霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第九章 踏違(ふみちが)ひ〔一七九八〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第71巻 山河草木 戌の巻 篇:第2篇 迷想痴色 よみ(新仮名遣い):めいそうちしき
章:第9章 踏違ひ よみ(新仮名遣い):ふみちがい 通し章番号:1798
口述日:1926(大正15)年01月31日(旧12月18日) 口述場所:月光閣 筆録者:北村隆光 校正日: 校正場所: 初版発行日:1929(昭和4)年2月1日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
春山峠の南に、春山村という小部落があった。その一軒家にカンコという男が、名前も知れぬ病にかかって臥せっていた。
友人のキンスが見舞いにやってくる。キンスは病の原因を尋ねる。
カンコは、去年の夏にタラハン市の呉服屋に行き、そこで買い物をした時、呉服屋の娘インジンに恋焦がれてしまった。その後、インジンがカンコの家までわざわざやってきて、何か書き物をくれたのだが、それが恋文じゃないかと思ったとたん、病に臥せってしまったのだと言う。
キンスは、字の読めないカンコに代わって、その書き物を読んでやる。それは、カンコが買った木綿の請求書であった。
キンスは気の病を治すためには申の年・申の月・申の日・申の刻に生まれた女の生胆が効くという噂を信じて、友の恋の病を治すために、自分の妹の生胆をとろうとする。
妹のリンジャンを呼んでくるが、そこへ玄真坊一行が暴れこんできて金銭を要求する。
玄真坊はリンジャンの美貌を見て、気を引こうと、にわかに僧侶となり、自分は二人の泥棒からリンジャンを守ろうとしたのだ、と格好をつける。
しかしリンジャンは玄真坊の顔を見て、自分の妹をだまして汚したオーラ山の偽救世主だと見破り、役人を呼ぼうと外へ駆け出してしまった。
玄真坊らは役人が来る前にさっさと逃げ出してしまう。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:0000-00-00 00:00:00 文字数:5364 OBC :rm7109
愛善世界社版:118頁 八幡書店版:第12輯 542頁 修補版: 校定版:122頁 普及版:56頁 初版: ページ備考:
001 春山峠(はるやまたうげ)の南麓(なんろく)に春山村(はるやまむら)と云(い)ふ全戸数(ぜんこすう)七八戸(しちはちこ)の小部落(せうぶらく)が彼方(あなた)此方(こなた)に散(ち)らばつてゐる。002何(いづ)れの家(いへ)も軒(のき)は傾(かたむ)き、003壁(かべ)はおち、004別(べつ)に煙突(えんとつ)はなくとも壁(かべ)の落(お)ちた碁盤形(ごばんがた)の壁下地(かべしたぢ)の穴(あな)から、005赤黒(あかぐろ)い煙(けむり)が朝晩(あさばん)に立上(たちのぼ)つてゐる。006此(この)村(むら)の一番(いちばん)高(たか)い景勝(けいしよう)の位置(ゐち)を占(し)めた一軒家(いつけんや)にはカンコと云(い)ふ一人(ひとり)の男(をとこ)が名(な)のつかぬ病(やまひ)にかかつて007日々(ひび)なす事(こと)もなく破(やぶ)れ蒲団(ぶとん)の上(うへ)に息(いき)づいてゐる。008太陽(たいやう)が七(なな)つ下(さが)りと覚(おぼ)しき頃(ころ)、009カンコの友人(いうじん)キンスがやつて来(き)て、010斜(はすかひ)になつた戸(と)をガラリと開(あ)け乍(なが)ら、
