霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一〇章 鷺(さぎ)と鴉(からす)〔一六一七〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第63巻 山河草木 寅の巻 篇:第3篇 幽迷怪道 よみ(新仮名遣い):ゆうめいかいどう
章:第10章 鷺と鴉 よみ(新仮名遣い):さぎとからす 通し章番号:1617
口述日:1923(大正12)年05月24日(旧04月9日) 口述場所:竜宮館 筆録者:加藤明子 校正日: 校正場所: 初版発行日:1926(大正15)年2月3日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
人間が霊肉脱離ののち、高天原の楽土または地獄の暗黒界に陥るにあたり、何人も踏まなければならない経過があり、これは三種の状態が区別される。外面の状態、準備の状態、内面の状態である。
しかしながら中有界(精霊界)の準備を経過せずに直ちに天界または地獄に行くものは、生前すでに準備ができており、善悪の情動ならびに因縁によって、各自霊魂相応のところを得ているのである。
天界に入る準備が生前できていれば、自然的世界的な悪習慣等が洗浄されれば、直ちに天人の保護指導によって相応の愛に匹敵した楽土に導かれる。
地獄に陥る精霊は、限界において表面のみ愛と善を標榜し、かつ偽善的動作のみ行い、内心深く悪を蔵していた者である。いわゆる、自己の凶悪を糊塗して人を欺くために、善と愛とを利用した者である。
このような精霊は神様の摂理により、さまざまな状態で地獄に落ちていく。口先ばかり親切らしく見せかけて世人を油断させ、その虚に乗じて自己の利益をはかり、かつ世の人に損害を与えた者たちである。
このようなことは比較的少数であり、大部分は精霊界にとどめられて神教を授かり、精霊自己の善悪の程度によって神の順序にしたがい、第三下層天国または地獄に入る準備をなさしめられるのである。
人間各自の精霊は外面的・内面的の二方面を有している。精霊の外面とは、人間が現世において他の人々と交わるに際して、身体に適順させる手段を用いることである。特に面色、語辞、動作等の外的状態である。
精霊の内面とは、人の意志および想念に属する状態であって、容易に外面に現れないものである。
すべての人間は、幼少のころから仁義誠実、道徳等の武器を外面に摸表することを習っている。しかしその意志するところの想念はすべて、深く内底に包蔵されている。そのため人間同士の眼からこれを看破することは不可能である。
現代の人間は、その内心がいかに邪悪無道に満ちていても、表面生活上のために似非道徳的・似非文明的生涯を営むのが常となっている。
現界永年の習慣の結果、人間の精神は麻痺しきってしまって、自己の内面さえ知ることができなくなっている。また内面的生涯の善悪などについて煩慮することさえ稀である。ましてや他人の内面的生涯を察知することなどできはしない。
死後精霊界に至った直後の人間精霊の状態は、肉体が現世にあったときと少しの相違もない。ゆえに自己が一個の精霊だということを想いおこなさなかったら、高姫のごとく、現界にあって生活を送っているという感覚をなすほかはないほどである。人間の死というものは、この間の通路に過ぎない。
現世を去ってまだ幾何の日時も経ない人間の精霊や、現界人の一時的な変調によって霊界に入ってきた精霊も、現世にあるのと同じような状態にいるものであり、生前の朋友や知己と互いに相会し相知り合うものである。
精霊は、その面色や言語等によって知覚し、相接近するときはその生命の円相によって互いに知覚するのである。霊界においてもし甲が乙を思うと、乙は直ちに甲の前に現れ来る。
霊界は想念の世界であり、何事も霊的事象に支配されているから、現界のような時間空間がない。その想念の情動によって互いに朋友、親族、知己を認識し、現世にあったときの交情によって互いに談話もなし、ほとんど現世にあったときと少しの相違もないのである。
夫婦再開などは互いに相祝し、現世において夫婦双棲の歓喜を味わい楽しんだ程度に比して、あるいは長く、あるいは少時間、その生涯を共にするものである。
霊界の善霊すなわち天人は、現界から新たに入り来った精霊の善悪正邪を点検するために、たいてい以下のような点を確認する。すなわち凶霊は常に外面的事物についてのみ談論することを好むこと甚だしく、内面的事物については豪も顧みない。
内的事物とは、神の教え、聖地救世主の神格、高天原に関する真と善とに関してであるが、凶霊はこれを談論せず、聞くことを嫌忌し、意に止めず、神の教えを聞いても楽しまず、かえって不快の念を起こし面貌にまで表すものである。
現界人の多くは神仏の教えを迷信呼ばわりし、神仏を口にすることを恥辱のように考ええている者が大多数である。大本の教えをこちらから何ほど親切をもって聞かせても、地獄道に籍をおいた人間には到底駄目であることを実地に経験した。
しかしながら大慈大悲の大神の御心を奉戴し、一人たりとも天界に進ませ永遠無窮の生命に赴かしめ、もって神界御経綸の一端に仕えなければならないのである。
精霊もある一定の期間を経ると、彼らの精霊が内面的状態に移り、その内分の一切が暴露される。
人間の死後における第一の外面的状態は、あるいは一日、あるいは数日、数か月から一年にわたることもある。しかしながら一年を越えるこのは極めて稀有である。各自精霊の外面状態に長短の差があるのは、内外両面の一致不一致による。
天人はまず精霊の外面を暴露せしめ、順序中に入らしめて、内面に相応する平面たらしめる。この順序を取るところは、精霊界(中有界)の中心点である天の八衢の関所であって、伊吹戸主大神の主管し給うブルガリオにおいて行われる。
