霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第二章 ⦿()の意義

インフォメーション
題名:第2章 ⦿の意義 著者:出口王仁三郎
ページ:11 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例:2021/4/11底本と照合して校正 データ最終更新日:2021-06-02 09:35:09 OBC :B121801c05
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]神霊界 > 大正9年8月1日号(第122号) > 皇道大意
 新聞や雑誌などに昨年来(さくねんらい)綾部(あやべ)の教団が、皇道(くわうだう)大本(おほもと)の名を(くわん)して()るのは、実に()しからぬ次第だ、僭上(せんじやう)至極(しごく)だと評論したのが沢山にあつた。(わたくし)は余りの事に可笑(をか)しくて(たま)らなかつたのであります。皇道(くわうだう)()へば天皇の道であるにも(かかは)らず、臣民(しんみん)(ぶん)として余りに不敬であるとか、皇道(くわうだう)の美名に隠れて、大本(おほもと)世人(せじん)誤魔化(ごまくわ)詐偽(さぎ)団体だとか、色々と誤託(ごたく)を並べたものである。今日(こんにち)(いへど)も少数の人士(じんし)は、皇道(くわうだう)の名を冠する事を(もつ)て、非国民(ひこくみん)所作(しよさ)(やう)見做(みな)し、()つ攻撃して()る人があるやうです。私は余りに世間に無智者(むちしや)の多いのに、呆れざるを得ない次第であります。(また)(なか)には皇道(くわうだう)神道(しんだう)と同一に見て()る人もあるやうですが、この区別は此処(ここ)には(ただ)皇道(くわうだう)の大意のみを、説明することに(いた)します。
 (くわう)はスベルともスメとも()む。(ゆゑ)に、(しゆ)()(しん)三徳(さんとく)具備(ぐび)し、地球上を知食(しろしめ)大君(おほぎみ)皇御門(すめらみかど)(まを)し、御孫(おんまご)皇御孫(すめみまの)(みこと)(まを)し、日本(につぽん)神国(しんこく)は世界を統治すべき、天賦(てんぷ)の使命を有する国なるが(ゆゑ)に、皇御国(すめらみくに)(とな)ヘまつるのである。皇御国(すめらみくに)(せい)()け、皇御国(すめらみくに)大君(おほぎみ)に仕へ、皇御国(すめらみくに)(あは)()みつつ、結構に生活さして戴いて()皇大君(すめおほぎみ)赤子(せきし)たる臣民(しんみん)が、皇御国(すめらみくに)の道を説き拡め、皇大神(すめおほかみ)皇大君(すめおほぎみ)との()仁徳(じんとく)を、天下(てんか)宣伝(せんでん)するのが何が悪いのでありませうか。子が親の大慈(だいじ)(あが)め、兄弟に親の有難(ありがた)きこと、尊きことを説き聞かすのに、何処(どこ)差支(さしつか)ヘる所があるであらうか。吾々(われわれ)何処(どこ)(まで)皇御国(すめらみくに)人民(じんみん)として、皇大神(すめおほかみ)皇大君(すめおほぎみ)とを(しゆ)()(しん)として(あふ)(まつ)らねば日本(につぽん)臣民(しんみん)の義務を(まつた)うする事が出来(でき)ないと思ふのである。(なほ)進んで()言霊(ことたま)()いて、大略を(じよ)して見よう。古事記の(はじめ)に、独神(すに)成坐而(なりまして)隠身(すみきり)(なり)とあるは、無色透明にして、至粋(しすゐ)至純(しじゆん)至聖(しせい)至美(しび)至真(ししん)至善(しぜん)()しまし、無声(むせい)無形(むけい)主神(すしん)なる事を、表示されたものであります。言霊学(げんれいがく)の上から、霊返(たまがへ)しの法に()つて調べて見ると、()るの(かへし)である。又()らす、知食(しろしめ)す、()む、()ます、()む、()く、(すす)む、(すが)る、(たす)ける、(さと)る、(さま)す、(さか)ゆる、(ささ)ふ、(さそ)ふ、()(とう)霊返(たまがへ)しは(みな)と成るのである。次に言霊学(げんれいがく)(じやう)より(とり)(れい)である。()寿()統一()は皆の活用であります。
 又言霊学(ことたまがく)(じやう)より、の活用を示せば、(なか)(あつ)まる言霊(ことたま)也、真中真心(まなか)也、八極(はちきよく)()()る也、(かず)(かぎ)()む也、本末(ほんまつ)一徹(いつてつ)(つらぬ)く也、(たま)也、(むす)()む也、八咫(やあた)(のび)(きは)むる也、(かぎ)()無為(すみきる)也、出入(いでいる)(いき)也、呼吸(こきふ)(とも)(あら)はるる(こゑ)也、結柱(むすびはしら)也、安々(やすやす)(いろ)也、自由自在(するままにする)也、(もと)(まま)也、至大(しだい)天球(てんきう)内外(ないぐわい)(ことごと)くを(ひた)(たも)ちて極乎(かみ)たり、無所不至(いたらざるところなき)也、無所不為(ならざるところなき)也、霊魂球(れいこんきう)(ひた)す也、(いう)(きよく)也、(こゑ)(せい)也、(そと)()ぶる()(とう)言霊(ことたま)活用(くわつよう)を有するのである。
