霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一〇章 荒添(あらそひ)〔一七九九〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第71巻 山河草木 戌の巻 篇:第2篇 迷想痴色 よみ(新仮名遣い):めいそうちしき
章:第10章 荒添 よみ(新仮名遣い):あらそい 通し章番号:1799
口述日:1926(大正15)年01月31日(旧12月18日) 口述場所:月光閣 筆録者:加藤明子 校正日: 校正場所: 初版発行日:1929(昭和4)年2月1日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
玄真坊、コブライ、コオロは捕り手を恐れて田んぼ道を逃げてゆく。
すると、道ばたの古井戸に、自分たちを捕り手に通報しようとしたリンジャンが落ちているのに気づいた。3人はリンジャンを助け出し、森の古堂に運んで介抱する。
しかしそれは、親切心ではなく、リンジャンの気を引いてものにしようという下心からであった。
リンジャンが息を吹き返すと、3人は互いに自慢話をしてリンジャンに気に入られようとするが、ことごとく難癖をつけられて言い負かされてしまう。
そうこうしているうちに捕り手が堂に迫って来て、3人の泥棒はたちまち逃げ失せた。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:0000-00-00 00:00:00 文字数:4663 OBC :rm7110
愛善世界社版:132頁 八幡書店版:第12輯 548頁 修補版: 校定版:137頁 普及版:63頁 初版: ページ備考:
001 水草(みづぐさ)の平(ひら)一面(いちめん)に生(は)え茂(しげ)つて居(ゐ)る、0011ジクジク原(ばら)の足(あし)を没(ぼつ)する田圃道(たんぼみち)を、002玄真坊(げんしんばう)、003コブライ、004コオロの三(さん)人(にん)は、005追手(おつて)の危難(きなん)をおそれて行歩(かうほ)に艱(なや)み乍(なが)ら、006一生(いつしやう)懸命(けんめい)に走(はし)つて行(ゆ)く。007道(みち)の両側(りやうがは)は、008あちらこちらに浅(あさ)い水(みづ)が溜(たま)り、009静(しづか)に月(つき)や星(ほし)が映(うつ)つて居(ゐ)る。010行(ゆ)く事(こと)三町(さんちやう)許(ばか)り、011路傍(ろばう)に古井戸(ふるゐど)があつて何者(なにもの)かが落(お)ち込(こ)んだやうな気配(けはい)である。012コブライは怖々(こはごは)乍(なが)ら月(つき)の光(ひかり)をたよりに古井戸(ふるゐど)を覗(のぞ)いて見(み)ると、013最前(さいぜん)カンコの家(うち)で見(み)た美人(びじん)によく似(に)たものが、014命(いのち)限(かぎ)りに這上(はひあが)らうとして井戸端(ゐどばた)の水草(みづぐさ)を掴(つか)んでは落(お)ち込(こ)み、015掴(つか)んでは落(お)ち込(こ)みして居(ゐ)る。016泥棒稼(どろぼうかせぎ)の三(さん)人(にん)も人(ひと)の危難(きなん)を見(み)ては見(み)のがしも得(え)せず、017コブライは自分(じぶん)の帯(おび)を解(と)いて古井戸(ふるゐど)の中(なか)に吊(つ)り下(おろ)した。018溺(おぼ)れむとするものは毒蛇(どくだ)の尻尾(しつぽ)も掴(つか)まむとする譬(たとへ)、019吾(わが)身(み)に危害(きがい)を加(くは)へむとする泥棒(どろばう)の群(むれ)とは知(し)らず、020リンジヤンは其(その)帯(おび)に確(しつか)りとくらいついた。