霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第四章 琴(こと)の綾(あや)〔一七九三〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第71巻 山河草木 戌の巻 篇:第1篇 追僧軽迫 よみ(新仮名遣い):ついそうけいはく
章:第4章 琴の綾 よみ(新仮名遣い):ことのあや 通し章番号:1793
口述日:1925(大正14)年11月07日(旧09月21日) 口述場所:祥明館 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1929(昭和4)年2月1日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
玉清別の館から閉め出しを食い、玄真坊はますますダリヤ姫への情欲に身をさいなまれている。
神の子はそこへやってきて、ダリヤとバルギーが逃げたと嘘を教えてからかう。玄真坊とコブライは暗がりの野山をダリヤを追って駆け出す。
一方、ダリヤ姫は、実家に戻るまではバルギーを自分の護衛としておこうと、酒をついでご機嫌を取っている。
バルギーは自分の男らしさを誇ろうと、盗賊をやっていたころの話をするが、逆にダリヤ姫に嫌な顔をされてしまう。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2019-01-11 17:47:11 文字数:5732 OBC :rm7104
愛善世界社版:51頁 八幡書店版:第12輯 517頁 修補版: 校定版:53頁 普及版:23頁 初版: ページ備考:
001 四方(しはう)に堅牢(けんらう)な高塀(たかべい)を囲(めぐ)らした玉清別(たまきよわけ)の神館(かむやかた)の門外(もんぐわい)へ追(お)つぽり出(だ)された天真坊(てんしんばう)は、002現在(げんざい)自分(じぶん)の恋慕(こひした)ふてゐる最愛(さいあい)のダリヤ姫(ひめ)が小泥棒(こどろぼう)のバルギーと共(とも)に、003情緒(じやうちよ)濃(こま)やかに喋々(てふてふ)喃々(なんなん)と暖(あたた)かい夢(ゆめ)を見(み)てゐるかと思(おも)へば、004妬(や)けてたまらず、005如何(いか)にもして、006翼(つばさ)あらば此(この)塀(へい)を乗(のり)越(こ)え、007二人(ふたり)の居間(ゐま)に飛込(とびこ)み、008バルギーの面(つら)を掻(か)きむしり、009髻(たぶさ)を引(ひき)まはし、010鬱憤(うつぷん)を晴(は)らさむと雄猛(をたけ)びし乍(なが)ら、011ウンウンと唸(うな)りつめ、012拳(こぶし)を握(にぎ)つて自分(じぶん)の太股(ふともも)のあたりを、013無性(むしやう)矢鱈(やたら)に擲(なぐ)つてゐる。014コブライは此(この)体(てい)を見(み)て可笑(をか)しくてたまらず、
015『モシ、016天真坊(てんしんばう)様(さま)、017御(ご)化身(けしん)様(さま)、018大変(たいへん)な偉(えら)い雄健(をたけ)びですな。019そらさうでせう、020お肚(はら)の立(た)つのは御尤(ごもつと)もだ。021つぶしに売(う)つたつて千(せん)両(りやう)や二千(にせん)両(りやう)の値打(ねうち)のある美人(びじん)を、022まんまと、023バルギー位(ぐらゐ)に占領(せんりやう)され、024自分(じぶん)は門外(もんぐわい)に追(お)ひ出(だ)され、025指(ゆび)を喰(く)はへて見(み)てるのも余(あんま)り気(き)の利(き)いた話(はなし)ぢやありませぬな。026私(わたし)だつて世(よ)が世(よ)なら、027あのダリヤ姫(ひめ)を女房(にようばう)にして見(み)たい様(やう)な心(こころ)も起(おこ)らぬではありませぬワ。