 (なほ)諸種(しよしゆ)(ごゑ)の活用を略解すれば、
 『()らす、知食(しろしめ)す、()る』(とう)の言霊は、万世(ばんせい)一系(いつけい)天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)天皇(てんわう)が、(あめ)(した)四方(よも)の国を安国(やすくに)(たひら)けく統治(とうぢ)遊ばすと()ふ事である。
 『()む、()ます』の活用は、神と大君(おほぎみ)洪大(こうだい)無辺(むへん)なる一大威力によつて、混濁(こんだく)せる天地(てんち)一切(いつさい)を清浄ならしめ、至真(ししん)至美(しび)至善(しぜん)の国土を造り玉ひし言霊(ことたま)である。
 『()む』の活用は万民(ばんみん)(ことごと)神君(しんくん)大慈(だいじ)(もと)(やしな)はれ、至誠(しせい)至直(しちよく)にして神を敬ひ皇室を(たふと)び国家の恩に報い(まつ)り、私心(ししん)私欲(しよく)の念なし、霊体(れいたい)(とも)に水晶の(ごと)く透明潔白に社会に生存し、人生の本務(ほんむ)各自(かくじ)(まつた)うするの意である。現代人の(ごと)く私利私欲の(ほか)敬神(けいしん)尊皇(そんわう)愛国(あいこく)念慮(ねんりよ)薄くして修羅(しゆら)(ちまた)にさまよふ(ごと)きは「()むに(あら)ずして(にご)()るのである」、要するに霊主(れいしゆ)体従(たいじう)の生活者は所謂(いはゆる)住むと()ふ資格を有すれども、体主(たいしゆ)霊従(れいじう)の生活を()すものは(にご)()ると称すべきものであります。
 『()く』と()言霊(ことたま)は、万国(ばんこく)(たみ)(あらそ)うて日本(につぽん)皇国(すめくに)生出(せいしゆつ)せむ事を好む事である。東方の君子(くんし)(こく)日出(ひいづ)る国、豊葦原(とよあしはらの)瑞穂(みづほ)中津(なかつ)(くに)磯輪垣(しわがき)秀妻(ほづまの)(くに)姫子(きし)(こく)、世界の公園、天国浄土、大倭(おほやまと)日高見(ひだかみの)(くに)心安(うらやす)(くに)(とよ)秋津(あきつ)根別(ねわけの)(くに)言霊(ことたま)(さちは)ふ国、言霊(ことたま)()ける国、言霊(ことたま)(きよ)き国、言霊(ことたま)(たす)くる国、言霊(ことたま)天照(あまて)る国、惟神(かむながら)言挙(ことあげ)せぬ国、万世一系の君主(くんしゆ)(こく)(とう)種々(しゆじゆ)讃嘆(さんたん)の声を放ちて、皇国(くわうこく)神境(しんきやう)随喜(ずゐき)渇仰(かつかう)する、至尊(しそん)至貴(しき)宝国(ほうこく)である。地球上の人類として、誰一人(わが)神国(しんこく)を嫌ふものなき()()()の国であるてふ言霊(ことたま)であります。
 『(すす)む』皇国(くわうこく)大道(たいだう)進歩()発展()主義()である。朝日の豊栄(とよさか)昇りに()(さか)ゆる神国(しんこく)である。楽天主義(すずし)清潔主義(すむ)統一主義(すぶる)と共に無限に発展し、宇宙一切を天国の神政に進める所の、天職を惟神(かむながら)具備(ぐび)せる神皇(しんわう)の国土である、(ゆゑ)皇国(くわうこく)(うま)()でたる人民(じんみん)は、夢にも悲観的の精神(せいしん)をもつてはならぬのである。
 『(すが)る』世界万国の(たみ)塗炭(とたん)()(のが)れんとして、東方の君主(くんしゆ)(こく)たる日本(につぽん)皇国(くわうこく)に君臨し玉ふ天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)天皇(てんわう)(だい)慈徳(じとく)に、乳児(にうじ)の母乳に(すが)るが(ごと)く、(した)()るといふ言霊(ことたま)である。(わが)皇国(くわうこく)天皇(てんわう)は、世界に()ける(しゆ)()(しん)の三大神徳(しんとく)を具有し玉ふが(ゆゑ)に、日本国民たる者は、天皇の大御心(おほみこころ)(こころ)とし、世界万民の師範(しはん)となり、(すく)(ぬし)となり、親切に導き、(もつ)て世界平和の一大保証(ほしよう)に立たねばならぬ天賦(てんぷ)の職責を()つて()るのであります。
