霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第八章 中有(ちうう)〔一二四一〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第47巻 舎身活躍 戌の巻 篇:第2篇 中有見聞 よみ(新仮名遣い):ちゅううけんぶん
章:第8章 中有 よみ(新仮名遣い):ちゅうう 通し章番号:1241
口述日:1923(大正12)年01月08日(旧11月22日) 口述場所: 筆録者:北村隆光 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年10月6日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一部の章はAIによって要約を作成しています。[×閉じる]:
人間がこの世に生まれたばかりのときは、その意志の方面は自己の都合のいいことばかりを考えており、悪しきことばかりである。この不善な意志を根本的に改めて善に遷らせるために、誠の神様より人間に対して真理を会得すべき直日の霊の力が付与されているのである。
人間の天賦の智性の中の真が、意志中の善と相和合しない間は、まだ中程の状態にある。現世の人間はたいていこの状態にある。一方では悪を愛する心から心理に背反する動作をなす者もある。
人間は、高天原と根底の国のいずれか一方に適従するため、霊肉が離脱した死後にはまず、中有界に導きいれられる。中有界(精霊界)において、高天原に昇るべきものは善と真の和合が行われ、根底の国に投げ入れられるものは悪と虚偽の和合が行われる。
治国別、竜公両人が中有界(精霊界)において伊吹戸主神から受けたまわった霊界の消息について、その大略を述べる。
まず地獄界の入り口は、精霊界に対して硬くふさがっている。ただわずかに岩間の隙間のような裂け口があり、あるいは大きな門戸があって暗い道がわずかに通じ、ふんぷんたる臭気を帯びた風が吹いているのみである。
地獄の入り口は守衛が厳しく立っていて、みだりに人間の出入りを許さないことになっている。地獄を探検することは、伊吹戸主神の許しを得なくては容易に許されない。ただ現界へ帰って人間に霊界のことを説き諭したり、緊急の必要がある場合にのみ許されるのである。
瑞月が高熊山の聖城において地獄界を探検したのもやはり八衢の神の許可を受けて行くことができたのである。
高天原へ上る道も四方がふさがり、容易に見当たらない。わずかにひとすじの小さい道が通ってあって守衛がこれを守っている。しかし高天原へ上る資格のないものには到底見ることはできない。
中有界は山岳と岩石の間にあるけわしい谷に似たところが多い。高低があり、大川、深い谷、広野など種々雑多の景色が展開している。中有界に迷っている精霊には、高天原への道や地獄への道は到底発見することはできないようになっている。
高天原に上る準備ができたものは、精霊界から天国の各団体に通じるひとすじの細い道を登って行き、次第に道は分かれて数条となり、おいおい幾十条にもわかれて各団体に通じているのである。
根底の国に通う入り口は、これに入るべき精霊のために開かれる。善霊すなわち正守護神は、その入り口から出てくる悪臭を忌み嫌い、恐れて一目散に逃げ去るが、地獄の団体に籍を置いている悪霊すなわち副守護神は、この暗黒と悪臭を悦び楽しむがゆえに、勇んで地獄の入り口に飛び込むものである。
実に大本開祖の神示にある身魂相応の神の規則とは至言というべきである。すべて人間には、高天原に向かう門と、根底の国に向かう門、二個の門が開かれている。
高天原から流れてきた神様の光明は、情報の隙間からわずかに数条の線光が下がっているにすぎない。人間がよく思惟し究理し言説するのは、この光明によるのである。善に居り真に居るものはおのずから高天原の門戸が開かれているのである。
人間の理性心に達する道は内外二つに分かれている。もっとも高い道は内分であり、、愛の善と信の真とが大神より直接入り来る道である。もう一つは低い道、外部の道である。外部の道は根底の国からあらゆる罪悪と虚偽が忍び入る道である。