028ダリヤ姫(ひめ)の俤(おもかげ)は、029どこ共(とも)なく優(やさ)しい親(した)しい所(ところ)がありますなア。030私(わたし)だつて一度(いちど)はあの白(しろ)い手(て)を握(にぎ)つて、031共(とも)に山雲(さんうん)海月(かいげつ)の情(じやう)を語(かた)りたいやうな気(き)も致(いた)しますワイ。032縦(たて)から見(み)ても横(よこ)から見(み)ても、033優美(いうび)で高尚(かうしやう)で艶麗(えんれい)で034而(しか)も宗教(しうけう)的(てき)熱情(ねつじやう)に富(と)んだ純朴(じゆんぼく)な心(こころ)が、035あの下膨(しもぶく)れのした垂(た)れ頬(ほほ)に現(あら)はれて居(を)りますからなア』
036 天真坊(てんしんばう)は太(ふと)い吐息(といき)を漏(も)らし乍(なが)ら、
037『俺(おれ)は天性(てんせい)此(この)通(とほ)りの面構(つらがまへ)、038さうだから別(べつ)に恋(こひ)と云(い)ふのでもないが、039コリヤ実際(じつさい)俺(おれ)の心(こころ)から出(で)たのではない。040恋(こひ)は凡(すべ)て神(かみ)から来(きた)るものだ、041結婚(けつこん)は人間(にんげん)のする仕事(しごと)だ。042神(かみ)さまから命(めい)ぜられた神聖(しんせい)の恋(こひ)と感(かん)じてよりの心機(しんき)一転(いつてん)の此(この)行脚(あんぎや)、043思(おも)はず知(し)らず花(はな)のかげを踏(ふ)んで驚(おどろ)く足(あし)を上(あ)げたと044一般(いつぱん)の、0441よそ目(め)にはさぞやさぞ、045バカの白痴(はくち)の骨頂(こつちやう)とも見(み)えるだらうが、046神(かみ)の命(めい)じ玉(たま)ふた此(この)恋愛(れんあい)は047どうあつても成功(せいこう)しなくちやおかない筈(はず)ぢや。048玄真坊(げんしんばう)自身(じしん)としては、049仮令(たとへ)水中(すいちう)の月(つき)、050手(て)にとるを得(え)ず共(とも)、051せめては岸上(がんじやう)の一念(いちねん)、052うたた此(この)境遇(きやうぐう)を甘(あま)んずる丈(だけ)でも結構(けつこう)だが、053何(なん)と云(い)つても、054御(ご)本尊(ほんぞん)の神(かみ)様(さま)が御(ご)承知(しようち)遊(あそ)ばさぬのだから辛(つら)いものだ。055丸切(まるき)り只今(ただいま)の心持(こころもち)は056あたら名玉(めいぎよく)砕(くだ)けて粉(こな)となり失(う)せし心地(ここち)だ。057あーア、058天来(てんらい)の救世主(きうせいしゆ)も恋(こひ)にかかつたら、059からつきし駄目(だめ)かいな』
060コブライ『ハヽヽヽ、061天真坊(てんしんばう)さま、062大変(たいへん)な御(ご)愁歎(しうたん)ですな。063…初(はじ)めは竜虎(りうこ)の如(ごと)く、064終(をはり)は脱兎(だつと)の如(ごと)し…とは貴方(あなた)の心底(しんてい)、065御(ご)境遇(きやうぐう)、066誠(まこと)に早(はや)察(さつ)しまするワイ、067イヒヽヽヽ』
068天(てん)『コリヤ、069コブライ、070バカにするない。071世(よ)の中(なか)は夜(よる)許(ばか)りぢやない、072又(また)昼(ひる)もあるぞ。073何程(なにほど)失恋(しつれん)の淵(ふち)に沈(しづ)んで居(を)つても、074又(また)もや起上(おきあが)る時節(じせつ)があるから、075さう見下(みさ)げたものぢやないワイ』
076コ『それよりも夜明(よあけ)を待(ま)つて、077ダリヤが庭園(ていゑん)をブラつき初(はじ)めたら、078すき塀(べい)の穴(あな)から御(ご)面相(めんさう)なりと拝顔(はいがん)して、079悶々(もんもん)の情(じやう)を消(け)すのですな』