内面的状態は、人間が中有界である一定期間を経過し、心すなわち意志と想念に属する境遇のことを言うのである。
およそ民文の発達した社会に生存するものは、世間の風評や談話によって人を判断し、自分の心のままを語らず、応接はなるべく礼に合うべく務めるものである。またみえすいたような嘘でも善く言われると大変に歓ぶものである。
これに反して真実をその人の前に赤裸々に言明するときは非常に不快の念を起こし敵視されるようなことが起こる。現代の人間の言動は、その思うところ・願うところとまったく正反対のものである。
偽善者の境遇にあるものは、言説においては天人のように愛善と真信に一切基づいているようであるが、その内実は高天原の経綸も霊魂の救いも死後の世界も信じておらず、ただ自己の利益を愛しているのみである。
このような人間は、内外両面を区別し、一つとならないように努めている。外面外面が衝突をきたしている。しかし現代の理屈からいえば、内外両面を区別して考えることが至極当然となっている。
そして内面外面の一致という説に対しては種々の悪名を付け、悪魔の言としてけなすものである。内面的想念が外表に流れて暴露することがないように努め、限界的道理によってすべてを解決しようとし、内面的神善を抹殺するのである。
しかし人間が創造されたのは、その内面的想念を、相応によって外面的想念と相一致させなくてはならない理由があるのである。真の善人はその思うところも言うところもただ善のみである。
地獄的悪人においては、心に悪を想いながら善を口に語り、善人とはまったく正反対の状態にある。外面に善を示して、内面に悪を抱いている。かくて善は悪のために制せられ、使役されるにいたる。
真の善に居るものは、順序を乱すことなく、その全はみな内面的想念から流れて外面に出て、それが言説となり行動となる。人間はこのような順序のもとに創造されたからである。
人間の内面はすべて高天原の神界にあり、神界の光明中に包まれている。この光明とは、大神より起こり来る神真であり、高天原の主となるものである。
人間には内外両面の想念があり、互いに隔たっている。想念は意志からくるものであり、意志の一形式である。
およそ人間の人間たるゆえんはまったくその内面にあるのであり、外面にあるのではにないことを知らなければならない。内面は人の霊に属し、人の生涯とはこの内面の霊の生涯に他ならない。
人の身体に生命があるのは、この精霊に由るのである。この理によって、人はその内面のごとく生存し永遠にわたって変わらず、不老不死の永世を保つものである。
されど外面は肉体に属するがゆえに、死後は必ず離散し消滅し、その霊に属していた部分は眠り、ただ内面のために平面となるにすぎないのである。かくして人間の自有に属するもの・属さないものとの区別が明らかになる。
外的意志と外的想念とは、一つも自有のものではない。ただその内面的な意志と想念に属するもののみが自有となしうるのである。そのため、永遠の生命に入ったとき、自有となるものは、神の国の栄のために努力した花実ばかりである。その他一切のものは中有界においてはく奪されるものである。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2026-03-08 19:49:15 文字数:6175 OBC :rm6310
愛善世界社版:137頁 八幡書店版:第11輯 310頁 修補版: 校定版:139頁 普及版:64頁 初版: ページ備考:
派生[?]この文献を底本として書かれたと思われる文献です。[×閉じる]:出口王仁三郎全集 > 第二巻 宗教・教育編 > 第四篇 神霊世界 > 第十章 鷺と鴉
001 人間(にんげん)が霊肉(れいにく)脱離(だつり)の後(のち)、002高天原(たかあまはら)の楽土(らくど)又(また)は地獄(ぢごく)の暗黒界(あんこくかい)へ陥(おちい)るに先(さき)んじて003何人(なにびと)も踏(ふ)まねばならぬ経過(けいくわ)がありまして、004この状態(じやうたい)は三種(さんしゆ)の区別(くべつ)があります。005そしてこの三状態(さんじやうたい)を大別(たいべつ)して、006外面(ぐわいめん)の状態(じやうたい)、007準備(じゆんび)の状態(じやうたい)、008内面(ないめん)の状態(じやうたい)と致(いた)します。009併(しか)し乍(なが)ら死後(しご)直(ただち)に高天原(たかあまはら)へ上(のぼ)る精霊(せいれい)と010地獄(ぢごく)へ陥(おちい)る精霊(せいれい)とのあることは、011今日(こんにち)迄(まで)の物語(ものがたり)に於(おい)て読者(どくしや)は既(すで)に已(すで)に御(ご)承知(しようち)の事(こと)と思(おも)ひます。012中有界(ちううかい)一名(いちめい)精霊界(せいれいかい)の準備(じゆんび)を経過(けいくわ)せずして013直(ただち)に天界(てんかい)又(また)は地獄(ぢごく)に行(ゆ)くものは014生前(せいぜん)既(すで)に其(その)準備(じゆんび)が出来(でき)て居(ゐ)て015善悪(ぜんあく)の情動(じやうどう)並(ならび)に因縁(いんねん)によつて各自(かくじ)霊魂(れいこん)相応(さうおう)の所(ところ)を得(う)るものです。016右(みぎ)の如(ごと)く準備(じゆんび)既(すで)に完了(くわんれう)せる精霊(せいれい)にあつては017只(ただ)その肉体(にくたい)と共(とも)に自然(しぜん)的(てき)世界(せかい)的(てき)なる悪習慣(あくしふくわん)等(とう)を洗滌(せんでう)すれば018直(ただち)に天人(てんにん)の保護(ほご)指導(しだう)に依(よ)つて019天界(てんかい)の、0191それ相応(さうおう)の所主(しよしゆ)の愛(あい)に匹敵(ひつてき)した楽土(らくど)に導(みちび)かるるものであります。