内部外部の道の中間に位置しているのが理性心である。高天原より大神の光明が入り来るかぎり、人間は理性的であることを得る。これを拒んで入れなかったならば、その人間の実性はすでに滅びているのである。
人間の理性心は精霊界に相応している。その上にあるものは高天原に相応し、その下にあるものは根底の国へ相応する。高天原へ上る準備を成したものは、その上方の事物がよく開けている。そして下方の事物はまったく閉塞して、罪悪や虚偽の内流を受けない。
これに反して根底の国へ陥るべき準備をなせるものは、低い道すなわち下方の事物は開けているが、上方の事物すなわち霊的方面はまったく閉鎖しているがゆえに、愛善と信真の内流を受けることができない。
頭上をあおぎ高天原を仰ぎ望むは、すなわち大神を拝しその霊光に触れ、無限の歓喜に浴することができる。しかし足下すなわち下方を望むものは真の神に背いている身魂である。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:0000-00-00 00:00:00 文字数:3118 OBC :rm4708
愛善世界社版:128頁 八幡書店版:第8輯 518頁 修補版: 校定版:134頁 普及版:62頁 初版: ページ備考:
派生[?]この文献を底本として書かれたと思われる文献です。[×閉じる]:出口王仁三郎全集 > 第二巻 宗教・教育編 > 第四篇 神霊世界 > 第四章 中有
001 人間(にんげん)が此(この)世(よ)にギヤツと生(うま)るるや、002其(その)意思(いし)の方面(はうめん)から見(み)た時(とき)は即(すなは)ち其(その)吾(われ)の儘(まま)なる時(とき)は悪(あし)き事(こと)ばかりである。003人間(にんげん)は何程(なにほど)立派(りつぱ)に博愛(はくあい)だ、004善道(ぜんだう)だ、005忠(ちう)だ、006孝(かう)だと云(い)つて居(を)つても、007詮(せん)じつめれば、008只(ただ)自己(じこ)のみ都合(つがふ)の好(い)い事(こと)ばかりを考(かんが)へて容易(ようい)に他(た)の事(こと)を顧(かへり)みないものである。009斯(かく)の如(ごと)く己(おのれ)のみ良(よ)からむ事(こと)を願(ねが)ふ利己心(りこしん)の強(つよ)い人間(にんげん)は他人(たにん)の不幸(ふしあはせ)を見(み)て、010結句(けつく)心地(ここち)よく思(おも)ふものが多(おほ)い様(やう)である。011他人(たにん)の不幸(ふかう)が却(かへつ)て自分(じぶん)等(ら)の利益(りえき)となる場合(ばあひ)には殊更(ことさら)に福(ふく)でも降(ふ)つて来(き)た様(やう)に思(おも)つて北叟笑(ほくそゑみ)をするものである。012何故(なぜ)なれば、013かかる利己(りこ)的(てき)の人間(にんげん)は総(そう)じて他人(たにん)の利福(りふく)や名誉(めいよ)たると財力(ざいりよく)たるとを問(と)はず、014何(なん)とかして自分(じぶん)の所有(しよいう)になさむ事(こと)をのみ願(ねが)ふものである。015かかる不善(ふぜん)なる意思(いし)を根本(こんぽん)的(てき)に改(あらた)めて善(ぜん)に遷(うつ)らしめむが為(ため)に、016誠(まこと)の神(かみ)様(さま)より人間(にんげん)に対(たい)し諸々(もろもろ)の真理(しんり)を会得(ゑとく)すべき直日(なほひ)の霊(みたま)の力(ちから)を賦与(ふよ)されてゐるものである。017此(この)真理(しんり)を判別(はんべつ)する所(ところ)の直日(なほひ)の霊(みたま)の光(ひかり)によつて、018其(その)意思(いし)より起(おこ)る所(ところ)の一切(いつさい)不善(ふぜん)の情動(じやうだう)を覆滅(ふくめつ)し断絶(だんぜつ)せしめむとし給(たま)ふのである。