021コブライ、022コオロ、023玄真坊(げんしんばう)の三(さん)人(にん)は汗(あせ)をたらたらたらし乍(なが)ら、024漸(やうや)くの事(こと)で救(すく)ひ上(あ)げ、025よくよく見(み)れば玄真坊(げんしんばう)が野心(やしん)を起(おこ)した掘出(ほりだ)しものの美人(びじん)である。026美人(びじん)は殆(ほと)んど無我(むが)無中(むちう)になり、027何者(なにもの)に救(すく)はれたかと云(い)ふ事(こと)さへも知(し)らぬ態(てい)であつた。028玄真坊(げんしんばう)は二人(ふたり)に目配(めくば)せし乍(なが)ら、029濡鼠(ぬれねずみ)の如(や)うになつた女(をんな)の衣服(いふく)を身(み)につけたまま、030彼方(あちら)此方(こちら)と圧搾(あつさく)し、031雫(しづく)をたらし、032かたみに担(かつ)いで脛(すね)まで没(ぼつ)する難路(なんろ)を西(にし)へ西(にし)へと急(いそ)いで行(ゆ)く。033行(ゆ)く事(こと)殆(ほと)んど一里半(いちりはん)ばかり、034月夜(つきよ)に浮(う)いた如(や)うにこんもりとした森(もり)が眼前(がんぜん)数町(すうちやう)の処(ところ)に横(よこ)たはつて居(ゐ)る。035三(さん)人(にん)は兎(と)も角(かく)あの森(もり)へ行(い)つて休息(きうそく)せむものと、036汗(あせ)をたらたら流(なが)し乍(なが)らあへぎゆく。037やつと森(もり)の前(まへ)に近(ちか)より見(み)れば、038古(ふる)ぼけた堂(だう)が淋(さび)しげに立(た)つて居(ゐ)る。
039コブライ『あゝ随分(ずいぶん)骨(ほね)を折(を)らしやがつた。040もし玄真(げんしん)さま、041ここの森(もり)で一夜(いちや)を明(あか)しませうかい。042さうしてこの美人(びじん)を実意(じつい)丁寧(ていねい)親切(しんせつ)をもつて介抱(かいはう)し、043人情(にんじやう)義理(ぎり)づくめでウンと云(い)はせ、044お前(まへ)さまの一(いち)時(じ)のお慰(なぐさ)みものとせうぢやありませぬか。045いやお前(まへ)さま許(ばか)りでなく吾々(われわれ)が拾(ひろ)ひ上(あ)げて担(かつ)いで来(き)たのだから046共有物(きよういうぶつ)として置(お)きませうかい。047仲々(なかなか)お前(まへ)さまが惚(ほ)れた女(をんな)だから、048捨(す)てたものぢや有(あ)りませぬワイ。049このコブライだつて、050聊(いささ)か食指(しよくし)が動(うご)かぬぢやありませぬ』
051玄真坊(げんしんばう)『何(なに)は兎(と)もあれ052角(かく)もあれ、053この女(をんな)を正気(しやうき)づかした上(うへ)の事(こと)でなくては、054斯(か)うして置(お)いては縡(ことき)れて了(しま)ふではないか』
055コ『いやそんな御(ご)心配(しんぱい)には及(およ)びませぬ。056些(ちつ)と許(ばか)り水(みづ)を飲(の)んで居(ゐ)ますが命(いのち)には別条(べつでう)はありませぬ。057今(いま)の間(うち)に共有物(きよういうぶつ)にするか、058但(ただ)しはコブライの専有物(せんいうぶつ)にするか、059後(あと)でする喧嘩(けんくわ)を先(さき)にして置(お)かなくちや、060この美人(びじん)が気(き)がついてから061こんな相談(さうだん)を聞(き)かれては見(み)つとも好(よ)くない。062玄真(げんしん)さま063私(わたし)の専有物(せんいうぶつ)として下(くだ)さるか……サアどうだ。064お前(まへ)さまは自分(じぶん)の専有物(せんいうぶつ)としたさうだが、065さう勝手(かつて)には行(ゆ)きませぬよ』
