霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一〇章

インフォメーション
題名:第10章 著者:出口瑞月
ページ:29 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B117100c10
一、神の智慧、神の愛、神の親み、神の耐へ忍びは人々の浅き心をもつて酌み取ること(あた)はず。
二、王仁は神の国の武士(もののふ)とならんとして、幾度も神の試みに逢ひけり。神は王仁を強きもの、(さと)きものと為さんと(おぼ)し召して、種々(くさぐさ)の苦しみを与へ、その心を練り鍛へ玉へり。神は種々の疑はしき事をのみ、王仁の目の当りに下し玉ひて、その心を磨かしめ、智慧を深く与へんとなし玉へり。神は種々の憐れみを、王仁の目の当りに敷並べて、その心に誠の愛を起さしめ玉へり。神は種々の憤りを、王仁の目の当りに積み重ねて、誠の和魂(にぎたま)の親しみを鍛はしめ玉へり。正しき道を歩ましめんとして、その心の為に、いかがはしき道をも歩ましめ玉ひて、その(みたま)を磨かせ玉へり。神はある人の手より筆より、百足虫(むかで)(いだ)し、蝮蛇(まむし)を出し、蜂を出して、王仁を責め以てその心を改め鍛へしめ給へり。
三、神の御心(みこころ)の広き深き、人々の覚り知るべき処にあらず。ある人も神の試みに逢へり、王仁も神の試みに逢へり。そのほかの教へ(つかさ)信徒(まめひと)()、大なる神の試みに逢へり。ある人も二つの大試験にかかり玉へり。然して未だその及第の時は(きた)らざるなり。
四、王仁も二つの大試験に逢ひたり。されど幸ひに及第する事を得たり。王仁は神の大試験に叶ふの道を覚りたり。ゆゑに王仁は、道の柱となりて(みづ)御霊(みたま)の力によりここに大本を唱へ(いだ)したるなり。
五、神の試みに逢ひて及第したるものは、いと高く、いと(うる)はしく、いと楽しき神の国に昇る事を得べし。神の試みに逢ひて、落第したるものは、いとも(きた)なき苦しき悲しき、曲津(まがつ)の群なる、根の国底の国に落ち行くべし。
六、我が教の御子(みこ)何某(なにがし)と云ふもの、神の試みに逢ひて、愛しき一粒種子(たね)の四つになれる女の子、夜昼苦しみ病みこやせり。王仁彼が家に至りて、神の試みに逢へる事の(よし)を諭して、その心を治めしめたるに(たちま)(しるし)ありて子の病ひその夜の(うち)に全く癒えたりき。
七、彼はかつて、王仁が道を知りて、神の奇しき神術(みわざ)を覚り、神の御力(みちから)を得て病めるものを癒やし、暗きに隠れたる事をも、よく覚り得るまでの神力を与へられしものなり。されど彼今や、神の試みに逢ひて、ほとんど落第せんとしたり。我が愛しき独り()(わづら)ひも癒やすこと能はざるに至れり。神は常に試錬をもつて、人々の霊魂を鍛へ玉へり。神の試みに会ひて、狼狽(うろた)へ迷ふものは根の国に至るべし。彼れこの神の道に()りたりし時の(もと)の心に立返り、二度故郷へ帰りなば、以前に勝るところの神力現はるるに至らん。さは云ふものの彼が心一つにあるなり。
八、また一人の教へ子何某(なにがし)も、長く神の試みに会ひて、今やその暗き()、やや明らかになれり。彼は最早天国の門の前に進めり、されどされどアア。その他の役員(とき)至りて、やや(まなこ)開けんとす、喜ぶべき事どもなり。
九、神の愛は限りなしとは、これまでの文にもしばしば記す処なり。人は神の限なき愛を離れては実に果敢(はか)なきものなり。
一〇、神この世に無きものとすれば、実に世の中には住む甲斐なきものなり。世には利己主義とて、我身のみを愛し、人の事は如何になり行くとも、少しも構はぬものあり。また我身より外に、我力になるものなしと云ふ人あり。実に誤れりと云うふべし。
一一、汝ら天より賜はりし直日(なほひ)(みたま)によりて、省みるべし。骨も身も太く強く逞しく虎狼鬼熊などを、一と(ひし)ぎに挫ぐかと思はるるばかりの益良夫(ますらを)といへども、何時病に犯されて、この世を国替(くにがへ)する事あるや計られざるぞ。死の泉は(やす)みなくして湧き出づるなり。死の影は物云ふ間も(うかが)ひ居るにあらずや。
