霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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総説(そうせつ)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第47巻 舎身活躍 戌の巻 篇:前付 よみ(新仮名遣い):
章:総説 よみ(新仮名遣い):そうせつ 通し章番号:
口述日:1923(大正12)年01月08日(旧11月22日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年10月6日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
最上天界である高天原には、宇宙の造物主なる大国常立大神が天地万有一切の総統権を具足して神臨したもう。大国常立大神のまたの御名を天之御中主大神と称え奉る。無限絶対の神格を持し、霊力体の大原霊と現れたもう。
この大神の御神徳が完全に発揮されたのを天照皇大御神と称え奉る。そして霊の元祖たる高皇産霊大神は、またの御名を神伊邪那岐大神、また日の大神と称え奉る。体の元祖神皇産霊大神は、またの御名を神伊邪那美大神、また月の大神と称え奉る。
このことはこの物語にしばしば述べられているとおりである。また高皇産霊大神は霊系にして、厳の御霊国常立大神と現れ給ひ、体系の祖神である神皇産霊大神は、瑞の御霊豊雲野大神またの御名豊国主大神と現れ給う。
厳の御魂は天照大神と顕現して天界の主宰神とならせ給うた。ちなみに、天照皇大御神様と天照大神様は、その位置、神格、御神業について大変な差があることを考えなければならない。
また瑞の御魂は神素盞嗚大神と現れ給い、大海原の国を統御あそばす御神誓である。
神界においては、一切の絶対的神権を宇宙の祖神大六合常立大神に御集めになったのである。さて、厳の御魂に属するものはすべて瑞の御魂に属せしめ給うたのであるから、瑞の御魂は厳の御魂と同体神ということになる。
厳の御魂を太元神と称え奉り、瑞の御魂を救世神、救神、主の神と単に称するのである。この物語において主の神とあるのは、神素盞嗚大神様のことである。
主の神は宇宙一切の事物を済度すべく天地間を昇降あそばしてその身魂を分け、あるいは釈迦と現れ、あるいはキリストとなり、マホメットとなり、その他種々雑多に神身を変じ給ひて天地神人の救済に尽くさせ給う仁慈無限の大神である。
前に述べたとおり、宇宙一切の大権は厳の御魂・太元神に属し、太元神に属する一切は瑞の御魂の属している以上は、神を三分して考えることはできないのである。心に三を念じて口に一をいうことはできないのである。
神素盞嗚大神は救世神ともいい、仁愛大神とも申し上げ、撞の大神とも申し上げる。
この霊界物語には産土山の高原・伊祖の神館において神素盞嗚尊が三五教を開き給い、多数の宣伝使を四方に派遣し給う御神業が描かれている。これは決して現界ばかりの物語ではない。
霊界すなわち天国や、精霊界(中有界)、根底の国まで救いの道を述べ伝え給うた事実である。
一方、ウラル教、バラモン教、ウラナイ教などの物語は、たいてい顕界に関した事実が述べているのである。ゆえに三五教は内分的の教えを主とし、その他の教えは外分の教えをもって地上を開いたのである。顕幽神の三界を超越した物語というのは、右の理由から出た言葉である。
主の神である神素盞嗚大神は、愛善の徳をもって天界地上を統一し給う。主神は天地を一個人のごとくにして統御し給うのである。数多の宣伝使は主神という一個の神格の一部分として、神経なり繊維なり血管なりの活動をなしているのである。