066玄(げん)『何(なん)と云(い)つても初(はじ)めて懸想(けさう)したのは俺(おれ)だ。067正(まさ)に俺(おれ)の霊(みたま)がこの女(をんな)に憑依(ひようい)して居(ゐ)る。068又(また)この女(をんな)とは閨門(けいもん)関係(くわんけい)からすでにすでに因縁(いんねん)が結(むす)ばれて居(ゐ)る。069いはば此方(こちら)は縁者(えんじや)、070お前(まへ)は赤(あか)の他人(たにん)ぢやないか。071そんな事(こと)は云(い)はなくても定(きま)つて居(ゐ)る、072屹度(きつと)玄真(げんしん)さまのものだよ』
073コ『縁者(えんじや)か074閨門(けいもん)関係(くわんけい)が有(あ)るか075そりや知(し)りませぬが、076このコブライが見(み)つけて助(たす)けなんだら077此(この)女(をんな)は已(すで)に命(いのち)が無(な)くなつて居(を)るのだ。078さうすれば命(いのち)の親(おや)はこのコブライさま、079ドツと譲歩(じやうほ)した処(ところ)で拙者(せつしや)が二晩(ふたばん)使(つか)へば玄真(げんしん)さまは一晩(ひとばん)お使(つか)ひなさい。080権利(けんり)の上(うへ)から言(い)つても其(そ)れが至当(したう)だと思(おも)ひますわい』
081玄(げん)『ハヽヽヽヽ、082お前(まへ)のシヤツ面(つら)で083何(なに)程(ほど)命(いのち)を助(たす)けて貰(もら)つたと云(い)つてこの美人(びじん)が靡(なび)くと思(おも)ふか、084自惚(うぬぼれ)もよい加減(かげん)にしておけ。085何(なん)だ蛙(かはづ)の鳴(な)き損(そこ)ねた如(や)うな面(つら)をして086こいのうすいのとは片腹痛(かたはらいた)い、087此(この)女(をんな)の事(こと)は一切(いつさい)玄真(げんしん)に任(まか)すがよからう』
088コ『いや、089そりやなりませぬ、090そんなら此(この)ナイスに自(みづか)ら選(えら)ましたらどうでせう、091お前(まへ)さまだつて余(あんま)りバツとした顔(かほ)ぢやありませぬよ、092屹度(きつと)女(をんな)に選(えら)ましたら拙者(せつしや)が最高点(さいかうてん)を得(え)て月桂冠(げつけいくわん)を頂(いただ)くは火(ひ)を見(み)るよりも明白(めいはく)な事実(じじつ)です、093エヘヽヽヽ』
094コオ『コーラ両人(りやうにん)。095俺(おれ)の命令(めいれい)を聞(き)け、096この女(をんな)は一旦(いつたん)カンコの家(いへ)に於(おい)てコブライの面(つら)を見(み)て肝(きも)をつぶし、097玄真(げんしん)さまの顔(かほ)を見(み)て愛想(あいそ)づかし裏口(うらぐち)から逃出(にげだ)した代物(しろもの)ぢやないか、098さうすりや已(すで)に已(すで)に両人(りやうにん)に対(たい)する恋愛(れんあい)の脈(みやく)は上(あが)つて居(ゐ)る。099さうすりや黙(だま)つて居(ゐ)てもこのコオロさまに札(ふだ)がおちるのは当然(たうぜん)だ。100そして両人(りやうにん)に対(たい)して命令権(めいれいけん)を持(も)つて居(ゐ)るこのコオロは絶対(ぜつたい)に二人(ふたり)には与(あた)へない、101コオロの宿(やど)の妻(つま)としてこれから先(さき)、102長(なが)い行路(かうろ)の伴侶(はんりよ)とする積(つもり)だ、103エヘヽヽヽヽ』
104 三(さん)人(にん)はこんな掛合(かけあひ)に現(うつつ)を抜(ぬ)かして居(を)る間(あひだ)に、105リンジヤンは元気(げんき)恢復(くわいふく)し、106あまりの可笑(をか)しさにフヽヽヽヽと吹(ふ)き出(だ)した。