011キンス『オイ、012兄貴(あにき)、013エー、014人(ひと)の噂(うはさ)に聞(き)けば此(この)頃(ごろ)は、015お前(まへ)も何(なん)だかブラブラと体(からだ)が勝(すぐ)れぬやうだが、016一体(いつたい)どうしたと云(い)ふのだい。017俺(おれ)ア昨日(きのふ)タラハン市(し)から帰(かへ)つて来(き)たのでチツともお前(まへ)の事(こと)も知(し)らず訪問(はうもん)にも来(こ)ないで、018本当(ほんたう)にすまなかつたよ』
019カンコ(元気(げんき)ナイ声(こゑ)で)『オー、020お前(まへ)は友達(ともだち)のキンスだな、021そらよう来(き)てくれた。022マアマアマア茶(ちや)でも沸(わ)かして飲(の)んでくれ。023そして序(ついで)に俺(おれ)にも、024一杯(いつぱい)、025うまさうな処(ところ)を飲(の)まして欲(ほ)しいものだな』
026キ『ヨシ、027お前(まへ)の事(こと)なら茶(ちや)も沸(わ)かしてやらう、028鰥暮(やもめぐら)しでは、029飯焚(めしたき)にも困(こま)つてゐるだらう、030早(はや)う、031いい嬶(かか)でも貰(もら)つたがよからう。032独身(どくしん)生活(せいくわつ)もよいやうなものの、033人間(にんげん)と云(い)ふものは、034何時(なんどき)体(からだ)に変化(へんくわ)が来(く)るか分(わか)つたものぢやないからのう。035乞食(こじき)の子(こ)でもいいから女(をんな)と名(な)のついたものを探(さが)して来(き)てお前(まへ)に世話(せわ)してやらうと思(おも)ふがな、036今時(いまどき)の女(をんな)は、037何奴(どいつ)も此奴(こいつ)も生意気(なまいき)になつてゐやがつてな、038風(かぜ)がふいた位(くらゐ)ぢや、039其処(そこ)らあたりには落(お)ちては居(を)りくさらぬのだ。040俺(おれ)の親父(おやぢ)の話(はなし)によると、041昔(むかし)は女(をんな)と云(い)ふ奴(やつ)は三界(さんかい)に家(いへ)なしとか云(い)つて042本当(ほんたう)に男(をとこ)に対(たい)しては頭(あたま)の上(あが)らないものだつたさうな、043殆(ほとん)ど奴隷(どれい)扱(あつか)ひ玩具(おもちや)扱(あつか)ひをされて居(を)つたさうだが、044今時(いまどき)の女(をんな)は体(からだ)の達者(たつしや)な奴(やつ)は工女(こうぢよ)になつて大会社(だいくわいしや)に抱(かか)へられよる、045電話(でんわ)の交換手(かうくわんしゆ)から自動車(じどうしや)の運転手(うんてんしゆ)、046役場(やくば)の書記(しよき)から巡査(じゆんさ)に迄(まで)採用(さいよう)され、047一人前(いちにんまへ)の男(をとこ)と肩(かた)を並(なら)べて歩(ある)くのみか、048自分(じぶん)の人間(にんげん)としての一番(いちばん)快楽(くわいらく)な事(こと)をするにしても、049男子(だんし)から金(かね)をとり、050高等(かうとう)内侍(ないじ)になつたり、051辻君(つじぎみ)になつたり、052それはそれは女(をんな)の職業(しよくげふ)と云(い)ふものは、053あり余(あま)つて居(ゐ)るのだから、054仲々(なかなか)女(をんな)の廃物(すたりもの)がないので、055俺(おれ)もヤツパリ独身(どくしん)生活(せいくわつ)を続(つづ)けてゐるのだ。056此(この)頃(ごろ)の男子(だんし)と云(い)ふものは、057それを思(おも)ふと、058女(をんな)にはチツトも頭(あたま)が上(あが)りはせないワ。059まるつきり女(をんな)の世界(せかい)だ。060此(この)間(あひだ)も愛国(あいこく)婦人会(ふじんくわい)を覗(のぞ)いて来(き)たが、061何奴(どいつ)も此奴(こいつ)も女(をんな)計(ばか)りだつたよ』
