。425屹度(きつと)フン縛(じば)つて、426やがて登(のぼ)つて来(く)るでせう』
427鷹依姫『あの高姫(たかひめ)は腹(はら)に如意(によい)宝珠(ほつしゆ)の玉(たま)を呑(の)んで居(を)るのだから、428どうしても腹(はら)断(た)ち割(わ)つて抉(えぐ)り出(だ)さねばならないのだ。429併(しか)しうまくカーリンスが連(つ)れて帰(かへ)つて来(く)るだらうかなア。430黒姫(くろひめ)は玉(たま)無(な)しだから、431どうでも良(い)い様(やう)なものの、432肝腎要(かんじんかなめ)なは高姫(たかひめ)だ。433カーリンスが大変(たいへん)に困(こま)つて居(を)るだらう。434お前(まへ)御(ご)苦労(くらう)だが、435モウ一度(いちど)加勢(かせい)に行(い)つて呉(く)れまいか』
436テーリスタン『行(ゆ)けと仰有(おつしや)れば、437行(ゆ)かぬ事(こと)はありませぬが、438大変(たいへん)に、439彼奴(あいつ)の顔(かほ)を見(み)ると目(め)がマクマクするのですよ』
440鷹依姫『何(なに)、441目(め)がマクマクするか、442正(まさ)しく如意(によい)宝珠(ほつしゆ)の玉(たま)を呑(の)んで居(ゐ)る証拠(しようこ)だ。443目(め)を塞(ふさ)いで、444早(はや)くどうでもいいからフン縛(じば)つてなつと、445二人(ふたり)して連(つ)れてお出(い)で』
446テーリスタン『承知(しようち)致(いた)しました』
447とテーリスタンは、448山(やま)を一散走(いつさんばし)りに駆下(かけくだ)る。449後(あと)に鷹依姫(たかよりひめ)は独言(ひとりごと)、
450鷹依姫『アヽ時節(じせつ)は待(ま)たねばならぬものだなア。451鬼雲彦(おにくもひこ)や鬼熊別(おにくまわけ)の大将株(たいしやうかぶ)は、452三五教(あななひけう)の言霊(ことたま)とやらに討(う)たれて、453見(み)つともない、454男(をとこ)の癖(くせ)に雲(くも)を霞(かすみ)と本国(ほんごく)へ逃帰(にげかへ)り、455いい恥(はぢ)曝(さら)しをなされたが、456女(をんな)の一心(いつしん)岩(いは)でも徹(とほ)すと云(い)つて、457夫(をつと)に似(に)ぬ健気(けなげ)な女房(にようばう)蜈蚣姫(むかでひめ)は三国(みくに)ケ岳(だけ)に立籠(たてこも)り、458到頭(たうとう)黄金(こがね)の玉(たま)を手(て)に入(い)れた。459ヤレ嬉(うれ)しやと思(おも)ふ間(ま)もなく、460又(また)しても其(その)玉(たま)を三五教(あななひけう)にウマウマと取返(とりかへ)され、461喜(よろこ)んだのは束(つか)の間(ま)、462サツパリ糠喜(ぬかよろこ)びとなつて了(しま)つた。463併(しか)し何程(なにほど)蜈蚣姫(むかでひめ)が智慧(ちゑ)があつても、464神徳(しんとく)が備(そな)はつて居(を)ると云(い)つても、465此(この)鷹依姫(たかよりひめ)には足元(あしもと)へも寄(よ)れない。466チツと爪(つめ)の垢(あか)でも煎(せん)じて呑(の)まして上(あ)げたいものだ。467如意(によい)宝珠(ほつしゆ)の玉(たま)の容器(いれもの)は、468声(こゑ)なくして呼(よ)びつける。469黒姫(くろひめ)は玉(たま)無(な)しだが彼奴(あいつ)は黄金(こがね)の玉(たま)の在処(ありか)を一番(いちばん)よく知(し)つて居(ゐ)ると云(い)ふ事(こと)だ。470此間(こないだ)帰(かへ)つて来(き)た虎公(とらこう)の報告(はうこく)では黒姫(くろひめ)さへ手(て)に入(い)れてうまく白状(はくじやう)させたならば、471黄金(こがね)の玉(たま)も手(て)に入(い)ると云(い)ふ事(こと)だから、472云(い)はば玉(たま)を手(て)に入(い)れたも同然(どうぜん)だ。473アヽなんとした結構(けつこう)な事(こと)が出来(でき)て来(き)たものだらう』