080 悪戯(いたづら)小僧(こぞう)の神(かみ)の子(こ)は、081門(もん)の節穴(ふしあな)から、082ソツと外(そと)を覗(のぞ)いてみると、083うす暗(やみ)の中(なか)に二(ふた)つの影(かげ)が一間(いつけん)許(ばか)り間隔(かんかく)を保(たも)つて、084愁歎話(しうたんばなし)に耽(ふけ)つて居(ゐ)る。
085神(かみ)の子(こ)『オイ、086天真(てんしん)さま、087何(なに)を云(い)つてるんだい。088ダリヤさまはな、089お前(まへ)さまが此処(ここ)へ尋(たづ)ねて来(き)たといふ事(こと)を聞(き)いてビツクリし、090裏口(うらぐち)から一人(ひとり)のおつさまと、091たつた今(いま)の先(さき)、0911東(ひがし)の方(はう)を指(さ)して逃(に)げ出(だ)したよ。092お母(かあ)さまに内証(ないしよ)で、093余(あま)り可哀相(かあいさう)だから、094一寸(ちよつと)知(し)らしに来(き)てやつたのだ。095ダリヤに会(あ)ひたけりや、096早(はや)く行(ゆ)かつしやい、097モウ今(いま)頃(ごろ)は吾子山(あごやま)の麓(ふもと)あたり迄(まで)行(い)つてゐるだろ』
098天(てん)『ナアニ、099ダリヤが逃(に)げたといふのか、100其奴(そいつ)ア大変(たいへん)だ』
101神(かみ)の子(こ)『金城(きんじやう)鉄壁(てつぺき)に囲(かこ)まれてゐるダリヤよりも102外(そと)へ飛(と)び出(だ)したダリヤの方(はう)が、103お前(まへ)の為(ため)には都合(つがふ)が可(よ)いだらう』
104天(てん)『そりや又(また)本当(ほんたう)かい、105嘘(うそ)ぢやなからうな』
106神(かみ)の子(こ)『嘘(うそ)なら嘘(うそ)にしておけやい。107人(ひと)が親切(しんせつ)に、108此(この)眠(ねむ)たいのに知(し)らしてやるのに、109勝手(かつて)にしたが可(よ)かろ、110イヒヽヽヽ』
111と笑(わら)ひ乍(なが)ら、112屋内(をくない)深(ふか)く隠(かく)れて了(しま)つた。113後(あと)に天真坊(てんしんばう)は双手(もろて)をくみ、114少時(しばし)思案(しあん)にくれてゐたが、
115天(てん)『オイ、116コブライ117どうだろ、118本当(ほんたう)だろかな。119あんな事(こと)云(い)つて、120うるさいから俺(おれ)達(たち)を追(お)ひ出(だ)す手段(しゆだん)ぢやなからうか』
121コ『子供(こども)は正直(しやうぢき)ですよ、122ダリヤだつて、123現在(げんざい)天真坊(てんしんばう)さまが、124ここへ来(き)てゐられるのに、125安閑(あんかん)としては居(を)れますまい。126私(わたし)がダリヤだつたら、127キツと逃(に)げ出(だ)しますよ』
128天(てん)『いかにも尤(もつとも)だ、129サア、130コブライ、131半時(はんとき)の猶予(いうよ)もならぬ、132サア行(ゆ)かう』
133と薄暗(うすくら)がりの野路(のみち)を、134転(こけ)つ輾(まろ)びつ、135吾子山(あごやま)の方面(はうめん)さして駆(かけ)りゆく。
136 ダリヤ姫(ひめ)は離(はな)れの間(ま)に、137平気(へいき)の平左(へいざ)で、138スガの港(みなと)へ帰(かへ)る迄(まで)は、139巧(うま)く此(この)バルギーをチヨロまかしおかむものと、140一生(いつしやう)懸命(けんめい)に酒(さけ)をすすめて機嫌(きげん)をとつてゐる。
141ダリヤ『最(もつと)も敬愛(けいあい)するバルギーさまえ、142本当(ほんたう)に天真坊(てんしんばう)といふ奴(やつ)、143気(き)の利(き)かねい売僧(まいす)坊主(ばうず)ぢやありませぬか。144妾(あたえ)と貴方(あなた)と玉清別(たまきよわけ)さまのお館(やかた)に斯(か)うして、145ゆつくりとお酒(さけ)を汲(く)みかはし、146恋(こひ)の未来(みらい)を楽(たのし)んで遊(あそ)んでゐるに、147此(この)家(や)の奥(おく)さまに追(お)ひ出(だ)され、148門(もん)の外(そと)でベソをかいてゐるといふ事(こと)、149本当(ほんたう)に一掬(いつきく)同情(どうじやう)の涙(なみだ)をそそいでやりたくなるぢやありませぬか』