020之(これ)に反(はん)して直(ただち)に地獄(ぢごく)に陥(おちい)る精霊(せいれい)にあつては、021現界(げんかい)に於(おい)て表面(へうめん)にのみ愛(あい)と善(ぜん)とを標榜(へうぼう)し022且(か)つ偽善(ぎぜん)的(てき)動作(どうさ)のみ行(おこな)ひ、023内心(ないしん)深(ふか)く悪(あく)を蔵(ざう)し居(を)りしもの、024所謂(いはゆる)自己(じこ)の凶悪(きようあく)を糊塗(こと)して人(ひと)を欺(あざむ)くために025善(ぜん)と愛(あい)とを利用(りよう)したものであります。026中(なか)にも最(もつと)も詐偽(さぎ)や欺騙(ぎへん)に富(と)んで居(ゐ)るものは027足(あし)を上空(じやうくう)にし頭(かしら)を地(ち)に倒(さかさま)にして投(な)げ込(こ)まれるやうにして落(お)ち行(ゆ)くものです。028この外(ほか)にも種々(しゆじゆ)様々(さまざま)の状態(じやうたい)にて地獄(ぢごく)へ陥(お)ち行(ゆ)くものもあり、029或(あるひ)は死後(しご)直(ただち)に岩窟(がんくつ)の中(なか)深(ふか)く投(な)げ入(い)れられるものもありますが、030斯(かく)の如(ごと)き状態(じやうたい)になるのは凡(すべ)て神(かみ)様(さま)の御(ご)摂理(せつり)で031精霊界(せいれいかい)にある精霊(せいれい)と分離(ぶんり)せむがためであります。032或(ある)時(とき)は岩窟内(がんくつない)より取(と)り出(だ)され、033又(また)ある時(とき)は引(ひ)き入(い)れられる場合(ばあひ)もありますが、034斯(かく)の如(ごと)き精霊(せいれい)は生前(せいぜん)に於(おい)て035口(くち)の先(さき)計(ばか)りで親切(しんせつ)らしく見(み)せかけて、0351世人(せじん)を油断(ゆだん)させ036其(その)虚(きよ)に乗(じやう)じて自己(じこ)の利益(りえき)を計(はか)り、037且(か)つ世(よ)の人(ひと)に損害(そんがい)を与(あた)へたものですが、038斯様(かやう)な事(こと)は比較(ひかく)的(てき)少数(せうすう)であつて、039その大部分(だいぶぶん)は精霊界(せいれいかい)に留(とど)められて神教(しんけう)を授(さづ)かり040精霊(せいれい)自己(じこ)の善悪(ぜんあく)の程度(ていど)によつて神(かみ)の順序(じゆんじよ)に従(したが)ひ、041第三(だいさん)下層(かそう)天国(てんごく)、042又(また)は地獄(ぢごく)へ入(い)るの準備(じゆんび)を為(な)さしめらるるものであります。043人間(にんげん)各自(かくじ)の精霊(せいれい)には外面(ぐわいめん)的(てき)、044内面(ないめん)的(てき)の二方面(にはうめん)を有(いう)しております。045精霊(せいれい)の外面(ぐわいめん)とは046人間(にんげん)が現世(げんせい)に於(おい)て他(た)の人々(ひとびと)と交(まじ)はるに際(さい)し047其(その)身体(しんたい)をして之(これ)に適順(てきじゆん)せしむる所(ところ)の手段(しゆだん)を用(もち)ひる事(こと)で048特(とく)に面色(めんしよく)、049語辞(ごじ)、050動作(どうさ)等(とう)の外的(ぐわいてき)状態(じやうたい)であり、051精霊(せいれい)の内面(ないめん)とは人(ひと)の意思(いし)及(およ)びその意志(いし)よりする想念(さうねん)に属(ぞく)する状態(じやうたい)であつて、052容易(ようい)に外面(ぐわいめん)には現(あら)はれないものであります。053凡(すべ)ての人間(にんげん)は054幼少(えうせう)の頃(ころ)より朋友(ほういう)の情(じやう)だとか、055仁義(じんぎ)誠実(せいじつ)、056道徳(だうとく)等(とう)の武器(ぶき)を外面(ぐわいめん)に模表(もへう)する事(こと)を習(なら)つて居(を)りますが、057其(その)意志(いし)よりする所(ところ)の凡(すべ)ての想念(さうねん)は058之(これ)を深(ふか)く内底(ないてい)に包蔵(はうざう)するが故(ゆゑ)に、059人間(にんげん)同士(どうし)の眼(め)よりは之(これ)を観破(くわんぱ)することは実(じつ)に不可能(ふかのう)であります。060現代(げんだい)の人間(にんげん)は061その内心(ないしん)は如何(いか)に邪悪(じやあく)無道(ぶだう)に充(み)ちて居(を)つても、062表面(へうめん)生活(せいくわつ)上(じやう)の便宜(べんぎ)のために063似非(エセ)道徳(だうとく)的(てき)、064似非(エセ)文明(ぶんめい)的(てき)生涯(しやうがい)を営(いとな)むのは常(つね)であります。065現界(げんかい)永年(えいねん)の習慣(しふくわん)の結果(けつくわ)、066人間(にんげん)は精神(せいしん)痳痺(まひ)し切(き)つて了(しま)つて、067自己(じこ)の内面(ないめん)さへ知(し)る事(こと)が出来(でき)なくなつて居(を)ります。068また自己(じこ)の内面(ないめん)的(てき)生涯(しやうがい)の善悪(ぜんあく)などに就(つ)いて煩慮(はんりよ)することさへも稀(まれ)であります。069況(いは)んや070自己(じこ)以外(いぐわい)の他人(たにん)の内面(ないめん)的(てき)生涯(しやうがい)の如何(いかん)を察知(さつち)するに於(おい)ておやであります。071死後(しご)直(ただ)ちに精霊界(せいれいかい)に於(お)ける人間(にんげん)精霊(せいれい)の状態(じやうたい)は072その肉体(にくたい)が現世(げんせい)にありし時(とき)の如(ごと)く依然(いぜん)として容貌(ようばう)、073言語(げんご)、074性情(せいじやう)等(とう)は相酷似(あひこくじ)し、075道徳(だうとく)上(じやう)、076民文(みんぶん)上(じやう)の生活(せいくわつ)の状態(じやうたい)と少(すこ)しの相違(さうゐ)もない。