474とカンカン磬盤(けいばん)を長煙管(ながぎせる)で打(う)つた。475ウツウツと眠(ねむ)つて居(ゐ)た三(さん)人(にん)の耳(みみ)には、476早鐘(はやがね)の様(やう)に強(きつ)く響(ひび)いた。477三(さん)人(にん)はビツクリ仰天(ぎやうてん)起(おき)あがり、478周章(あわて)狼狽(ふため)き、479鷹依姫(たかよりひめ)の居間(ゐま)に走(はし)り行(ゆ)き、
480三人『火事(くわじ)だ 火事(くわじ)だ』
481と擂鉢(すりばち)を抱(かか)へて走(はし)る奴(やつ)、482火鉢(ひばち)を抱(かか)へて飛(と)び出(だ)さうとする者(もの)、483座敷(ざしき)の真中(まんなか)でキリキリ舞(まひ)をする奴(やつ)、484右往(うわう)左往(さわう)に狼狽(うろた)へ廻(まは)る。485鷹依姫(たかよりひめ)は長煙管(ながぎせる)の先(さき)で三(さん)人(にん)の頭(あたま)をピシヤピシヤと叩(たた)き、486元(もと)の座(ざ)に悠然(いうぜん)として腰(こし)をおろし、
487鷹依姫『コラコラ貴様(きさま)達(たち)は、488何(なに)を狼狽(うろた)へて居(ゐ)るのだい』
489と大(おほ)きな尖(とが)つた声(こゑ)で喚(わめ)き立(た)てる。
490甲『ハイハイ何(なん)で御座(ござ)いますか』
491鷹依姫(たかよりひめ)『何(なん)でもない。492気(き)を落(お)ち着(つ)けなさい。493今(いま)タカが一羽(いちは)此家(ここ)へ来(く)るのだから、494料理(れうり)をせにやならぬ。495其(その)用意(ようい)に出刃(でば)でも磨(と)いで置(お)きなされ』
496乙『誰(たれ)か鷹(たか)の様(やう)なものを捕(と)つたのですか。497彼奴(あいつ)は肉食鳥(にくしよくどり)だから味(あぢ)が悪(わる)うて、498臭(くさ)くつて喰(た)べられませぬ。499大(おほ)きな図体(づうたい)の割(わ)りとは羽根(はね)ばつかりで、500食(く)ふ所(ところ)はチヨビンとよりないものですよ』
501鷹依姫『エーそんな講釈(かうしやく)は後(あと)にしなさい。502羽根(はね)の無(な)いタカが来(き)たのだ』
503 斯(か)く話(はな)す折(をり)しも、504カーリンス、505テーリスタンの両人(りやうにん)は、506高姫(たかひめ)の首(くび)を締(し)めた儘(まま)、507担(かつ)いで這入(はい)つて来(き)た。
508鷹依姫『アヽ御(ご)苦労(くらう)々々々(ごくらう)、509マア庭(には)の隅(すみ)へでも片付(かたづ)けておいて、510ユツクリ休(やす)んでお呉(く)れ。511随分(ずゐぶん)骨(ほね)が折(を)れただらうなア』
512テーリスタン『イエ骨(ほね)は折(を)りませぬが、513首(くび)だけ締(し)めて置(お)きました』
514鷹依姫『早(はや)く解(ほど)いてやらないと息(いき)が絶(き)れるぢやないか。515息(いき)が絶(き)れて了(しま)へば、516折角(せつかく)の玉(たま)が死(し)んで了(しま)ふ。517生(い)きた間(うち)に取(と)らねば間(ま)に合(あ)はぬのだ。518早(はや)う早(はや)う…』
519と急(せ)き立(た)てる。520カーリンス、521テーリスタンの両人(りやうにん)は『ハイ』と答(こた)へて、522徳利結(とつくりむす)びにした首(くび)の紐(ひも)を解(ほど)いた。523最早(もはや)高姫(たかひめ)は縡切(ことぎ)れたか、524ビクとも動(うご)かぬ。