150 バルギーはあわてて、
151『ソヽそりや何(なに)を仰有(おつしや)る、152ヤツパリ姫(ひめ)さまは天真坊(てんしんばう)に一掬(いつきく)同情(どうじやう)の涙(なみだ)を注(そそ)ぎたいやうな心持(こころもち)がするのですか、153そりや大変(たいへん)だ。154私(わたし)だつて、155姫(ひめ)様(さま)の御(お)心持(こころもち)がそんな事(こと)だつたら、156安心(あんしん)は出来(でき)ないぢやありませぬか、157仮令(たとへ)一命(いちめい)をすてても姫(ひめ)様(さま)の為(ため)には悔(く)いないといふ私(わたし)の決心(けつしん)ですのに……』
158と血相(けつさう)変(か)へる。
159ダリ『ホヽヽ嘘(うそ)ですよ、160世間(せけん)に対(たい)する義理(ぎり)一遍(いつぺん)の辞令(じれい)ですワ。161仮令(たとへ)心(こころ)の中(なか)は如何(どう)でも妾(わらは)は女(をんな)ですからね、162男(をとこ)さまの様(やう)な赤裸々(せきらら)なこた云(い)へないでせう』
163バル『ウーン成程(なるほど)、164分(わか)つてる。165エー、166それで俺(おれ)もチツと許(ばか)り安心(あんしん)した。167然(しか)し乍(なが)ら姫(ひめ)さま、168僕(ぼく)に対(たい)する御(ご)誓約(せいやく)も其(その)伝(でん)ぢやありませぬか。169厭(いや)なら厭(いや)と、170赤裸々(せきらら)に今(いま)の間(うち)に云(い)つて貰(もら)はなくちや、171最後(さいご)の壇(だん)の浦(うら)迄(まで)行(い)つた所(ところ)で、172エツパツパとやられちやたまりませぬからな。173何(なん)と云(い)つても僕(ぼく)の面(かほ)は恋愛(れんあい)に対(たい)しては険呑(けんのん)千万(せんばん)な御(ご)面相(めんさう)だから、174気(き)がもめて堪(たま)りませぬワ』
175ダリ『ホヽヽそんな御(ご)懸念(けねん)は御(ご)無用(むよう)にして下(くだ)さいませ。176何(なに)程(ほど)容貌(おとこまへ)がよくても、177気甲斐性(きがひしやう)のない男子(だんし)はダメですワ。178今(いま)の世(よ)の中(なか)は一程(いちほど)二金(にかね)三容貌(さんきれう)ですからね、179何(なに)程(ほど)容色(きれう)が悪(わる)くつても、180金(かね)がなくつても、181程(ほど)さへよけら女(をんな)が吸(すい)付(つ)きますよ。182私(わたし)だつてバルギーさまに惚(ほ)れたのは、183容色(きれう)でもなし、184金(かね)でもなし、185又(また)金(かね)や容色(きれう)を望(のぞ)んだ所(ところ)で、186からきし、187ダメですもの、188肝腎要(かんじんかなめ)の恋男(こひをとこ)になくてはならない第一(だいいち)の美点(びてん)、189程(ほど)のよいのに惚(ほれ)たのですワ』
190バル『そゝそれ程(ほど)、191僕(ぼく)は程(ほど)が好(よ)くみえるかな。192余程(よつぽど)お気(き)に入(い)つたとみえるな、193エヘヽヽ』
194ダリ『金(かね)や容色(きれう)はどうでもよいが
195 程(ほど)のよいのにわしや惚(ほれ)た。
196といふやうなものですワイ、197ホヽヽヽ』