このようにして天人や宣伝使の部分的な活動も、みな主神と一体となって神業の奉仕し、全局は部分のために、部分は全局のために、統一的全体の形式を保持し、かつ相互の福祉を勧め、一体となって活動しているのである。
用を遂げるというのは、総局の福祉をまっとうするために他の順利を願うというのがその意義である。用を遂げないというのは、総局の福祉を顧みずにただ自家のために他の順利を願うということである。
天界にあるものは、すべて主神をもって唯一とし、万物が由って来る大根源とするため、ことごとく一体となって活動するのである。
福祉というのは正義(ただしき)という意味である。現世に在って、国家社会の福祉正義を喜び、隣人の福祉をもって自己の福祉のごとく喜ぶものは、他生においては主神の国土を愛して求めるものである。
三五教の宣伝使はみな、主の神の全体または個体として、舎身的大活動を不断に励みつつある神使のみである。実に神明の徳の広大無辺であることに驚かざるを得ない次第である。
願わくは大本の宣伝使たる人は神代における三五教の宣伝使の神業に神習い、一人残らず主の神の御意志を諒解し、国家社会のために大々的活動を励み、天国へ永住すべき各自の運命を開拓し、かつ一切の人類を天国の楽園に上らしむべく、善徳を積まれることを希望する次第である。
太元神を主神といったり、救世神瑞の御魂の大神を主神といったりしてあるのは、ここに述べたとおり、太元神の一切の所属と神格そのものは一体であるからである。
主の神である神素盞嗚大神は、神典古事記に載せられたごとく大海原をしろしめす御天職があらせられることは明白な事実である。
主の神は天界も地の世界も治め統べ守り給うが、天国と言ってもやはり山川草木一切の地上と同一の万類があり、土地も厳然として存在しているから、天界地球両方面の主宰神といってもあまり錯誤ではあるまい。
天界または天国といえば、蒼空にある理想国、主観的な霊の国だと思っている人には容易には承認されないであろう。天国にも大海原すなわち国土がある。ただ、善と真と知恵と正覚を得た個人的天人の住居する楽土である。
ゆえに、主の神は天地を統御按配し給い、また大海原の主宰である主の神が、天界の国土と地上の国土を守護し給うのは、むしろ当然なのである。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2026-06-03 12:49:25 文字数:3220 OBC :rm470002
愛善世界社版:3頁 八幡書店版:第8輯 469頁 修補版: 校定版:3頁 普及版:1頁 初版: ページ備考:
001 最上(さいじやう)天界(てんかい)即(すなは)ち高天原(たかあまはら)には、002宇宙(うちう)の造物主(ざうぶつしゆ)なる大国常立(おほくにとこたちの)大神(おほかみ)が天地(てんち)万有(ばんいう)一切(いつさい)の総統権(そうとうけん)を具足(ぐそく)して神臨(しんりん)し給(たま)ふのであります。003そして大国常立(おほくにとこたちの)大神(おほかみ)の一(また)の御名(みな)を天之(あめの)御中主(みなかぬしの)大神(おほかみ)と称(とな)へ奉(まつ)り、004無限(むげん)絶対(ぜつたい)の神格(しんかく)を持(ぢ)し、005霊力体(れいりよくたい)の大原霊(だいげんれい)と現(あら)はれ給(たま)ふのであります。006この大神(おほかみ)の御(ご)神徳(しんとく)の完全(くわんぜん)に発揮(はつき)されたのを天照皇(あまてらすすめ)大御神(おほみかみ)と称(とな)へ奉(まつ)るのであります。