525テーリスタン『ヤア此奴(こいつ)ア、526到頭(たうとう)寂滅(じやくめつ)しやがつたなア。527どうしたら宜(よ)からうか』
528カーリンス『人工(じんこう)呼吸法(こきふはふ)だ』
529と両人(りやうにん)は一生(いつしやう)懸命(けんめい)に高姫(たかひめ)の体(からだ)を捉(とら)へ、530手(て)や足(あし)を無暗(むやみ)矢鱈(やたら)に動(うご)かして居(ゐ)る。531暫(しばら)くあつて、532高姫(たかひめ)は「ウーン」と息(いき)を吹(ふ)き返(かへ)す。
533テーリスタン『アヽもう此方(こつち)のものだ。534鷹依姫(たかよりひめ)さま、535此(この)先(さき)はどうするのですか』
536鷹依姫『マア茶(ちや)でも飲(の)んでユツクリするのだ。537其(その)間(うち)に妾(わし)から命令(めいれい)を下(くだ)すから……』
538 暫(しばら)くあつて鷹依姫(たかよりひめ)は、
539鷹依姫『黒姫(くろひめ)さまを招(よ)んで来(き)なさい』
540テーリスタン『ハイ』
541と答(こた)へてテーリスタンは、542黒姫(くろひめ)を押込(おしこ)めた岩窟(いはや)の前(まへ)に走(はし)り行(ゆ)く。543黒姫(くろひめ)は忍(しの)び忍(しの)びに何(なに)か歌(うた)つて居(ゐ)る。
544黒姫『高天原(たかあまはら)を立出(たちい)でて
545三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)
546高姫(たかひめ)さまと諸共(もろとも)に
547御空(みそら)を翔(か)ける磐船(いはふね)に
548乗(の)りてやうやう高春(たかはる)の
549山(やま)の麓(ふもと)に着陸(ちやくりく)し
550黄金(こがね)の草(くさ)をより分(わ)けて
551霧(きり)の海原(うなばら)探(さぐ)りつつ
552一歩(ひとあし)々々(ひとあし)急坂(きふはん)を
553登(のぼ)つて来(き)たのが天(あめ)の森(もり)
554巨岩(きよがん)怪石(くわいせき)立並(たちなら)び
555風光(ふうくわう)絶佳(ぜつか)の霊地(れいち)ぞと
556二人(ふたり)は此処(ここ)に息(いき)休(やす)め
557竜神(りうじん)さまの祠(ほこら)をば
558眺(なが)めて休(やす)らふ折柄(をりから)に
559何(な)んとは無(な)しにビリビリと
560震(ふる)ひ出(だ)したる我(わが)身体(からだ)
561高姫(たかひめ)さまは知(し)らねども
562確(たし)かに尊(たふと)き神懸(かむがか)り
563さはさり乍(なが)ら黒姫(くろひめ)が
564夢(ゆめ)にも思(おも)はぬ囈語(たはごと)を
565ベラベラ喋(しやべ)つて高姫(たかひめ)に
566力(ちから)の限(かぎ)り毒(どく)ついた
567吾(わが)師(し)の君(きみ)よ高姫(たかひめ)よ
568猫(ねこ)の目玉(めだま)のくれくれと
569心(こころ)の変(かは)る黒姫(くろひめ)と
570必(かなら)ず思(おも)うて下(くだ)さるな
571此(こ)れには何(なに)か神界(しんかい)の
572深(ふか)い仕組(しぐみ)のあるならむ
573曲津(まがつ)の軍(いくさ)いと多(おほ)く
574アルプス教(けう)を開(ひら)きたる
575鷹依姫(たかよりひめ)が右左(みぎひだり)
576司(つかさ)と仕(つか)へしカーリンス
577テーリスタンの両人(りやうにん)が
578巌(いはほ)の上(うへ)に横臥(わうぐわ)して