一二、いかに壮健無事なりとて安心すべからず。この広き世の中に、ただ一つの生命より無きものは、何をもつて安心立命を得るや。かけがへなき只一つの生命、(あに)心細からずや。今まで甲斐甲斐しく()めに働き、どこが一所(ひとところ)悪いと思はぬ人も、(にはか)に病らひついて一夜の間に死んでしまふものがある。まして流行病などの時は、格別なものである。見て居るうちに知る()の者や、親しい友達や、身内のものがばたばたと倒れて焼き場の(けむり)と変はり穴住居(ずまゐ)となつて消へてしまふ事がある。呼べど叫べど何処(いづこ)へ行つたやら消へたやら、とんと答へがないの果敢(はか)ないのかはかがあるのか、実に頼りなきは人の身の上である。それゆえ人と生れたるものは、うかうかとして居る事は出来ぬ。どうしても我身の上の事から考へて見なければならんではないか
一三、二十年も三十年も五十年も百年も生きやうと思へばこそ、朝から暮まで一心になつて稼ぐのではないか。それを明日をも知れぬはかなき生命をと思へば、実にがつくりして張合ひの抜けた事で、して居る仕事さへも放したい様になりて来るものである。アア人はこんなものであろうか。また(ほか)に力とし頼みとすべきものがあるであろうか。もしあるとすればそれは何であろうか。これは一つ各自(めいめい)に深く考へねばならぬ事である。
十四、青年の者などは、遠く故郷を離れて勉強に出で、学もし成らねば死すとも帰らじと力んで行くは行くものの、同じ力んで居た友達が突然病ひにかかつて国替したりやうやく大学を卒業して、やれ嬉しやと思ふ矢先に肺病にかかつて死んだりする人の身の上を思ふと、実に阿房(あほう)らしくて寂しき様で、気張って勉強する気にもならぬ様になつて来るのである。
十五、吾子はもう何年たてば、幾つになるから親も(らく)じや、もう幾年たてば吾子は大学を卒業して何々になるであらう、年寄つての楽しみは我子の成人より外には無いと指折り数へて待つた甲斐もなく、当てが外れて、その子が親に(さきだ)ちかへつて親に血を吐く思ひをさせる事が多くある。アア情ない世の中ではないか、浅ましい世の中ではないか。
十六、また数多の学資を造り、いつかど一廉の人物に仕上げやうと思ふて心を砕いて見た処、その(まと)ががらりと外れて極道となり、法界節(ほふかいぶし)唄ひ法界節とは明治24~25年頃に流行した俗謡で、編み笠を被り白い袴をはいた書生が月琴を鳴らして歌い歩いた。〔広辞苑による〕になつたり、中には詐欺や泥坊になり下つて、親の顔に泥を塗るものがある。こうなるとその親たるものは、楽しみ処か悲しみと恥しめの為に、早くこの世を去つてしまひたいやうになつて来るのである。かかる(ためし)も世間に少くないのである。アアどうしたら人はいつまでも楽しむ事が出来やうか、またどうしたらその悲しみを逃れる事が出来やうか、ここは一つ考へねばならぬ事である。
十七、また子は子で一生懸命に稼いで、一日も早く親を喜ばせ楽しませやうと思ひ、その事の半分も成り立たぬ先に、親は(にはか)の病ひの為めに(なが)の別れとなる。アア夢か現か、夢ならば覚めよとて我が身を(つね)つて見たりするやうな、憐れな事が沢山あるのである。
十八、アアこの人生はどうしたら善いであらうか、如何にせばその憂ひ苦しみが免がるるであらうか。この事が分らぬやうな事では、とても安心してこの世を送る事は出来ぬのである。
十九、人の肉体は朽ち腐り、消へ失するとも、その霊魂は朽つる事なくして、限りなき生命を保つものなる事を(わきま)へ覚らざるべからず。この世ばかりで未来がないならば、人間は実に情ないものであるが、人の霊魂は不滅であるから実に末頼もしき事である。その代り善を行ひし人の霊魂は結構であるが、悪人の為にはその霊魂不滅は実に恐るべき事である。
二〇、色々な悪事を為しても、死すれば霊魂もなく影も形もなくして、水の泡の消へし如くならば、悪人は実に結構であるが、神の掟はそう(うま)くは行かぬのである。この世で悪を為せしものには、その者の不滅の霊魂に必ず厳しき(むく)ゐを下し給へば、人たるものはこの果敢(はか)なき世にある間に、善の限り誠の限りを尽し置きて、未来の楽しみの種子(たね)()かねばならぬのである。
二一、この世の人生は無情(つれなき)ものである。到底安心する事は駄目である。思ふ事は半分もならずに、思はぬ不幸のみ重ね重ね打続くもので、寄る年波と共に一片の(けむり)や泡と消え失するが人生と定まつて居るのである。
二二、すべての人のこの世に生れ来りしは、その霊魂を鍛いて以て神の御国(みくに)に生れ出づる為めの足場なり。霊魂の苗を植え付くる苗代なり。そこで人はどうしても神を知らねばならぬのである。神の言葉を守らねばならぬのである。
二三、人は神を第一として何事もなすべし。髪の毛一筋といへども、皆神の御恵みによりて生ひ出づるものぞ。人は神に遠ざかりては何時までも栄ゆる事(あた)はざるものぞ。