007そして霊(れい)の元祖(ぐわんそ)たる高皇(たかみ)産霊(むすびの)大神(おほかみ)は、008一名(またのみな)神(かむ)伊邪那岐(いざなぎの)大神(おほかみ)又(また)の名(な)は日(ひ)の大神(おほかみ)と称(とな)へ奉(まつ)り、009体(たい)の元祖(ぐわんそ)神皇(かむみ)産霊(むすびの)大神(おほかみ)は一名(またのみな)神(かむ)伊邪那美(いざなみの)大神(おほかみ)又(また)の名(な)は月(つき)の大神(おほかみ)と称(とな)へ奉(まつ)るのは、010此(この)物語(ものがたり)にて屡(しばしば)述(の)べられてある通(とほ)りであります。011又(また)高皇(たかみ)産霊(むすびの)大神(おほかみ)は霊系(れいけい)にして厳(いづ)の御霊(みたま)国常立(くにとこたちの)大神(おほかみ)と現(あら)はれ給(たま)ひ、012体系(たいけい)の祖神(そしん)なる神皇(かむみ)産霊(むすびの)大神(おほかみ)は、013瑞(みづ)の御魂(みたま)豊雲野(とよくもぬの)大神(おほかみ)又(また)の名(な)は豊国主(とよくにぬしの)大神(おほかみ)と現(あら)はれ給(たま)うたのであります。014この厳(いづ)の御魂(みたま)は再(ふたた)び天照(あまてらす)大神(おほかみ)と顕現(けんげん)し給(たま)ひて天界(てんかい)の主宰神(しゆさいじん)とならせ給(たま)ひました。015因(ちなみ)に天照皇(あまてらすすめ)大御神(おほみかみ)様(さま)と天照(あまてらす)大神(おほかみ)様(さま)とは、016その位置(ゐち)に於(おい)て神格(しんかく)に於(おい)て所主(しよしゆ)の御(ご)神業(しんげふ)に於(おい)て大変(たいへん)な差等(さとう)のある事(こと)を考(かんが)へねばなりませぬ。017又(また)瑞(みづ)の御魂(みたま)は、018神(かむ)素盞嗚(すさのをの)大神(おほかみ)と顕(あら)はれ給(たま)ひ、019大海原(おほうなばら)の国(くに)を統御(とうぎよ)遊(あそ)ばす神代(かみよ)からの御(ご)神誓(しんせい)である事(こと)は神典(しんてん)古事記(こじき)、020日本(にほん)書紀(しよき)等(とう)に由(よ)つて明白(めいはく)なる事実(じじつ)であります。021然(しか)るに神界(しんかい)にては一切(いつさい)を挙(あ)げて一神(いつしん)の御(ご)管掌(くわんしやう)に帰(き)し給(たま)ひ宇宙(うちう)の祖神(そしん)大六合常立(おほくにとこたちの)大神(おほかみ)に絶対(ぜつたい)的(てき)神権(しんけん)を御(おん)集(あつ)めになつたのであります。022故(ゆゑ)に大六合常立(おほくにとこたちの)大神(おほかみ)は独一(どくいつ)真神(しんしん)にして宇宙(うちう)一切(いつさい)を主管(しゆくわん)し給(たま)ひ厳(いづ)の御魂(みたま)の大神(おほかみ)と顕現(けんげん)し給(たま)ひました。023扨(さ)て厳(いづ)の御魂(みたま)に属(ぞく)する一切(いつさい)の物(もの)は悉皆(しつかい)瑞(みづ)の御魂(みたま)に属(ぞく)せしめ給(たま)うたのでありますから、024瑞(みづ)の御魂(みたま)は即(すなは)ち厳(いづ)の御魂(みたま)同体神(どうたいしん)と云(い)ふ事(こと)になるのであります。025故(ゆゑ)に厳(いづ)の御魂(みたま)を太元神(おほもとがみ)と称(とな)へ奉(まつ)り、026瑞(みづ)の御魂(みたま)を救世神(きうせいしん)又(また)は救神(すくひのかみ)と称(とな)へ又(また)は主(す)の神(かみ)と単称(たんしよう)するのであります。027故(ゆゑ)に此(この)物語(ものがたり)に於(おい)て主(す)の神(かみ)とあるは、028神(かむ)素盞嗚(すさのをの)大神(おほかみ)様(さま)の事(こと)であります。