 『(たす)ける』皇国(くわうこく)大道(たいだう)は万物一切を至善(しぜん)(をしへ)に導き助けて、各自(かくじ)(その)使命を(まつた)からしむるを(もつ)主旨(しゆし)とするのである。弱きもの、貧しきもの、(をさな)きもの、(おろか)なるもの、(すべ)()らざるを(おぎな)ひ助けて、神と大君(おほぎみ)大御心(おほみこころ)(やすん)(まつ)()き責任ある皇国(くわうこく)臣民(しんみん)である。(ここ)(おい)て始めて、スベラ御国(みくに)の臣民たる資格が(そな)はるのであります。
 『(さと)る』とは天地(てんち)未剖(みぼう)陰陽(いんやう)未分(みぶん)太古(たいこ)より、千億万年の(のち)の事柄までも、鏡にかけたる(ごと)()正覚(せいかく)する神智(しんち)神感(しんかん)(りよく)()ふ。皇道(くわうだう)大本(おほもと)が古事記を真解(しんかい)し、大本(おほもと)教祖(けうそ)神諭(しんゆ)を研究する事は、古今(ここん)を通じて(あやま)らず、中外(ちうぐわう)(ほどこ)して(もど)らざる、一大真理を覚悟し、(もつ)(わが)皇国(くわうこく)(ならび)に皇室の尊厳(そんげん)無比(むひ)にして、天下(てんか)統御(とうぎよ)し玉ふ天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)天皇(てんわう)惟神(かむながら)()天職(てんしよく)の、如何(いか)なるものなるかを(さと)ることを()べし、(ゆゑ)皇道(くわうだう)は天地の迷雲(めいうん)を払ひ、真如(しんによ)日月(じつげつ)を万民の心天(しんてん)(てら)す所の神鏡(しんきやう)であります。
 『(さま)す』体主(たいしゆ)霊従(れいじう)的人類天下(てんか)に充満して、天理人道を(わきま)へず、野獣毒蛇(どくだ)に等しき暗黒世界を、神の大道(たいだう)大君(おほぎみ)大勅(おほみことのり)とに()つて、神人(しんじん)合一(がふいつ)、霊肉一致、鎮魂(ちんこん)帰神(きしん)権威(けんゐ)()り、眠れる霊界(れいかい)物質界の(まなこ)()ます()真教(しんけう)は、皇道(くわうだう)大本(おほもと)()いて()何物(なにもの)もないのであります。
 『(さか)ゆる』(やま)(あを)(みづ)(きよ)蓬莱(ほうらい)(じま)なる日本(につぽん)神国(しんこく)は、皇大神(すめおほかみ)殊更(ことさら)厚き()仁恵(じんけい)()つて、国運(こくうん)日に月に栄え、竹の園生(そのふ)万世(ばんせい)(いや)栄えまし、国民(こくみん)(あめ)益人(ますびと)(まを)して、人口(じんこう)益々(ますます)稠密(ちうみつ)「稠密」は「多く集まってこみあっていること」〔広辞苑〕の度を日に月に(くは)(きた)る、(じつ)目出度(めでた)神国(しんこく)であります。(かか)る結構な神国(しんこく)(うま)(いで)たる臣民(しんみん)は、一日(ひとひ)も片時も神と(きみ)との大恩(だいおん)を忘れ、不敬不忠の行動を夢にもすることは出来ませぬ。万々一(あやま)つて(かか)る不心得の事を(おこな)つたならば、神罰(たち)どころに到り、(さか)ゆベき吾人(ごじん)(めい)()寿(じゆ)()(たちま)ちにして消え失せ、身魂(しんこん)共に(ほろ)ぼさるるに到るのである、アア厳正なる(かな)皇道(くわうだう)の権威。
 『(ささ)ふる』政治、宗教、教育、実業、経済、哲学、思想界の(ゆき)(つま)りを現出(げんしゆつ)し、社会は(まさ)に転倒せむとする時に(あた)りて、()(これ)を支持するものは、皇道(くわうだう)大本(おほもと)(をしへ)である。不言(ふげん)実行(じつかう)大本(おほもと)(をしへ)である。(かく)の如き闇黒(あんこく)社会は、皇道(くわうだう)大義(たいぎ)(あまね)く天下に宣伝さるるに至つて、始めて完全に支持し改良する事の可能なるは、古事記(ならび)大本(おほもと)神諭(しんゆ)の示す所であります。
 『(さそ)ふ』宇宙万有一切に(しん)生命(いのち)(あた)へ、安心(あんしん)立命(りつめい)せしむる所の権威ある皇道(くわうだう)は、独り占有すべきもので無く、(これ)(あまね)く天下に宣布(せんぷ)すべきものである。如何(いか)に暗黒界に浮沈(ふちん)せし人民(じんみん)(いへど)も、皇道(くわうだう)の一大光明(くわうみやう)(みと)むる時は、先を争うて(あつま)(きた)り、神徳(しんとく)皇恩(くわうおん)(よく)するは、(すなは)惟神(かむながら)皇道(くわうだう)の実体であります。