107コ『ヤ、1071姫(ひめ)さま108気(き)がつきましたか、109ヤ、110まあ目出度(めでた)い目出度(めでた)い、111お前(まへ)さま一体(いつたい)何(なん)の事(こと)ぢやいな、112古井戸(ふるゐど)の中(なか)に落(お)ち込(こ)んで113鮒(ふな)が泥(どろ)に酔(よ)つたやうにアツプアツプとやつて御座(ござ)つた処(ところ)、114縁(えにし)の糸(いと)につながれたと云(い)ふものか、115玄真(げんしん)やコオロの後(あと)から行(い)つた私(わし)の目(め)にお前(まへ)さまの姿(すがた)がうつつたのも116深(ふか)い縁(えにし)が結(むす)ばれて居(ゐ)るのだから、117最早(もはや)ない命(いのち)だと思(おも)ふて一生(いつしやう)を此(こ)のコブライに任(まか)して下(くだ)さい。118何(なん)と云(い)つても命(いのち)の親(おや)のコブライですからなア』
119リ『あゝさうで御座(ござ)いましたか、120私(わたし)も命(いのち)を助(たす)けて貰(もら)ひ嬉(うれ)しい事(こと)だと思(おも)つたら、121あた汚(けが)らはしい、122小泥棒(こどろぼう)に命(いのち)を助(たす)けて貰(もら)つたとあつては、123先祖(せんぞ)の面汚(つらよご)し、124あゝ残念(ざんねん)の事(こと)を致(いた)しました。125これどろさま、126その刀(かたな)をかして下(くだ)さい、127お前(まへ)さま方(がた)に助(たす)けられたとあつては、128兄(あに)の顔(かほ)も立(た)ちませぬ。129此処(ここ)で潔(いさぎよ)う自害(じがい)をしてお目(め)にかけませう』
130コ『これこれお女中(ぢよちう)、131悪(わる)い了見(れうけん)だよ、132命(いのち)あつての物種(ものだね)ぢやないか。133人間(にんげん)はこの世(よ)に生(いき)て居(を)りやこそ花(はな)も実(み)もあり愉快(ゆくわい)があるのだ。134死(し)んで花実(はなみ)が咲(さ)くと思(おも)はつしやるか。135在来(ざいらい)の宗教(しうけう)に呆(とぼ)けて居(ゐ)るやくざ人足(にんそく)は未来(みらい)が在(あ)ると迷信(めいしん)して居(を)るだらうが、136科学(くわがく)に目覚(めざ)めた現代人(げんだいじん)には未来(みらい)が在(あ)るなどど、137そんな事(こと)は通用(つうよう)しませぬからなア、138又(また)先祖(せんぞ)の名折(なを)れになるとか、139兄(あに)の名(な)が汚(よご)れるとか、140泥棒(どろばう)に助(たす)けられたとか、141不用(いら)ざる体面論(たいめんろん)に縛(しば)られて142掛替(かけがへ)のない可惜(あたら)命(いのち)を捨(す)てようとは時代(じだい)後(おく)れにも程(ほど)がある。143兎角(とかく)人間(にんげん)は、144自分(じぶん)さへ好(よ)かつたらよいのだ。145どうだい146一(ひと)つ思案(しあん)をし直(なほ)して拙者(せつしや)の女房(にようばう)になつては下(くだ)さるまいか。147拙者(せつしや)だつて生(うま)れついての泥棒(どろばう)でもないし、148悪人(あくにん)でもありませぬ。149ほんの其(その)日(ひ)稼業(かげふ)に泥棒(どろばう)の修業(しふげふ)をやつて居(ゐ)るのですよ』
150リ『何(なん)と仰有(おつしや)つても、151泥棒(どろばう)の名(な)のつく人(ひと)には絶対(ぜつたい)に身(み)を任(まか)す事(こと)は出来(でき)ませぬ』