077故(ゆゑ)に人間(にんげん)死後(しご)の精霊(せいれい)にして精霊界(せいれいかい)に於(おい)て相(あひ)遇(あ)ふ事物(じぶつ)に注意(ちうい)を払(はら)はず、078又(また)天人(てんにん)が彼(かれ)精霊(せいれい)を甦生(かうせい)せし時(とき)に於(おい)ても、079自己(じこ)は最早(もはや)一箇(いつこ)の精霊(せいれい)だといふことを想(おも)ひ起(おこ)さなかつたなれば、080その精霊(せいれい)は依然(やはり)高姫(たかひめ)の如(ごと)く081現界(げんかい)に在(あ)つて生活(せいくわつ)を送(おく)つて居(を)るといふ感覚(かんかく)をなすの外(ほか)は無(な)いのです。082故(ゆゑ)に人間(にんげん)の死(し)といふものは083唯(ただ)此(この)間(かん)の通路(つうろ)に過(す)ぎないものであります。
084 現世(げんせい)を去(さ)りて未(いま)だ幾何(いくばく)の日時(にちじ)も経(へ)ない人間(にんげん)の精霊(せいれい)も085又(また)現界人(げんかいじん)の一(いち)時(じ)的(てき)変調(へんてう)によつて霊界(れいかい)に入(い)り来(きた)りし精霊(せいれい)も、086先(ま)づ以上(いじやう)の如(ごと)き状態(じやうたい)に居(を)るものであつて、087生前(せいぜん)の朋友(ほういう)や知己(ちき)と互(たがひ)に相(あひ)会(くわい)し相(あひ)識合(しりあ)ふものであります。088何(なん)となれば、089精霊(せいれい)なるものは、090その面色(めんしよく)や言語(げんご)等(とう)によつて知覚(ちかく)し091又(また)相(あひ)接近(せつきん)する時(とき)はその生命(せいめい)の円相(ゑんさう)によつて互(たがひ)に知覚(ちかく)するものです。092霊界(れいかい)に於(おい)て甲(かふ)が若(も)し乙(おつ)の事(こと)を思(おも)ふ時(とき)は忽(たちま)ちその面貌(めんばう)を思(おも)ひ093之(これ)と同時(どうじ)に、0931その生涯(しやうがい)に於(お)いて起(おこ)りし一切(いつさい)の事物(じぶつ)を思(おも)ふものです。094そして甲(かふ)に於(おい)て之(これ)を為(な)すときは、095乙(おつ)は直(ただ)ちに甲(かふ)の前(まへ)に現(あら)はれ来(く)るもので096丁度(ちやうど)態人(わざびと)を使(つか)ひに遣(や)つて招(まね)いて来(く)るやうなものです。097霊界(れいかい)に於(おい)て何故(なぜ)斯(かく)の如(ごと)き自由(じいう)あるかと謂(ゐ)へば098霊界(れいかい)は想念(さうねん)の世界(せかい)であるから099自(おのづか)ら想念(さうねん)の交通(かうつう)があり100何事(なにごと)も霊的(れいてき)事象(じしやう)に支配(しはい)されて居(を)りますから、101現界(げんかい)の如(ごと)く時間(じかん)又(また)は空間(くうかん)なるものが無(な)いからであります。102それ故(ゆゑ)霊界(れいかい)に入(い)り来(きた)りしものは其(その)想念(さうねん)の情動(じやうどう)によつて、103互(たがひ)にその朋友(ほういう)、104親族(しんぞく)、105知己(ちき)を認識(にんしき)せざるは無(な)く、106現世(げんせい)にあつた時(とき)の交情(かうじやう)によつて互(たがひ)に談話(だんわ)も為(な)し、107交際(かうさい)も為(な)し、108殆(ほとん)ど現世(げんせい)にありし時(とき)と少(すこ)しの相違(さうゐ)もないのです。109中(なか)にも夫婦(ふうふ)の再会(さいくわい)などは普通(ふつう)とせられて居(ゐ)ますが、110夫婦(ふうふ)再会(さいくわい)の時(とき)は互(たがひ)に相(あひ)祝(しゆく)し、111現世(げんせい)に於(おい)て夫婦(ふうふ)双棲(さうせい)の歓喜(くわんき)を味(あぢ)はひ楽(たの)しんだ程度(ていど)に比(ひ)して、112或(あるひ)は永(なが)く久(ひさ)しく、113或(あるひ)は少時間(せうじかん)、114その生涯(しやうがい)を共(とも)にするものです。115そしてその夫婦(ふうふ)の間(あひだ)に真実(しんじつ)の婚姻(こんいん)の愛(あい)、116即(すなは)ち神界(しんかい)の愛(あい)に基(もと)づいた心(こころ)の和合(わがふ)の無(な)い時(とき)は、117その夫婦(ふうふ)は少時(しばらく)にして相(あひ)別(わか)るるものであります。
118 又(また)夫婦(ふうふ)の間(あひだ)に現世(げんせい)に於(おい)て119互(たがひ)に了解(れうかい)なく嫉妬(しつと)や不和(ふわ)や争闘(さうとう)や、120その他(た)内心(ないしん)に嫌忌(けんき)しつつあつたものは、121此(この)仇讐(きうしう)的(てき)想念(さうねん)は忽(たちま)ち外面(ぐわいめん)に破裂(はれつ)して122相(あひ)争闘(さうとう)し分離(ぶんり)するものであります。