 『()ぐ』()ぐなるは万有統一の本義である。大工(だいく)墨縄(すみなは)を打つも、弓の矢の飛びて(まと)(あた)るも、銃丸(じうぐわん)の的中するも、尺度(しやくど)(もち)ふるも、一切()ぐなるを(えう)す。人の心も(また)(すぐ)ならざれば、何事(なにごと)も成功する事は出来(でき)ぬ。(また)一旦(いつたん)決心した事は少しも躊躇(ちうちよ)せず、()ぐに断行せざれば()(いつ)する(おそれ)がある。神諭(しんゆ)に、神の(をしへ)を聞いて、(その)()()(わか)りて直ぐに改心の出来る者は、素直な身魂(しんこん)持主(もちぬし)であると(あら)はれて()ります。十日も二十日も二三ケ月も、神諭(しんゆ)を調べて(わか)らぬ()うな人は、(まが)つた身魂(みたま)であります。直霊(なほひ)御魂(みたま)の威力が弱い人であります。
 『() 寿() 統一()一天(いつてん)万乗(ばんじよう)大君主(だいくんしゆ)が、天壌(てんじやう)と共に無窮(むきう)神寿(しんじゆ)を保ち、万世一系に葦原(あしはらの)瑞穂(みづほの)(くに)(地球の別名)を統一(とういつ)して、安国(やすくに)(たひら)けく(やす)らけく、知食(しろしめ)すが(ゆゑ)に、皇道(くわうだう)()ふのである。皇道(くわうだう)天津(あまつ)(まこと)御教(みをしへ)であつて、人民(じんみん)愛撫(あいぶ)仁徳(じんとく)(ほどこ)し、現人神(あらひとがみ)と君臨し玉ふ、天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)天皇(てんわう)の御天職であり、覇道(はだう)は外国の帝王()の暴力を(もつ)(たみ)に対し(きた)つたもので、覇道(はだう)には権道(けんだう)(ともな)ふのである。(ゆゑ)(わが)皇国(くわうこく)皇道(くわうだう)は、天地(てんち)開闢(かいびやく)太初(たいしよ)より、天津神(あまつかみ)の定め玉ひし、所謂(いはゆる)天立(てんりつ)君主(くんしゆ)であつて、天に(かは)つて道義的に統治遊ばす、惟神(かむながら)の御天職がましますのであります。
 神示は、皇道(くわうだう)大意(たいい)は、拙著善言(せんげん)美詞(びし)祝詞(のりと)及び感謝(かんしや)祈願(きぐわん)(ことば)(あきら)かでありますから、(これ)()を熟読されましたら、少しは(わか)るであらうと思ひます。
 日本(につぽん)言霊学(げんれいがく)により、更に皇声(すごゑ)の略解を試みますれば、
 『(なか)(あつ)まる言霊(ことたま)』とは、宇宙一切万事(ばんじ)(すべ)⦿()に集まると()ふことであります。地球の大中心なる(地質学上)日本国には、世界の文物(ぶんぶつ)自然に朝宗(てうそう)すると()国徳(こくとく)(そな)はつて()ります。宗教にまれ、哲学にまれ、一切の思想問題にまれ、科学にまれ、自然的に集中するが(ゆゑ)に、()(くに)()ふのである。
 『真中真心(まなか)也、八極(はちきよく)()()る也』の活用(くわつよう)は、日本国水土(すゐど)自然の皇国の天賦(てんぷ)的天職を示すものである。
 『(かず)(かぎ)()む也』とは、神皇(しんわう)洪慈(こうじ)大徳(たいとく)(あまね)(ゆき)(わた)れる瑞穂(みづほの)中津(なかつ)(くに)は、宇宙の所在(あらゆる)生物(せいぶつ)人獣(じんじう)鳥魚(てうぎよ)虫介(ちうかい)一切(その)(ところ)を得て安住し、()(あめ)益人(ますびと)(かず)は日に月に増加し、深山(みやま)の奥の奥までも煙の立たぬ所なきまで、生民(せいみん)の安住して、神恩(しんおん)霊徳(れいとく)(よく)する天国浄土である。(ゆゑ)(これ)皇国(くわうこく)(まを)すのであります。
 『本末(ほんまつ)一徹(いつてつ)(つらぬ)く也』(きみ)万古(ばんこ)不易(ふえき)(きみ)たり、臣民(しんみん)万古(ばんこ)臣民(しんみん)たり、君臣(くんしん)の大義名分(あきら)かにして、本末(ほんまつ)内外(ないぐわい)(あやま)たず、(きみ)(たみ)()(たま)(こと)慈母(じぼ)赤子(せきし)()けるが如く、(たみ)(きみ)を敬ひ慕ふ(こと)父母の如く、終始(しうし)一貫(いつくわん)万世一系真善美(しんぜんび)国体(こくたい)を保てる(わが)皇国は、天来(てんらい)皇道(くわうだう)炳乎(へいこ)として千秋(せんしう)に輝き玉ふ所以(ゆゑん)であります。
 『(たま)也』五百津(いほつ)御統瓊(みすまる)(たま)は、天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)玉体(ぎよくたい)也、八面(はちめん)玲瓏(れいろう)一点の(きづ)なき八尺(やさか)真賀玉(まがたま)こそは、統治権の主体にして、皇道(くわうだう)の大極であります。
 『(むす)()む也』天地交感(かうかん)して万物発生し、夫婦(あひ)(むす)びて子女(しぢよ)を産む、()高皇(たかみ)産霊(むすびの)(かみ)神皇(かむみ)産霊(むすびの)(かみ)の妙用にして、皇道(くわうだう)()つて()所以(ゆゑん)であります。