062カ『そら、063さうだらうのう、064俺(おれ)は、065もう、066何(なん)だか、067バーツとしてしまつたのだ』
068キ『バーツとしたつて、069何処(どこ)がバーツとしたのだい、070病気(びやうき)が起(おこ)つたと云(い)ふのか』
071カ『ウン、072トツト、073モウ、074何(なん)の事(こと)アない、075バーツとして、076ネツから気分(きぶん)が勝(すぐ)れぬのだ』
077キ『フン、078さうすると、079病気(びやうき)だな』
080カ『病気(びやうき)か何(なに)か知(し)らぬが、081俺(おれ)は病(やまひ)だ』
082キ『病(やまひ)も病気(びやうき)も同(おな)じ事(こと)ぢやないか』
083カ『それが、084バーツとした病(やまひ)だ』
085キ『バーツとした初(はじ)まりは如何(どう)ぢやつたのだい』
086カ『バーツとした病(やまひ)の初(はじ)まりは健康体(けんかうたい)だ』
087キ『健康体(けんかうたい)は定(きま)つてるぢやないか、088バーツとした原因(げんいん)を聞(き)かせと云(い)ふのだよ』
089カ『原因(げんいん)か、090ウン、091ヤツパリ、092淫(いん)だ、093淫欲(いんよく)から起(おこ)つてバーツとしたのだ』
094キ『淫欲(いんよく)から起(おこ)つてバーツとした、095ねつからバーツとしないぢやないか、096お前(まへ)と俺(おれ)との間(あひだ)だから、097何(なに)も隠(かく)す事(こと)はない、098お前(まへ)の為(ため)には、099どんな事(こと)でもする覚悟(かくご)だ、100竹馬(ちくば)の友(とも)ぢやないか、101大方(おほかた)心(こころ)の煩悶病(はんもんびやう)だらう、102包(つつ)まず隠(かく)さず俺(おれ)に云(い)つて聞(き)かせろ』
103カ『笑(わら)はへんか、104大方(おほかた)笑(わら)ふだらう、105ヤツパリ、106やめとこか、107あーア、108バーツとした』
109キ『何(なに)、110笑(わら)ふものかい、111しつかり云(い)ひ玉(たま)へ』
112カ『そんなら、113どこ迄(まで)も笑(わら)はせんな』
114キ『ウン、115断(だん)じて笑(わら)はぬ、116サアサア云(い)ふたり云(い)ふたり』
117カ『そんなら、118云(い)ふがな、119俺(わし)が去年(きよねん)の夏(なつ)だつたか、120タラハン市(し)の三(み)つ丸屋(まるや)へ褌(まはし)を一丈(いちぢやう)買(か)ひに行(い)つたのだ、121そした所(ところ)が、122そこの三(み)つ丸(まる)呉服屋(ごふくや)の娘(むすめ)さまに、123インジンと云(い)ふ別嬪(べつぴん)があつたのだ。124それから……バーツとしたのやな』
125キ『アツハヽヽヽ、126何故(なぜ)又(また)一丈褌(いちぢやうまはし)を買(か)ひに行(い)つたのだい』
127カ『七(しち)尺(しやく)は褌(まはし)にして、128残(のこ)りの三尺(さんじやく)を手拭(てぬぐひ)にしようと思(おも)つてな、129一丈(いちぢやう)の褌(まはし)を切(き)つて下(くだ)さいと云(い)つたら、130インジンさまが、131俺(おれ)の名(な)を、132細(こま)こう聞(き)いてな、133「春山村(はるやまむら)のカンコさまですか、134お金(かね)はいいから、135まア持(も)つて帰(かへ)つて下(くだ)さい」と云(い)つてな、136キレイな白魚(しらうを)のやうな手(て)でな、137褌(まはし)を御(ご)丁寧(ていねい)に包(つつ)んでな、138俺(おれ)の懐(ふところ)に突込(つつこ)んで下(くだ)さつたのだ。139それからやさしい、140何(なん)とも云(い)へぬ目付(めつき)をしてな、141「又(また)来(き)て下(くだ)さいよ」と仰有(おつしや)つたのだ。