579狐(きつね)狸(たぬき)の空寝入(そらねい)り
580様子(やうす)を窺(うかが)ひ居(ゐ)ることに
581黒姫(くろひめ)早(はや)くも気(き)が付(つ)いて
582ワザと師匠(ししやう)の高姫(たかひめ)に
583心(こころ)に在(あ)らぬ事(こと)ばかり
584申上(まをしあ)げたは済(す)まないが
585これも何(なに)かの御(ご)経綸(けいりん)
586妾(わたし)の心(こころ)はさうぢやない
587どうぞ赦(ゆる)して下(くだ)さんせ
588生命(いのち)捧(ささ)げた宣伝使(せんでんし)
589悪魔(あくま)のはびこる此(この)岩窟(いはや)
590如何(いか)なる憂(うき)を見(み)るとても
591言向和(ことむけやは)さで置(お)くべきか
592暫(しばら)く待(ま)てよ高姫(たかひめ)の
593吾(わが)師(し)の君(きみ)の宣伝使(せんでんし)
594朝日(あさひ)は照(て)るとも曇(くも)るとも
595月(つき)は盈(み)つとも虧(か)くるとも
596仮令(たとへ)大地(だいち)は沈(しづ)むとも
597黒姫(くろひめ)如何(いか)になるとても
598三五教(あななひけう)の神教(みをしへ)を
599天下(てんか)に拡(ひろ)げにや置(お)くものか
600巌(いは)をも射貫(いぬ)く黒姫(くろひめ)が
601固(かた)き心(こころ)の梓弓(あづさゆみ)
602矢竹(やたけ)心(ごころ)は高姫(たかひめ)の
603心(こころ)の的(まと)に命中(めいちう)し
604やがては疑雲(ぎうん)隅(くま)も無(な)く
605天津(あまつ)日(ひ)の如(ごと)晴(は)れるだろ
606アヽ惟神(かむながら)々々(かむながら)
607御霊(みたま)の幸(さち)を賜(たま)へかし』
608と歌(うた)つて居(ゐ)る。609カーリンスは外(そと)より岩(いは)の戸(と)を、610鍵(かぎ)を以(もつ)て押開(おしあ)け、
611カーリンス『黒姫(くろひめ)さま、612教主(けうしゆ)様(さま)がお召(よ)びになりました。613大変(たいへん)な所(とこ)へお入(い)れ申(まを)して、614さぞ御(お)腹(はら)が立(た)つたでせうが、615ここはどんな立派(りつぱ)なお方(かた)でも、616初(はじ)めて這入(はい)つて来(き)た方(かた)は、617早(はや)くて三日(みつか)、618遅(おそ)いのは十日(とをか)二十日(はつか)と、619此(この)岩窟(いはや)で修行(しうぎやう)をさすのが規則(きそく)ですから、620決(けつ)して押籠(おしこ)めたなどと思(おも)つては可(い)けませぬぞや。621三五教(あななひけう)でさへも、622岩窟(いはと)の修行場(しうぎやうば)が拵(こしら)へてあるでせう』
623黒姫『イエイエ決(けつ)して悪(わる)くは思(おも)うて居(ゐ)ませぬ。624斯様(かやう)な結構(けつこう)な所(とこ)で修行(しうぎやう)をさして頂(いただ)くなら仮令(たとへ)一月(ひとつき)が二月(ふたつき)、625三(さん)年(ねん)五(ご)年(ねん)要(かか)つた所(ところ)で、626別(べつ)に苦痛(くつう)とは思(おも)ひませぬよ』
627カーリンス『それはまた大変(たいへん)な馬力(ばりき)ですな』
628 黒姫(くろひめ)は微笑(ほほゑ)み乍(なが)ら、629イソイソとして鷹依姫(たかよりひめ)の前(まへ)に現(あら)はれ、
630黒姫『これはこれは教主(けうしゆ)様(さま)、631結構(けつこう)な修行(しうぎやう)をさして頂(いただ)きまして有難(ありがた)う御座(ござ)います。632成程(なるほど)あの岩窟(がんくつ)は心(こころ)が静(しづ)まつて、633結構(けつこう)で御座(ござ)いますな』