029主(す)の神(かみ)は宇宙(うちう)一切(いつさい)の事物(じぶつ)を済度(さいど)すべく天地間(てんちかん)を昇降(しようかう)遊(あそ)ばして其(その)御魂(みたま)を分(わ)け、030或(あるひ)は釈迦(しやか)と現(あら)はれ、031或(あるひ)は基督(キリスト)となり、032マホメツトと化(な)り、033其(その)他(た)種々(しゆじゆ)雑多(ざつた)に神身(しんしん)を変(へん)じ給(たま)ひて天地(てんち)神人(しんじん)の救済(きうさい)に尽(つく)させ給(たま)ふ仁慈(じんじ)無限(むげん)の大神(おほかみ)であります。034而(しか)して前(まへ)に述(の)べた通(とほ)り宇宙(うちう)一切(いつさい)の大権(たいけん)は厳(いづ)の御魂(みたま)の大神(おほかみ)即(すなは)ち太元神(おほもとがみ)に属(ぞく)し、035この太元神(おほもとがみ)に属(ぞく)せる一切(いつさい)は瑞(みづ)の御魂(みたま)に悉皆(しつかい)属(ぞく)されたる以上(いじやう)は神(かみ)を三分(さんぶ)して考(かんが)へることは出来(でき)ませぬ。036約(つま)り心(こころ)に三(さん)を念(ねん)じて口(くち)に一(いつ)をいふことはならないのであります[※「心に三を念じて口に一をいふことはならない」…スウェーデンボルグの著作からの流用のようである。鈴木大拙訳『天界と地獄』明治43年(1910年)刊、二丁裏、3行目「又云ふ、心に三を念じて、而して口に一を言ふを得ず」]。037故(ゆゑ)に神(かむ)素盞嗚(すさのをの)大神(おほかみ)は救世神(きうせいしん)とも云(い)ひ、038仁愛(みろくの)大神(おほかみ)とも申上(まをしあ)げ、039撞(つき)の大神(おほかみ)とも申(まを)し上(あ)げるのであります。040この霊界(れいかい)物語(ものがたり)には産土山(うぶすなやま)の高原(かうげん)伊祖(いそ)の神館(かむやかた)に於(おい)て神(かむ)素盞嗚(すさのをの)尊(みこと)が三五教(あななひけう)を開(ひら)き給(たま)ひ数多(あまた)の宣伝使(せんでんし)を四方(よも)に派遣(はけん)し給(たま)ふ御(ご)神業(しんげふ)は、041決(けつ)して現界(げんかい)ばかりの物語(ものがたり)ではありませぬ。042霊界(れいかい)即(すなは)ち天国(てんごく)や精霊界(せいれいかい)(中有界(ちううかい))や根底(ねそこ)の国(くに)まで救(すく)ひの道(みち)を布衍(ふえん)し給(たま)うた事実(じじつ)であります。043ウラル教(けう)やバラモン教(けう)、044或(あるひ)はウラナイ教(けう)なぞの物語(ものがたり)は、045大抵(たいてい)顕界(けんかい)に関(くわん)した事実(じじつ)が述(の)べてあるのです。046故(ゆゑ)に三五教(あななひけう)は内分(ないぶん)的(てき)の教(をしへ)を主(しゆ)とし其(その)他(た)の教(をしへ)は外分(ぐわいぶん)的(てき)の教(をしへ)を以(もつ)て地上(ちじやう)を開(ひら)いたのであります。047故(ゆゑ)に顕幽神(けんいうしん)三界(さんかい)を超越(てうゑつ)した物語(ものがたり)と云(い)ふのは右(みぎ)の理由(りいう)から出(で)た言葉(ことば)であります。048主(す)の神(かみ)たる神(かむ)素盞嗚(すさのをの)大神(おほかみ)は愛善(あいぜん)の徳(とく)を以(もつ)て天界地上(てんかいちじやう)を統一(とういつ)し給(たま)ひ、049又(また)天界(てんかい)地上(ちじやう)を一個人(いちこじん)として即(すなは)ち単元(たんげん)として之(これ)を統御(とうぎよ)したまふのであります。050譬(たと)へば人体(じんたい)は其(その)全分(ぜんぶん)に在(あ)つても、051其(その)個体(こたい)にあつても千態(せんたい)万様(ばんやう)の事物(じぶつ)より成(な)れる如(ごと)く天地(てんち)も亦(また)同様(どうやう)であります。