我神国は武の国なり
神国日本の緊急時に際しまして大本は、神様の御経綸の一端として幸ひ神様から神技を授かつてゐる植芝会長(大日本武道宣揚会)が本部に帰って、主として活動される事になりました。これは神界のかねての御仕組の愈々実現する先駆となつて現れたものであります。
国常立尊は文武の神様である。国土を経営されたのも、矢張り矛をもつてなさつたのである。その次の素盞嗚尊も、その次の大国主命も、総て言向けの矛をもつて国土を経営し、蒼生を慰撫し、天下の泰平を来されたのであります。或西洋かぶれの人は、愛善会とか、瑞祥会とか云つて居つて武をねるとか、フアツシヨ式になつたと云ふ様な事で非難し、又信者の中でも陰で、ぐずぐず小言を云うて居る人がありますが、剣といふものはどうしてもなければならぬ。大慈大悲を標榜する釈迦の称へた阿弥陀如来は、一方に弥陀の利剣を握つて居り、一方には王を握つて居る。劒といふもの──武といふものは濫りに抜くべきものでないけれども、使ふ時には使はねばならぬものである。我日本の三種の神器は皇祖の御遺訓として最も貴重なる大御宝となつて居る、これは剣と玉と鏡ですが、鏡は神様の円満清朗なる教といふ事でありまして、惟神の道であります。
玉といふものは陛世の玉体の御事である。剣といふものは──どうしても一方に教があつたならば一方に剣がなければならぬ。マホメツトがアラビヤの平野を拓いた時にも一方に剣を持ち、一方にはコーランを持つて居つたのであります。崇神天皇の御代に四道将軍を遣はされたのも尚武の精神からであります。一方に剣を持ち、一方に教をもつて、そして日本の国を御治めになつたのであります。
皇道大本の武の経綸
宗教が教計りであつたならば、恰度車の片輪の様なものであつて、車の両輪といふのは文武両道である。それが為に大本にも愈々武道宣揚会といふものが出来ましたが、これは実際を云へば植芝氏が綾部に居られた時分、大正八九年頃に出来なければならなかつたものであります。然しその時代は、さううでなくても竹槍が十萬本とか二十萬本とかあると云うて居つた時であつたので──この武器の進んでゐる時に十萬や二十萬の竹槍があつたところで本当はなんにもならぬが、それでも平家の公逹が水禽の羽音に驚愕したやうに、官憲が驚いたのであります。さういふ時代に武道宣揚会を拵ヘて軍隊の教練等をやつたならば、どんな騒動が起つたかわからない。それが為に武道宣揚会も、神様の方から控ヘ控へして愈々本年になつたのであります。
実際皇道大本の方は旺になつて居るが、武道の方は未だ頗る貧弱であります。これは車の両輪でありますから、どうしても並行してゐなければいけない。御承知の様に瑞祥会の車はウント大きいですが(手真似で円をつくつて示さる)武道宣揚会の方はこんなにチツポケで(手真似をなさる)この儘両方をやるとガタン、ゴトンでこんなに(手真似、身振りをなさる)なる。どうしても宜揚会を同じ様に大きくして貰はねばならぬ。これを先づ第一に会員諸子に希望して置くものであります。私は決して乱を好むものでも、なんでもない。乱に備へるものである。或は同胞を救ふ為、地上に平和の楽土を招来する為めの武道宣揚会であつて、それをもつて妙に不逞の事を考へて居るのでもなければ、暴れ度いといふのでもない。その点誤解されない様にして貰ひたい。
生兵法で怪我をすな