 『八咫(やあた)()(きはむ)る也』八方十方に(あきら)かに、神と皇上(くわうじやう)との大徳(だいとく)自然に伸長(しんちやう)し、至仁(しじん)至治(しち)極徳(きよくとく)宇内(うだい)光被(くわうひ)(たま)ふ、(これ)皇道(くわうだう)(まを)すのであります。
 『(かぎ)()無為(すみきる)也』不言(ふげん)(をしへ)無為(むゐ)(くわ)、これ皇道(くわうだう)の真髄である。古書(こしよ)にも惟神(かむながら)言挙(ことあ)げせぬ国とある如く、不言実行を(もつ)て、天下を統御し玉ふ(おん)国体(こくたい)であつて、(しも)国民(こくみん)天津神(あまつかみ)の御子孫なる歴代の天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)天皇(てんわう)奉戴(ほうたい)し、()(ちう)()(かう)に、夫婦(わひ)()朋友(ほういう)(あひ)信じ、兄弟(けいてい)(いう)に億兆一心(いつしん)上下(じやうか)一致、(もつ)皇祖(くわうそ)皇宗(くわうそう)()遺訓(ゐくん)奉答(ほうたふ)すべきは、皇国臣民(しんみん)の義務にして皇道(くわうだう)の大精神である。(この)大精神を無限に世界各国に対して、実行の(はん)を示すのが、皇道(くわうだう)の本義であります。
 『出入(いでいる)(いき)也、呼吸(こきふ)(とも)(あらは)るる(こゑ)也』酸素を吸入(きふにふ)し炭酸を吐出(としゆつ)する活用にして呼吸(こきふ)(とも)にスースーと声を発す。()のスの()の活用こそ万物を生育し生命(せいめい)(あた)ふる神気(しんき)にして、天地(てんち)造化(ざうくわ)の一大機関である。天帝(てんてい)呼吸(こきふ)し太陽また呼吸し、太陰、大地、人類、万物一切呼吸せざるもの無く、()の呼吸の(こゑ)活動(くわつどう)によりて、神人(しんじん)立命(りつめい)するのである。(これ)皇道(くわうだう)大本(おほもと)(まを)すのであります。
 『結柱(むすびはしら)也』ウクスツヌフムユルウを言霊学(げんれいがく)の上より(むす)びの段と()ふ。(その)(なか)にて(もつと)も統一する所の言霊(ことたま)(こゑ)である。(すなは)(むす)(はしら)であり、七十五(せい)の中に(おい)(もつと)も権威ある言霊(ことたま)である。現今(げんこん)七十五()(こく)言向(ことむけ)(やは)す、絶対的権威は(こゑ)の活用、皇道(くわうだう)の発揮に()らねば成らぬのであります。
 『安々(やすやす)(いろ)也』小児(せうに)の寝て()る姿を見ると、実に安らかにスースーと息をして()んとも言へぬ姿である。天下万民(ことごと)皇道(くわうだう)発揚(はつやう)して、天下統一し、地上に天立(てんりつ)君主が君臨し玉ふ時は、小児の安々と眠りたる時の如く、世界万民(まくら)(たか)うして安息する事が出来、天国浄土の成就(ぜうじゆ)する時が()るのである。(これ)(すなは)皇道(くわうだう)の大精神である。皇国天皇の世界統御(とうぎよ)は、道義的御統一であつて、外国の如く侵略でも無く、併呑(へいどん)でも無く、植民政策でも無く、各自(かくじ)の国の天賦(てんぷ)的使命を(まつた)うして、神恩(しんおん)君徳(くんとく)悦服(えつぷく)するやうになるのであります。
 『自由自在(するままにする)也』天地は神の自由自在である。(ゆゑ)に神の御子(みこ)たる人類は、天地の大道(たいだう)(したが)つて、(すべ)ての経綸(けいりん)()すも自由自在にして一片の障害も湧起(ゆうき)せぬ(はず)である。(しか)るに万事(ばんじ)意の如く成らずと称して、天地神明(しんめい)(うら)むものは、神に()りての精神統一言行(げんかう)一致が出来て()らぬからである。皇道(くわうだう)の本義にさへ(かな)へば、天下何物(なにもの)(いへど)も意の如く自由自在ならざるは無しであります。
 『(もと)(まま)也』天地自然の(まま)素地(そち)(まま)にして、少しの粉飾も無く外皮(ぐわいひ)も無く、惟神(かむながら)大道(たいだう)に従つて赤裸々(せきらら)なるを()()ふのである。(たと)へば皇道(くわうだう)にては神社を造営するにも白木(しらき)素地(そち)(まま)(もち)ひ、祭具(さいぐ)一切は木地(きぢ)(まま)であるに(ひき)()へ、仏教の如きは、金銀(その)()の色を塗りて、仏堂(ぶつだう)霊像(れいざう)、仏具を造るが如し。皇道(くわうだう)()(まま)なるを(たふと)ぶ、(これ)(もと)(まま)といふのである。何事(なにごと)も包み隠さず、(あり)(まま)赤裸々(せきらら)にして、純正純直なる言行(げんかう)(はげ)む。(これ)皇道(くわうだう)の本義であります。