142その顔(かほ)見(み)るなり、143俺(わし)はな、144バーツとして目(め)がまひさうになつたのだ。145それからヤツトの事(こと)で宅(うち)へ帰(かへ)つて来(き)て、146此(この)褌(まはし)は自分(じぶん)の股(また)にするのは勿体(もつたい)ない、147手拭(てぬぐひ)にするのも勿体(もつたい)ないと148床(とこ)の間(ま)にブラ下(さ)げて毎日(まいにち)日日(ひにち)拝(をが)んでゐたのだ。149さうすると、150其(その)褌(まはし)の中(なか)からインジンさまの、151やさしい姿(すがた)がボーツと顕(あら)はれて来(く)る、152その度(たび)毎(ごと)に俺(おれ)の体(からだ)がバーツとするのだ。153それから月末(げつまつ)になると、154カランコロン カランコロンと駒下駄(こまげた)の音(おと)がしたと思(おも)へば、155やさしい声(こゑ)で「あのカンコさまのお宅(たく)はここで御座(ござ)いますか、156私(わたし)はタラハン市(し)の三(み)つ丸屋(まるや)のインジンで御座(ござ)います。157一寸(ちよつと)ここあけて下(くだ)さい」と云(い)ふ声(こゑ)がするので、158夢(ゆめ)か現(うつつ)か幻(まぼろし)ぢやないかと思(おも)ひ乍(なが)ら門(かど)の戸(と)を開(あ)けて見(み)ると、159鬼(おに)でも掴(つか)むやうな男衆(をとこしう)つれて、160やさしい声(こゑ)で「ア、161カンコさま、162毎度(まいど)御(ご)贔屓(ひいき)に」と云(い)つて、163何(なん)だか書(か)いたものを下(くだ)さつたのだ。164何(なん)だかあまり長(なが)くない、165人(ひと)の云(い)ふ三行(みくだ)り半(はん)位(くらゐ)だから、166之(これ)は不思議(ふしぎ)、167まだ結婚(けつこん)してゐないのだから、168之(これ)は離縁状(りえんじやう)ぢやあるまいし、169結婚(けつこん)の申込(まをしこみ)ぢやないかと思(おも)つた途端(とたん)に、170バーツとして、171そこへ倒(たふ)れて了(しま)つた。172やつとの事(こと)で、173気(き)がついて見(み)ればインジンさまの姿(すがた)は見(み)えず、174隣村(となりむら)の薮井(やぶゐ)竹庵(ちくあん)さまが見(み)えて、175介抱(かいはう)してくれておつた。176それから毎日(まいにち)日々(ひにち)体(からだ)はやせる許(ばか)りで、177コレ、178此(この)通(とほ)り体(からだ)も骨(ほね)と皮(かは)許(ばか)りになり179竹細工(たけざいく)に濡紙(ぬれがみ)を貼(は)つたやうに筋(すぢ)許(ばか)りになつて了(しま)つたのだ』
180キ『オイ、181その書物(かきもの)を見(み)せて見(み)よ、182俺(おれ)が読(よ)んでやらう、183お前(まへ)は無学(むがく)だからのう』
184カ『竹庵(ちくあん)さまに読(よ)んで貰(もら)はふと何遍(なんべん)思(おも)つたかしれないが、185あんまり恥(はづか)しいから隠(かく)してゐたのだ。186笑(わら)はんでくれ、187そして秘密(ひみつ)を守(まも)つてくれよ』
188と大切(たいせつ)さうに懐(ふところ)から書物(かきもの)を捻(ね)ぢ出(だ)す。189キンスは手早(てばや)く、190書物(かきもの)をとつて
 
191   覚(おぼえ)
192 一、193白木綿(しろもめん)一丈(いちぢやう)、
194 右(みぎ)代金(だいきん)四拾八(しじふはつ)銭(せん)也(なり)   三(み)つ丸屋(まるや)、
195  春山村(はるやまむら)のカンコ様(さま)
 
196と読(よ)み上(あ)げ、
