霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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総説(そうせつ)天地(てんち)開闢(かいびやく)極元(きよくげん)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第81巻 天祥地瑞 申の巻 篇:前付 よみ(新仮名遣い):
章:総説 よみ(新仮名遣い):そうせつ 通し章番号:
口述日:1934(昭和9)年08月04日(旧06月24日) 口述場所:伊豆別院 筆録者:森良仁 校正日: 校正場所: 初版発行日:1934(昭和9)年12月30日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
天地開闢の極元
考えられないほど大きく、浩く、漂い、恒久に変化がなく、霧を撒いたようなス(⦿)の時に、その機約の両極端に、対照となる力を起こった。
(その当時の宇宙は)恒に張り詰め深く静かに満ちていたので、考えられないほど大きさの両極端に対照となる力が保たれ、至大宇宙のあらゆる極は相対照となった。
その不思議な威を持つ対照力の中間を、極微点(コゴコ)を珠のように連ねた糸が掛けつなぎ、隣り合い並びあって、ヒシと充実極まる状態であった。
しかしながら、そうした働きは気体の形であり透明であったので、人の眼に見えるような現象ではなかった。
見えないけれども、この連珠の糸が霊気を保ち、初めて至大天球(たかあまはら)を作ったのである。そのとき、対照力(タタノチカラ)が至大天球の外面を張り詰めたために、至大天球(たかあまはら)は球形になったのである。
たしかに、極元となったス(⦿)は、大きいことこの上なく、ひろびろとして漂い、恒久に変化がない状態で、花形をしており、凹凸を繰り返して呼吸を保っていたのであった。
そのようにして、極元のス(⦿)は、その平らな輪の部分のところで対照力を起こし、その外面を対照力によって張り詰め、張り詰めして至大天球(たかあまはら)となったのである。
それゆえ、、極元のス(⦿)の凸の所にあって、区切りの部分にあった珠の外に成ったために、鰭のような状態になった極微点は、張り詰めた珠を塗って移動した。そして至大天球の東岸部、西岸部に門を開けて、至大天球内に競って進入しようとする力を生み、押し入ってきた。
この押し入ってくる極微点の力は、始めの対照力に張り詰められて至大天球中に固まっていた極微点の連珠の糸の霊気を中央に押し込み、押された気が北極、南極に押し出される。
押し出された気はまた至大天球の外面を塗って移動し、東岸部、西岸部に来ると、また至大天球中に入っていく。このようにして霊気は、永世無窮に果てしもなくならび連なって、至大天球の内外を循環運行しているのである。
本当のところ、ここまでに説いてきたひとつひとつの真の説は、釈迦や孔子でさえ、探求したけれども知ることができなかった、極みの重要な教えである。比喩、たとえ話の説明、謎かけ話のような、不正曖昧ないいかげんな話ではないことを理解してもらわなければならない。
だから、一言一句がことごとく真正に、至大天球(たかあまはら)の組織、細かな特徴の理、大なる造化のはたらきを捉えて、明細に密に審査して、表に現れたきざしを証明した、極限の典説なのである。
大いなる智恵に照らされて、全体を見通すことに熟練したあかつきには、これが一切世界に無比なる極みの教えであると称えるようになるであろう。そのことを感得すべきである。
だから、謹んで本書を拝読する者は、その鑑識眼を明らかにして、一切の迷いを一掃するべきである。愚蒙にして鑑識を誤る者は、比喩や喩え、謎かけ、想像を働かせて、この説をお経や哲学の類とみなしてしまい、他の説と比較したり、愚案・愚考と談じたりして、自分はいっぱしの哲学を語っているように信じている、という有様になってしまう。
読者においては、鑑識眼を正しく明らかに極めることを切に希望する。
たしかに老子はこの至大天球を語っているが、明言することはできなかった。ただ、「玄のまた玄、衆妙の門」、とだけ言った。「門」とは、表半球の形を謎にかけたのである。もしはっきりと「天球」云々と言った場合、さまざまな質問・疑問が起こってくる。老子の教えでは、それらに答えることはできないので、よくよくその辺りを思案するように。