052人間(にんげん)の身体(しんたい)を全分(ぜんぶん)の方面(はうめん)より見(み)れば肢節(しせつ)あり機関(きくわん)あり臓腑(ざうふ)あり、053個体(こたい)より見(み)れば繊維(せんゐ)あり神経(しんけい)あり血管(けつくわん)あり、054斯(か)くて肢体(したい)の中(なか)にも肢体(したい)あり部分(ぶぶん)の中(なか)に部分(ぶぶん)あれども個人(こじん)の活動(くわつどう)する時(とき)は単元(たんげん)として活動(くわつどう)する如(ごと)く、055主神(すしん)は天地(てんち)を一個人(いちこじん)の如(ごと)くにして統御(とうぎよ)し給(たま)ふのであります。056故(ゆゑ)に数多(あまた)の宣伝使(せんでんし)も亦(また)主神(すしん)一個(いつこ)神格(しんかく)の個体(こたい)即(すなは)ち一部分(いちぶぶん)として神経(しんけい)なり繊維(せんゐ)なり血管(けつくわん)なりの活動(くわつどう)を為(な)しつつあるのであります。057天人(てんにん)や宣伝使(せんでんし)のかく部分(ぶぶん)的(てき)活動(くわつどう)も皆(みな)主神(すしん)の一体(いつたい)となりて神業(しんげふ)に奉仕(ほうし)するのは恰(あだか)も一個(いつこ)の人体中(じんたいちう)に斯(かく)の如(ごと)く数多(あまた)の異様(いやう)あれども、058一物(いちぶつ)としてその用(よう)を遂(と)ぐるに当(あた)り、059全般(ぜんぱん)の福祉(ふくし)を計(はか)らむとせざるはなきに由(よ)る如(ごと)きものであります。060即(すなは)ち全局(ぜんきよく)は部分(ぶぶん)の為(ため)に、061部分(ぶぶん)は全局(ぜんきよく)の為(ため)に何事(なにごと)か用(よう)を遂(と)げずと云(い)ふ事(こと)はありませぬ。062蓋(けだ)し全局(ぜんきよく)は部分(ぶぶん)より成(な)り部分(ぶぶん)は全局(ぜんきよく)を作(つく)るが故(ゆゑ)に、063相互(さうご)に給養(きふやう)し相互(さうご)に揖譲(いふじやう)するを忘(わす)れない。064而(しか)して其(その)相(あひ)和合(わがふ)するや部分(ぶぶん)と全局(ぜんきよく)とに論(ろん)なく何(いづ)れの方面(はうめん)から見(み)ても統一(とういつ)的(てき)全体(ぜんたい)の形式(けいしき)を保持(ほぢ)し且(か)つ其(その)福祉(ふくし)を進(すす)めむとせないものはない。065是(これ)を以(もつ)て一体(いつたい)となりて活動(くわつどう)し得(う)るのである。066主神(すしん)の天地(てんち)両界(りやうかい)に於(お)ける統合(とうがふ)も亦(また)之(これ)に類似(るゐじ)したまふのである。067凡(すべ)て物(もの)の和合(わがふ)するは各(かく)其(その)為(な)す所(ところ)の用(よう)が相似(さうじ)の形式(けいしき)を踏襲(たふしふ)する時(とき)であるから、068全社会(ぜんしやくわい)のために用(よう)を為(な)さないものは天界(てんかい)神界(しんかい)の外(そと)に放逐(はうちく)さるるのは当然(たうぜん)である。069そは他(た)と相容(あひい)れないからであります。070用(よう)を遂(と)ぐると云(い)ふ事(こと)は総局(そうきよく)の福祉(ふくし)を全(まつた)うせむために他(た)の順利(じゆんり)を願(ねが)ふの義(ぎ)であり、071そして用(よう)を遂(と)げずと云(い)ふは、072総局(そうきよく)の福祉(ふくし)如何(いかん)を顧(かへり)みず、073只(ただ)自家(じか)の為(ため)の故(ゆゑ)に他(た)の順利(じゆんり)を願(ねが)ふの義(ぎ)である。