一つ修業する人に注意して置きたいのは、総て柔術とか、なんとか稽古するといふと喧嘩したがつて仕方がない。この間私が高天閣にゐたら婆さん連中がゐて『相気術を習うたから、なんぼ強い人が来ても私には叶はん』とか、『誰かが夜道を歩いてゐる時ぶつつかつて来んかな、来たら一つぶつつけてやるんだけど』とか豪傑ぶつて居た、そこでわしが『さうか、そんならわしに向つて来い』と言つてやつた。わしは片一方に煙草をもつてゐた。女武者がやつて来たが、ヒョイとっまんでほつてやつたらヒヨロヒヨロと飛んで了うた。わしは武術も何も知らない。『それでも先生はアイサにこける』と女武者が口惜しさうに云うてゐた。
『それは稽古の為にこけて貰うて居るのである』。この様な誤解がある。兎も角なまはんじやくの間は相手が欲しうてしようがないものである。これをよく注意して貰はねばならぬ。却つて自分が怪我をせねばならぬ。『生兵法は大怪我の元』と昔から云うて居る。これは濫りに使ふべきものでなく、肝心の時、危機一発の時、或は国家の一大事の時に、必要にせまられて用ふべきであつて、それは平生から、くれぐも心得ておかねばならぬ。
総て技術丈心得ても仕方がない。魂が這入らねば駄目である。
国造り矛の神秘
伊邪邦岐尊が初めて国土を形成された時、自転倒島を拵へられた。これは矛のしづくから固まつて出来たとあるがー絵にも矛の先からしたゝるしづくから国が出来上つた様に描いてあるが、さうではない。国が矛のしづくから出来たといふのは、武を奨励された、武の始めである。大地は国常立尊の時代に已に出来てゐたのである。伊邪那岐尊以前に出来てゐる。猛獣も、あらゆる人間も、優勝、劣敗の世の中であつたのを矛をもつて、漂ヘる国ー海の波の様になつて治まつてゐない国が矛の一しづくで治まつた、たつた二三人の強いものをやつつけられたら、それから叶はんといふのでばたつと止めてそれで、初めて自転倒島が出来たのである。
伊邪那岐、伊邪那美両神が、天の御柱国の御柱を造られて、それを廻られ乍ら『アナニヤシエ、シトコ』と宣り給うた。『アナ』といふ事は感嘆の辞である。『ニヤシ』は愛らしといふこと、『ヤ』といふので始まつて『エ』と組むのである。そして『ト』と引くのである。今の剣術でも『ヤートー』『ヤートー』と計りやつてゐる。『エト』がない。
真文真武で活躍せよ
幸ひに植芝氏の心得てゐるのは『ヤエト』になつてゐる。之でなければ本当の武ではないのである。日本の神代から始まつた武はこれであります。矛のしづくからしたゝつた自転倒島といふのは、愈々また乱れて漂うて来たのでありますから、今度又矛の一しづくによって、この自転倒島は云ふも更なり、地球上一切の八洲国を造り固める所の国常立尊の御神業であります。之に奉仕する所の皆様方でありますから、どうぞこの文武両道といふ事を忘れない様に、『鏡』になり『剣』になり、そして『八坂瓊曲玉』即ち陛下でありますが其の陛下を上に戴き、(『鏡』は神様であり、教である)片一方には剣をもち『鏡』即ち教をも携ヘて、この漂ヘる所の国を修理固成すべき時期が到来したのであります。
国常立尊が始めて世界を修理固成されたが、今度は二度目の天の岩戸開きであつて、愈々元の神業にかへつて来たのでありますから、恰度古事記で云へば、皆さんは八百萬神である。八百萬神が天の安河に於て神議りに議り給ひ神集ひに集ひ給ふのであります。所謂天の安河とは人間の最も安んする清らかな所、所謂聖地であります。かういふ事を今の国学者は河討りであると思うてゐるけれども、魂を洗ふ所の瑞御霊の流れてゐる所の安河である。その所で神議りに議り給ひ、神集ひに集ふといふ今日の大本の大祭の皆さんの会合が、それに匹敵するのであります。それですから第二代目の国の先祖となり、国の護り神となるのであります。或は改革神となるのであります。非常に責任が重いのでありますから、その考へで皆さんの層一層の御活動、御奮励を希望致します。
(昭和七、一一、二 武道宣揚会第一回総曾)