 (その)()の活用たるや、至大(しだい)天球(てんきう)内外(ないぐわい)(ことごと)くを(ひた)(たも)極乎(きよくこ)として神聖不可犯(ふかはん)の神権を(そな)へ、無所不至(いたらざるところなく)無所不為(なさざるところなく)、一切の霊魂球(れいこんきう)(ひた)し、()(きよく)也。(こゑ)(せい)也。地球外面(ぐわいめん)()べ治め、宇宙万有を生成(せいせい)化育(くわいく)せしむるの言霊(ことたま)にして、皇道(くわうだう)大本元(だいほんげん)⦿()より始まりて⦿()に納まる絶対無限の神力(しんりき)であります。
 皇道(くわうだう)はもと天地自然の大法(たいはふ)であつて、大虚(たいきよ)霊明(れいめい)なるが(ゆゑ)無名(むめい)無為(むゐ)である。実にスミキリである。(ゆゑ)天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)天皇(てんわう)の皇室を中心として、団結せる大和民族の当然遵守(じゆんしゆ)すべき公道であつて、天地惟神(かむながら)大経(たいけい)なるが(ゆゑ)に、()の宗教教法(けいはふ)の如く、人為的の(をしへ)ではなく、皇祖(くわうそ)天照(あまてらす)大神(おほかみ)神勅(しんちよく)(みなもと)を発し、歴代の聖皇(せいくわう)(これ)を継承し玉ひて、天武(てんむ)天皇の()らせ玉ヘる如く、斯乃(これすなはち)邦家(ほうか)()経緯(けいゐ)王化(わうくわ)()鴻基(こうき)(なり)である。(これ)一国(いつこく)(ほどこ)せば一国(やす)く、(これ)を万国に施せば万国安く、一家(これ)()つて(さか)ヘ、一身(いつしん)(これ)()つて(せい)(たも)つの大経(たいけい)である。
 上御一人(かみごいちにん)としては、万世一系天壌(てんじやう)無窮(むきう)宝祚(ほうそ)を継承し、皇祖(くわうそ)皇宗(くわうそう)を崇敬し、(だい)日本(につぽん)(こく)に君臨して、世界を統治し(もつ)皇基(くわうき)(かた)め給ひ、(しも)臣民(しんみん)翼賛(よくさん)()りて、国家の隆昌(りうしやう)(その)進運(しんうん)扶持(ふぢ)し玉ふ、(しか)して祖宗(そそう)恵撫(けいぶ)愛養(あいやう)し給ひし所の忠良なる臣民(しんみん)親愛(しんあい)し、(もつ)(その)福祉を増進し、(その)懿徳(いとく)良能(りやうのう)を発達せしめむ事を()し玉ひ、臣民(しんみん)(とも)(これ)遵守(じゆんしゆ)し、拳々(けんけん)服膺(ふくよう)して、(その)(とく)を一にせむことを庶幾(こひねが)はせ給ふ所の(おん)(みち)たることは明治天皇の(だい)勅語(ちよくご)に示させ玉ふ所であります。
 (しも)臣民(しんみん)としては、
 皇祖(くわうそ)天神(てんしん)地祇(ちぎ)を崇敬し、皇室を尊び、祖先を鄭重(ていちよう)に祭祀し、()つ祖先の遺風(ゐふう)を顕彰し、()(ちう)()(かう)義勇(ぎゆう)奉公(ほうこう)至誠(しせい)(もつ)て、天壌(てんじやう)無窮(むきう)皇運(くわううん)扶翼(ふよく)(まつ)り、国体(こくたい)精華(せいくわ)たる皇道(くわうだう)(たい)して億兆(その)(こころ)を一にし、拳々(けんけん)服膺(ふくよう)して、(もつ)(みな)(その)(とく)を一にせむことを期し、必ず実践躬行(きうかう)すベき天地の大道(たいだう)であります。
 大量(たいりやう)は測る()からず、大度(たいど)(しやく)すベからずとは、(その)(かたち)()(その)(きは)まりなきを(もつ)てである。皇道(くわうだう)(ちう)なり(きよ)なり。玄々(げんげん)として、乾天(かんてん)(くらゐ)の如く、淵乎(えんこ)として万物の(そう)たり。虚中(きよちう)霊気(れいき)ありて自然の妙用を(そな)ふ。(きよ)なるが(ゆゑ)()()()れ、()()(くわ)するのである。()はなけれど世と(とも)に進み、(かたち)()けれど時と(とも)に移りて万教(ばんけう)を同化し万法(ばんぽふ)摂養(せつやう)す。(きよ)(ちう)(きよ)(れい)(ちう)(れい)、神妙不可測(ふかそく)聖道(せいだう)である、(また)皇道(くわうだう)は、神洲(しんしう)精気(せいき)であつて、日本(やまと)民族の血液である。皇国上代(じやうだい)(すべ)ては(おのづか)純朴(じゆんぼく)高雅(かうが)にして、烝々(じやうじやう)たる皇民(くわうみん)は、敬神(けいしん)尊皇(そんわう)報国(はうこく)(ねん)深く、()人為(ひととなり)天真(てんしん)爛漫(らんまん)にして、(その)行動(かうどう)自然の法規に(かな)ひ、諸外国の未開(みかい)野蛮(やばん)(きは)まる風習と、(あい)()る事雲泥(うんでい)の相違である。()れ全く神代(かみよ)以降列聖(れつせい)皇道(くわうだう)遵奉(じゆんぽう)して、国民の教養に神慮(しんりよ)(わづら)はせ玉ひし、()余光(よくわう)(ほか)ならないのであります。