634鷹依姫『結構(けつこう)でせうがな。635あなたは身魂(みたま)の洗錬(せんれん)が出来(でき)て居(を)りますから、636僅(わづか)一時(ひととき)位(くらゐ)で卒業(そつげふ)が出来(でき)たのですよ。637開教(かいけう)以来(いらい)あなたの様(やう)に早(はや)く出(で)た方(かた)は御座(ござ)いませぬ。638お芽出度(めでた)う御座(ござ)います』
639 黒姫(くろひめ)は、
640黒姫『イヤ有難(ありがた)う御座(ござ)いました』
641と振(ふ)り向(む)く途端(とたん)に、642高姫(たかひめ)の横(よこ)たはる姿(すがた)を見(み)て打驚(うちおどろ)き、
643黒姫『ヤア高姫(たかひめ)さまが縡切(ことぎ)れて居(ゐ)らつしやる』
644と顔(かほ)の色(いろ)をサツと変(か)へた。645鷹依姫(たかよりひめ)は、
646鷹依姫『オツホツホツホヽ、647あんまりカーリンスと格闘(かくとう)をなさつたものだから、648御(ご)疲労(ひらう)なさつたものと見(み)えます。649お前(まへ)さまは今(いま)見(み)て居(を)れば蒼白(まつさを)の顔(かほ)をしてビツクリなさつたが、650矢張(やつぱ)り未練(みれん)がありますかい。651斃(くたば)つた人(ひと)を座敷(ざしき)へも上(あ)げず、652土間(どま)に寝(ね)かして置(お)いたのは無残(むざん)の様(やう)に貴女(あなた)は思(おも)つたでせうが、653これは一(ひと)つの医療法(いれうはふ)ですよ。654お土(つち)のお蔭(かげ)で血液(けつえき)の循環(じゆんかん)が旧(もと)へ復(かへ)り、655息(いき)吹(ふ)き返(かへ)す様(やう)にしてあるのだ。656やがて蘇生(そせい)されるでせう』
657黒姫『ナニ妾(わたし)は高姫(たかひめ)なんかに未練(みれん)がありますものか。658こんな傲慢(がうまん)不遜(ふそん)な頑固者(ぐわんこもの)、659今(いま)天(あめ)の森(もり)で弟子(でし)の方(はう)から暇(ひま)を与(く)れてやつた所(とこ)です。660それを証拠(しようこ)に、661妾(わたし)は貴女(あなた)の弟子(でし)になりたいのですが、662使(つか)つて下(くだ)さいますか』
663鷹依姫『お前(まへ)さまの云(い)ふ事(こと)に間違(まちが)ひなくば、664喜(よろこ)んで手(て)を引合(ひきあ)うて行(い)きませう』
665黒姫『有難(ありがた)う御座(ござ)います』
666と云(い)ひつつ黒姫(くろひめ)は庭(には)に下(お)り、667高姫(たかひめ)の尻(しり)を力限(ちからかぎ)りに握(にぎ)り拳(こぶし)を固(かた)めて、668七(なな)つ八(や)つ打(う)ち、
669黒姫『コリヤ高姫(たかひめ)、670思(おも)ひ知(し)つたか』
671 高姫(たかひめ)は『ウーン』と息(いき)を吹(ふ)く。
672黒姫『オホヽヽヽ、673能(よ)う斃(くたば)つたものだ。674この儘(まま)棄(す)てておけば死(し)んで了(しま)ふのだが、675併(しか)し此奴(こいつ)は貴方(あなた)の御存(ごぞん)じの通(とほ)り如意(によい)宝珠(ほつしゆ)の玉(たま)を呑(の)んで居(を)りますから、676吐出(はきだ)さしてアルプス教(けう)の神宝(しんぽう)にせなくてはなりますまい。677何(なん)とかして大事(だいじ)に……イヤイヤ大事(だいじ)にせなくてもよい。678生(い)き返(かへ)らして生玉(いくだま)を取(と)らねばなりませぬから、679暫(しばら)く助(たす)けてやつたらどうです』
