一、天帝すなはち天之御中主の大神は無始無終である。天帝は万物の造り主である。ゆゑに天帝は造られたるにあらず。もし他に天帝を造りたりとせば、その他力こそ天帝である。もしまた外に大他力ありてその他力を造りたりとすれば、その大他力こそは誠の天帝である。天帝は独一の真神である。ゆゑにその知識と能力の深き事、大いなる事、極まりなきものである。天帝は独尊の性質を有し給ふも自然の道理である。
二、物質界の遠大なること誰かその界を定むるを得ん。実に天帝の体は無始無終である。天体学者の説によれば、地球と月との距離は九万七千八百五十里、太陽との距離は三千八百四万里、海王星との距離は十一億九千万里である。海王星は太陽系の最も遠きものである。海王星より他に存在する恒星に至りてはその距離億里兆々里をもつて数へねばならぬ。恒星の最も太陽系に近き者といえへども、その距離は二十二兆英里も在る。ゆゑに恒星の最も遠きものに至つては、億々兆々里の距離ありて数ふべからざる無限のものである。
三、光線の速力は一秒間に七万六千里である。太陽の光線は三千八百四万里の距離ある地球に八分間余りにして達するのである。海王星の光線は十二億里の距離より地球に四時間余にして達するのである。恒星の最も近きものはその光線二年余りをもつて地球に達するのである。恒星の最も遠きものは幾千万年の久しきを経て始めて地球に達するのである。
四、また宇宙間にある天体の多き事、如何なる天体学者といへども、その全数を明かに数へ見ること能はぬものである。恒星は皆太陽である。恒星を肉眼をもつて明かに見る事を得るもの五千ばかりあるが、もし望遠鏡の力を籍りてこれを窺い見るときは、恒星の数は実に億万をもつて数へる事が出来るのである。かの銀河とて俗に称ふる天の河の如きは、数限りなき恒星細く集まりてなりたるものにして、天の川の中に存在する恒星は三千万も在るのである。我太陽には附属の小星がおよそ三百余りである。おのおの恒星にもまた附属の小星がある。ゆゑに天の川の中にも三億の天体があると云はねばならぬ。ああ宇宙の洪大なる、天体の数多き実に測り知るべからず。
五、この洪大無辺なる宇宙間においてこの数限りなき天体を創造してこれをば統べ守り、天体の運転活用少しもその時を誤たず、天体の順列少しもその所を乱る事なくして、幾億万年の昔より幾億万年の今日に至るまで、この広き世界を支配したまふ天帝においては、必ず無始無終の霊魂と無始無終の霊力体の在るからである。天帝を上帝と言ひ、天神とも言ひ、真神とも言ひ、大金神とも言ふ。皆無上独尊の性を有し万物の大本をなしたまふが故である。