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第一章 愛善の真意義

インフォメーション
題名:第1章 愛善の真意義 著者:出口王仁三郎
ページ:389 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B121801c47
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]『真如の光』119号(昭和4年2月5日)
 世のなかにいちばん強いもの、それはなんだといえば、愛であります。そしてこの宇宙万有いつさいは、神の愛の力によつてできているのである。愛というものがなかったならば、いつさいの天地も亡んでしまうくらいなものであります。そして愛には愛の善と愛の悪とがある。この愛の善というものは絶対の愛、いわゆる愛善は、天国すなわち神の国よりほかにないのであります。現実界の愛はすべて物質がとものうている。物質がとものうていると、どうしても濁りというものがある。この物質界には絶対の愛はない。絶対の愛の善というものはないのであります。
 神の方から見ると世界は一視同仁である。一つの神さまがあって世界をお造りになり、各人種をお造りになつておつて、そうして同じように愛していられますが、人間は生活の上から国を樹て、あるいは郷里を大切にする。自分の国を人の国より大切にせなけれはならない。これは人間としてはやむをえない。日本人が日本の国を愛する、これは現実界としてあたりまえのことですが、神の眼から見れば得手勝手である。で、絶対の愛ではない。
 現実界はいわゆる愛の悪である。神の眼から見たところの愛の悪である。天国は愛の善である。しかしながら、われわれ愛善会員は現界において、絶対に、愛悪の世界を愛善にすることはできないという考えをもってはいけないのであります。この現実界を愛善の世界にしようと思えば、まず神さまを信じ、そして神さまの御心になって現実界にのぞんだならば、愛善の世界が築かれるのであります。いわゆる語を代えていえば、弥勒の世が地上に樹つのである、天の岩戸が開くのであります。それでどこまでも、われわれは愛を徹底的に行のうてゆかねばならぬ。
 あるとき、アフガニスタンのプラタップ氏が出てきまして、大本の建築物を見ていうのには、
「あなたがたは、非常に愛善ということをいわれるのはいいが、こういう広い建造物をこしらえるには、費用が要つたにちがいない。その費用をもって貧民にほどこしたならばどうか」
 こういう話でありました。私が答うるには、
 「一応はもつともである。しかしながらこの亀岡の建築、大本の建築がなにほど要つたというても、一千万円の金は要つておらぬ。この一千万の金を日本の同胞に分かったところが、わずかなものである、煙草銭にもならぬ。また世界十七億の人に分けたところが、ほんとうのお賽銭よりないのである。こういうことをしたところが、なんにもならない。それよりも、こういう一つの道場を築いて、第一、日本の国の元たる神さまを鄭重にお祭りして、そして精神的に心のなかに慰安を与え、さらに永久に死後の世界にまで慰安を与えるのが、われわれは愛善だと思う。どうせかぎりある物質をもつて、かぎりない人々を物質的に助けることはできない」と答えたところ、彼は横手をうつて、「いかにもわかりました」というて帰りました。
 たいていの人が、慈善事業にしたらよいとか、なんとかいいますが、それは何十億とか何百億という金があれば、これは物質をもつて助けることができますが、とうていかぎりないところの人を、われわれ信徒の物質的力をもつて助けることはできない。物質で救うのはその時かぎりでありますが、精神的に心から改良して、それで愛善の精神を実行するにおいては、商売も繁昌してくる。なぜ繁昌するかといえば、正直で親切である、暴利を貪らないというようになるから、あすこに行けば、品物が安くて親切であるというように、この教えを聞いたためにその商売が繁昌する。そのほか医学であろうが、いつさいの営業、すべて愛の心に充ちて、神の心になつてやったならば、どんな鬼でも悪魔でも改心して、そして、なついてくるのであります。
 それでほかのキリスト教やいろいろな宗教には、慈善団体だとかいろいろなものをこしらえておりますが、わずかに一部分の救済にすぎない。石井十次さんが孤児院をこしらえて、非常に人が褒めおりますが、それでも何千何万という孤児を助けることができない、かぎりがあります。それで愛善会は、ひろく永遠に人を助けたいというところからおこってきた会でありますから、その考えをもって力いつぱい、まつすぐに、実意、丁寧、誠、正直、これを旗印として進まれたならば、天下何者も故するものほないと考えております。
(第二回人類愛善会総会における出口総裁のお話、『日月日記』二の巻 昭和4年2月5日)
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