680鷹依姫『黒姫(くろひめ)さまの仰有(おつしや)る通(とほ)り、681一先(ひとま)づ生(い)かして、682玉(たま)を吐(は)き出(だ)させねば、683折角(せつかく)苦労(くらう)した効能(かうのう)が無(な)い。684玉(たま)さへ取(と)れば後(あと)は煮(に)て食(く)はうと、685焼(た)いて食(く)はうと、686若(わか)い奴(やつ)に呉(く)れてやる。687併(しか)し生(い)き返(かへ)らうかな』
688黒姫『これは容易(ようい)に恢復(くわいふく)しますまい。689何卒(どうぞ)黒姫(くろひめ)に任(まか)して下(くだ)さるまいか。690さうすればキツト体(からだ)を旧(もと)の通(とほ)りにして、691さうして折(をり)を考(かんが)へ、692生玉(いくだま)を引抜(ひきぬ)いて見(み)せませう』
693鷹依姫『アヽそんならお前様(まへさま)にお任(まか)せするから、694宜(よろ)しく頼(たの)みます』
695黒姫『何(なん)と云(い)つても玉(たま)を呑(の)んで居(を)るのだから、696玉(たま)の納(をさ)めてある室(しつ)へ高姫(たかひめ)の死骸(しがい)を寝(ね)さし妾(わたし)が介抱(かいほう)をしてやりますから、697極秘密(ごくひみつ)に、698誰(たれ)にも分(わか)らぬ様(やう)にして下(くだ)さい。699黒姫(くろひめ)がキツト取(と)つてお目(め)に掛(か)けます』
700鷹依姫『アヽそんなら御(お)頼(たの)み申(まを)します。701誰(たれ)も這入(はい)つた事(こと)のない玉(たま)の居間(ゐま)、702彼処(あこ)には紫(むらさき)の夜光(やくわう)の玉(たま)が納(をさ)まつて居(ゐ)る。703是(こ)れはアルプス教(けう)の生玉(いくだま)だから、704誰(たれ)にも見(み)せないのだが、705お前(まへ)さまの精神(せいしん)を見届(みとど)けたから、706其(その)居間(ゐま)を一任(いちにん)しませう』
707黒姫『それはそれは実(じつ)に望外(ばうぐわい)の仕合(しあは)せ、708此(この)上(うへ)は粉骨(ふんこつ)砕身(さいしん)、709アルプス教(けう)の為(ため)に、710犬馬(けんば)の労(らう)を惜(をし)みませぬ』
711鷹依姫『妾(わし)も実(じつ)は相談(そうだん)しようにも相手(あひて)がなくて困(こま)つて居(を)つたのだ。712御(お)前(まへ)さまが此処(ここ)へ来(き)て呉(く)れたは天(てん)の与(あた)へ、713肉身(にくしん)の妹(いもうと)が来(き)たも同然(どうぜん)だから、714互(たがひ)にこれから諒解(りやうかい)し合(あ)うて秘密(ひみつ)の相談(そうだん)を致(いた)しませう。715サア妾(わし)が案内(あんない)をしますから……』
716と先(さき)に立(た)つ。
717黒姫『高姫(たかひめ)の死骸(しがい)を持(も)つて行(ゆ)かねばなりますまい』
718鷹依姫『アヽさうでしたな。719併(しか)し乍(なが)ら秘密室(ひみつしつ)に誰(たれ)も入(い)れる事(こと)が出来(でき)ないのだから……』
720黒姫『妾(わたし)が担(かつ)いで参(まゐ)りませう。721………ヤイ高姫(たかひめ)、722お前(まへ)は幸福者(しあはせもの)だ。723一旦(いつたん)縁(えん)を絶(き)つた妾(わし)に又(また)世話(せわ)になるのかいやい』
724と口汚(くちぎたな)く罵(ののし)り乍(なが)ら、725脇(わき)にエチエチ引抱(ひつかか)へ、726足(あし)を引摺(ひきず)りもつて、727鷹依姫(たかよりひめ)の後(あと)に従(したが)つて秘密室(ひみつしつ)に這入(はい)つて行(ゆ)く。