123 霊界(れいかい)にある善霊(ぜんれい)即(すなは)ち天人(てんにん)は124現界(げんかい)より新(あら)たに入(い)り来(きた)りし精霊(せいれい)の善悪(ぜんあく)正邪(せいじや)を点撿(てんけん)すべく、125種々(しゆじゆ)の方法(はうはふ)を用(もち)ふるものです。126精霊(せいれい)の性格(せいかく)は127死後(しご)の外面(ぐわいめん)状態(じやうたい)にあつては容易(ようい)に弁別(べんべつ)が付(つ)かないものです。128如何(いか)に凶悪(きようあく)無道(ぶだう)なる精霊(せいれい)にても129外面(ぐわいめん)的(てき)真理(しんり)を克(よ)く語(かた)り、1291善(ぜん)を行(おこな)ふ事(こと)は130至誠(しせい)至善(しぜん)の善霊(ぜんれい)と少(すこ)しも相違(さうゐ)の点(てん)を見出(みいだ)すことが出来(でき)ないのです。131外面(ぐわいめん)上(じやう)は皆(みな)有徳(いうとく)愛善(あいぜん)らしき生涯(しやうがい)を送(おく)つて居(ゐ)る。132現界(げんかい)に於(おい)て一定(いつてい)の統治(とうち)制度(せいど)の下(もと)にあつて法律(はふりつ)に服従(ふくじゆう)して生息(せいそく)し、133之(これ)に由(よ)つて正(ただ)しきもの、134至誠者(しせいしや)との名声(めいせい)を博(はく)し或(あるひ)は特別(とくべつ)の恵(めぐみ)を受(う)けて尊貴(そんき)の地位(ちゐ)に上(のぼ)り富(とみ)を蒐(あつ)めたるものであつて、135是(これ)等(ら)は死後(しご)少時(しばらく)は善者(ぜんしや)有徳者(いうとくしや)と認(みと)めらるるものです。136併(しか)しながら天人(てんにん)は是(これ)等(ら)の精霊(せいれい)の善悪(ぜんあく)を区別(くべつ)するに当(あた)り、137大抵(たいてい)左(さ)の方法(はうはふ)に由(よ)るものであります。138凡(すべ)て何人(なにびと)も所主(しよしゆ)の愛(あい)に左右(さいう)さるるものでありますから、139即(すなは)ち凶霊(きようれい)は常(つね)に外面(ぐわいめん)的(てき)事物(じぶつ)にのみ就(つい)て談論(だんろん)するを好(この)むこと甚(はなは)だしく140内面(ないめん)的(てき)事物(じぶつ)に就(つい)ては毫(がう)も顧(かへり)みないからであります。141内的(ないてき)事物(じぶつ)は神(かみ)の教(をしへ)、142又(また)は聖地(せいち)救世主(きうせいしゆ)の神格(しんかく)、143及(およ)び高天原(たかあまはら)に関(くわん)する真(しん)と善(ぜん)とに関(くわん)しては之(これ)を談論(だんろん)せず、144又(また)之(これ)を教(をし)ふるも聴(き)くことを嫌忌(けんき)し更(さら)に意(い)に留(と)めず、145又(また)神(かみ)の教(をしへ)を聴(き)いて楽(たのし)まず、146却(かへつ)て不快(ふくわい)の念(ねん)を起(おこ)し面貌(めんばう)にまで表(あら)はすものです。147現界人(げんかいじん)の多(おほ)くは148凡(すべ)て神仏(しんぶつ)の教(をしへ)を迷信(めいしん)呼(よ)ばはりをなし、149且(か)つ神仏(しんぶつ)を口(くち)にする事(こと)を大(おほい)に恥辱(ちじよく)の如(ごと)く考(かんが)へて居(を)るものが大多数(だいたすう)であつて、150大本(おほもと)の教(をしへ)を此方(こちら)から何(なに)程(ほど)親切(しんせつ)を以(もつ)て聞(き)かし、151天界(てんかい)に救(すく)ひ助(たす)けむと焦慮(せうりよ)するとも、152地獄道(ぢごくだう)に籍(せき)を置(お)いた人間(にんげん)には、153到底(たうてい)駄目(だめ)である事(こと)を屢(しばしば)実験(じつけん)いたしました。154併(しか)しながら大慈(だいじ)大悲(だいひ)の大神(おほかみ)の御心(みこころ)を奉体(ほうたい)し一人(ひとり)たりとも天界(てんかい)に進(すす)ませ、155永遠(ゑいゑん)無窮(むきう)の生命(せいめい)に赴(おもむ)かしめ156以(もつ)て神界(しんかい)御(ご)経綸(けいりん)の一端(いつたん)に仕(つか)へなくては成(な)らないのであります。157霊界(れいかい)に於(おい)ても現界(げんかい)に於(おい)ても同一(どういつ)ですが、158地獄(ぢごく)入(い)りの凶霊(きようれい)と天界(てんかい)往(ゆ)きの善霊(ぜんれい)とを区別(くべつ)せむとするには159凶霊(きようれい)は屢(しばしば)ある一定(いつてい)の方向(はうかう)に進(すす)まむとするを見(み)ることが出来(でき)ます。160凶霊(きようれい)がモシその意(い)のままに放任(はうにん)される時(とき)はそれに通(つう)ずる道路(だうろ)を往来(わうらい)するもので、161彼(かれ)等(ら)が往来(わうらい)する方向(はうかう)と転向(てんかう)する道路(だうろ)とによりて、162その所主(しよしゆ)の愛(あい)は何(いづ)れにあるかを確(たしか)めらるるものであります。
163 現界(げんかい)を去(さ)つて霊界(れいかい)に新(あら)たに入(い)り来(きた)る精霊(せいれい)は164何(いづ)れも高天原(たかあまはら)とか地獄界(ぢごくかい)とかの或(あ)る団体(だんたい)に属(ぞく)して居(ゐ)ないものは有(あ)りませぬが、165併(しか)し之(これ)は内的(ないてき)の事(こと)ですから、166その精霊(せいれい)が尚(な)ほ依然(いぜん)として外面(ぐわいめん)的(てき)状態(じやうたい)にある間(あひだ)は其(その)内実(ないじつ)を現(あら)はさない。167外面(ぐわいめん)的(てき)事物(じぶつ)が凡(すべ)ての内面(ないめん)を蔽(おほ)ひかくして了(しま)ひ、168内面(ないめん)の暴悪(ばうあく)なるものは、169殊(こと)に之(これ)を蔽(おほ)ひかくすこと巧妙(かうめう)を極(きは)めて居(を)るからです。170併(しか)し或(あ)る一定(いつてい)の期間(きかん)を経(へ)たる後(のち)に彼(かれ)等(ら)の精霊(せいれい)が内面(ないめん)的(てき)状態(じやうたい)に移(うつ)る時(とき)に於(おい)て、171その内分(ないぶん)の一切(いつさい)が暴露(ばくろ)するものです。172この時(とき)は最早(もはや)外面(ぐわいめん)は眠(ねむ)り且(か)つ消失(せうしつ)し173内面(ないめん)のみ開(ひら)かるるからであります。