197キ『ハヽア、198此奴(こいつ)ア褌(まはし)の妄念(まうねん)だ、199四十八(しじふはつ)銭(せん)の金(かね)を受取(うけと)りに来(き)たのだ。200恋文(こひぶみ)でも結婚(けつこん)申込書(まをしこみしよ)でも何(なん)でもないワ、201チツと夢(ゆめ)を覚(さま)さないか、202何(なん)だ、203恋病(こひわづらひ)をしやがつて、204あまりバツとせないぢやないか』
205カ『掛金(かけ)は掛金(かけ)、206恋(こひ)は恋(こひ)だ。207仮令(たとへ)インジンさまが惚(ほれ)て居(ゐ)なくても俺(おれ)の方(はう)は十分(じふぶん)惚(ほれ)てゐるのだ。208それだから、209どうでも、2091かうでも、210インジンさまと添(そ)はなくちや、211バーツとした病(やまひ)の病気(びやうき)が癒(なほ)らぬのだ』
212キ『エー、213困(こま)つた奴(やつ)だ。214然(しか)し俺(おれ)もお前(まへ)のお父(とう)さまには命(いのち)のない処(ところ)を助(たす)けて貰(もら)つたのだから、215助(たす)けねばなるまい。216気(き)の病(やまひ)を癒(なほ)すには申(さる)の年(とし)の申(さる)の月(つき)の申(さる)の日(ひ)の申(さる)の刻(こく)に生(うま)れた女(をんな)の生肝(いきぎも)を取(と)つて飲(の)ましたら直(すぐ)に癒(なほ)ると云(い)ふ事(こと)だ。217俺(おれ)の妹(いもうと)は丁度(ちやうど)それだ。218待(ま)つとれ、219お前(まへ)の病気(びやうき)を癒(なほ)す為(ため)に、220之(これ)から帰(い)んで221妹(いもうと)の生肝(いきぎも)をとつて来(く)る』
222と云(い)ひ乍(なが)らスタスタと駆出(かけだ)し、223吾(わが)家(や)に帰(かへ)つて見(み)ると、224妹(いもうと)のリンジヤンは嬉(うれ)しさうに表(おもて)へ出(で)て迎(むか)へ、
225『お兄(あに)さま、226どこへ行(い)つてゐらしたの、227大変(たいへん)心配(しんぱい)してゐましたよ』
228キンス『ヤア一寸(ちよつと)、229あんまり景色(けしき)がいいので春山峠(はるやまたうげ)の中途(ちうと)迄(まで)上(のぼ)つてそこらの眺望(てうばう)を見(み)てゐたのだ、230アー、231いい気持(きもち)だつたよ。232然(しか)しな、233今日(けふ)はお前(まへ)と俺(おれ)と一杯(いつぱい)飲(の)みたいのだが、234酒(さけ)を一本(いつぽん)つけてくれないか』
235リンジヤン『兄(あに)さま、236今日(けふ)に限(かぎ)つて兄妹(きやうだい)が盃(さかづき)をするとは、237変(へん)ぢやありませぬか。238何(なん)で又(また)そんな事(こと)を仰有(おつしや)るのです、239之(これ)には何(なに)か深(ふか)い様子(やうす)がありさうに思(おも)はれます。240どうぞハツキリ云(い)つて下(くだ)さいな』
241キ『実(じつ)の処(ところ)は俺(おれ)の友人(いうじん)のカンコがタラハン市(し)の三(み)つ丸屋(まるや)の娘(むすめ)さまに恋慕(れんぼ)し恋病(こひやまひ)を煩(わづら)つてゐるのだ。242之(これ)を癒(なほ)すにはお前(まへ)の力(ちから)をかるより外(ほか)にないのだ。243どうだ兄(あに)が一生(いつしやう)の願(ねがひ)だから聞(き)いてくれまいか。244俺(おれ)もカンコの父親(てておや)に恩(おん)になつて居(ゐ)るのだから、245御(ご)恩報(おんはう)じをするのは此(この)時(とき)だからのう』
246リン『私(わたし)が、247どうすれば、2471いいのですか』
248キ『妹(いもうと)、249耐(こら)へてくれ、250実(じつ)はお前(まへ)の肝(きも)、251イヤイヤイヤ肝煎(きもい)りで一(ひと)つ、252カンコの病気(びやうき)を癒(なほ)して貰(もら)ひ度(た)いのだ』