728鷹依姫『ここが大切(たいせつ)な所(ところ)だから、729お前(まへ)さま、730高姫(たかひめ)の息(いき)吹(ふ)き返(かへ)す様(やう)に、731鎮魂(ちんこん)をしてやつて下(くだ)さい。732さうして時節(じせつ)を待(ま)つて生玉(いくだま)を抜(ぬ)いて下(くだ)さいや』
733黒姫『何事(なにごと)も呑(の)み込(こ)んで居(ゐ)ます。734其(その)代(かは)りに十日(とをか)許(ばか)り、735二人前(ににんまへ)の食料(しよくれう)を入(い)れて下(くだ)さい』
736 鷹依姫(たかよりひめ)はニコニコし乍(なが)ら、737我(わが)居間(ゐま)に帰(かへ)り、738珍味(ちんみ)佳肴(かかう)を、739ソツト秘密室(ひみつしつ)へ持運(もちはこ)び、740素知(そし)らぬ顔(かほ)をして居(ゐ)る。
741 高姫(たかひめ)はムクムクと起上(おきあが)り、742四辺(あたり)をキヨロキヨロ見廻(みまは)して、
743高姫『アヽ妾(わし)は夢(ゆめ)を見(み)て居(ゐ)たのかいな。744アヽ黒姫(くろひめ)さま、745お前(まへ)さまと天(あめ)の森(もり)の竜神(りうじん)の祠(ほこら)で従来(つい)に無(な)い大喧嘩(おほげんくわ)をして、746それより悪(わる)い奴(やつ)に喉(のど)を締(し)められたと思(おも)つて居(ゐ)たが……ヤツパリ夢(ゆめ)だつたかなア』
747 黒姫(くろひめ)、748あたりを憚(はばか)る小声(こごゑ)にて、
749黒姫『高姫(たかひめ)さま、750決(けつ)して夢(ゆめ)ぢやありませぬ。751ここは高春山(たかはるやま)の割(わ)れ岩(いは)の岩窟(がんくつ)……』
752と耳(みみ)に口(くち)を当(あ)て、753何事(なにごと)かヒソヒソと囁(ささや)いて居(ゐ)る。754高姫(たかひめ)は紫(むらさき)の玉(たま)を眺(なが)め、
755高姫『マア立派(りつぱ)な玉(たま)がありますな』
756黒姫『これがアルプス教(けう)の性念玉(しやうねんだま)です。757此(こ)れさへ手(て)に入(い)れば、758アルプス教(けう)は最早(もはや)寂滅(じやくめつ)、759何(なん)とかして帰順(きじゆん)させる方法(はうはふ)はありますまいかなア』
760高姫『ナニ、761ありますとも、762この高姫(たかひめ)が呑(の)んで持(も)つて帰(かへ)れば好(い)いのだ』
763黒姫『何(なん)でもあなたは呑(の)み込(こ)みが良(よ)いから便利(べんり)ですなア』
764高姫『練(ね)つて練(ね)つて練(ね)つて練(ね)り倒(たふ)し、765仕組(しぐみ)の奥(おく)の生玉(いくだま)を呑(の)み込(こ)んだ此(この)妾(わたし)、766此(この)玉(たま)の一(ひと)つや二(ふた)つ呑(の)むのに何(なん)の手間暇(てまひま)が要(い)りますものか』
767と云(い)ふより早(はや)く、768玉(たま)を手(て)に取(と)り、769クネクネクネと撫(な)で廻(まは)し、770餅(もち)の様(やう)に軟(やはら)かくして、771グツと呑(の)み込(こ)んで了(しま)つた。772此(この)時(とき)秘密室(ひみつしつ)の外(そと)に、773慌(あわ)ただしく駆出(かけだ)す足音(あしおと)が聞(きこ)えた。774此(こ)れはテーリスタン、775カーリンスの二人(ふたり)であつた。776嗚呼(ああ)、777高姫(たかひめ)、778黒姫(くろひめ)の運命(うんめい)は如何(どう)なるであらうか。
779(大正一一・五・一六 旧四・二〇 松村真澄録)
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