152コ『ハテ、1521サテ153意地(いぢ)固(がた)い女(をみな)だなア。154よう考(かんが)へて御覧(ごらん)なさい、155今日(こんにち)の世(よ)の中(なか)の有様(ありさま)を、156上(うへ)は左守(さもり)の司(かみ)より下(しも)小役人(こやくにん)に至(いた)る迄(まで)、157手(て)をかへ品(しな)をかへて泥棒(どろばう)しない奴(やつ)がありますか。158砂利(じやり)を噛(かじ)る奴(やつ)、159印紙(いんし)を食(くら)ふ奴(やつ)、160仏(ほとけ)を売(う)つて食(くら)ふ奴(やつ)。161神(かみ)の足(あし)を噛(かじ)る奴(やつ)、162上(うへ)から下(した)迄(まで)、163隅(すみ)から隅(すみ)まで、164泥棒(どろばう)の世界(せかい)だ。165泥棒(どろばう)が嫌(いや)だから男(をとこ)を持(も)たぬなどとそんな堅苦(かたくる)しい事(こと)を云(い)つて居(ゐ)やうものなら166終身(しうしん)清浄(しやうじやう)無垢(むく)の男(をとこ)と出遇(であ)ふ事(こと)はありますまい。167そこはよくお考(かんが)へなさつたがよろしからう』
168リ『そりやさうでせう、169泥棒(どろばう)せないものは世界(せかい)に一(いち)人(にん)もありますまいが、170併(しか)しその泥棒(どろばう)の仕様(しやう)にも種々(いろいろ)の手段(しゆだん)があつて、171世(よ)の中(なか)から智者(ちしや)よ学者(がくしや)よ、172聖人(せいじん)君子(くんし)よ、173英雄(えいゆう)豪傑(がうけつ)よと崇(あが)められて泥棒(どろばう)するやうでなくては駄目(だめ)ですワ。174お前(まへ)さまの如(や)うに正面(しやうめん)から泥棒(どろばう)を看板(かんばん)に大刀(だんびら)担(かた)げて来(く)るやうなものに碌(ろく)なものはない。175それだから御免(ごめん)蒙(かうむ)りたいのですよ』
176コ『もし玄真(げんしん)さま、177此奴(こいつ)は仲々(なかなか)手剛(てごは)い奴(やつ)です。178どうかお前(まへ)さまの雄弁術(ゆうべんじゆつ)を以(もつ)て言向(ことむ)け和(やは)して下(くだ)さい。179到底(たうてい)私(わたし)の言霊(ことたま)では望(のぞ)みがありませぬわ』
180玄(げん)『ハヽヽヽヽ、181如何(いか)にも御(お)説(せつ)御尤(ごもつと)も、182よい処(ところ)で諦(あきら)めて下(くだ)さつた。183サアこれからが玄真(げんしん)さまの一人(ひとり)舞台(ぶたい)だ。184これこれお女中(ぢよちう)、185其方(そなた)の言葉(ことば)を聞(き)くとこの玄真坊(げんしんばう)も何処(どこ)ともなく肉(にく)躍(をど)り血(ち)湧(わ)き、186両腕(りやううで)が鳴(な)るやうだ。187何(なん)とまあお前(まへ)は世界(せかい)無比(むひ)の才媛(さいゑん)だなあ。188どうだ智勇(ちゆう)兼備(けんび)の良将(りやうしやう)と聞(きこ)えたこの玄真(げんしん)に身(み)を任(まか)せ189王妃(わうひ)となつて暮(くら)す気(き)はないか、190未来(みらい)のタラハン王(わう)はこの玄真坊(げんしんばう)で御座(ござ)るぞや。191人間(にんげん)の欲望(よくばう)は名位(めいゐ)寿宝(じゆほう)と云(い)ふて192最(もつと)も貴(たつと)いものは名(な)を万世(ばんせい)に残(のこ)すことだ。193その次(つぎ)は位(くらゐ)といつて人格(じんかく)の向上(かうじやう)を主(しゆ)とする欲望(よくばう)だ。194所謂(いはゆる)後(のち)は聖人(せいじん)だ、195君子(くんし)だ、196英雄(えいゆう)だ、197豪傑(がうけつ)だ、198有徳者(うとくしや)だ、199世界(せかい)の救世主(きうせいしゆ)だと万民(ばんみん)に崇(あが)められ、200人格(じんかく)を認(みと)めらるる事(こと)だ。201その次(つぎ)が命(いのち)、202その次(つぎ)が金銭(きんせん)物品(ぶつぴん)だ。203どうだ、204斯(か)かる片田舎(かたいなか)に生(うま)れて、205タラハン城(じやう)の王妃(わうひ)となる気(き)はないか。206世界(せかい)の幸福(かうふく)を一身(いつしん)に集(あつ)めて、207この神的(しんてき)英雄(えいゆう)の玄真坊(げんしんばう)と一緒(いつしよ)に暮(くら)す気(き)はないか。208よくよく利害(りがい)得失(とくしつ)を考(かんが)へたがよからうぞや』