253リン『兎(と)も角(かく)、254兄(あに)さまの友達(ともだち)が悪(わる)いのだから255私(わたし)がお見舞(みまひ)に上(あが)りませう』
256キ『ヤア、257そりや有難(ありがた)い、258善(ぜん)は急(いそ)げだ、259サア行(ゆ)かう』
260と茲(ここ)に兄妹(きやうだい)二人(ふたり)はカンコの破家(あばらや)さして急(いそ)いで行(い)つて見(み)れば、261カンコは破(やぶ)れ畳(たたみ)の上(うへ)に大(だい)の字(じ)になつて倒(たふ)れてゐる。262キンスは友達(ともだち)の危急(ききふ)を見(み)て躊躇(ちうちよ)するに忍(しの)びず、263思(おも)ひ切(き)つて妹(いもうと)に向(むか)ひ涙(なみだ)乍(なが)らに、
264キ『オイ、265妹(いもうと)リンジヤンよ、266お前(まへ)は母(はは)に聞(き)いてゐたが、267申(さる)の年(とし)、268申(さる)の月(つき)、269申(さる)の日(ひ)、270申(さる)の刻(こく)に生(うま)れた女(をんな)ださうだな。271お前(まへ)の生肝(いきぎも)をとつてカンコに直(すぐ)のませばカンコの病気(びやうき)は本復(ほんぷく)すると云(い)ふ事(こと)だから、272どうぞ、273兄(あに)の顔(かほ)を立(た)てて生命(いのち)を呉(く)れないか』
274リン『そら、275兄(あに)さま無理(むり)ぢや御座(ござ)いませぬか、276何程(なんぼ)何(なん)でも肝玉(きもだま)迄(まで)とらいでも病気(びやうき)本復(ほんぷく)の方法(はうはふ)が御座(ござ)いませう、277どうぞ私(わたし)の命(いのち)丈(だけ)は助(たす)けて下(くだ)さい』
278キ『イヤ俺(おれ)も男(をとこ)だ、279友達(ともだち)の病気(びやうき)を助(たす)けてやらうと云(い)つた限(かぎ)りは、280後(あと)にはひかれぬ。281兄(あに)がお前(まへ)の肝(きも)をとり出(だ)してカンコに飲(の)ましてやらねばおかぬのだ』
282リン『そら、283兄(あに)さま、284あまりで御座(ござ)います。285どうぞお許(ゆる)し下(くだ)さいませ』
286 かく話(はな)してゐる所(ところ)へ玄真坊(げんしんばう)、287コブライ、288コオロの三(さん)人(にん)が、289何処(どこ)でぼつたくつて来(き)たか三尺(さんじやく)の秋水(しうすい)を抜(ぬ)き放(はな)ち、290粗末(そまつ)な一枚戸(いちまいど)を蹴(け)り破(やぶ)り飛(と)び込(こ)んで来(き)た。291リンジヤンは此(この)姿(すがた)を見(み)るよりアツと驚(おどろ)き、
292リン『兄(あに)さま、293助(たす)けて下(くだ)さい、294ア怖(こは)い、295肝(きも)が潰(つぶ)れましたワ』
296キ『エー腑甲斐(ふがひ)ない奴(やつ)だ、297肝(きも)が潰(つぶ)れたなら、298もうお前(まへ)に用(よう)はないわい。299エー、300何処(どこ)の泥棒(どろばう)か知(し)らぬが、301要(い)らぬ時(とき)に、302来(き)やがつて……コラ泥棒(どろばう)、303ケツタイな面(つら)しやがつて断(ことわ)りもなしに人(ひと)の家(いへ)へ来(く)ると云(い)ふ事(こと)があるものか、304エー、305出(で)て行(ゆ)け出(で)て行(ゆ)け』