 (かしこ)くも明治天皇は、明治三年正月三日を以て『大教(たいけう)宣布(せんぷ)(みことのり)』を(くだ)し玉ひました。
   大教宣布詔
(ちん)(うやうや)シク(おもんみ)ルニ、天神(てんしん)天祖(てんそ)(きよく)()(とう)()レ、列皇(れつくわう)(あひ)()ケ、(これ)()(これ)()ブ。祭政(さいせい)一致(いつち)億兆(おくてう)同心(どうしん)治教(ぢけう)(かみ)(あきら)カニ、風俗(ふうぞく)(しも)()ナリキ。(しか)シテ中世(ちうせい)以降(いかう)(とき)汚隆(をりう)アリ。(みち)顕晦(けんまい)アリ。治教(ぢけう)(あまね)カラザルヤ(ひさ)シ。(いま)天運(てんうん)循環(じゆんくわん)シ、百度(ひやくど)(これ)(あらた)ナリ。(よろ)シク治教(ぢけう)(あきら)カニシ、(もつ)惟神(かむながら)大道(たいだう)宣揚(せんやう)スベキ也。()リテ(あらた)宣教師(せんけうし)(めい)(をしへ)天下(てんか)()ク。(なんぢ)群臣(ぐんしん)衆庶(しゆうしよ)()レ (ちん)(むね)(たい)セヨ。』

   億兆安撫国威宣布の御宸翰
         明治元年三月十四日
(ちん)幼弱(えうじやく)(もつ)(にはか)大統(たいとう)()ギ、爾来(じらい)(なに)(もつ)万国(ばんこく)対立(たいりつ)シ、列祖(れつそ)(つか)(まつ)ランヤト、朝夕(てうせき)恐懼(きようく)()ヘザルナリ。(ひそか)(かんが)フルニ中葉(ちうえう)朝政(てうせい)(おとろ)ヘテヨリ。武家(ぶけ)(けん)(もつぱら)ニシ、(おもて)朝廷(てうてい)推尊(すゐそん)シテ、(じつ)(けい)シテ(これ)(とほ)ザケ、億兆(おくてう)父母(ふぼ)トシテ、()ヘテ赤子(せきし)(じやう)()(こと)(あた)ハザルヤウ(はか)リナシ、(つひ)億兆(おくてう)(きみ)タルモ(ただ)()ノミニ()()テ、()レガ(ため)今日(こんにち)朝廷(てうてい)尊重(そんちよう)(いにしへ)(ばい)セシガ(ごと)クニテ、朝威(てうゐ)(ますます)(おとろ)ヘ、上下(じやうか)(あひ)(はな)ルルコト霄壌(しようじよう)(ごと)シ。カカル形勢(けいせい)ニテ、(なに)(もつ)天下(てんか)君臨(くんりん)センヤ、今般(こんぱん)朝政(てうせい)一新(いつしん)(とき)(あた)タリ天下(てんか)億兆(おくてう)一人(いちにん)其処(そこ)()ザル(とき)ハ、(みな) (ちん)(つみ)ナレバ今日(こんにち)(こと) (ちん)(みづか)身骨(しんこつ)(らう)心志(しんし)(くる)シメ、艱難(かんなん)(さき)()チ、(いにし)列祖(れつそ)()クサセ(たま)ヒシ(あと)()ミ、治蹟(ぢせき)(つと)メテコソ(はじ)メテ天職(てんしよく)(ほう)ジテ億兆(おくてう)(きみ)タル(ところ)(そむ)カザルベシ。往昔(わうせき)列祖(れつそ)万機(ばんき)(みづか)ラシ、不臣(ふしん)(もの)アレバ(みづか)(しやう)トシテ(これ)(せい)(たま)ヒ、朝廷(てうてい)(まつりごと)(すべ)簡易(かんゐ)ニシテ、如此(かくのごと)尊重(そんちよう)ナラザル(ゆゑ)君臣(くんしん)(あひ)(した)シミテ上下(じやうか)(あひ)(あい)シ、徳沢(とくたく)天下(てんか)(あまね)国威(こくゐ)海外(かいぐわい)(かがや)キシナリ、(しか)ルニ近来(きんらい)宇内(うだい)(おほい)(ひら)ケ、各国(かくこく)四方(よも)(あひ)雄飛(ゆうひ)スルノ(とき)(あた)リ、(ひと)(わが)(くに)ノミ世界(せかい)形勢(けいせい)(うと)旧習(きうしふ)固守(こしゆ)一新(いつしん)(かう)(はか)ラズ (ちん)(いたづ)ラニ九重(ここのへ)(うち)安居(あんきよ)シ、一日(いちにち)(やす)キヲ(ぬす)百年(ひやくねん)(うれひ)(わす)ルル(とき)ハ、(つひ)各国(かくこく)凌侮(りやうぶ)()ケ、(かみ)列祖(れつそ)(はづか)シメ(まつ)リ、(しも)億兆(おくてう)(くる)シメム(こと)(おそ)ル。(ゆゑ)ニ (ちん)(ここ)百官(ひやくくわん)諸侯(しよこう)(ひろ)(あひ)(ちか)ヒ、列祖(れつそ)()偉業(ゐげふ)継述(けいじゆつ)シ、一身(いつしん)艱難(かんなん)辛苦(しんく)()ハズ、(みづか)四方(よも)経営(けいえい)(なんぢ)億兆(おくてう)安撫(あんぶ)シ、(つひ)万里(ばんり)波濤(はたう)拓開(たくかい)シ、国威(こくゐ)四方(よも)宣布(せんぷ)シ、天下(てんか)富岳(ふがく)(やす)キニ()カムコトヲ(ほつ)ス。