209リ『ハイ、210種々(いろいろ)と御(ご)親切(しんせつ)有難(ありがた)う御座(ござ)いますが、211私(わたし)はお三(さん)人(にん)さまの中(うち)に於(おい)て最(もつと)も権威(けんゐ)ある方(かた)と御(ご)相談(さうだん)が願(ねが)ひたう御座(ござ)います』
212玄(げん)『ハヽヽヽヽ、213そりやさうだらう。214如何(いか)にも御尤(ごもつと)も、215この中(うち)で最(もつと)も権威(けんゐ)あるものとは取(とり)も直(なほ)さずこの玄真坊(げんしんばう)だよ』
216と鼻(はな)を蠢(うごめ)かす。217リンジヤンは首(くび)を左右(さいう)にふり、
218『イヤイヤそれは違(ちが)ひませう、219命令権(めいれいけん)を持(も)つて御座(ござ)るコオロさまとやら、220この方(かた)が一番(いちばん)の権威者(けんゐしや)と認(みと)めます。221このコオロさまとお話(はなし)したう御座(ござ)いますから、222お二人(ふたり)さまは森(もり)の奥(おく)で控(ひか)へて居(ゐ)てもらひたう御座(ござ)いますが』
223コオ『エヘヽヽヽヽ、224こりやこりや玄真坊(げんしんばう)、225コブライの両人(りやうにん)、226三町(さんちやう)許(ばか)り此(この)場(ば)より立退(たちの)きを命(めい)ずる。227ハヽヽヽヽ、228これお姫(ひめ)さま229拙者(せつしや)の権威(けんゐ)はこの通(とほ)りで御座(ござ)る。230何(なん)と云(い)つても天帝(てんてい)の化身(けしん)を頤(あご)で使(つか)ふ権威者(けんゐしや)で御座(ござ)るから、231よもや232男(をとこ)に持(も)つてお前(まへ)さまも不足(ふそく)は御座(ござ)るまい、233エヘヽヽヽヽ』
234玄(げん)『こりやコオロの奴(やつ)、235なにふざけた事(こと)を云(い)ふか、236すつこんでおれ。237貴様(きさま)の飛(と)び出(だ)す幕(まく)ぢやないワ、238しやうもない事(こと)を云(い)ふと主従(しゆじゆう)の縁(えん)を切(き)らうか』
239コオ『然(しか)らばあの夢(ゆめ)をお前(まへ)さまに売(う)つたのは元々(もともと)へ取(と)り返(かへ)しますぞ。240お前(まへ)さまは大外(だいそ)れたタラハン城(じやう)を占領(せんりやう)し241国王(こくわう)にならうと云(い)ふ陰謀(いんぼう)を春山峠(はるやまたうげ)の頂上(ちやうじやう)に於(おい)て企(たくら)んで以来(いらい)、242依然(いぜん)としてその計画(けいくわく)をやめないでせう。243その夢(ゆめ)の計画(けいくわく)をやめない上(うへ)はお前(まへ)さまの身(み)の上(うへ)は風前(ふうぜん)の燈火(ともしび)だ。244サア夢(ゆめ)をかへして貰(もら)つた上(うへ)は245その夢(ゆめ)の次第(しだい)を逐一(ちくいつ)タラハン城(じやう)に訴(うつた)へ出(で)る積(つも)りだ。246これでも違背(ゐはい)があるか。247サア玄真(げんしん)さま248キツパリと返事(へんじ)を承(うけたま)はりませうかい。249お前(まへ)さまの睾丸(きんたま)を握(にぎ)つたこのコオロは決(けつ)して夢(ゆめ)を見(み)たのぢやありませぬよ。250睡(ねむ)つた真似(まね)をしてお前(まへ)さまの計画(けいくわく)を皆(みな)聞(き)いたのですよ。251夢(ゆめ)を返(かへ)して貰(もら)つた以上(いじやう)は如何(どう)しようと、252コオロの自由(じいう)権利(けんり)だ』