074此(これ)はすべてを捨(す)てて只(ただ)自己(じこ)のみを愛(あい)し、075彼(かれ)はすべてを捨(す)てて只(ただ)主神(すしん)のみを愛(あい)すと云(い)ふべきである。076天界(てんかい)にあるもの悉(ことごと)く一体(いつたい)となりて活動(くわつどう)するは之(これ)が為(ため)である。077而(しか)して斯(かく)の如(ごと)くなるは主神(すしん)よりするのであります。078諸天人(しよてんにん)や諸(しよ)宣伝使(せんでんし)自(みづか)らの故(ゆゑ)ではない。079何(なん)となれば、080彼(かれ)等(ら)天人(てんにん)や宣伝使(せんでんし)は主神(すしん)を以(もつ)て唯一(ゆゐいつ)となし、081万物(ばんぶつ)の由(よ)りて来(きた)る大根源(だいこんげん)となし、082主神(すしん)の国土(こくど)を保全(ほぜん)するを以(もつ)て総局(そうきよく)の福祉(ふくし)と為(な)すからであります。083福祉(ふくし)といふは正義(ただしき)の意味(いみ)である。084現世(げんせ)に在(あ)つて、085国家(こくか)社会(しやくわい)の福祉(ふくし)(正義)を喜(よろこ)ぶこと私利(しり)を喜(よろこ)ぶより甚(はなはだ)しく、086隣人(りんじん)の福祉(ふくし)を以(もつ)て自己(じこ)の福祉(ふくし)の如(ごと)くに喜(よろこ)ぶものは、087他生(たしやう)に於(おい)ては主神(すしん)の国土(こくど)を愛(あい)して之(これ)を求(もと)むるものである。088そは天界(てんかい)に於(お)ける主神(すしん)の国土(こくど)なるものは、089此(この)世(よ)に於(お)ける国家(こくか)と相対比(あひたいひ)すべきものだからである。090自己(じこ)の為(ため)でなく、091只(ただ)徳(とく)の故(ゆゑ)に徳(とく)を他人(たにん)に施(ほどこ)すものは隣人(りんじん)を愛(あい)することに成(な)るのである。092天界(てんかい)にては隣人(りんじん)と称(しよう)するは徳(とく)である。093すべて此(かく)の如(ごと)きものは偉人(ゐじん)であつて、094即(すなは)ち高天原(たかあまはら)の中(なか)に住(ぢゆう)するものである。095三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)は皆(みな)、096善(ぜん)の徳(とく)を身(み)に備(そな)へ、097且(か)つ愛(あい)の善(ぜん)と信(しん)の真(しん)とを体現(たいげん)して智慧(ちゑ)と証覚(しようかく)とを本具(ほんぐ)現成(ごんじやう)してゐる神人(しんじん)計(ばか)りである。098何(いづ)れも主(す)の神(かみ)の全体(ぜんたい)または個体(こたい)として舎身(しやしん)的(てき)大活動(だいくわつどう)を不断(ふだん)に励(はげ)みつつある神使(しんし)のみで、099実(じつ)に神明(しんめい)の徳(とく)の広大(くわうだい)無辺(むへん)なるに驚(おどろ)かざるを得(え)ない次第(しだい)であります。100願(ねが)はくは大本(おほもと)の宣伝使(せんでんし)たる人(ひと)は神代(かみよ)に於(お)ける三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)の神業(しんげふ)に神習(かむなら)ひ、101一人(ひとり)たりとも主(す)の神(かみ)の御(ご)意志(いし)を諒解(りやうかい)し、102国家(こくか)社会(しやくわい)の為(ため)に大々(だいだい)的(てき)活動(くわつどう)を励(はげ)み、103天国(てんごく)へ永住(えいぢゆう)すべき各自(かくじ)の運命(うんめい)を開拓(かいたく)し、104且(か)つ一切(いつさい)の人類(じんるゐ)をして天国(てんごく)の楽園(らくゑん)に上(のぼ)らしむべく、105善徳(ぜんとく)を積(つ)まれむことを希望(きばう)する次第(しだい)であります。