釈迦は「無辺法界」「不思議界」と言う。まさに、思いはかることができないもの、という意味である。孔子は至大天球のことを「容(とるる)」と言い、また「一ツ」と言った。みな、謎かけ談のようなものばかりである。
まったく、このような謎かけ談しか語ることができなかったのは、行き届かないことこの上ないが、はっきりと言ってしまうと様々な質問・疑問が起こることを恐れて、比喩、たとえ話、謎かけでもって世間をごまかし、神器を持った弥勒が出現するのをただ待っていたのである。まったく憐れな話である。
このような有様であるので、『最大一なる霊魂精神は至大天球(たかあまはら)、またの名を至大霊魂球(おほみたま)であり、一個人の神経は、この霊魂球の中の一つの条脈、つまり玉の緒と言うべきものに他ならない』、と明言したとする。
そうすると、釈迦、老子、孔子の教えでは、その明細を説明することができないのである。ただ頑迷な謎かけ話を作ってそれを愚かにも崇拝しているだけなのである。
僧侶は、霊魂心性のことを第一に説き明かす人々であるはずなのに、『その心性とは、至大天球(たかあまはら)中の真霊に他ならない』とはっきり言ったとき、その詳細や、造化がどのように始まり、どのように終わるか、ということをはじめ、億万劫々年間に生まれ死んでいった一切の事柄を、詳しく教示することができない。ただ迷妄な謎をかけて迷っている達磨は憐れ極まる者である。
だから僧侶たちに、現在行われている教えの道の本元は何だ、と問い詰めると、一言でも答えることができる者がいないのである。まして、その教えの本元が、究極的には何に基づいているか、などということには夢にも思い至らない、情けない僧侶ばかりなのである。
そんなことはない、という人がいたら、道統の本元が基にしている極元は是である、と一言でも説明してみるがよい。
釈迦も達磨も、その教えの道が、究極的に何を基にしているかを知らないが故に、直接はっきりと道法を説明することができないのである。だから、比喩、たとえ、謎かけのみで、ただ弥勒如来の到来を待って教えを喜び奉っているだけなのである。
速やかに弥勒の出現を乞い奉るべきである。いや、弥勒はすでにここにある。請ぜよ。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-06-01 16:31:24 OBC :rm810001
愛善世界社版: 八幡書店版:第14輯 419頁 修補版: 校定版:1頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 至大(しだい)浩々(かうかう)漂々(へうへう)恒々(かうかう)として撒霧(さんむ)たる⦿()(とき)(おい)て、002その機約(きやく)両極端(りやうきよくたん)対照力(タタノチカラ)(おこ)して、003恒々(かうかう)湛々(たんたん)たるが(ゆゑ)に、004その至大(しだい)両極端(りやうきよくたん)対照力(タタノチカラ)(たも)ちて、005至大(しだい)(ことごと)両々(りやうりやう)相対照(あひたいせう)して()機威(きゐ)中間(ちうかん)極微点(コゴコ)連珠絲(サヌキ)()(つな)ぎ、006比々(ならびならび)隣々(となりて)ヒシト充実(じうじつ)(きは)まり()(なり)007(しか)れども気形(きけい)透明体(とうめいたい)なるが(ゆゑ)(ひと)(まなこ)には()えざるなり。008()えねども()連珠絲(サヌキ)霊気(れいき)(たも)ちて(はじ)めて至大天球(たかあまはら)(つく)(とき)に、009対照力(タタノチカラ)(もつ)至大(しだい)外面(ぐわいめん)(まつた)()(つま)りて(たま)()りし(なり)010(けだ)極元(きよくげん)⦿()至大(しだい)浩々(かうかう)漠々(ばくばく)漂々(へうへう)恒々(かうかう)として、011花形(はながた)()して凹凸(あふとつ)として呼吸(こきふ)(たも)てり。012(しか)(しかう)して()平輪分(へいりんぶん)(ところ)(おい)対照力(タタノチカラ)(おこ)して()外面(ぐわいめん)対照力(タタノチカラ)にて氷張(ひは)り、013(まつた)()()めて至大天球(たかあまはら)となりたる(なり)