306コブライ『人(ひと)の家(いへ)に抜刀(ばつたう)で這入(はい)るは俺(おれ)達(たち)の商売(しやうばい)だ。307ゴテゴテ吐(ぬ)かすと、308笠(かさ)の台(だい)が飛(と)び出(だ)すぞ。309こんなチツポケな家(いへ)に来(き)て、310金(かね)があらうとは思(おも)はない、311御飯(ごはん)を焚(た)いて出(だ)せ、312此(この)盗公(どろこう)は、313チツト小盗児(せうとる)と違(ちが)ふのだ、314決(けつ)して貧乏人(びんばふにん)は苛(いじ)めない。315飯(めし)を五六升(ごろくしよう)許(ばか)り焚(た)いてくれ、316代金(だいきん)は払(はら)つてやるから』
317キ『どうかお前(まへ)勝手(かつて)に焚(た)いてくれないか、318実(じつ)は俺(おれ)は、319此家(ここ)の者(もの)ぢやない、320ここの主人(しゆじん)が人事(じんじ)不省(ふせい)に陥(おちい)つてゐるのだから、321介抱(かいはう)に来(き)てゐるのだからのう』
322コブ『さうすると、323貴様(きさま)は此家(ここ)の主人(しゆじん)ぢやないのか、324ウン、325割(わり)とは親切(しんせつ)な奴(やつ)ぢやのう。326それではお泥棒(どろぼう)様(さま)がお手(て)づから御飯(ごはん)をお焚(た)き遊(あそ)ばしてやらうかのう、327どつこへも出(で)てはいけないぞ。328又(また)どつかへ密告(みつこく)でもすると、329面倒(めんだう)いからのう』
330キ『ヨシヨシ逃(に)げも隠(かく)れも致(いた)さぬわい、331マア 332ユツクリと飯(めし)でも焚(た)いて行(い)つてくれ、333その代(かは)り此(この)村(むら)許(ばか)りは、334脅(おびや)かさぬやうにしてくれ』
335コブ『ヘン、336あまり見損(みそこな)ひをして貰(もら)ふまいかい。337未来(みらい)のタラハン城(じやう)の左守司(さもりのかみ)様(さま)だぞ』
338と云(い)ひ乍(なが)らコオロと共(とも)に黍(きび)の搗(つ)いたのを二升(にしよう)許(ばか)り桶(をけ)で炊(かし)ぎ、339釜(かま)をかけて夕飯(ゆふはん)の用意(ようい)を始(はじ)めかけた。340カンコはヤツパリ虫(むし)の息(いき)で倒(たふ)れてゐる。341玄真坊(げんしんばう)はリンジヤンの美(うつく)しい顔(かほ)をツラツラ眺(なが)め涎(よだれ)をたらし、342目(め)を細(ほそ)うし、343心猿(しんゑん)意馬(いば)にかられて又(また)もや持病(ぢびやう)を起(おこ)しかけてゐる。344カンコはキンスの手厚(てあつ)き介抱(かいはう)によつて漸(やうや)く回復(くわいふく)し畳(たたみ)の上(うへ)に起(お)き上(あが)り、345見馴(みな)れぬ男(をとこ)が来(き)てゐるのに、346又(また)もや肝(きも)を潰(つぶ)し、
347『オイ、348キンス、349どこの人(ひと)ぢやか知(し)らぬが、350又(また)どうやら、351バーツとしさうだわい』
352玄(げん)『コレコレお女中(ぢよちう)、353何(なに)を慄(ふる)ふてゐるのか、354決(けつ)して御(ご)心配(しんぱい)なさるな、355此奴(こいつ)等(ら)両人(りやうにん)はお見掛(みかけ)通(どほ)りの泥棒(どろばう)で御座(ござ)る。356当家(たうけ)へ暴(あば)れ込(こ)み、357飯(めし)を喰(く)はせと云(い)つて居(ゐ)るのは実(じつ)は偽(いつは)りだ。358本当(ほんたう)の腹(はら)をたたくと、359お前(まへ)さまがこの家(いへ)に来(き)たのを嗅(か)ぎつけ、360否応(いやおう)なしに手込(てご)みにせむと、361拙者(せつしや)が木陰(こかげ)に休(やす)んでゐるのを知(し)らず話(はな)しあつて居(ゐ)るのを聞(き)いて、362お前(まへ)さまの危急(ききふ)を救(すく)ふためにやつて来(き)たが、363此奴(こいつ)等(ら)が凶器(きやうき)を以(もつ)て対(むか)つて来(き)たから364私(わたくし)も剣(けん)を抜(ぬ)いて応戦(おうせん)したのだ。