019人間(にんげん)が天賦(てんぷ)の智性中(ちせいちう)の真(しん)、020未(いま)だ意思中(いしちう)の善(ぜん)と相(あひ)和合(わがふ)せざる時(とき)は所謂(いはゆる)中程(なかほど)の状態(じやうたい)にあるものだ、021現世(げんせ)の人間(にんげん)は大抵(たいてい)此(この)状態(じやうたい)に居(ゐ)る者(もの)が多(おほ)い。022彼(かれ)等(ら)は真理(しんり)の何(なん)たるを知(し)り、023又(また)知識(ちしき)の上(うへ)や理性(りせい)の上(うへ)にて真理(しんり)を思惟(しゐ)する事(こと)は出来(でき)るけれども、024其(その)実地(じつち)行(おこな)ふ所(ところ)の真理(しんり)に至(いた)つては、025或(あるひ)は多(おほ)く或(あるひ)は少(すく)なく又(また)絶無(ぜつむ)なるものがある。026或(あるひ)は悪(あく)を愛(あい)する心(こころ)即(すなは)ち虚偽(きよぎ)の信仰(しんかう)よりして真理(しんり)に背反(はいはん)せる動作(どうさ)をなすものがある。027故(ゆゑ)に人間(にんげん)は高天原(たかあまはら)と根底(ねそこ)の国(くに)との何(いづ)れか一方(いつぱう)に適従(てきじゆう)する所(ところ)あらしめむが為(た)め、028霊肉(れいにく)脱離後(だつりご)即(すなは)ち死後(しご)先(ま)づ中有界(ちううかい)一名(いちめい)精霊界(せいれいかい)に導(みちび)き入(い)れられるものである。029高天原(たかあまはら)に上(のぼ)るべきものには此(この)中有界(ちううかい)に於(おい)て善(ぜん)と真(しん)との和合(わがふ)が行(おこな)はれ、030又(また)根底(ねそこ)の国(くに)へ投(な)げ入(い)れらるべき精霊(せいれい)には此(この)八衢(やちまた)に於(おい)て悪(あく)と虚偽(きよぎ)との和合(わがふ)が行(おこな)はれるものである。031何故(なぜ)なれば高天原(たかあまはら)に於(おい)ても根底(ねそこ)の国(くに)に於(おい)ても善悪(ぜんあく)不決定(ふけつてい)の心(こころ)を有(いう)する事(こと)を許(ゆる)されないからである。032即(すなは)ち智性(ちせい)上(じやう)に此(これ)を思(おも)うて意思(いし)の上(うへ)に彼(かれ)を志(こころざ)すが如(ごと)き事(こと)は許(ゆる)されない。033必(かなら)ずや其(その)志(こころざ)す所(ところ)を諒知(りやうち)し其(その)知(し)る所(ところ)を志願(しぐわん)せなくてはならない事(こと)になつてゐるからである。034治国別(はるくにわけ)、035竜公(たつこう)両人(りやうにん)が今(いま)や精霊界(せいれいかい)に進(すす)み、036天界(てんかい)地獄(ぢごく)の中間(ちうかん)状態(じやうたい)にその身(み)を置(お)いて伊吹戸主(いぶきどぬしの)神(かみ)に種々(しゆじゆ)の霊界(れいかい)の消息(せうそく)を承(うけたま)はつた其(その)大略(たいりやく)を此処(ここ)に述(の)べる事(こと)とする。
037 先(ま)づ地獄界(ぢごくかい)の入口(いりぐち)は如何(いか)なるものなりやを示(しめ)すならば、038一切(いつさい)の地獄界(ぢごくかい)は此(この)精霊界(せいれいかい)の方面(はうめん)に対(たい)しては硬(かた)く塞(ふさ)がつてゐるものである。039只(ただ)僅(わづ)かに岩間(いはま)の虚隙(きよげき)に似(に)たる穴(あな)があり裂(さ)け口(ぐち)があり、040或(あるひ)は大(だい)なる門戸(もんこ)があつて暗(くら)い道(みち)が僅(わづ)かに通(つう)じ紛々(ふんぷん)たる臭気(しうき)を帯(お)びた風(かぜ)が吹(ふ)いてゐるのみである。041地獄(ぢごく)の入口(いりぐち)には守衛(しゆゑい)が厳(きび)しく立(た)つてゐて、042猥(みだ)りに人間(にんげん)の出入(しゆつにふ)するを許(ゆる)さないことになつてゐる。043故(ゆゑ)に地獄界(ぢごくかい)を探険(たんけん)せむとせば、044伊吹戸主(いぶきどぬしの)神(かみ)の許(ゆる)しを受(う)けなくてはならない。045之(これ)も容易(ようい)には許(ゆる)されない事(こと)になつてゐる。