106太元神(おほもとがみ)を主神(すしん)と云(い)つたり、107救世神(きうせいしん)瑞(みづ)の御魂(みたま)の大神(おほかみ)を主神(すしん)と云(い)つたりしてあるのは前(まへ)に述(の)べた通(とほ)り太元神(おほもとがみ)の一切(いつさい)の所属(しよぞく)と神格(しんかく)そのものは一体(いつたい)なるが故(ゆゑ)であります。108読者(どくしや)幸(さいはひ)に諒(りやう)せられむことを。
 
109 附(つ)けて言(い)ふ
110 主(す)の神(かみ)なる神(かむ)素盞嗚(すさのをの)大神(おほかみ)は神典(しんてん)古事記(こじき)に載(の)せられたる如(ごと)く大海原(おほうなばら)を知食(しろしめ)すべき御(ご)天職(てんしよく)が在(あ)らせらるるは明白(めいはく)なる事実(じじつ)であります。111主(す)の神(かみ)は天界(てんかい)をも地(ち)の世界(せかい)をも治(をさ)め統(す)べ守(まも)り給(たま)ふと言(い)へば、112大変(たいへん)に驚(おどろ)かるる国学者(こくがくしや)も出現(しゆつげん)するでせう。113然(しか)し乍(なが)ら天界(てんかい)と言(い)つても天国(てんごく)と云(い)つても矢張(やは)り山川(さんせん)草木(さうもく)其(その)他(た)一切(いつさい)の地上(ちじやう)と同一(どういつ)の万類(ばんるゐ)があり土地(とち)も儼然(げんぜん)として存在(そんざい)して居(ゐ)るのであるから、114天界(てんかい)地球(ちきう)両方面(りやうはうめん)の守宰神(しゆさいしん)[※「守宰神」は底本通り。]と言(い)つても余(あま)り錯誤(さくご)ではありますまい。115天界(てんかい)又(また)は天国(てんごく)と云(い)へば蒼空(さうくう)にある理想国(りさうこく)、116所謂(いはゆる)主観(しゆくわん)的(てき)霊(れい)の国(くに)だと思(おも)つてゐる人(ひと)には容易(ようい)に承認(しようにん)されないでせう。117天国(てんごく)とは決(けつ)して冲虚(ちうきよ)の世界(せかい)ではありませぬ。118天人(てんにん)と雖(いへど)も亦(また)決(けつ)して羽衣(はごろも)を着(き)て空中(くうちう)を自由(じいう)自在(じざい)に飛翔(ひしよう)するものとのみ思(おも)つてゐるのは大(だい)なる誤解(ごかい)であります。119天国(てんごく)にも大海原(おほうなばら)即(すなは)ち国土(こくど)があるのです。120只(ただ)善(ぜん)と真(しん)との智慧(ちゑ)と証覚(しようかく)を得(え)たる個体(こじん)的(てき)天人(てんにん)の住居(ぢうきよ)する楽土(らくど)なのであることを思考(しかう)する時(とき)は、121主(す)の神(かみ)の天地(てんち)を統御(とうぎよ)按配(あんばい)し給(たま)ふといふも決(けつ)して不可思議(ふかしぎ)な議論(ぎろん)ではありませぬ。122故(ゆゑ)に大海原(おほうなばら)の主宰(しゆさい)たる主(す)の神(かみ)は天界(てんかい)の国土(こくど)たると地上(ちじやう)の国土(こくど)たるとを問(と)はず守護(しゆご)し給(たま)ふは寧(むし)ろ当然(たうぜん)であります。
123  大正十二年一月八日
124      王仁識
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