198バル『ナール程(ほど)、199程(ほど)なる哉(かな)程(ほど)なる哉(かな)だ。200これ程(ほど)迄(まで)に惚込(ほれこ)んだ女(をんな)をみすてやうものなら、201女冥加(をんなみやうが)に尽(つ)きやう程(ほど)に、202梵天(ぼんてん)帝釈(たいしやく)自在天(じざいてん)、203オツトドツコイ、204三五教(あななひけう)の大神(おほかみ)さまに誓(ちか)つて、205万劫(まんご)未代(まつだい)ダリヤの君(きみ)はすてませぬ。206どうか御(ご)安心(あんしん)なすつて下(くだ)さいませ、207おん嬶(かか)大明神(だいみやうじん)様(さま)』
208ダリ『イヤですよ、209おん嬶(かか)大明神(だいみやうじん)なんて、210未来(みらい)の女房(にようばう)と云(い)つて下(くだ)さいな』
211バル『其(その)未来(みらい)丈(だけ)除(と)つて欲(ほ)しいな、212肩書(かたがき)があると何(なん)だか窮屈(きうくつ)でたまらないワ。213海軍(かいぐん)大将(たいしやう)だとか、214何々(なになに)局長(きよくちやう)だとか肩書(かたがき)があると、215知(し)らず識(し)らずの間(あひだ)に官僚(くわんれう)気分(きぶん)になつて、216心(こころ)までが四角(しかく)ばつて仕方(しかた)のないものだ、217どうか未来(みらい)といふ肩書(かたがき)をここで削除(さくぢよ)して頂(いただ)けませぬかな、218ダリヤ姫(ひめ)の君様(きみさま)』
219ダリ『ホヽヽヽ気(き)の短(みじか)い事(こと)仰有(おつしや)いますこと、220一(いち)秒間(べうかん)先(さき)でも未来(みらい)ですよ。221未来(みらい)と云(い)つたら、222さう遠(とほ)いものぢやありませぬワ。223どうぞこうぞスガの港(みなと)迄(まで)送(おく)つて下(くだ)さいましたら、224妾(あたい)がお父(とう)さまやお兄(にい)さまに御(お)願(ねがひ)して、225合衾(がふきん)の式(しき)を挙(あ)げたいと思(おも)つてゐますのよ。226どこから見(み)ても申分(まをしぶん)のない程(ほど)のよい殿(との)たちだこと、227ホヽヽヽ、228頬辺(ほほべた)が知(し)らぬ間(ま)に赤(あか)くなりましたわ。229心臓(しんざう)の動悸(どうき)が烈(はげ)しくなり、230警鐘(けいしやう)乱打(らんだ)の声(こゑ)が胸(むね)に響(ひび)いてゐますワ』
231バル『頬辺(ほほべた)が赤(あか)くなつたのは葡萄酒(ぶだうしゆ)を呑(の)んだ加減(かげん)ぢやないか、232甘(うま)い事(こと)云(い)つて、233僕(ぼく)を……俺(おれ)を誤魔化(ごまくわ)すのぢやあるまいな』
234ダリ『どしてどして、235孱弱(かよわ)い女(をんな)の身(み)でゐ乍(なが)ら、236仁王(にわう)の荒削(あらけづり)みたいな、237程(ほど)の好(よ)い殿(との)たちを騙(だま)してすみますか、238男冥加(をとこみやうが)に尽(つ)きますからね』
239バル『どうか、240御(ご)変心(へんしん)なき様(やう)に頼(たの)んでおきますよ、241猪鹿(ちよか)つきて良狗(りやうく)煮(に)らるる事(こと)のない様(やう)にね』
242ダリ『ホヽヽ、243御念(ごねん)には及(およ)びますまい、244羽織(はおり)の紐(ひも)ですから……ね』
245バル『妾(わらは)の胸(むね)においてあるといふのか、246よし、247分(わか)つてる。248併(しか)し姫(ひめ)さま、249クラヴィコードが此処(ここ)にあるぢやないか、250一(ひと)つ弾(だん)じて貰(もら)ふ訳(わけ)にや参(まゐ)りますまいかな』
251 バルギーは自分(じぶん)の女房(にようばう)にしたやうな気(き)もするなり、252又(また)何処(どこ)ともなしに犯(をか)し難(がた)き気高(けだか)い他人(たにん)の嬢(ぢやう)さまの如(や)うな気(き)もするなり、253きたなく言葉(ことば)を使(つか)つてみたり、254丁寧(ていねい)に云(い)つてみたり255妙(めう)な心理(しんり)情態(じやうたい)に陥(おちい)つてゐる。256ダリヤは傍(かたはら)のクラヴィコードを手(て)にとり、257糸(いと)をしめ直(なほ)し乍(なが)ら、258無聊(ぶれう)を慰(なぐさ)むる為(ため)、259さしかまへのない、260子供(こども)の時(とき)に覚(おぼ)えておいた唄(うた)を唄(うた)ひ出(だ)した。