174人間(にんげん)の死後(しご)に於(お)ける第一(だいいち)の外面(ぐわいめん)的(てき)情態(じやうたい)は175或(あるひ)は一(いち)日(にち)、176或(あるひ)は数日(すうじつ)、177或(あるひ)は数(すう)ケ月(げつ)、178或(あるひ)は一(いち)年(ねん)に渉(わた)ることがあります。179されど一(いち)年(ねん)を越(こ)ゆるものは極(きは)めて稀有(けう)の事(こと)であります。180斯(かく)の如(ごと)く各自(かくじ)の精霊(せいれい)が外面(ぐわいめん)状態(じやうたい)に長短(ちやうたん)の差(さ)ある所以(ゆゑん)は、181内外(ないぐわい)両面(りやうめん)の一致(いつち)不一致(ふいつち)によるものです。182何故(なぜ)なれば、183精霊界(せいれいかい)にあつては何人(なにびと)と雖(いへど)も思想(しさう)及(およ)び意志(いし)と言説(げんせつ)又(また)は行動(かうどう)を別(べつ)にする事(こと)を許(ゆる)されないから、184各(かく)精霊(せいれい)の内外(ないぐわい)両面(りやうめん)が一(ひとつ)[※「一」は戦前の版や愛世版ではフリガナなし。校定版では「ひとつ」とフリガナが振ってある。]となつて相応(さうおう)せざればならぬからであります。
185 精霊界(せいれいかい)にあるものは、186自有(じいう)の情動(じやうどう)たる愛(あい)の影像(えいざう)ならぬものはありませぬから、187その内面(ないめん)にある所(ところ)の一切(いつさい)をその外面(ぐわいめん)に露(あら)はさない訳(わけ)にはゆきませぬ。188此(これ)故(ゆゑ)善霊(ぜんれい)なる天人(てんにん)は先(ま)づ精霊(せいれい)の外面(ぐわいめん)を暴露(ばくろ)せしめ、189是(これ)を順序(じゆんじよ)中(ちう)に入(い)らしめて190以(もつ)て其(その)内面(ないめん)に相応(さうおう)する平面(へいめん)たらしめらるるのであります。191そして斯(かく)の如(ごと)き順序(じゆんじよ)を取(と)る所(ところ)は192精霊界(せいれいかい)即(すなは)ち中有界(ちううかい)の中心点(ちうしんてん)たる天(あめ)の八衢(やちまた)の関所(せきしよ)であつて、193伊吹戸主(いぶきどぬしの)神(かみ)の主管(しゆくわん)し給(たま)ふ、194ブルガリオに於(おい)て行(おこな)はるるものであります。
195 内面(ないめん)的(てき)情態(じやうたい)は196人間(にんげん)の死後(しご)或(あ)る一定(いつてい)の期間(きかん)を中有界(ちううかい)にて経過(けいくわ)し、197心(こころ)即(すなは)ち意志(いし)と想念(さうねん)に属(ぞく)する精霊(せいれい)の境遇(きやうぐう)を云(い)ふのです。198人間(にんげん)の生涯(しやうがい)、199言説(げんせつ)、200行為(かうゐ)等(とう)を観察(くわんさつ)する時(とき)は201何人(なにびと)にも内面(ないめん)外面(ぐわいめん)の二方面(にはうめん)を有(いう)することが知(し)り得(え)られます。202その想念(さうねん)にも意志(いし)にも内外(ないぐわい)両面(りやうめん)の区別(くべつ)があるものです。203凡(すべ)て民文(みんぶん)の発達(はつたつ)した社会(しやくわい)に生存(せいぞん)するものは204他人(たにん)の事(こと)を思惟(しゐ)するに当(あた)り、205その人(ひと)に対(たい)する世間(せけん)の風評(ふうひやう)又(また)は談話(だんわ)等(とう)に由(よ)つて見(み)たり聞(き)いたりした所(ところ)のものを以(もつ)て206人間(にんげん)の性能(せいのう)を観察(くわんさつ)する基礎(きそ)となすものです。207されど人間(にんげん)は他人(たにん)と物語(ものがた)る時(とき)に際(さい)して208自分(じぶん)の心(こころ)の儘(まま)を語(かた)るものではありませぬ。209たとへ対者(たいしや)が悪人(あくにん)と知(し)つても、210又(また)自分(じぶん)の気(き)に合(あ)はない人(ひと)であつても、211その交際(かうさい)応接(おうせつ)などの点(てん)は成(な)る可(べ)く礼(れい)に合(あ)ふべく、212又(また)相手(あひて)方(がた)の感情(かんじやう)を害(がい)せざる様(やう)と努(つと)むるもので、213実(じつ)に偽善(ぎぜん)的(てき)の行為(かうゐ)を敢(あへ)てするもので、214又(また)此(これ)でなければ社会(しやくわい)より排斥(はいせき)されて了(しま)ふやうな矛盾(むじゆん)が出来(しゆつたい)する世(よ)の中(なか)であります。215そして凡(すべ)ての人(ひと)は見(み)えすいたやうな嘘(うそ)でも善(よ)く言(い)はれると大変(たいへん)に歓(よろこ)ぶものですが、216之(これ)に反(はん)し真実(しんじつ)を其(その)人(ひと)の前(まへ)に赤裸々(せきらら)に言明(げんめい)する時(とき)は非常(ひじやう)に不快(ふくわい)の念(ねん)を起(おこ)し、217遂(つひ)には敵視(てきし)する様(やう)になり、218害(がい)を加(くは)ふるやうな事(こと)が出来(でき)るものです。219故(ゆゑ)に現代(げんだい)の人間(にんげん)の言(い)ふ所(ところ)、220行(おこな)ふ所(ところ)は、221その思(おも)ふ所(ところ)願(ねが)ふ所(ところ)と全(まつた)く正反対(せいはんたい)のものです。