一、この人の世に住めるは恰も旅人の宿屋に泊れる如く、必ず一度は立たねばならぬものぞ。例へて云へば、幽世な故郷にて、体躯は宿屋で霊魂は旅人なるぞ。
二、旅人の宿屋にあるものは必ず故郷へ帰らねばならぬ。霊魂の人の体躯に宿るものは、必ず霊魂の故郷なる幽世へ帰らねばならぬ。
三、曲りた剣は本の鞘に納まり難し。曲りたる霊魂は本の幽世の高天原へは収まらぬ。止むを得ずして根の国底の国へと、御詔のまにまに擲げ棄てらるるなり。
四、曲りたる霊魂は、直日によりて省み、信仰を積むときは、本の如く真直なる霊魂と生れかはるべし。
五、錆び穢れたる霊魂は、瑞の霊の清水に洗ひ直日の砥石にかくれば、再び元の光を顕はすべし。されど最早腐りたる霊魂は、如何にして直し助くる事あたはず。
七、現し世は涙の国なり、苦しみの家なり、夢の浮世なり、悪魔の世なり。今日栄ゆるかと思へば、明日は必ず衰ふる世なり。生くる間もなく亡ぶる世なり。
八、されど真の道に叶ひ、真正の神の御詔を歩むものには、この上なき喜ばしき頼もしき神国なり。現し世ほど美はしく楽しく面白きは無し。
九、霊魂ばかりになりて、幽世にて暮さんよりも肉体を保ちて心を神に任せ、誠を貫ぬき、一日なりとも長く生き、世の為国の為めになるべき事をなし、後の世にその名を伝ふるは人生の本分なり。
一〇、この世へ生れ来たりし上は一日なりとも長く生きて、一つでも善き事を多く行ひて、後の世の我身の行く先の足場を作り置くべし。
一一、肉体の生命は限あり、二百年も三百年も生きらるるものでなし。たとへ千年万年生き長らへたりとて限りある生命なり。ましてや人生は五十年の定命とは、実に夢に非ずや。
一二、この限りある肉体のあるうちに、心を清めて霊魂の行手を顧りみよ。
一三、霊魂の天津御国へ行くべき用意と信仰さへあれば、たとえ若くして死するとも、惜しき事にはあらず。七十八十を越へても高天原へ救はるべき道を知らず、またその信仰の力備はらざるものは年老ひて死するとも惜しむべし。用意なくして死するものほど、憐れむべきものはなし。そは取り返やしのつく時、二度来らざればなり。
一四、明日をも知れぬ肉体を持てるものよ、肉体あるうちに、早く用意をなせよ。口あるうちに早く神を讃美せよ。手足のあるうちに早く行為を改めて、善の道に移れ。
一五、霊魂のみになつてからは、善をなさんと思ひても、肉体なければ為す事あたはじ。
一六、一度根の国底の国へ陥りたる霊魂は、いつまでも救ひ上げらる時は無し。
一七、霊魂を天国に救はれん事を願ふものは、瑞の霊の大神の御教を聴け。