261『唄(うた)はどこでもかけ行(ゆ)く
262子供(こども)と仲(なか)よくはねまわる。
263シヤシヤ シヤンシヤン
264歌(うた)は花(はな)さく木(き)にみのる
265小鳥(ことり)がそれをついばむよ
266シヤシヤ シヤンシヤンシヤン
267歌(うた)は月夜(つきよ)の笛(ふえ)の音(ね)に
268合(あは)せて遠(とほ)く響(ひび)きます
269シヤシヤ シヤンシヤンシヤン
270歌(うた)は心(こころ)の噴水(ふんすい)よ
271涙(なみだ)にみちる微笑(ほほゑみ)よ
272シヤシヤ シヤンシヤンシヤン
273歌(うた)はきらめく玉(たま)の音(おと)
274やさしく清(きよ)き思出(おもひで)よ
275シヤシヤ シヤンシヤンシヤン
276唄(うた)は世界(せかい)を洗(あら)ふ波(なみ)
277舟(ふね)は勇(いさ)んで出(で)かけます
278シヤシヤ シヤンシヤン
279歌(うた)はすべての息(いき)よ
280命(いのち)の終(をは)る鐘(かね)の音(ね)よ
281シヤシヤ シヤーンシヤーン
282モウこれで怺(こら)へて貰(もら)ひませう、283永(なが)らく弾(ひ)かないので、284糸(いと)のねじめが思(おも)ふ様(やう)になりませぬからね』
285バル『ヤア感心(かんしん)々々(かんしん)、286生(うま)れてから始(はじ)めて、287クラヴィコードの音(ね)をきいた、288何(なん)とマア琴(こと)といふものは殊(こと)の外(ほか)よい音(ね)の出(で)るものだな。289それに姫(ひめ)の声(こゑ)といひ、290様子(やうす)といひ、291程(ほど)といひ、292中々(なかなか)素敵(すてき)滅法界(めつぱふかい)な天下(てんか)の逸品(いつぴん)だつたよ』
293ダリ『ホヽヽヽ、294貴方(あなた)何(なん)ですか、295クラヴィコードの音(ね)を聞(き)いた事(こと)がないとは、296余(あま)り無風流(ぶふうりう)ぢやありませぬか。297スガの港(みなと)辺(あたり)では、298裏長屋(うらながや)のお婆(ばあ)さまでも琴(こと)を弾(だん)じない人(ひと)はありませぬよ。299男(をとこ)だつて大抵(たいてい)の人(ひと)は弾奏(だんそう)の術(わざ)には馴(な)れてゐますからね』
300バル『イヤ、301成程(なるほど)302々々(なるほど)303々々(なるほど)、304可(よ)い音(ね)の出(で)るものだ。305それで琴(こと)をひく女(をんな)を、306可(よ)いねいさまといふのだな、307分(わか)つてる』
308ダリ『ホヽヽヽ、309琴(こと)のよい音(ね)が出(で)るから、310ねえさまなんて、311可(よ)いかげんに呆(とぼ)けておきなさいませ。312殊(こと)の外(ほか)文盲(もんまう)な男(をとこ)さまですね、313妾(あたい)そんな事(こと)聞(き)くと、314さつぱり厭気(いやけ)がさして来(き)ますワ』
315 バルギーはあわてて、316手(て)をふり乍(なが)ら、
317『イヤイヤイヤ、318さうぢやない さうぢやない、319一寸(ちよつと)テンゴに云(い)つてみたのだ、320俺(おれ)だつてクラヴィコードは知(し)つてるよ、321天下(てんか)の妙手(めうしゆ)と評判(ひやうばん)をとつた俺(おれ)だものなア』