222偽善者(ぎぜんしや)の境遇(きやうぐう)にあるものは、223高天原(たかあまはら)の経綸(けいりん)や死後(しご)の世界(せかい)や、224霊魂(れいこん)の救(すく)ひや聖場(せいぢやう)の真理(しんり)や国家(こくか)の利福(りふく)や隣人(りんじん)の事(こと)を語(かた)らしておけば225恰(あたか)も天人(てんにん)の如(ごと)く愛善(あいぜん)と信真(しんしん)に一切(いつさい)基(もと)づける様(やう)なれども、226其(その)内実(ないじつ)には高天原(たかあまはら)の経綸(けいりん)も霊魂(れいこん)の救(すく)ひも死後(しご)の世界(せかい)も信(しん)じないのみか、227只(ただ)愛(あい)する所(ところ)のものは自己(じこ)の利益(りえき)あるのみであります。228斯(かく)の如(ごと)き偽善者(ぎぜんしや)、229偽信者(ぎしんじや)は随分(ずいぶん)太古(たいこ)の教徒(けうと)の中(なか)にも可(か)なり沢山(たくさん)あつたものですが、230現代(げんだい)の三五教(あななひけう)の中(なか)には十指(じつし)を折(を)り数(かぞ)へたら231最早(もはや)残(のこ)るは外面(ぐわいめん)的(てき)状態(じやうたい)にあるもの計(ばか)りで、232天国(てんごく)に直(ただ)ちに上(のぼ)り得(う)る精霊(せいれい)は少(すくな)いやうであります。
233 凡(すべ)て人間(にんげん)の想念(さうねん)には内面(ないめん)、234外面(ぐわいめん)の区別(くべつ)がありまして、235斯(かく)の如(ごと)き人間(にんげん)は、236外面(ぐわいめん)的(てき)想念(さうねん)によりて言説(げんせつ)をなし、237内面(ないめん)には却(かへつ)て異様(いやう)の感情(かんじやう)を包蔵(はうざう)して居(を)るものです。238そして内外(ないぐわい)両面(りやうめん)を区別(くべつ)する事(こと)に努(つと)めて、239一(ひとつ)[※「一」は戦前の版や愛世版ではフリガナなし。校定版では「ひとつ」とフリガナが振ってある。]とならない様(やう)にと努(つと)むるものです。240真(しん)に高天原(たかあまはら)の経綸(けいりん)を扶(たす)け聖壇(せいだん)の隆盛(りうせい)を祈(いの)り241死後(しご)の安住所(あんぢうしよ)を得(え)むことを思(おも)はば242如何(いか)なる事情(じじやう)をも道(みち)のためには忍(しの)ぶべきものであります。243神(かみ)様(さま)の御用(ごよう)にたて得(え)らるるだけの余裕(よゆう)を与(あた)へられたのも244皆(みな)神(かみ)様(さま)のお蔭(かげ)である事(こと)を忘(わす)れ、245自有(じいう)と心得(こころえ)て居(を)るからです。246爰(ここ)に外面(ぐわいめん)内面(ないめん)の衝突(しようとつ)を来(きた)すことになつて来(く)るのです。247併(しか)し現代(げんだい)の理窟(りくつ)から言(い)へば、248内外(ないぐわい)両面(りやうめん)を区別(くべつ)して考(かんが)ふる事(こと)が至当(したう)となつて居(を)ります。249そして右様(みぎやう)の説(せつ)に対(たい)しては種々(しゆじゆ)の悪名(あくめい)を以(もつ)て対抗(たいかう)し、250且(か)つ悪魔(あくま)の言(げん)と貶(けな)すものであります。251又(また)斯(かく)の如(ごと)き人(ひと)は内面(ないめん)的(てき)想念(さうねん)の外表(ぐわいへう)に流(なが)れ出(い)でて爰(ここ)に暴露(ばくろ)することなからむを勉(つと)め、252現界(げんかい)的(てき)道理(だうり)によつて、253凡(すべ)てを解決(かいけつ)せむとし254内面(ないめん)的(てき)神善(しんぜん)を抹殺(まつさつ)するものであります。
255 さり乍(なが)ら人間(にんげん)の創造(さうざう)さるるや、256その内面(ないめん)的(てき)想念(さうねん)をして257相応(さうおう)に由(よ)りて外面(ぐわいめん)的(てき)想念(さうねん)と相(あひ)一致(いつち)せしめなくては成(な)らない理由(りいう)があるのです。258この一致(いつち)は真(しん)の善人(ぜんにん)に於(おい)て見(み)る所(ところ)であつて、259その思(おも)ふ所(ところ)も言(い)ふ所(ところ)も、260唯々(ただただ)善(ぜん)のみだからであります。261かくの如(ごと)き内外(ないぐわい)両面(りやうめん)の想念(さうねん)の一致(いつち)する事(こと)は262到底(たうてい)地獄(ぢごく)的(てき)悪人(あくにん)に於(おい)ては見(み)る事(こと)が出来(でき)ない。263何故(なぜ)なれば、264心(こころ)に悪(あく)を思(おも)ひながら善(ぜん)を口(くち)に語(かた)り265全(まつた)く善人(ぜんにん)と正反対(せいはんたい)の情態(じやうたい)にあるものです。266外面(ぐわいめん)に善(ぜん)を示(しめ)して悪(あく)を抱(いだ)いて居(を)る。267かくて善(ぜん)は悪(あく)のために制(せい)せられ、268之(これ)に使役(しえき)さるるに至(いた)るのであります。269悪人(あくにん)はその所主(しよしゆ)の愛(あい)に属(ぞく)する目的(もくてき)を達成(たつせい)せむがために、270表(おもて)に善(ぜん)を飾(かざ)つて唯一(ゆゐいつ)の方便(はうべん)となすものです。271故(ゆゑ)にその言説(げんせつ)と行動(かうどう)とに現(あらは)れる所(ところ)の善事(ぜんじ)なるものは、272その中(なか)に悪(あし)き目的(もくてき)を包蔵(はうざう)して居(を)るので、273善(ぜん)も決(けつ)して善(ぜん)でなく、274悪(あく)の汚(けが)す所(ところ)となるは明白(めいはく)なものです。275外面(ぐわいめん)的(てき)に之(これ)を見(み)て善事(ぜんじ)となすものは、276その内面(ないめん)を少(すこ)しも知悉(ちしつ)せざるものの言葉(ことば)であります。
