祭典を行うことは、天国団体の天人の重要な務めの一つとなっている。天国の天人は愛の善に居るため、大神を愛し同僚を愛し、天地惟神の法則にしたがって宇宙の創造主たる神を厳粛に祀り、種々の供物を献じて神の愛に浴することを唯一の歓喜、神業としている。しかし天国人は決してエンゼルになったり宣伝使にはならない。それは霊国天人の任務である。
祭典が済むと、霊国からエンゼルまたは宣伝使が出張し来たって愛善を説き、真信を諭し、天人の智慧と証覚をますます円満たらしめるよう務める。
治国別と竜公は、珍彦に伴われて神の家と称する、天人が祭典を行い霊国宣伝使が説教を行う木造の殿堂に導かれた。この宮は想念によって建てられているから、決して腐朽したり古くなったりすることはない。
天国の祭典は実に荘厳といおうか、優美といおうか、華麗といおうか、たとえ方のない情態である。団体中で証覚のすぐれたものが祭典に関する役目を務める。珍彦は団体長として斎主を務めている。
すべて天国は清潔主義、統一主義、進取主義、楽観主義であるから、何とも言えぬ良い気分に充たされるものである。祭典によって神人は和合の極度に達し、歓喜悦楽に酔うのである。
天国の祭典は神に報恩謝徳の道を尽くし、またその団体の円満を祈り、天人各自の歓喜悦楽に酔うためにする。したがって現界の祭典のごとく四角張らず、小笠原流式もなく、円滑に自由自在に愛善より来る想念のままに情動するから、何ともいえない完全な祭典が行われる。
しかし現界のごとく天津祝詞や神言を奏上して神慮を慰め、天人各自の心を喜ばせて一切の罪汚れを払しょくする神業である。天国においても憂いや悲しみや驚きに遭遇することは絶無ではないので、天人は日を定めて荘厳な祭典式を行い、福利を得ようと祈るのである。
朝は日の天国の愛善に相応し、夕べは月の霊国の真信に相応する。ゆえに天国の祭典は午前中に行われ、午後に至って、霊国から出張した宣伝使が説教を始めるのが例となっている。
直会の宴も無事に終了し午後の情態になったとき、霊国の宣伝使が嚠喨たる音楽に送られて、二人の侍者を伴い神の家に進んできた。霊国の宣伝使が珍彦の案内で演壇上に就くと、諸天人は半月形に席を取り、その教示を嬉しそうに聴聞している。
治国別と竜公はまだ天国の言葉を解することができないので、特別席に黙然として耳を傾け、宣伝使の抑揚や身振りから何事を語りたるかをおぼろげに窺い知るのみであった。一時ばかり経ったと思うころ、宣伝使は説教の終結を告げ、各天人は拍手讃嘆しながら各自の住所に帰って行った。
珍彦は霊国宣伝使一行を自宅に招いた。治国別と竜公も共に珍彦館に帰りゆく。珍彦と珍姫夫婦は珍しい果物を並べ葡萄酒をついで宣伝使一行を歓待した。治国別と竜公は宣伝使の光明に眼がくらみ、あわてて被面布をかぶった。
そして宣伝使の顔をよく見れば、野中の森で別れた五三公であった。治国別は霊国宣伝使が五三公の顔であることに驚いて逡巡していたが、竜公は構わず、五三公にそっくりだと治国別に話しかけ、霊国宣伝使に五三公として話しかけた。
宣伝使は言霊別命と名乗り、月の大神の命で地上に降って五三公の精霊を充たし、神国成就のために活動しているのだと明かした。そして地上天国を建設するために化相して活動しているため、地上では徒弟の五三公として接するようにと願い出た。
治国別は驚いていたが、言霊別命は竜公と親しく語りだし、ぱっと上衣を脱いだ。たちまち現界の五三公と風体まで変わらないようになり、言葉もなれなれしくなってきた。そして治国別と竜公に天国の案内しようと申し出た。
治国別一行は、珍彦と珍姫に厚く礼を述べ、五三公の案内で宣伝歌を歌いながら南方指して進んで行った。