(なんぢ)億兆(おくてう)旧来(きうらい)陋習(ろうしふ)()レ、尊重(そんちよう)ノミヲ朝廷(てうてい)(こと)トナシ神洲(しんしう)危急(ききふ)ヲシラズ (ちん)一度(ひとた)(あし)()グレバ、非常(ひじやう)(おどろ)キ、種々(しゆじゆ)疑惑(ぎわく)(しやう)ジ、万口(ばんこう)紛紜(ふんうん)トシテ (ちん)(こころざし)()サザラシムル(とき)ハ、()(ちん)ヲシテ(きみ)タル(みち)(うしな)ハシムルノミナラズ、(したが)ツテ列祖(れつそ)天下(てんか)(うしな)ハシムルナリ。(なんぢ)能々(よくよく) (ちん)(こころざし)体認(たいにん)シ、(あひ)(ひきゐ)私見(しけん)()公議(こうぎ)()リ、(ちん)(げふ)(たす)ケテ神洲(しんしう)保全(ほぜん)シ、列聖(れつせい)神霊(しんれい)(なぐさ)(まつ)ラシメバ、生前(せいぜん)幸福(かうふく)ナラム』
 嗚呼(ああ)(かしこ)し明治天皇の()神慮(しんりよ)を拝し(まつ)りて、陛下の赤子(せきし)たるもの至誠一貫聖旨(せいし)報答(ほうたふ)せずにおけませう()(わが)()臣民悠々(ゆうゆう)として、長夜(ちやうや)の夢を(むさぼ)るべき時でありませう()。奮起せられよ、日本帝国の臣民諸士(つと)めよや、皇道大本の教信徒(けうしんと)諸氏
 以上の()宸翰(しんかん)を拝し(まつ)りて、陛下の()仁慈(じんじ)感泣(かんきふ)せざるものが()りませう()今日(こんにち)の世に(かく)の如き御神慮を、上下(じやうか)の臣民が遵奉(じゆんぽう)(まつ)つたならば、天下は実に無事安穏(あんをん)でなければならぬ(はず)である。現代の日本国民中、以上の御宸翰を心得(こころえ)(まつ)()るものは、実に暁天(ぎやうてん)の星の数にも等しいやうな感じがするのである。社会主義やデモクラシーや労働問題や、サンヂカリズムサンディカリスム(syndicalisme)「19世紀末から20世紀初めにかけて、西ヨーロッパ、特にフランスで盛んであった急進的労働組合主義。労働組合が一切の政党活動を排除し、ゼネストや直接行動によって産業管理を実現し、社会改造を達成しようとする立場。」〔広辞苑〕の如き不祥(ふしやう)なる言論は、旭日(きよくじつ)(つゆ)の消ゆるが如く、(たちま)(その)影だにも無きに至るのであります。
 皇道大本は神明(しんめい)を敬ひ、皇祖(くわうそ)皇宗(くわうそう)の御遺訓を遵奉(じゆんぽう)(もつ)て、陛下の()聖旨(せいし)に答へ(まつ)らむとする、至誠純忠(じゆんちう)の人士を養成する聖なる教団であります。(しか)るに好事(かうじ)()(おほ)しとても申しますか、商売主義の各地の新聞雑誌(とう)(くち)を極めて、皇道大本を批難し(はなは)だしきは、不敬不忠の団体の如くに、(ののし)つたものさへ()るのであります。また一旦(いつたん)大本に入信し、大本に()ける権力を握らむとして()らざりし、四五の()信者(しんじや)などが、各地の新聞雑誌に投書したり、変態心理学者が大本を悪評して、世人(せじん)の機嫌をとり書籍の販売に便(べん)したり、色々雑多の妨害運動が今日至る(ところ)(あら)はれて来ました。(しか)釈迦(しやか)にも提婆(だいば)(くぢら)(しやち)と云ふ事があつて、キリストも教敵(けうてき)の為弟子(でし)の為に十字架に(くぎ)()けられ、日蓮(にちれん)上人(しやうにん)(たつ)(くち)に首を()ねられむとした如く、喬木(けうぼく)(かぜ)(つよ)(あた)るの(たと)への通り、(だい)なる(うつは)には大なる(かげ)のさすもので、弥々(いよいよ)皇道大本も天下の大本と成りかけて来ました。(しか)し世界二十億の人類は残らず聖人賢者(ばか)りでありませぬから、新聞や雑誌の無根(むこん)の記事を軽信(けいしん)して、折角の神縁(しんえん)に近づかない人が出来るのは斯道(しだう)の為に悲しむべき事であります。宗教家は自分()の奉ずる宗教を、死守せむとする打算上より殊更(ことさら)に大本を攻撃し、学者は自己の学説の光の薄らぐ事を防ぐために故意に大本を批難するのである。(ほとけ)(をしへ)にも弥勒(みろく)出現の際には、大自在天(だいじざいてん)といふ強敵が(あら)はれて、絶対的に反対をすると云ふ意味が示してある。(いづ)れの世にも多少の反対や、妨害は(まぬが)るべからざるものと覚悟して、何事も世間の批評は心意(しんい)(かい)せず、至誠一貫神界と君国(くんこく)の為に(つく)すのが吾々(われわれ)永年(えいねん)の希望であります。
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