277 真(しん)の善(ぜん)に居(を)るものは、278順序(じゆんじよ)を乱(みだ)すこと無(な)く、279その善(ぜん)は皆(みな)内面(ないめん)的(てき)想念(さうねん)より流(なが)れて外面(ぐわいめん)に出(で)て280それが言説(げんせつ)となり行動(かうどう)となるのは、281人間(にんげん)は斯(かく)の如(ごと)き順序(じゆんじよ)のもとに創造(さうざう)せられたものであるからであります。282人間(にんげん)の内面(ないめん)は凡(すべ)て高天原(たかあまはら)の神界(しんかい)にあり、283神界(しんかい)の光明中(くわうみやうちう)に包(つつ)まれて居(を)る。284その光明(くわうみやう)とは、285大神(おほかみ)より起来(きらい)する所(ところ)の神真(しんしん)で286所謂(いはゆる)高天原(たかあまはら)の主(しゆ)なるものです。287人間(にんげん)は内外(ないぐわい)両面(りやうめん)の想念(さうねん)があり、288その想念(さうねん)が内外(ないぐわい)互(たがひ)に相(あひ)隔(へだ)たり居(を)ることは前述(ぜんじゆつ)の通(とほ)りであります。289想念(さうねん)と言(い)つたのは其(その)中(なか)に意志(いし)をも包含(はうがん)して併(あは)せて言(い)つたのです。290盖(けだ)し想念(さうねん)なるものは意志(いし)より来(きた)り、291意志(いし)なければ何人(なにびと)と雖(いへど)も想念(さうねん)なるものは有(あ)りませぬ。292又(また)意志(いし)及(およ)び想念(さうねん)と云(い)ふ時(とき)は、293この意志(いし)の裡(うち)にも又(また)情動(じやうどう)、294愛(あい)、295及(およ)び、2951是(これ)等(ら)より起来(きらい)する歓喜(くわんき)や悦楽(えつらく)をも含(ふく)んで居(を)ります。296以上(いじやう)のものは何(いづ)れも意志(いし)と関連(くわんれん)して居(を)るからです。297何故(なぜ)なれば人(ひと)はその欲(ほつ)する所(ところ)を愛(あい)し、298之(これ)によつて歓喜(くわんき)悦楽(えつらく)の情(じやう)を生(しやう)ずるものだからです。299又(また)想念(さうねん)といふことは300人(ひと)が由(よ)りて以(もつ)て其(その)情動(じやうどう)即(すなは)ち愛(あい)を確(たし)かむる所(ところ)の一切(いつさい)を言(い)ふのです。301何(な)んとなれば想念(さうねん)は意志(いし)の形式(けいしき)に過(す)ぎないものです。302即(すなは)ち意志(いし)が由(よ)りて以(もつ)て自(みづか)ら顕照(けんせう)せむと欲(ほつ)する所(ところ)のものに過(す)ぎないからであります。303この形式(けいしき)は種々(しゆじゆ)の理性(りせい)的(てき)解剖(かいばう)によつて現(あらは)れるもので、304その源泉(げんせん)を霊界(れいかい)に発(はつ)し人(ひと)の精霊(せいれい)に属(ぞく)するものであります。
305 凡(すべ)て人間(にんげん)の人間(にんげん)たる所以(ゆゑん)は全(まつた)くその内面(ないめん)にあつて306内面(ないめん)を放(はな)れた所(ところ)の外面(ぐわいめん)にあらざることを知(し)らねばならない。307内面(ないめん)は人(ひと)の霊(れい)に属(ぞく)し、308人(ひと)の生涯(しやうがい)なるものは、309此(こ)の内面(ないめん)なる霊(れい)(精霊(せいれい))の生涯(しやうがい)に外(ほか)ならないからです。310人(ひと)の身体(しんたい)に生命(せいめい)のあるのは311此(この)精霊(せいれい)に由(よ)るものです。312是(こ)の理(り)によつて人(ひと)はその内面(ないめん)の如(ごと)くに生存(せいぞん)し永遠(えいゑん)に渉(わた)りて変(かは)らず、313不老(ふらう)不死(ふし)の永生(えいせい)を保(たも)つものです。314されど外面(ぐわいめん)は又(また)肉体(にくたい)に属(ぞく)するが故(ゆゑ)に、315死後(しご)は必(かなら)ず離散(りさん)し消滅(せうめつ)し、316其(その)霊(れい)に属(ぞく)して居(ゐ)た部分(ぶぶん)は眠(ねむ)り、317唯(ただ)内面(ないめん)のために、318是(これ)が平面(へいめん)となるに過(す)ぎないのです。319かくて人間(にんげん)の自有(じいう)に属(ぞく)するものと属(ぞく)せざるものとの区別(くべつ)が明(あきら)かになるのであります。320悪人(あくにん)にあつては其(その)言説(げんせつ)を起(おこ)さしむる所(ところ)の外的(ぐわいてき)想念(さうねん)と、321其(その)行動(かうどう)を起(おこ)さしむる所(ところ)の外的(ぐわいてき)意志(いし)とに属(ぞく)するものは、322一(いつ)も以(もつ)て彼(かれ)等(ら)の自有(じいう)と為(な)すべからざるものと知(し)り得(う)るでありませう。323只(ただ)その内面(ないめん)的(てき)なる想念(さうねん)と意志(いし)とに属(ぞく)するもの而己(のみ)が324自有(じいう)を為(な)し得(う)るのであります。325故(ゆゑ)に永遠(えいゑん)の生命(せいめい)に入(い)りたる時(とき)自有(じいう)となるべきものは、326神(かみ)の国(くに)の栄(さか)えのために努力(どりよく)した花実(くわじつ)ばかりで、327其(その)他(た)の一切(いつさい)のものは、328中有界(ちううかい)に於(おい)て剥脱(はくだつ)されるものであります。329アヽ惟神(かむながら)霊(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)。
330(大正一二・五・二四 旧四・九 於竜宮館 加藤明子録)
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