322ダリ『成程(なるほど)……鼠(ねずみ)捕(と)る猫(ねこ)は爪(つめ)かくす……とか云(い)ひましてな、323人(ひと)はどんな隠芸(かくしげい)を持(も)つてゐるか分(わか)りませぬな、324本当(ほんたう)に琴(こと)の名人(めいじん)であり乍(なが)ら、325知(し)らぬ面(かほ)をして御座(ござ)る其(その)ゆかしさ326程(ほど)のよさ、327それが第一(だいいち)、328妾(あたい)は気(き)に入(い)つてますのよ。329今(いま)の世(よ)の中(なか)の人(ひと)は、330知(し)らぬ事(こと)でも知(し)つたらしう云(い)ひたがるものですからな』
331バル『ウン、332そらさうだ、333よく分(わか)る、334イヤ、335分(わか)つてる、336知(し)つても知(し)らぬ面(かほ)するのが床(ゆか)しいのだ、337そこに男子(だんし)の価値(かち)が十二分(じふにぶん)に伏在(ふくざい)してると云(い)ふものだ。338所謂(いはゆる)謙遜(けんそん)の美徳(びとく)といふものだ、339謙遜(けんそん)の美徳(びとく)即(すなは)ち人格(じんかく)をなす所以(ゆゑん)のものだ。340時世(ときよ)時節(じせつ)で、341泥棒(どろばう)の仲間(なかま)へ入(はい)つてをつたものの、342元(もと)が元(もと)だからの』
343ダリ『ホヽヽヽ何(なん)だか知(し)りませぬが、344泥棒(どろばう)の小頭(こがしら)では、345人格(じんかく)問題(もんだい)を云々(うんぬん)する訳(わけ)にも行(ゆ)きますまい。346それはさうと、347妾(あたい)が弾奏(だんそう)しました返礼(へんれい)として、348一(ひと)つ貴方(あなた)唄(うた)をうたひ、349コードを弾(だん)じて、350程好(ほどよ)い音色(ねいろ)を聞(き)かして下(くだ)さいな』
351バル『ウーン、352コトと品(しな)によつたら弾(だん)じない事(こと)はないが、353これはお前(まへ)と四海波(しかいなみ)謡(うた)ふ時(とき)迄(まで)保留(ほりう)しておこうかい、354でないと隠芸(かくしげい)とは云(い)はないからな。355お前(まへ)の親(おや)や兄弟(きやうだい)をアツと云(い)はせる仕組(しぐみ)だからな』
356ダリ『ホヽヽヽ、357何(なん)とマア程(ほど)のよい御(ご)挨拶(あいさつ)だこと、358サ、359今(いま)となつた時(とき)にや、360お酒(さけ)に酔(よ)ひつぶれたやうな面(かほ)して、361寝込(ねこ)んで了(しま)ふ今(いま)から野心(したごころ)でせう。362其(その)指先(ゆびさき)ではどうもコードを扱(あつか)はれた形跡(けいせき)がないぢやありませぬか、363妾(あたい)の指(ゆび)をみて御覧(ごらん)、364此(この)通(とほ)り堅(かた)い筋(すぢ)が出来(でき)て居(を)りますよ』
365バル『俺(おれ)のはな、366素掻(すがき)と云(い)つて、367爪(つめ)の先(さき)許(ばか)りで弾奏(だんそう)するのだ。368それが名物(めいぶつ)となつてるのだ、369爪(つめ)の奴(やつ)伸(の)びるでチヨイチヨイ切(き)るものだから、370今(いま)は爪先(つまさき)に筋(すぢ)がないのだ。371マア、372疑(うたが)はずに待(ま)つてくれ、373俺(おれ)のは御(ご)神前(しんぜん)か何(なに)かでやるのだからな、374シヤツチン シヤツチン シヤツチンチン……と、375そら本当(ほんたう)に可(よ)い音色(ねいろ)だよ』
376ダリ『御(ご)神前(しんぜん)でシヤツチン シヤツチンやるのは、377そら八雲(やくも)でせう』
378バル『八雲(やくも)でも小雲(こくも)でも琴(こと)に間違(まちがひ)はないぢやないか』
379ダリ『あ、380そんなら、381此(この)八雲琴(やくもごと)を拝借(はいしやく)して、382妾(あたい)を平和(へいわ)の女神(めがみ)さまと仮定(かてい)し、383一(ひと)つ弾奏(だんそう)してみて下(くだ)さいな』
384 バルギーは頭(あたま)を頻(しき)りに掻(か)き乍(なが)ら、