014 (ゆゑ)()凸所(とつしよ)()局珠外(たまのそとら)()りて(ひれ)となりたる極微点(コゴコ)は、015()()めたる()(たま)()りて(きそ)ひて球内(きうない)()らむと(ほつ)し、016東岸部(とうがんぶ)017西岸部(せいがんぶ)(もん)()局中(きよくちう)押入(おしい)らむと(ほつ)し、018自然(しぜん)勢力(せいりよく)()押入(おしい)る。019ここに(おい)()(はじ)めの対照力(タタノチカラ)氷張(ひは)()められて、020(すで)球中(きうちう)固有(こいう)する(ところ)極微点(コゴコ)連珠絲(サヌキ)()中央(ちうあう)()す、021その()されたる()北極(ほくきよく)022南極(なんきよく)(むか)ひて(はし)()る。023その(はし)()()たる()亦復(またまた)(たま)外面(ぐわいめん)()りて、024東岸部(とうがんぶ)025西岸部(せいがんぶ)(きた)りて亦復又(またまたまた)球中(きうちう)()りつつ、026(はし)なく循環(じゆんくわん)運行(うんかう)しつつ永世(えいせい)無窮(むきう)に、027()なく(はて)なく(をは)りなく本末(ほんまつ)もなくつららぎ()(なり)
至大天球
[#図 至大天球]
028 (けだ)しこれ以上(いじやう)()(ところ)条々(でうでう)真説(しんせつ)(ごと)きは、029釈迦(しやか)孔子(こうし)(あへ)(もつ)()らざる(ところ)極典説(きよくてんせつ)なるが(ゆゑ)に、030譬喩(ひゆ)031寓言(ぐうげん)032(なぞ)かけ(だん)(ごと)不正(ふせい)曖昧(あいまい)なる妄談(まうだん)(あら)ず。033(また)世間並(せけんなみ)なる想像談(さうざうだん)(あら)ず。034極乎(きよくこ)正明(せいめい)なる極典説(きよくてんせつ)なり。035(ゆゑ)一句(いつく)一言(いちげん)(みな)(ことごと)正真(せいしん)至大天球(たかあまはら)組織(そしき)036紋理(もんり)037大造化機(だいざうくわき)(つか)みて、038明細(めいさい)審密(しんみつ)証徴(しようちよう)したる極典(きよくてん)(なり)039大智慧(だいちゑ)(てら)して熟覧(じゆくらん)()ぐる(とき)は、040一切(いつさい)世界(せかい)無比類(むひるゐ)なる極典(きよくてん)(なり)(たた)(こと)感得(かんとく)すべし。041(ゆゑ)謹読(きんどく)(はい)()目利(めきき)(あき)らかにして一切(いつさい)(まよ)ひを一掃(いつさう)すべし。042愚蒙(ぐもう)にして目利(めきき)(あやま)(とき)譬喩(ひゆ)043寓言(ぐうげん)044(なぞ)かけ想像談(さうざうだん)(もつ)て、045契経(おきやう)(なり)046哲学(てつがく)(なり)などと(おも)ひ、047愚案説(ぐあんせつ)048比例説(ひれいせつ)049愚考説(ぐかうせつ)陳述(ちんじゆつ)して哲学(てつがく)(なり)(しん)()(なり)050()ふ、051目利(めきき)正明(せいめい)(きは)むる(こと)冀望(きばう)する(なり)
052 (けだ)老子(らうし)()至大天球(たかあまはら)(しん)明言(めいげん)する(こと)不能(あたはず)053(げん)()(また)(げん)衆妙(しうめう)(もん)()(なり)054(もん)といふ(もの)表半球(おもてはんきう)(かたち)(なぞ)にかけたる(なり)055()明言(めいげん)して天球(てんきう)云々(うんぬん)()(とき)は、056種々(しゆじゆ)質問(しつもん)(おこ)(なり)057(もろもろ)(こた)ふる(こと)不能也(あたはざるが)(ゆゑに)克々(よくよく)(おも)ひやるべし。058釈迦(しやか)無辺(むへん)法界(ほふかい)といふ、059不思議(ふしぎ)(かい)といふ。060(じつ)(おも)(はか)(こと)不能者(あたはざるもの)(なり)061孔子(こうし)(トルル)()(また)(ひと)ツと()ふ、062(みな)謎談(なぞだん)のみ(なり)063(まこと)(もつ)不届(ふとどき)千万(せんばん)なれども、064明言(めいげん)すれば種々(しゆじゆ)質問(しつもん)(おこ)るを(おそ)れて、065譬喩(ひゆ)066寓言(ぐうげん)067謎談(なぞだん)(とう)(もつ)()籠絡(ろうらく)し、068神器(しんき)神器)を()ちたる弥勒(みろく)()づるを相待(あひま)()(なり)069(あはれ)()ふも(おろか)なり。