365此奴(こいつ)等(ら)二人(ふたり)は金箔(きんぱく)付(づ)きの泥棒(どろばう)だが、366俺(おれ)は天来(てんらい)の救世主(きうせいしゆ)天帝(てんてい)の化身(けしん)天真坊(てんしんばう)と云(い)ふ名僧(めいそう)知識(ちしき)だ。367此(この)天真坊(てんしんばう)に身(み)も魂(たま)もお任(まか)せなさい。368さうなれば神仏(しんぶつ)の御(お)加護(かご)により、369福徳(ふくとく)円満(ゑんまん)寿命(じゆみやう)長久(ちやうきう)疑(うたが)ひなしだ』
370リン『ハイ、371何分(なにぶん)よろしく御(ご)保護(ほご)を願(ねが)ひ上(あ)げまする、372世(よ)の中(なか)に泥棒(どろばう)位(くらゐ)恐(おそろ)しいものは御座(ござ)いますせぬからな。373地震(ぢしん)、374雷(かみなり)、375火事(くわじ)、376親爺(おやぢ)よりも恐(おそろ)しいのは泥棒(どろばう)で御座(ござ)いますワ』
377 コブライは黍(きび)を研(と)ぎ乍(なが)ら玄真坊(げんしんばう)の顔(かほ)をチラリと眺(なが)め、
378『チエツ、379玄真坊(げんしんばう)さま、380あまりひどいぢやありませぬか』
381 玄真坊(げんしんばう)は大喝(たいかつ)一声(いつせい)、
382『バカ、383気(き)の利(き)かねい野郎(やらう)だな』
384コオ『拙者(せつしや)が命令(めいれい)する。385玄真坊(げんしんばう)は娘(むすめ)を世話(せわ)するがよい、386コブライは御飯(ごはん)の用意(ようい)をせつせと致(いた)せ』
387コブ『チエツ、388馬鹿(ばか)にしやがる』
389と云(い)ひ乍(なが)ら襷十字(たすきじふじ)にあやどり、390鉢巻(はちまき)を横(よこ)にねぢ、391せつせと飯焚(めした)きの用意(ようい)にかかつてゐる。
392 リンジヤンはマジマジと玄真坊(げんしんばう)の顔(かほ)を見守(みまも)り、393ハツと呆(あき)れて反(そ)りかへり、
394『ヤア、395お前(まへ)はオーラ山(さん)に立籠(たてこも)り、396星下(ほしくだ)しの芸当(げいたう)をやり、397私(わたし)の妹(いもうと)を手込(てご)めにした売僧(まいす)だな』
398玄(げん)『ハツハヽヽヽ手込(てご)めにしても、399生命(いのち)は決(けつ)して奪(と)らないよ。400命(いのち)迄(まで)打(うち)込(こ)んで惚(ほれ)て居(ゐ)たのは、401之(これ)も神(かみ)様(さま)の結(むす)んだ縁(えん)だらう。402つながるお前(まへ)は俺(おれ)の女房(にようばう)となつて然(しか)るべき神(かみ)様(さま)からの縁(えん)が結(むす)ばれてあるのだ』
403 リンジヤンは、
404『エー、405けがらはしい売僧(まいす)坊主(ばうず)、406これからお役所(やくしよ)へ訴(うつた)へて、407妹(いもうと)の敵(かたき)を打(う)たねばおかぬ、408覚悟(かくご)しや』
409と裏口(うらぐち)より飛(と)び出(だ)し、410勝手(かつて)覚(おぼ)えし田圃道(たんぼみち)を、411何処(いづこ)ともなく駆(か)け出(だ)して了(しま)つた。
412 玄真坊(げんしんばう)、413コブライ、414コオロの三(さん)人(にん)は、
415『こりや、416かうしては居(を)られぬ』
417と又(また)もや裏口(うらぐち)より月夜(つきよ)の野原(のはら)を、418空腹(くうふく)を抱(かか)へて何処(どこ)ともなく逃(に)げ出(だ)して了(しま)つた。
419(大正一五・一・三一 旧一四・一二・一八 於月光閣 北村隆光録)
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