046 一旦(いつたん)現界(げんかい)へ帰(かへ)つて現界(げんかい)の人間(にんげん)に霊界(れいかい)の事(こと)を説(と)き諭(さと)す宣伝使(せんでんし)か、047或(あるひ)は緊急(きんきふ)の必要(ひつえう)ある場合(ばあひ)に限(かぎ)つて許(ゆる)さるるものである。048瑞月(ずゐげつ)が高熊山(たかくまやま)の聖場(せいぢやう)に於(おい)て地獄界(ぢごくかい)を探険(たんけん)したのも矢張(やは)り八衢(やちまた)の神(かみ)の許可(ゆるし)を受(う)けて行(ゆ)く事(こと)を得(え)たのである。049高天原(たかあまはら)へ上(のぼ)る道(みち)も亦(また)四方(しはう)が塞(ふさ)がり高天原(たかあまはら)の諸団体(しよだんたい)に通(つう)ずべき道(みち)は、050容易(ようい)に見当(みあた)らないのである。051僅(わづ)かに一条(ひとすぢ)の小(ちひ)さい道(みち)が通(とほ)つてあつて守衛(しゆゑい)が之(これ)を守(まも)つてゐる。052然(しか)しながら高天原(たかあまはら)へ上(のぼ)るべき資格(しかく)のないものの目(め)には到底(たうてい)見(み)る事(こと)は出来(でき)ないものである。053又(また)中有界(ちううかい)は山岳(さんがく)と岩石(がんせき)との間(あひだ)にある険(けは)しい谷(たに)に似(に)た所(ところ)が多(おほ)い。054此処(ここ)彼処(かしこ)に折(を)れ曲(まが)りの所(ところ)が沢山(たくさん)にあり、055又(また)非常(ひじやう)に高(たか)い処(ところ)や低(ひく)く窪(くぼ)んだ処(ところ)もある。056或(あるひ)は大川(おほかは)が流(なが)れ或(あるひ)は深(ふか)い谷(たに)があり、057広野(くわうや)があり種々(しゆじゆ)雑多(ざつた)の景色(けしき)が展開(てんかい)してゐる。058そして高天原(たかあまはら)の諸団体(しよだんたい)に通(つう)ずる諸々(もろもろ)の入口(いりぐち)は、059高天原(たかあまはら)に上(のぼ)るべき準備(じゆんび)を終(を)へたる天人(てんにん)の資格(しかく)を持(も)つてゐる者(もの)でなくては見(み)る事(こと)は出来(でき)ない。060故(ゆゑ)に中有界(ちううかい)に迷(まよ)うてゐる精霊(せいれい)や地獄行(ぢごくゆき)の精霊(せいれい)の目(め)には到底(たうてい)発見(はつけん)する事(こと)は出来得(できえ)ないのである。061精霊界(せいれいかい)から天国(てんごく)の各団体(かくだんたい)に通(つう)ずべき入口(いりぐち)は只(ただ)一筋(ひとすぢ)の細(ほそ)い道(みち)があるばかりである。062此(この)道(みち)をダンダンと上(のぼ)り行(ゆ)くに従(したが)つて道(みち)は分(わか)れて数条(すうでう)となり、063追々(おひおひ)分(わか)れて幾十条(いくじふでう)とも分(わか)らなく各団体(かくだんたい)にそれぞれの道(みち)が通(つう)じてゐるのである。064又(また)根底(ねそこ)の国(くに)に通(かよ)ふ所(ところ)の入口(いりぐち)は、065之(これ)に入(い)るべき精霊(せいれい)の為(た)めに開(ひら)かるるものであるから、066其(その)外(ほか)の者(もの)は其(その)入口(いりぐち)を見(み)る事(こと)は出来(でき)ない。067入口(いりぐち)の開(ひら)くのを見(み)れば薄暗(うすぐら)うて恰(あだか)も煤(すす)けた蜂(はち)の巣(す)の様(やう)に見(み)えて居(ゐ)る。068さうして斜(ななめ)に下向(かかう)しておひおひと深(ふか)い暗(くら)い穴(あな)へ這入(はい)つて行(ゆ)く事(こと)になつてゐる。069此(この)暗(くら)い入口(いりぐち)を探(さぐ)り探(さぐ)りて下(くだ)つて行(ゆ)くと、070先(さき)になつて又(また)数個(すうこ)の入口(いりぐち)が開(あ)いてゐる。