070 されば最第一(さいだいいち)なる霊魂(れいこん)精神(せいしん)は、071至大天球(たかあまはら)一名(いちめい)至大霊魂球(おほみたま)にして、072一個人(いつこじん)神経(しんけい)()霊魂球(みたま)(ちう)一条脉(いちでうみやく)なる(すなは)(たま)()()(もの)(なり)明言(めいげん)して、073その明細(めいさい)説明(せつめい)する(こと)不能也(あたはざる)(なり)074頑々(ぐわんぐわん)たる謎談(なぞだん)(つく)りて愚拝(ぐはい)()(なり)075(ゆゑ)六識(ろくしき)七識(しちしき)八識(はつしき)九識(くしき)十識(じつしき)(こと)は、076目録(もくろく)にも()らぬ譬喩談(ひゆだん)演説(えんぜつ)したるのみ。077実明(じつめい)したる契経(おきやう)とては(ただ)(いつ)(くわん)()(なり)078天親(てんじん)菩薩(ぼさつ)七識(しちしき)以上(いじやう)(とて)(かな)はぬ、079()つて(ただ)六識(ろくしき)()くといひて唯識論(ゆいしきろん)()きたれども、080妄々(まうまう)たる譬喩談(ひゆだん)にて目録(もくろく)にも()らぬなり。081古今(ここん)無双(むさう)大学(だいがく)明信(めいしん)なる天親(てんじん)にして(すで)妄々(まうまう)なる(こと)如此(かくのごとく)(なり)082(いはん)やその()派下(はか)愚僧(ぐそう)をや。
083 嗚呼(ああ)霊魂(れいこん)心性(しんせい)(こと)最大一(さいだいいち)()僧侶(そうりよ)にして、084その心性(しんせい)至大天球(たかあまはら)(ちう)真霊(しんれい)(すなは)(これ)(なり)明言(めいげん)して、085その明細(めいさい)造化(ざうくわ)(おこな)()始末柄(しまつがら)(はじ)め、086億万(おくまん)劫々間(ごふごふかん)年度(ねんど)生死(せいし)往来(わうらい)して()一切(いつさい)(こと)を、087明細(めいさい)教示(けうじ)する(こと)不能(あたはず)088妄々(まうまう)たる(なぞ)をかけて(まよ)()達磨(だるま)は、089(じつ)憫然(びんぜん)(きは)まる(もの)(なり)
090 (ゆゑ)現今(げんこん)(おこな)はれゐる(ところ)道統(だうとう)本元(ほんげん)(なん)なりと詰問(きつもん)すれば、091(あへ)一言(ひとこと)(こた)ふる(もの)()し。092(いはん)()本元(ほんげん)(より)(きた)極元(きよくげん)(こと)は、093(ゆめ)にも(おも)()らざる(あさ)ましき餓鬼僧(がきそう)のみ(なり)
094 ササ()リと()(ひと)あらば、095道統(だうとう)本元(ほんげん)寄而(よりて)(きた)るの極元(きよくげん)(これ)(なり)一句(いつく)たりとも説明(せつめい)して()よ。096釈迦(しやか)達磨(だるま)()道統(だうとう)本元(ほんげん)(より)(きた)るの極元(きよくげん)不知故(しらざるがゆゑ)に、097直接(ちよくせつ)明言(めいげん)道法(だうほふ)説明(せつめい)する(こと)不能(あたはざる)(なり)098(ゆゑ)譬喩(ひゆ)099寓言(ぐうげん)100謎談(なぞだん)のみにして、101弥勒(みろく)如来(によらい)当来(たうらい)()ちて(をしへ)(よろこ)(たてまつ)(なり)102(ゆゑ)六識(ろくしき)七識(しちしき)八識(はつしき)九識(くしき)十識(じつしき)(がら)(すくな)くも()(こと)不能(あたはざる)(なり)103(ゆゑ)(しき)(こと)(しる)したる(きやう)(いつ)(くわん)だも()し。104天親(てんじん)菩薩(ぼさつ)唯識論(ゆいしきろん)妄々(まうまう)たる(もの)極々(ごくごく)珍書(ちんしよ)(くらゐ)()()(じつ)憫然(びんぜん)(いたり)(なり)105(すみやか)弥勒(みろく)出現(しゆつげん)()(たてまつ)れ、106(いな)弥勒(みろく)(しやう)ぜよ。
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