385『ヤア、386ダリヤ殿(どの)、387実(じつ)の所(ところ)は嘘(うそ)だ嘘(うそ)だ、388琴(こと)なんか持(も)つた事(こと)もないのだ。389これ許(ばか)りは閉口(へいこう)頓首(とんしゆ)する』
390ダリ『ホヽヽ、391それ聞(き)いて、392妾(あたい)安心(あんしん)しましたワ、393琴(こと)なんか女(をんな)の弄(もてあそ)ぶものですワ、394男(をとこ)が琴(こと)を弾(だん)ずるのは伶人(れいじん)許(ばか)りですワ、395伶人(れいじん)なんか何時(いつ)も貧乏(びんばふ)で、396祭典(さいてん)の時(とき)なんか、397横(よこ)の方(はう)に席(せき)を拵(こしら)へて貰(もら)ひ、398ミヅバナたらして慄(ふる)ふてるのですもの、399そんな者(もの)にロクな者(もの)はありませぬからね、400男子(だんし)は男子(だんし)でヤツパリ荒(あら)つぽい事(こと)好(この)む方(はう)が、401何程(なにほど)立派(りつぱ)だか知(し)れませぬワ』
402バル『ヘヽヽヽ、403成程(なるほど)御尤(ごもつと)も、404分(わか)つてる、405そらさうだ、406お前(まへ)の仰有(おつしや)る通(とほ)り、407俺(おれ)の聞(き)く通(とほ)りだ。408荒(あら)つぽい事(こと)と云(い)つたら、409高塀(たかべい)をのりこえ、410大刀(だんびら)を引提(ひつさ)げて大家(たいけ)へ飛(と)び込(こ)み、411コラツと一声(いつせい)かけるが否(いな)や、412何奴(どいつ)も此奴(こいつ)もビリビリツとちぢみ上(あが)り、413生命(いのち)より大切(だいじ)に貯(たくは)へておいた山吹色(やまぶきいろ)をおつぽり出(だ)して手(て)を合(あは)して拝(をが)むのだから、414偉(えら)いものだろ』
415ダリ『貴方(あなた)ヤツパリ泥棒(どろばう)やつてゐたのですね、416泥棒(どろばう)なんか夫(をつと)に有(も)つこた厭(いや)ですワ』
417バル『ヤ昔(むかし)は昔(むかし)、418今(いま)は今(いま)だ、419改心(かいしん)して三五教(あななひけう)に入(はい)り、420薬屋(くすりや)の主人(しゆじん)となつた以上(いじやう)は泥棒(どろばう)なんかするものか、421お前(まへ)の内(うち)は富豪(ふうがう)だから何時(いつ)泥棒(どろばう)が入(はい)るか知(し)れない、422其(その)時(とき)は俺(おれ)が泥棒(どろばう)の要領(こつ)を覚(おぼ)えてるを幸(さいはひ)、423反対(あべこべ)に泥棒(どろばう)を赤裸(まつぱだか)にひきめくり、424他所(よそ)で盗(と)つて来(き)た物(もの)を捲上(まきあ)げて了(しま)つてやるのだ。425これからスガの港(みなと)まで帰(かへ)るには、426まだ大分(だいぶん)道程(みちのり)もあるから、427若(も)し途中(とちう)で泥棒(どろばう)でも出(で)よつてみよ、428俺(おれ)が一目(ひとめ)睨(にら)んだら、429何奴(どいつ)も此奴(こいつ)も蜘蛛(くも)の子(こ)を散(ち)らす如(ごと)く逃(に)げるのだから、430本当(ほんたう)にこんな夫(をつと)と道伴(みちづ)れになつて居(を)れば安心(あんしん)なものだよ』
431ダリ『成程(なるほど)、432それ承(うけたま)はつて安心(あんしん)致(いた)しました。433サアモウ夜(よ)も更(ふ)けましたから、434やすもうぢやありませぬか、435お泥(どろ)さま』
436バル『チヱツ、437要(い)らぬ事(こと)いふものぢやない、438意地(いぢ)の悪(わる)い姫(ひめ)様(さま)だな』
439 二人(ふたり)は間(ま)をへだてて漸(やうや)く寝(しん)についた。
440(大正一四・一一・七 旧九・二一 於祥明館 松村真澄録)
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