071此(この)入口(いりぐち)の穴(あな)から悪臭(あくしう)紛々(ふんぷん)として鼻(はな)をつき出(で)て来(く)る其(その)不快(ふくわい)さ、072自然(しぜん)に鼻(はな)が曲(まが)り息(いき)塞(ふさ)がり眉毛(まゆげ)が枯(か)れる様(やう)な感(かん)じがして来(く)るものである。073故(ゆゑ)に善霊(ぜんれい)即(すなは)ち正(せい)守護神(しゆごじん)は甚(はなは)だしく之(これ)を忌(い)み嫌(きら)ふが故(ゆゑ)に此(この)悪臭(あくしう)を嗅(か)ぐやいなや恐(おそ)れて一目散(いちもくさん)に走(はし)り逃(に)げ去(さ)るものである。074然(しか)し乍(なが)ら地獄(ぢごく)の団体(だんたい)に籍(せき)をおいてゐる悪霊(あくれい)即(すなは)ち副(ふく)守護神(しゆごじん)は、075此(この)暗黒(あんこく)にして悪臭(あくしう)紛々(ふんぷん)たるを此上(こよ)なく悦(よろこ)び楽(たの)しむが故(ゆゑ)に、076喜(よろこ)んで之(これ)を求(もと)め勇(いさ)んで地獄(ぢごく)の入口(いりぐち)に飛(と)び込(こ)むものである。077世間(せけん)の大方(おほかた)の人間(にんげん)が己(おのれ)の自性(じせい)に属(ぞく)する悪(あく)を喜(よろこ)ぶ如(ごと)く、078死後(しご)霊界(れいかい)に至(いた)れば其(その)悪(あく)に相応(さうおう)せる悪臭(あくしう)を嗅(か)ぐ事(こと)を喜(よろこ)ぶものである。079此(この)点(てん)に於(おい)ては彼(かれ)等(ら)悪霊(あくれい)の人間(にんげん)は貪婪(どんらん)飽(あ)くなき鷲(わし)や鷹(たか)、080狼(おほかみ)、081虎(とら)、082獅子(しし)、083豚(ぶた)の類(るゐ)に比(くら)ぶべきものである。084彼(かれ)等(ら)の精霊(せいれい)は腐(くさ)つた屍骸(しかばね)や堆糞(たいふん)等(とう)の嘔吐(おうと)を催(もよほ)さむとする至臭(ししう)至穢物(しゑぶつ)を此上(こよ)なく喜(よろこ)び、085其(その)臭気(しうき)を尋(たづ)ねて糞蠅(くそばひ)の如(ごと)くに集(あつ)まつて来(く)るものである。086是(これ)等(ら)の人間(にんげん)の霊身(れいしん)は高天原(たかあまはら)の天人(てんにん)の気息(きそく)や芳香(はうかう)に合(あ)ふ時(とき)は、087内心(ないしん)の苦(くる)しみに堪(た)へず悲鳴(ひめい)をあげて泣(な)き倒(たふ)れ苦(くる)しみ悶(もだ)えるものである。088実(じつ)に大本(おほもと)開祖(かいそ)の神示(しんじ)にある身魂(みたま)相応(さうおう)の神(かみ)の規則(きそく)とは実(じつ)に至言(しげん)と云(い)ふべしである。089凡(すべ)て人間(にんげん)には二箇(にこ)の門(もん)が開(ひら)かれてある。090さうして其(その)一(ひと)つは高天原(たかあまはら)に向(むか)つて開(ひら)き、091一(ひと)つは根底(ねそこ)の国(くに)に向(むか)つて開(ひら)いてゐる。092高天原(たかあまはら)に向(むか)つて開(ひら)く門口(かどぐち)は愛(あい)の善(ぜん)と信(しん)の真(しん)とを入(い)れむがために開(ひら)かれ、093一(ひと)つは所在(あらゆる)悪業(あくごふ)と虚偽(きよぎ)とに居(を)るものの為(た)めに地獄(ぢごく)の門(もん)が開(ひら)かれてあるのだ。094さうして高天原(たかあまはら)より流(なが)れ来(きた)る所(ところ)の神(かみ)様(さま)の光明(くわうみやう)は上方(じやうはう)の隙間(すきま)から僅(わづ)かに数条(すうでう)の線光(せんくわう)が下(さが)つて居(ゐ)るに過(す)ぎない。095人間(にんげん)がよく思惟(しゐ)し究理(きうり)し言説(げんせつ)するは此(この)光明(くわうみやう)によるものである。096善(ぜん)に居(を)り又(また)従(したが)つて真(しん)に居(を)るものは自(おのづか)ら高天原(たかあまはら)の門戸(もんこ)は開(ひら)かれてゐるものである。