253と早(はや)くも駆(か)け出(だ)さむとする。254玄真坊(げんしんばう)は慌(あわて)てコオロに喰(くら)ひつき、
255玄(げん)『マヽヽマア待(ま)つた待(ま)つた、256さう短気(たんき)を起(おこ)すものぢやない。257お前(まへ)のやうに一寸(ちよつと)俺(おれ)がてんごを云(い)ふても本気(ほんき)になつては耐(たま)つたものぢやない。258そんならお前(まへ)の望(のぞ)みに任(まか)せ、259この美人(びじん)を譲(ゆづ)つてやらう』
260コオ『ヘン譲(ゆづ)つて遣(や)らうなんて僣越(せんゑつ)にも程(ほど)がある。261お前(まへ)さまの女房(にようばう)でもなければ娘(むすめ)でもない筈(はず)だ。262このコオロは直接(ちよくせつ)談判(だんぱん)をする積(つも)りだから、263吾(わが)命令(めいれい)を遵奉(じゆんぽう)して二三町(にさんちやう)ばかり暫(しば)しの間(あひだ)退却(たいきやく)を願(ねが)ひたい』
264玄(げん)『オイ、265コブライどうせうかナ』
266コブ『何(なん)と云(い)つてもお前(まへ)さまが睾丸(きんたま)を握(にぎ)られて居(を)るのだから、267コオロの命令(めいれい)に従(したが)はねばなりますまい』
268玄(げん)『そんならコオロ、269夢(ゆめ)は依然(いぜん)として此(この)方(はう)が買(か)ふた。270そのかはり命令権(めいれいけん)はお前(まへ)に渡(わた)す271必(かなら)ず変替(へんがへ)せないやうにしてくれ』
272コオ『拙者(せつしや)の命令(めいれい)さへ神妙(しんめう)に遵奉(じゆんぽう)する間(あひだ)、273決(けつ)して変替(へんがへ)はしない。274サアこれからが俺(おれ)の一人(ひとり)舞台(ぶたい)だ。275これこれリンジヤンさま、276拙者(せつしや)の妻(つま)となる件(けん)に就(つ)いては、277よもや御(ご)異存(いぞん)は御座(ござ)いますまいなア』
278『ホヽヽヽヽ、279あのまあコオロさまとやら虫(むし)のよい事(こと)、280人(ひと)の睾丸(きんたま)を握(にぎ)つて、2801否応(いやおう)言(い)はさず自分(じぶん)の権利(けんり)を主張(しゆちやう)するやうな方(かた)は私(わたし)は嫌(いや)です。281本当(ほんたう)に惟神(かむながら)的(てき)に権威(けんゐ)があり徳望(とくばう)のある人(ひと)は、282そのやうに権謀(けんぼう)術数(じゆつすう)を弄(ろう)しないでも世界(せかい)から尊敬(そんけい)致(いた)します。283そんな安(やす)つぽい女(をんな)と見(み)くびられては、284このリンジヤンも迷惑(めいわく)いたしますワ。285ねエ泥棒(どろばう)さま』
286 かかる所(ところ)へ提灯(ちやうちん)松明(たいまつ)振(ふ)りかざし287数十(すうじふ)人(にん)の足音(あしおと)がザクリザクリと水草(みづぐさ)の原野(げんや)を踏(ふ)んで押(おし)寄(よ)せ来(きた)る。288玄真坊(げんしんばう)、289コブライ、290コオロの三(さん)人(にん)は周章(しうしやう)狼狽(らうばい)なす所(ところ)を知(し)らず291思(おも)ひ思(おも)ひに草(くさ)の茂(しげ)みに隠(かく)れて何処(いづく)ともなく消(き)えて仕舞(しま)つた。
292(大正一五・一・三一 旧一四・一二・一八 於月光閣 加藤明子録)
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