097 人間(にんげん)の理性心(りせいしん)に達(たつ)する道(みち)は内外(ないぐわい)二(ふた)つに分(わか)れて居(ゐ)る。098最(もつと)も高(たか)き道(みち)即(すなは)ち内分(ないぶん)の道(みち)は愛(あい)の善(ぜん)と信(しん)の真(しん)とが大神(おほかみ)より直接(ちよくせつ)に入(い)り来(く)る道(みち)である、099さうして一(ひと)つは低(ひく)い道(みち)、100即(すなは)ち外部(ぐわいぶ)の道(みち)である。101此(この)道(みち)は根底(ねそこ)の国(くに)より所在(あらゆる)罪悪(ざいあく)と虚偽(きよぎ)とが忍(しの)び入(い)るの道(みち)である。102此(この)内部(ないぶ)外部(ぐわいぶ)の道(みち)の中間(ちうかん)に位(くらゐ)して居(ゐ)るのが所謂(いはゆる)理性心(りせいしん)である。103以上(いじやう)二(ふた)つの道(みち)は之(これ)に向(むか)うてゐる故(ゆゑ)に高天原(たかあまはら)より大神(おほかみ)の光明(くわうみやう)入(い)り来(きた)る限(かぎ)り人間(にんげん)は理性(りせい)的(てき)なる事(こと)を得(う)れども、104此(この)光明(くわうみやう)を拒(こば)みて入(い)れなかつたならば其(その)人間(にんげん)は自分(じぶん)が何程(なにほど)理性(りせい)的(てき)なりと思(おも)ふとも其(その)実性(じつせい)に於(おい)ては已(すで)に已(すで)に滅(ほろ)びて居(ゐ)るものである。105人間(にんげん)の理性心(りせいしん)と云(い)ふものは、106其(その)成立(なりたち)の最初(さいしよ)に当(あた)つて必(かなら)ず精霊界(せいれいかい)に相応(さうおう)するものである。107故(ゆゑ)に其(その)上(うへ)にある所(ところ)のものは高天原(たかあまはら)に相応(さうおう)し、108其(その)下(した)にあるものは必(かなら)ず根底(ねそこ)の国(くに)へ相応(さうおう)するものである。109高天原(たかあまはら)へ上(のぼ)り得(う)る準備(じゆんび)を成(な)せるものにあつては、110其(その)上方(じやうはう)の事物(じぶつ)がよく開(ひら)けて居(ゐ)るけれども、111下方(かはう)の事物(じぶつ)は全(まつた)く閉塞(へいそく)して、112罪悪(ざいあく)や虚偽(きよぎ)の内流(ないりう)を受(う)けないものである。113之(これ)に反(はん)し根底(ねそこ)の国(くに)へ陥(おちい)るべき準備(じゆんび)をなせるものにあつては、114低(ひく)き道(みち)即(すなは)ち下方(かはう)の事物(じぶつ)は開(ひら)けて居(ゐ)るが内部(ないぶ)の道(みち)即(すなは)ち上方(じやうはう)の事物(じぶつ)、115霊的(れいてき)方面(はうめん)は全(まつた)く閉鎖(へいさ)せるが故(ゆゑ)に愛善(あいぜん)と信真(しんしん)の内流(ないりう)を受(う)ける事(こと)が出来(でき)ない。116之(これ)を以(もつ)て前者(ぜんしや)は只(ただ)頭上(づじやう)即(すなは)ち高天原(たかあまはら)を仰(あふ)ぎ望(のぞ)み得(う)れども、117後者(こうしや)は只(ただ)脚下(きやくか)即(すなは)ち根底(ねそこ)の国(くに)を望(のぞ)み見(み)るより外(ほか)に途(みち)はないのである。118さうして頭上(づじやう)を仰(あふ)ぎ望(のぞ)むは即(すなは)ち大神(おほかみ)を拝(はい)し霊光(れいくわう)に触(ふ)れ無限(むげん)の歓喜(くわんき)に浴(よく)し得(う)れども、119脚下(あしもと)即(すなは)ち下方(かはう)を望(のぞ)むものは誠(まこと)の神(かみ)に背(そむ)いて居(ゐ)る身魂(みたま)である。
120(大正一二・一・八 旧一一・一一・二二 北村隆光録)
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